第四話『運命の夜・Ⅰ』

第四話『運命の夜・Ⅰ』

 テーブルに並べてあった料理を温め直して食べていると、インターホンが鳴った。
 藤ねえか桜が忘れ物でも取りに戻って来たのかと思い、玄関扉の鍵を開けると、そこには小柄な女の子が立っていた。

「えっと……」
「こんばんは、お兄ちゃん」

 鈴を鳴らすような声。聞き覚えが在る。

「君は昨日の?」
「ええ、忠告してあげたのに、まだ喚び出していないのね」
「喚び出すって……?」

 困惑していると、少女の方まで困惑し始めた。

「えっと……、もちろん、サーヴァントの事だけど?」
「サーヴァントって?」
「……え? あれ?」

 とりあえず、立ち話をしていては埒が明かない気がしてきた。

「とりあえず、上がっていきなよ。お茶くらい出すからさ」
「えっ? えっと、いいのかな?」
「あれ? まずいかな?」
「え?」
「うん?」
「……うん。折角のお誘いを断るなんて、レディーにあるまじき事だもの。上がらせてもらうわ」
「あっ、うん。どうぞどうぞ」

 そのまま土足で上がろうとする少女に慌てて脱ぐように伝え、居間に案内した。

「これがタタミなのね……」

 珍しそうに畳を見ている。

「えっと、とりあえずお茶とお菓子を」

 緑茶と藤ねえが置いていったドラ焼きを少女の前に置いて、対面に座る。

「それで、君は一体? 俺の事を知っているみたいだけど……」
「……イリヤスフィール。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ええ、あなたの事は知っているわ」

 イリヤスフィールと名乗った少女はお茶を啜った。

「にがっ!? なにこれ!?」

 涙目になった。

「あっ、緑茶は苦手だったか? ごめん、ジュースにするべきだった……。すぐに用意するよ」
「……いい、飲む」
「え? でも……」
「いいから! 話の続き! っていうか、お兄ちゃんの名前を教えて!」
「え? 俺の事を知ってるんじゃなかったのか?」
「知ってるけど、名前は知らないの! ほら、はやく!」
「し、士郎だ! 衛宮士郎」

 ガーッと怒る彼女にあわてて名前を名乗った。

「シロウ……、シロウね。うん、シロウ!」
「れ、連呼されると恥ずかしいんだけど……」
「……シロウは聖杯戦争の事を知らないの?」
「聖杯戦争? なんだ、それ」

 イリヤスフィールは困ったような表情を浮かべた。

「ねえ、キリツグに教わってないの?」
「あれ? 親父の事は知ってるのか……。って言われても、聖杯戦争なんて話は聞いたことが無いぞ」

 そう言うと、イリヤスフィールはムッとした表情を浮かべた。

「えっと、なんかまずかったか……?」
「べつに! キリツグが聖杯戦争のことも、わたしのことも、なーんにもシロウに教えてなかったんだって思っただけ! ぜんぜんまずくないわ!」

 大分まずいことだったようだ。

「その、すまない。俺はその事を知っておくべきなんだよな。なら、教えてくれないか?」
「……仕方ないなー」

 やれやれと肩を竦めながらイリヤスフィールが話し始めた時、どこからかグーという奇妙な音が鳴った。

「あれ?」
「……だって」

 イリヤスフィールの目が泳いでいる。

「近くにいれば気付いて召喚を始めるかな―っておもってて、ずーっと待ってたのに……、ぜんぜん召喚しないんだもん」

 どうやら、インターホンを鳴らす前から近くでスタンバっていたようだ。

「……えっと、どのくらい?」

 指を三つ立てた。

「三時間……? 夕飯は?」
「……たべてない」
「了解」

 俺は立ち上がって台所へ向かった。

「シロウ……?」
「ちょっと待っててくれ。簡単に摘めるものを用意するからさ」

 切嗣を知っている少女の話。気にならないと言えば嘘になる。
 だけど、お腹を空かせた女の子から無理に聞き出す事は出来ない。
 まずは腹拵えをしてもらおう。

「材料は……、豚ロースがあるな。生姜、片栗粉、醤油、味醂、お酒っと」
「……なにを始めるの?」
「生姜焼きを作ろうと思ってな」
「ショウガヤキって?」
「美味しいぞ」
「……ふーん」

 まずはタレ用の生姜を擦る。これに調味料を測って入れて……。

「えっと、気になるか?」

 イリヤスフィールはジーっと此方を見つめている。

「べ、べつにー」

 口振りとは裏腹に視線は釘付けだ。もう随分昔の話だけど、俺も子供の頃に大人が料理をしている姿が気になって見ていた事がある。

「一緒に作るか?」
「……シ、シロウがどうしてもって言うなら」

 思わず笑いそうになった。
 桜の使っているエプロンを渡すと少しブカブカだった。

「うーん。俺が昔使っていたヤツがどっかにあったかな? ちょっと見てくるよ」
「う、うん」

 探し当てたエプロンはずいぶん長い間放置していたせいで少し埃っぽかった。

「うーん。これなら桜のエプロンの方が……」
「これがシロウの使っていたエプロンなのね」
「あっ、ああ」
「なら、こっちがいいわ」

 そう言うと、イリヤスフィールはエプロンを身に着けた。なんだか、妙に気恥ずかしい。どうしてか、藤ねえのことを思い出す。

「じゃあ、始めるか。イリヤスフィールは包丁を使えるのか?」
「うーん、たぶん使えるとおもう。あと、わたしの事はイリヤでいいわよ、シロウ」
「そうか? わかった。使えると思うって事は、使った事はないって事か?」
「……うん」
「なら、それも教えるよ」

