第十七話『シロウ』
敷地内に飛び込んできた影を迎え撃とうとして、出来なかった。
その白い髪と真紅の瞳を見た瞬間、頭が割れそうに痛んだ。
――――バーサーカーは、強いね。
脳裏にノイズ混じりの映像が浮かんでくる。
鮮血で汚れた雪原。わたしを見降ろす巨人。夥しい数の獣の死骸。
見たことの無い光景なのに、胸には懐かしさにも似た不安定な感情が広がった。
物言わぬ巨人に対して、寂しさを感じている。ぬくもりを感じている。
――――早く呼び出さないと、死んじゃうよ。
これは記憶だ。わたしではない、わたしの過去。わたしの|原点《はじまり》。
――――偶然じゃないよ? セラの目を盗んで、わざわざシロウに会いに来てあげたんだから。コウエイに思ってよね!
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという少女が歩んだ軌跡。
彼女は第五次聖杯戦争にバーサーカーのマスターとして参加した。そして、自分を裏切った|父親《キリツグ》の息子と出会った。
まだ、何も知らなかった頃の彼。まだ、何も知らなかった頃のわたし。
わたしにとって、シロウはキリツグが拾った子で、わたしからキリツグを奪った子で、キリツグの子供で、わたしの……、弟だった。
――――シロウと話せるのは楽しいけど……。でも、やっぱり許してなんかあげないんだから!
寒空の下、公園のベンチに座って、いっぱいおしゃべりをして、一緒にタイヤキを食べた。
不思議な気持ちだった。わたしを裏切ったキリツグ。そのキリツグの子なのに、シロウと話していると楽しくてしかたがない。
でも、やっぱり許せない。もやもやして、胸が苦しくなった。
――――誓うわ。今日は一人も逃がさない。
公園のベンチで項垂れているシロウを見つけた。セイバーが魔力切れを起こして、今にも消えてしまいそうだと彼は泣きそうな顔で言った。
だから、わたしの城に招いてあげた。セイバーがいなくなって寂しいのなら、代わりにわたしが一緒にいてあげようと思った。
優しくして、仲良くなって、ずっと一緒にいてあげようと思った。それなのに、シロウは逃げ出そうとした。
また、わたしを裏切るつもりなんだと思った。
――――やっぱり、シロウはお兄ちゃんだー!
バーサーカーが倒された。いつもそばに居てくれたバーサーカーがいなくなって、すごく心細くなった。
マスターとしての資格を失ったわたしには存在する理由が無くなってしまった。だって、聖杯を手に入れて、天の杯を完成させる為だけに生きていたのに、もう目的を達成する事が出来ない。
そんなわたしを、シロウは助けてくれた。おんぶをしてくれて、衛宮の屋敷に連れて来てくれた。
『イリヤはここにいるべきだ。残りの敵と決着をつけるまで、イリヤはうちで匿いたい』
反対するリンやセイバーに逆らってまで、そう言ってくれた。
一度は教会の神父に攫われて、死を覚悟したけれど、それでもシロウは助けてくれた。
言葉を交わす度、一緒に過ごす時間を重ねる度、わたしはシロウの事が愛おしくて堪らなくなった。
――――シロウ。行っちゃうの?
いつか、この日が来る事を知っていた。
シロウは正義の味方になりたくて、知らない誰かを助けたくて、その為に前へ進まずにはいられない人。
泣いて懇願しても、彼の在り方は変えられない。仕方のない事だ。だって、わたしはそんな彼だからこそ愛しく思った。だからこそ、止まって欲しいと心から願う事が出来なかった。
――――帰ってきてね……。
結局、去っていく背中を見つめている事しか出来なかった。
残された時間は殆ど無くて、もう二度と会えない事を知っていても、また会える日を望まずにはいられなかった。
――――シロウ。わたし、シロウのこと……、好きなんだよ。
それから数ヶ月、わたしはタイガと一緒に過ごした。
元々、聖杯戦争が始まれば遠からず終わる命。いずれ来ると分かっていた破局。
ある日、わたしは立つことが出来なくなった。
それまではなんとか誤魔化してきたけれど、タイガに余命がバレて、彼女は泣きべそをかきながら『いやだ……。いやだよぅ……』と繰り返した。そんな彼女を慰める日々に疲れてきた頃、彼らは現れた。
アトラス院の錬金術師、ヴィルヘルム・デューラーとアインツベルンのホムンクルスがわたしを攫い、仄暗い地下室へ連れて来た。
『これからキミには母胎になってもらう』
死の淵に立っているわたしに彼らは延命措置を施し、子宮にとある魔術師の精子を注入した。どうやら、低ランクの淫魔を使役して採取したらしい。まさか、こんな風に母親になる日が来るとは思わなかった。
残り少ない命を吸われ、わたしの中で大きくなっていく赤ん坊。ヴィルヘルムは錬金術師としてハイエンドな男で、本来なら不可能に近い受精を成功させ、赤ん坊を出産するまでわたしを生き長らえさせた。
『……わたしとシロウの赤ちゃん』
自分がここまでバカだと思っていなかった。
こんな風に利用されるカタチで孕まされて、こんな薄暗い地下室で死を迎える事になったのに、わたしはよろこんでしまった。
わたしはシロウの子供を産み落とす事が出来た。その事実が心を温かく包み込む。
『……名前、何がいいかな』
意識が闇の中に消えていく。それでも、必死に考えた。
きっと、彼女は覚えていてくれる。わたし達はそういう存在だから。
『うん。シロウがいいかな……。パパと同じ名前だよ。わたしが……いちばん……すき、な……なま……え……』
気付けば、涙を零していた。わたしは自分が誰なのかも分からなくなった。ただ、ひたすら悲しくて仕方が無かった。
「アリーシャ!」
地面に座り込むわたしをシロウが心配してくれる。だけど、顔を向ける事が出来ない。
わたしの中の愛情はわたしが生まれる前に芽生えたもの。わたしの中の|お母さん《イリヤスフィール》の愛……。
「ぅぅ、うっ、ぅぅぅえええええええん」
頭の中がゴチャゴチャだ。わたしが好きになった人はわたしのお父さんだった。
わたしの彼に対する感情はお母さんのものだった。
「アリーシャ!!」
リンが駆け寄ってくる。わたしは無我夢中でリンの下へ向かった。
抱きついて、声を張り上げて泣いた。
「どっ、どうしたの!?」
リンは驚いた顔をしながら頭を撫でてくれる。
少しずつ、心が安らいでいく。
「……リン。わたし……、わたし……」
「いいから、落ち着くまで泣きなさい。事情なんて後でいいから」
わたしには母がいた。
わたしには父がいた。
わたしは母を殺した。
そして、わたしは――――、
父に殺された――――。