第十五話『命よりも大切なもの』

第十五話『命よりも大切なもの』

 目を覚ましたら土蔵の中だった。日課の鍛錬をこなしていて、そのまま寝てしまったみたいだ。
 起き上がると毛布がずり落ちた。

「毛布……?」

 どうやら、誰かが気を利かせてくれたらしい。

「あれ? でも、こんな柄の毛布、うちにあったっけ?」
「毛布がどこにあるのか分からなかったから、魔術で作ったの」
「そうなのか」

 どうりでファンシーな柄だと思った。ウサギがこれでもかってくらいたくさん描かれている。
 なんとなく、アリーシャらしいと思った。

「……ん?」

 そこでようやく目の前にアリーシャがいる事に気付いた。

「アリーシャ……?」
「おはよう、シロウ」
「おっ、おはよう。えっと、いつから……?」
「昨日、シロウが魔術の鍛錬をはじめた辺りからかな?」
「……えっと、一晩中そこにいたのか?」
「うん」

 よーし、落ち着け。きっと、アリーシャは俺に用事があったんだ。だけど、俺が眠ってしまっていて、起こすのも悪いと起きるまで待ってくれていたに違いない。
 すまない事をした。俺は居住まいを正して話を聞く態勢を整えた。

「……その、何か用事があったんだよな? 起こしてくれても良かったんだぞ。それで、どうかしたのか?」
「え? 別に用事はないけど?」
「……なら、なんでここに?」
「シロウの寝顔が可愛かったから」

 脳裏に《ストーカー》の文字がチラついた。
 咳払いをして冷静さを保つ。

「えっと、アリーシャ」
「なーに?」

 あざといくらい可愛らしい《なーに?》に気勢を削がれる。

「……アリーシャは俺の事が好きなのか?」
「うん! 言葉で表現し切れないくらい、シロウの事が好きだよ」

 あまりにもストレートな好意に顔が熱くなってくる。

「……その、なんでなんだ? 俺って、そんなにかっこよくないだろ。それに魔術師としても未熟だし……」

 言葉を途中で遮られた。唇に柔らかい感触が走る。目の前にはアリーシャの顔があった。
 咄嗟に離れようとしたけれど、アリーシャの力は俺如きに抗えるものではなく、そのまま為す術無く口の中を舐められ尽くした。
 たっぷり数分もの間、俺達はキスを続けていた。ようやく解放されると、そのまま床に倒れ込んだ。頭の中は熱に浮かされたようにぼやけている。

「シロウ。わたしの全身がアナタを求めているの。アナタが欲しい。アナタと一体になりたい。……アナタになりたい」

 その瞳には狂気的な光が宿っていた。

「アリーシャ……?」
「ねえ、シロウ。アナタはわたしをどう思う?」
「どう思うって……、その、知り合ったばかりだし……」
「……どうしたら、好きになってもらえるかな?」

 その言葉にはさっきまであった狂気は鳴りを潜めていた。
 不安そうに瞳を揺らすアリーシャ。

「……アリーシャ。俺は誰かと恋愛なんてしたこと無いんだ。だから、少し時間をくれないか?」
「時間……?」
 
 別にアリーシャのことが嫌いなわけじゃない。ただ、相手の事をよく知りもしないで半端な気持ちのまま応えるのは失礼な気がした。

「アリーシャのことを知る時間がほしい。アリーシャが俺の事を好きだって言ってくれたんだから、俺だって、ちゃんとアリーシャを好きになってから気持ちに応えたい」
「……シロウ」

 それにしても、アリーシャは本当に美人だ。

「……あれ?」
「どうしたの?」
「いや……、なんでもない」

 アリーシャの顔を見つめていたら、何故かイリヤを思い出した。
 そう言えば、彼女も瞳が赤かった。それに、色白で顔立ちが整っている事も共通している。
 
「ちょっと、アリーシャに似ている子の事を思い出したんだ」
「……わたしに?」
「イリヤって言うんだ。ほら、昨日話したバーサーカーのマスターだよ」
「イリヤ……」
「どうかしたのか?」

