第八話『同盟』

第八話『同盟』

 比喩ではなく、本当に胸を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。
 初めて会った筈なのに、その顔を見た瞬間、居ても立ってもいられなくなった。
 記憶を失う前のわたしは惚れっぽい女だったのかな? いいや、そんな筈はない。だって、男の人なら他にもたくさんすれ違った。
 名前も知らない男の子。純朴そうな顔立ちで、背も高くない。だけど、困った表情を浮かべる彼は誰よりも可愛らしい。

 ――――違う。初めてじゃない。

 記憶は戻っていない。だけど、見つめている内に確信を得た。
 わたしはこの子と会った事がある。それも、すごく劇的な出会いを果たしている。

「――――それで、説明してくれるわよね?」

 リンが険しい表情を浮かべて睨んでくる。怒っている理由は分かっている。
 この少年は敵で、わたしの行動は彼女に対しての裏切りにも等しい。
 だけど、だけど、だけど、だけど、だけど!

「ダメなの、リン」
「アリーシャ……?」
「止められないの。わたし、多分だけど、この子と会うために生まれた」
「へ!?」

 彼は目を丸くした。誰だって、いきなり、こんなに重たい告白をされたら困ってしまう。
 分かっていても、感情に蓋を出来ない。まるで、彼は太陽だ。わたしはその周りをグルグル回る星。いずれ呑み込まれてしまう事が分かっていても、この引力に抵抗する事が出来ない。

「生まれたって……、それ本気で言ってるの!?」
「うん! ねえ、教えて! あなたの名前はなに?」
「え……、衛宮士郎だけど」
「エミヤ……、シロウ」

 その名前はわたしの魂を揺さぶった。
 
「いい加減、マスターから離れなさい」

 殺気と共に彼のサーヴァントがわたし達の間に割って入ってきた。

「……シロウって、呼んでもいい?」

 だけど、気にしていられない。今のわたしの意識には彼の事しかない。
 シロウ……、ああ、シロウ。
 なんて素敵な響きだろう。頭の中でなんども転がしてみる。愛しさが際限なく溢れてくる。

 ◇

 頭の処理が追いつかない。セイバーと一緒に藤ねえの弁当を届けに来たら、見知らぬ少女に告白された。
 しかも、セイバーによれば、彼女はサーヴァントらしい。おまけに遠坂がマスターときた。

「……シロウって、呼んでもいい?」

 冗談や演技とは思えない。

「構わないけど、君は一体……」
「わたしの事はアリーシャと呼んで」
「アリーシャ……?」

 それは真名だろうか? 隠すべきものだと聞いていたけれど、彼女がそう呼んで欲しいと言うのなら、そう呼ぼう。
 それにしても、不思議な女の子だ。初めて会った筈なのに、どこかで会った事がある気がする。だけど、それはありえない。
 赤銅色の髪、真紅の瞳、色白の肌。まるで、作り物のように可憐な顔立ち。一度会ったら、二度と忘れられないほどの美人だ。

「えっと、君もサーヴァントなんだよな?」
「うん、そうだよ」

 どうしてだろう。たんなる確認のつもりだったのに、肯定された途端、すごく嫌な気分になった。
 サーヴァント。それは偉業を為して、歴史に名を刻んだ英雄の霊。
 ……既に人の生を終えた死者。彼女は既に滅びた存在であり、その結末は覆らない。

「……君も聖杯を望んでいるのか?」

 サーヴァントが召喚に応じる理由は自身も聖杯に託す願いがあるからだとセイバーは言った。
 その祈りがどんなものにせよ、確実に分かる事がある。召喚に応じるサーヴァントは己の結末に悔いを残している。
 アリーシャと名乗った、この少女が納得のいかない終わりを迎えたとしたら……、そう考えると酷く癇に障った。

「うーん、どうかな?」
「……真面目に聞いているんだ」
「真面目に答えてるんだよ。だって、わたしには記憶が無いんだもの」
「ちょっと、アリーシャ!」

 いきなり、遠坂がアリーシャの口を塞いだ。だけど、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「記憶が無い……?」