 エプロンのついでに持ってきた踏み台をまな板の前に置いて、イリヤに登らせる。

「手はこうやって握るんだ。それで、豚肉の筋切りをしていく。赤身と脂の間に切り込みを入れておくと反り返らないんだ」
「えっと、こうね」

 イリヤは筋が良かった。手先が器用なようで、作業を着々とこなしていく。

「次は片栗粉をまぶすぞ。ビニールに肉と片栗粉を一緒に入れると簡単なんだ」
「任せてちょうだい」

 しゃかしゃかとイリヤが片栗粉を肉にまぶしている間に俺はフライパンの用意をする。
 
「これでいいの?」
「ああ、ばっちり」

 油をひかずにそのまま肉をフライパンへ投入。焦げ付かないように気をつけながら焼いていく。
 しばらくしたら滲み出てきた豚の油をキッチンペーパーで拭いて、さっき作ったタレを加える。

「いいにおいねー!」
「もうすぐ完成だぞ」

 それにしても、不思議なものだ。よく考えると、こんな時間に現れた幼い少女を家に招き入れて一緒に料理をするなんて普通じゃない。下手をすると警察の厄介になりかねない。
 だけど、自然とこういうカタチに収まっていた。
 完成した生姜焼きを皿に盛り付けて、ご飯をお椀によそう。既に夕飯を食べた後なのに、生姜の臭いにつられて俺もお腹が空いてきた。

「いただきます」
「えっと、いただきます」

 居間に戻って、二人で一緒にたべる。

「おいしい!」

 イリヤが歓声をあげた。

「イリヤががんばってくれたおかげだな」
「えっへん」

 お腹がいっぱいになったところで、デザートに藤ねえが持ってきたリンゴを切った。シャリシャリ音を立てながらのんびりと時間を過ごす。
 そのうちにウトウトし始めた。

「うぅ、眠くなってきた」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない……」

 その時、玄関のインターホンが鳴った。

「今度は誰だ?」

 玄関の扉を開けると、そこには異様な出で立ちの女性が二人立っていた。
 
「えっと、もしかしてイリヤの保護者の人ですか?」

 そう言うと、女性の片割れが険しい表情を浮かべた。

「やはり、まだ始めていないようですね」
「始める……?」
「リーゼリット」
「うん、わかった」

 いきなり、もう一方の女性に胸ぐらを捕まれ、壁に叩きつけられた。

「何をしているの、セラ! リズ!」

 やっぱり、イリヤの家族だったようだ。

「ご覧のとおりです、お嬢様。むしろ、何故、バーサーカーを喚び出して、この者を始末なさらないのですか?」

 物騒な言葉が聞こえた。

「な、んだよ、始末って!」
「言葉通りの意味です。我らアインツベルンを裏切りし、エミヤキリツグの息子。我々は――――」
「黙りなさい、セラ! リズもはやくシロウを下ろして!」
「ですが……」
「わかった」

 セラと呼ばれた女は渋っていたが、リズと呼ばれた女はあっさりと俺を解放した。
 咳き込みながら、彼女達の言葉振り返る。
 アインツベルンを裏切りし、衛宮切嗣の息子。彼女達はそう言った。

「……ど、どういう事なんだ?」
「言葉通りの意味よ」

 イリヤは言った。

「キリツグはわたし達を裏切った。だから……」
「その息子の俺を始末しに来たって事なのか?」

 イリヤは俯いている。

「ごめんな、イリヤ」
「……なんで」
「俺は何も知らないんだ。知らない事に対しては謝れない。でも、何も知らない事でイリヤを傷つけた事には謝る。ごめん、イリヤ」

 イリヤは深く息を吸った。

「セラ。シロウは何も知らないの。サーヴァントを召喚してもいない。だって、聖杯戦争そのものを知らないんだもの」
「まさか……、エミヤキリツグの息子がそんな筈は……」
「本当よ。シロウは何も知らない。……そのままでいい」
「イリヤ……」

 イリヤは微笑んだ。

「夜分遅くに押しかけて申し訳ありませんでした」

 スカートの裾を持ち上げて、イリヤは優雅にお辞儀をした。

「あんまり、夜は出歩いちゃダメよ。あと、変な場所にも行っちゃダメ」
「イリヤ……?」

 イリヤはセラとリズの手を握った。

「ばいばい、シロウ。ショウガヤキ、とっても美味しかったわ」
「ま、待ってくれよ、イリヤ! 俺のことを始末しに来たんじゃなかったのか!?」
「だって、何も知らないじゃない……」
 
 その声は震えていた。
 去っていく小さな背中を追いかける事も出来なくて、俺はその場に立ち尽くしていた。

「なんなんだよ、聖杯戦争って……」

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