 アリーシャはなんどもイリヤの名前を口ずさみ、それから不思議そうに首を傾げた。

「……ああ、そっか。たしか、その子はアインツベルンなんだよね」
「アリーシャ……?」

 アリーシャは表情を曇らせて立ち上がった。

「そろそろ、リンを起こしてくるね。今日の朝食の当番はわたし達だから、楽しみにしててね!」
「あ、ああ、昨日のハンバーグも美味しかったし、期待してるよ」

 アリーシャが立ち去った後、俺はしばらく起き上がる事が出来なかった。

「……柔らかかったな」

 人生で初めてのキスは中々に衝撃的だった。

 ◆

 リンの部屋の扉を三回ノックすると、中から「今、行く」と返事が帰ってきた。
 
「おはよう、アリーシャ」
「おはよう、リン」

 笑顔で挨拶を交わした後、わたしはリンと一緒に居間へ向かった。
 その途中でリンは言った。

「……また、夢を見たわ」
「うん。わたしも少し思い出したよ」

 予想した通りだった。
 わたしが記憶を取り戻すと、リンにもラインを通じて伝わるらしい。

「食事が終わったら、部屋で話しましょう。いろいろと確認しておきたい事があるの」
「いいよ」

 表面的にはいつもどおりだけど、ラインを通じてリンの怒りが伝わってくる。
 良くない事かもしれないけれど、それがわたしには嬉しくてたまらない。だって、彼女はわたしの為に怒ってくれている。
 哀れみも、恐れも抱かず、ただ怒ってくれている。

「リン」
「なに?」
「大好き」
「……士郎とどっちが上?」
「うーん。悩むね」
「……そこはわたしが上って言っておきなさいよ」

 呆れたように溜息を零すと、リンは小さな声で言った。

「わたしも好きよ、アリーシャ」

 自分の出生について、すべてを思い出したわけじゃない。
 だけど、きっとわたしには家族がいない。
 父も、母も、兄弟も、姉妹も、誰もいない。聖杯戦争を共に駆け抜けたサーヴァントも自分の手で殺したわたしには他者との繋がりが一つもない。
 そんなわたしにとって、リンはかけがえのない存在だ。
 
 朝食を食べ終えると、わたしはリンと一緒に彼女の部屋へ戻った。
 
「……まず、確認。貴女はアトラス院の錬金術師がアインツベルンと結託して造り上げたホムンクルスで合ってる?」
「うん。たぶん、間違いないと思う」
「じゃあ、次ね。わたしは夢の中で聖杯戦争に参加している貴女を視た。崩れていたけど、『|HOLL YWOOD《ハリウッド》』の看板があったわ。あの場所はロサンゼルスね?」
「うん。ヴィルヘルム……、あの錬金術師はロサンゼルスに住む全ての人間を大地に溶かして、巨大な魔術回路に変えた。冬木の大聖杯をモチーフに、より彼の目的に特化した聖杯戦争を起こすための基盤とする為に」
「900万以上の命を一つの儀式の為に……」

 リンは嫌悪感に満ちた表情を浮かべた。

「……彼の目的は《正義の味方》という|殺戮機構《システム》の構築だった。人口爆発による破滅の未来を回避する為に人類の間引きを行う為に……」
「狂ってるわね……」
「本気で世界を救うためって考えている辺りが……、本当にどうしようもない」
「……その結果として、貴女はそういう存在になってしまったのね」
「あの聖杯戦争はその為の儀式だったからね。英霊の魂を一つ取り込む度にわたしは《正義の味方》へ変質していった。内側からずっと声が響いてくるの……。《正義の味方たれ》って」