 遠坂は顔を顰めた。

「このバカ!」
「アイタッ!」

 遠坂がアリーシャの頭を叩いた。結構、痛そうだ。

「シロウ」

 止めるべきか迷っていると、セイバーが話しかけてきた。

「どうしたんだ?」
「どうしたんだ、ではありません。相手はサーヴァントです。すこしは警戒して下さい」
「でも、アリーシャは大丈夫だと思うぞ」
「……シロウ。サーヴァントがどういうものか説明した筈ですよ。上辺だけを見て心を許すのは危険です」

 セイバーの言い分はよく分かる。だけど、違う。そうじゃなくて、もっと別の理由がある。
 言葉には出来ない。それがなんなのか、自分でも分かっていないからだ。
 言える事は一つ。アリーシャは敵じゃない。

「遠坂」

 アリーシャに説教をしている遠坂に声を掛ける。
 ギクリとした様子で振り向く彼女にアリーシャへ投げかけたものと同じ質問をした。

「もちろん、望んでいるに決まっているじゃない」
「……無関係の人を犠牲にしてでもか?」

 そう問いかけると、遠坂の瞳からあたたかみが消えた。
 
「ええ、その通りよ」
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
「当然でしょ? 聖杯を手に入れる事は遠坂家の義務だもの。だいたい、貴方だって、聖杯が欲しくて参加した口でしょ?」
「違う! 俺はこんなバカげた戦いで誰かが犠牲になる事を止めたいから参加したんだ!」

 俺の言葉に遠坂は冷笑を零した。

「……なんだよ」
「犠牲を止めたい。とんだ正義漢ね」
「何が言いたいんだ?」

 遠坂は言った。

「犠牲を出したくないって言うのなら、もう手遅れよ」
「なっ……、どういう事だ!?」
「昏睡事件。貴方もテレビは見てるでしょ? それに、深山町で起きた殺人事件。それに、この学校には捕食用の結界が仕掛けられている」
「……それ、全部が」
「そうよ。すべて、聖杯戦争に参加しているマスターとサーヴァントの仕業」
 
 怒りで頭がおかしくなりそうだ。聖杯戦争は昨日今日で始まったわけじゃない。セイバーを召喚したのが昨日だっただけの話だ。
 だから当然、既に犠牲が出ている可能性は十分にあった。その事に気づかず、一晩を無駄にしてしまった事が悔やまれる。
 今、この瞬間も苦しめられている人がいる。そんな事、我慢ならない。

「平和に暮らしている人の生活を滅茶苦茶にして、そうまでして叶えたい願いって何なんだ?」
「……さあ、知らないわ」
「お前だって、願いがあるから参加しているんだろ?」
「だから、なに? わたしの願いを貴方に教える理由があるのかしら?」

 セイバーの言葉が脳裏に過ぎる。

 ――――ケダモノに話など通じません。

 認めたくない。だけど、既に被害者が出ている。殺された人もいる。
 悠長に構えていたら、また別の人間が殺される。その数は時間を追う毎に増えていく。
 敵とだって、いつかは分かり合えるかもしれない。だけど、それまでに殺された人間はどうなる?

 ――――正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ。

 セイバーは再三に渡って忠告してくれた。この事を理解していたからだ。
 時間は決して味方じゃない。迷った分だけ、零れ落ちていく。

「……だったら、俺は」

 人を殺す事は悪だ。どう言い繕っても、その事に異論を挟む余地はない。
 殺人鬼を射殺する警官も、苦痛に悶える者に安楽の死を与える意思も、自国の為にミサイル発射のスイッチを押す軍人も、等しく悪だ。
 それでも、犠牲を前に黙っている事など出来ない。正義の|為《ため》に悪を|為《な》す。
 ああ、昨夜のセイバーの言葉の本当の意味が今になって漸く理解出来た。

 ――――覚悟を決めた方がいい。

 それは、矛盾を呑み込む覚悟の事。

「俺は……」
「はい、ストップ」

 いきなり目の前に現れたアリーシャが人差し指で俺の口を押さえた。
 
「リンも意地悪言わないであげなよ」
「別に意地悪で言ってるわけじゃないわ。わたしが聖杯の為に参加を決意した事は本当だしね」
「遠坂……?」
「シロウ。リンだって、犠牲を出す事に賛同しているわけじゃないよ。むしろ、この学校に仕掛けられた結界に怒ってたくらいだもの」
「それって……」
「素直じゃないって事」