 起きている間も、寝ている間も、何をしている間もずっと響き続ける声。
 
 ――――救え。

 ――――救え。

 ――――救え。

 ――――救え。

 ――――その為に、殺せ。

 強迫観念に近い衝動に常に襲われ続ける。自我が少しずつ削り取られていく感覚に恐怖を覚え、セイバーに何度も慰められた。

「眠る度に地獄を視た。炎に焼かれた街の光景……。そこをわたしは歩いていたの。助けを求める手を振り払って、助けを求める声から耳を塞いで、助けを求める人々から目を背けて、そうして切り捨てた人々の怨嗟の声が絡みついてくる。立ち止まる事は許されなくて、戦って……、戦って……、戦って……、そして、最後は大切な人まで殺して、わたしは正義の味方になった」

 セイバーはわたしが刃を向けた時、何かを呟いていた。
 だけど、わたしには既に自我が殆ど残っていなくて、何を言っていたのか分からなかった。
 きっと、恨み言に違いない。散々守ってもらった癖に、最後の最後で裏切ったのだから……。

「……夢の最後に紅い衣を纏った男が視えたわ。アレは抑止力として現れた英霊?」
「えっと……、ううん。違う……、あの人は……」

 朧げだけど、覚えている。わたしに最期を齎した人。
 雨が降っていた。

 ――――これを持っていろ。もしかしたら……。

「……そう言えば」

 わたしは魔力で装備を編み込み、その内側を漁った。
 この装備は正確に言うと、わたしのものじゃない。あの時、あの人が死にゆくわたしの体に掛けてくれたものだ。
 
「これ……」

 掠れてしまった文字。

 ――――ここに大切な物が入っているんだ。

 文字のところを触ってみると、中に何かが入っている事に気付いた。軽く切れ目を入れてみると、中から綺麗な宝石が落ちた。

「それって……」

 リンは目を大きく見開き、遠坂邸から持ってきたカバンを漁りはじめた。
 しばらくすると、彼女はわたしが取り出した宝石と瓜二つの宝石を持ってきた。

「なんで……」

 リンは困惑した表情を浮かべている。

「リン。これって、どこで買ったものなの?」
「……買ったものじゃない。これは大師父が遠坂家に授けてくれたもので、世界に一つしかない筈のものなのよ! なんで、それが……」
「世界に一つ……?」

 リンはわたしの持っている宝石をジッと見つめた。

「……魔力が無くなってる」
「えっと、どういう事なのかな……?」

 リンは二つの宝石を見比べながら黙り込んだ。

「リン……?」
「……ねえ、アリーシャ。もう一つ、確認するわ。貴女が聖杯戦争に挑んだのはいつの事?」
「えっと……、2017年の夏だったと思うよ」
「今年が何年か知ってる……?」
「え? それは……、あっ」

 言われるまで気づかなかった。だって、カレンダーなんて気にしてなかったし、今年が何年なのか意識する事も無かった。
 意識すると、頭の中に今年の年号が浮かんでくる。これは聖杯がもたらす基礎知識なのだろう。

「2004年……」
「……まあ、予想の範疇ではあったけど、やっぱり未来の英霊なのね、貴女」
「未来って、そんな事あるの?」
「あり得るわ。英霊はそうなった時点で時の流れから外れた存在になるから……。だとすると……」

 リンは頭を抱えはじめた。

「いや、2017年って、13年後よね。今すぐ子供を作ったとしても……。ええ、じゃあ、あの男は誰なの?」
「リン……?」
「未来の英霊はいいとして、あの男が遠坂家の家宝を持ってる説明が出来ないわ。まさか、平行世界のわたしとか言わないわよね?」
「えっと……、えっ? あの人がリン!?」

 そう言えば、リンも紅いコートをよく着ている。

「えっ、うそ……」
「いや、無いわ」
「え?」
「……やっぱり、あの男はわたしじゃないわ。それだけは断言出来る」
「えっと……、どうして?」
「うーん。どうしてって言われると困っちゃうけど……」

 どうにも曖昧だけど、やっぱりわたしもあの人はリンじゃない気がする。
 何ていうか、リンよりもむしろ……。

「……ダメね。わたしが誰かにこの宝石を預けるとも思えないし……。ねえ、その掠れた文字がなんて書いてあったのか分からない?」
「えっとね……」

 よーく見ると、掠れた文字の意味が読み取れた。

「……え?」
「どうしたの?」
「えっと……、その……」

 わたしは信じられない思いで刻まれた文字を読み上げた。

「あの……、『必ず返しに来なさい。それまで預けるわ。 遠坂凛』って」
「……は?」

 凛が文字を食い入るように見つめる。

「……待ってよ。なんで、わたしの名前が……。えっ、預けたって、誰に?」

 二人揃って首を捻る。

「……もしかして、あの人って、リンの恋人だったりする?」
「いや、わたしに恋人なんていないし……。でも、十年以上も相手がいないってのも想像出来ないわね……」
「リンって、好きな人はいないの?」
「えー、特にはいないわね……」
「誰も? シロウは?」
「えっ、士郎?」

 リンは少し考えた後、なんとも言えない表情を浮かべた。

「うーん。イメージが湧かないけど、絶対無いとも言い切れないわね。彼、割りといい男だし」
「振っといてアレだけど、まさかリンがわたしのライバルになるとは……」
「いや、今はそんな気サラサラ無いわよ。ただ、もし出会い方が違ったりしたら、そういう関係になるかもしれないってだけの話」
「そっか……。じゃあ、あの人がシロウだったり?」
「それこそまさかよ。彼が貴女に勝てる姿なんて全然イメージ出来ないもの。あの男は貴女と戦って勝ったんでしょ? まあ、人間が貴女に勝ったって時点で想像つかないけど……」
「うーん。あの時の事はまだ正確に思い出せないんだよね……」
「まあ、分からない事は置いておきましょう。それより、貴女に言っておきたい事があるの」
「なに?」

 リンは言った。

「わたし、聖杯を手に入れるわ」
「え? うん、それは知ってるけど……」

 改まったりしてどうしたんだろう?

「貴女、わたしと一緒に居たいって言ったわよね?」
「う、うん」
「……その言葉、忘れるんじゃないわよ」

 リンは決意に満ちた表情を浮かべた。

「リン……?」
「もう一つ確認。貴女……」

 ――――わたしが悪人になったらどうする?

 その問い掛けにわたしはすぐ答える事が出来なかった。
 そんなの関係ない。わたしはずっとリンの傍にいる。
 そう、断言したいのに、どうしてだろう……、そうなったら……、わたしは……わたしは……わたしは……、 
 
「……そうよね。だって、貴女は正義の味方だもの」
「リン! わっ、わたしは!」
「落ち着きなさい。別に怒ったりしてないわ。ただ、先に言っておくわね」
「リン……?」
「わたし、貴女に殺されるなら、それはそれで構わないから」

 その言葉に途方もない怒りを覚えた。

「何を言って……」
「……そろそろお昼の時間ね。居間に向かいましょう」
「待ってよ、リン! なんで、そんな事言うの!? わたしは……、わたしはリンを……、リンの事を……」

 止め処なく涙が溢れてくる。
 リンを殺す。その事が恐ろしくてたまらない。
 だって、わたしは本当に彼女を殺してしまうかもしれないから……。

「……貴女がわたしを殺しても、わたしは貴女の事を嫌わないってだけの話よ。それじゃ、先に行くからね」
 
 リンは部屋を出て行った。
 わたしは立ち上がる事が出来なかった。

「なんで……、そんなこと……、そんな……」

 薄々、分かってる。リンは聖杯で叶えたい望みを持ったのだ。その為なら、悪に手を染める事も厭わない。
 そして、その願いはきっと……、

「リン……。わたしにだって、自分の命より大切なもの……、あるよ。……リン」

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