 クスクス笑うアリーシャに遠坂は顔を赤くした。

「うるさいわね! 余計な事は言わなくていいの!」
「だって、このままだと喧嘩になりそうだったし」
「喧嘩って……」

 遠坂は疲れたように肩を落とした。

「……アンタ、衛宮くんと戦いたくないとか言い出さないわよね?」
「え? 戦うの? わたしはイヤだよ?」

 女の子が浮かべてはいけない形相を浮かべている遠坂にアリーシャは目を逸らした。

「なあ、アリーシャ」
「なーに?」

 俺が声を掛けると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「俺は戦いを止めたい」
「いいと思うよ」
「アリーシャ!」

 遠坂はアリーシャの肩を掴むと前後に揺すった。

「アンタはだれのサーヴァントなのよ!?」
「ヤダナー、モチロンリンサマノサーヴァントデスヨ」
「この色ボケサーヴァント!!」

 一気に毒気を抜かれてしまった。

「シロウ」

 セイバーが声を掛けてくる。
 彼女も少し困惑しているみたいだ。

「……あれが油断を誘う為の演技かもしれないってところか?」

 驚くセイバーに溜息が出た。

「どう考えても違うだろ」

 俺を殺す気なら、殺す機会は何度もあった。
 それに、あの二人のじゃれ合いが嘘とは思えないし、思いたくない。

「遠坂のあんな顔、初めて見たよ」

 学校のマドンナの素顔といったところだろう。
 どこか浮世離れしていて、いつも他人との間に壁を作っていて、誰もが彼女を手の届かない高嶺の花だと思っていた。
 だけど、相棒と喧嘩している姿はどこにでもいる普通の女の子だった。

「……捕食用の結界って言ってたけど、どういう意味か分かるか?」
「おそらく、内部の生命を圧迫する類のものでしょう。正直に言って、この結界を仕掛けた者には嫌悪感が沸きます」
「気付いてたのか?」
「いえ、違和感はありましたが、彼女に教えられなければ気付けなかったでしょう。未だ、この結界は準備段階にあるようだ。魔術によほど精通している者でなければ初見で見抜く事は難しい。その点で言えば、あの|魔術師《メイガス》は大したものだ」
「……ちなみに俺と比べると?」
「……月とガラス玉を比べても意味は無いでしょう」
「そこまでか……」

 項垂れていると、いつの間にか喧嘩を止めた遠坂とアリーシャが近付いてきた。

「ねえ、衛宮くん」
「なんだ?」
「……ものは相談だけど、同盟組まない?」
「同盟……? 俺は構わないけど、なんでだ?」

 遠坂は眉間にしわを寄せながら溜息を零す。

「うちの色ボケが貴方にベタ惚れしちゃったからよ! なんで、どいつもこいつも……」
「えっと……」

 頭を抱えだす遠坂から視線を逸してアリーシャを見ると、嬉しそうに手を振られた。
 振り返してみると、さらに嬉しそうな顔になった。

「……シロウ。鼻の下が伸びていますよ」

 責めないで欲しい。あんな可愛い子に告白されて、嬉しくない男がどこにいるのだろうか。
 
「セイバーは構わないか? 同盟の話」
「わたしが構うと言ったら、あなたはどうするのですか?」
「えっと……、説得するかな」
「つまり、時間の無駄にしかならない。貴方が如何に頑固な人か、嫌というほど分かりましたから」

 むっつりした表情を浮かべるセイバー。

「えっと、ごめんな」
「誠意のない謝罪はいりません。それに、貴方はあまりにも危なっかしい。いずれ敵対する可能性があるとはいえ、あの|魔術師《メイガス》の助力は大いに助けとなるでしょう」
「ずいぶん遠坂の事を買ってるんだな」
「これでも多くの人を見てきました。彼女は人としても、魔術師としても卓越している。一度同盟を結んだら、此方から裏切らない限り、彼女が裏切る事も無いでしょう」

 俺に対する評価とはエラい違いだ。

「……随分な評価をありがとう、セイバー。期待は裏切らないつもりよ。それと、同盟を結ぶからには当面の方針を決めましょう。わたしから提案してもいい?」
「ああ、構わない」

 遠坂は空を見上げた。

「まずは結界を破壊する。それから、この結界を張ったヤツを懲らしめる。異存は?」
「無い!」

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