第五話『運命の夜・Ⅱ』

第五話『運命の夜・Ⅱ』

 聖杯戦争。聖杯と言えば、神の子が晩餐の席で『これはわたしの血である』と言って、ワインを弟子達に振る舞う時に使った杯の事だ。その名はロンギヌスの槍と並んで有名となり、様々な冒険譚を生んだ。
 宗教戦争は宗教を巡る戦争。独立戦争は独立を勝ち取る為の戦争。侵略戦争は侵略の為の戦争。その流れで行くと、聖杯戦争は聖杯を巡る戦争という事になる。

「聖杯……、か」

 いまいちピンとこない。

「イリヤ……」

 異国から遥々やって来た少女。その目的は裏切り者の息子である俺を殺す事。
 
「サーヴァントは召使いって意味だよな? それを召喚って言ってた」

 他にもバーサーカーとか言っていた気がする。

「……俺がサーヴァントってヤツを召喚していたら、そのまま始末をつけるつもりだったって事だよな」

 サーヴァントは一種の参加資格のようなものなのかもしれない。

「イリヤが嘘を吐いていたようには見えなかった。それに、あのセラとリズっていう人達は俺を本気で殺そうとしていた」

 深く息を吸い込んで、頭の中を整理してみる。
 現在、この街では聖杯戦争が行われている。それは幼い少女が人を殺す意志を持つようなもの。
 どういう規模で、どういう規範の下に、どういう目的を持って行われているのかは不明だけれど、いつかイリヤが人を殺すことになるかもしれない。

「……それはダメだ」

 おそらく、彼女は魔術師だ。召喚という言葉や魔術師である切嗣の事を知っている以上、間違いないと思う。
 魔術師は人の死を容認するもの。だけど、彼女は俺を殺さなかった。

「あの手を汚させちゃダメだ」

 一緒に生姜焼きを作った。一緒に食べた。美味しかったと言ってくれた。
 全部、俺の勘違いかもしれない。本当は聖杯戦争というのも殺し合いなんて物騒なものではないかもしれない。
 だけど、もしも彼女が血に塗れるような事があったら……、なんとしても止めたい。

「あー、だめだ。考えがまとまらない」

 あまりにも情報が少なすぎる。俺は頭を冷やそうと中庭に出た。
 雲が晴れていて、月が綺麗だ。

「……こういう時はアレだな」

 そのままの足で土蔵に向かう。結跏趺坐の姿勢を取り、呼吸を整える。
 朝食を作るように、学校に通うように、湯船に浸かるように、俺は日々の日課として魔術の鍛錬を行っている。
 頭の中を出来る限り白一色に近づけていく。

「|同調《トレース》、|開始《オン》――――」

 自己を作り変える作業。人間が本来持たない疑似神経の作成。
 その為に全神経を尖らせる。
 
 ――――僕は魔法使いなんだ。

 いつか、切嗣が言っていた言葉を思い出す。
 死と隣合わせの鍛錬を彼の死後も延々と続けている理由は一つ。こんな俺でも一つくらいは使える魔術があって、それを鍛えていけば切嗣のようになれるかもしれない。そう、信じたからだ。

「――――っと、よし」

 漸く、魔術回路が安定した。ここまでで一時間弱も掛かっている。

「サーヴァントの召喚も魔術なんだよな。それって、そもそも俺に出来るものだったのかな?」

 切嗣と俺は本当の親子じゃない。だから、彼の魔術刻印を受け継ぐ事も出来なかった。そんな俺に出来る事は《起源》に従って魔力を引っ張り出す事だけ。
 何かを召喚するなんて高等技術は習ったことがないし、出来るとも思えない。

「こう……、召喚! って言ったら、召喚出来たりしないかな――――」

 軽口のつもりで言った瞬間、異変が起きた。
 空気が揺らめき、眩い光が煌めいた。

「うわっ!」

 直後、それは魔法のように現れた。

「サーヴァント・セイバー、召喚に応じて参上した。問おう。貴方が、私のマスターか」

 すぐに返事が出来なかった。まさか、本当に召喚出来るなんて露ほども思っていなかったし、なによりも召喚されたサーヴァントがあまりにも……、あまりにも綺麗な女の子だったから、言葉が見つからなかった。
 凛とした表情を浮かべる彼女に十秒以上も掛けて漸く第一声を絞り出す。

「お、俺は衛宮士郎。その……、君は俺が召喚したサーヴァントでいいんだよな?」
「……ええ、ラインを通じて貴方から魔力が流れ込んできている。貴方は間違いなく、私のマスターだ。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに、契約は完了した」
「俺が……、マスターに……」
「どうしました?」
「い、いや……」

 俺は慌てて立ち上がると、改めて自己紹介をする事にした。

「改めて、俺は衛宮士郎。よろしく頼む」
「……ええ、よろしくお願いします、マスター」
「えっと、その……」
「どうしました?」
「とりあえず……、そのマスターっていうのは止めてくれないか? なんか、その……気恥ずかしい」

 そう言うと、彼女はクスリと笑った。

「では、シロウと……。ええ、私としても、この発音の方が好ましい」
「お、おう。えっと、君の事はなんて呼べばいいんだ?」

 いきなり浮世離れした美少女に下の名前で呼ばれて、少し動揺してしまった。

「セイバーとお呼び下さい。あるいは、アルトリアと」
「アルトリア……。そっちが君の本名なのか?」
「ええ、セイバーはあくまでもクラス名ですから。もっとも、敵の前で真名を口にされては困りますが」

 冗談のつもりだったのだろう。アルトリアは薄く微笑んで言った。

「そっか……、本名で呼ぶとまずいのか。って言うか、やっぱり敵がいるのか」
「……は?」

 アルトリアがポカンとした表情を浮かべている。
 
「えっと、いろいろと事情がありまして……。とりあえず、居間の方に行こう。こっちの事情も説明するからさ」
「え、ええ」

 セイバーにお茶を出してから、俺は事情の説明を始めた。

「……実を言うと、聖杯戦争とか、サーヴァントについて知ったのはほんの数時間前の事なんだ」
「数時間前……? それで参加を決意したのですか?」
「決意って言うか……。あんまり詳しくは聞いてないんだけど、戦争って言うくらいだから物騒な類のものだろうなって思ってさ。それに知り合いっていうか、まあ、そんな感じの女の子が参加してるっぽくて、あんまり危ない事は止めさせたいなーって思って、鍛錬中にサーヴァントを召喚出来たら色々事情も分かるかなーって思ったら……」
「わ、私が現れたと……?」
「はい……」

 アルトリアは愕然とした表情を浮かべている。

「確認しますが……、聖杯戦争のあらましはどこまで知っているのですか?」
「名前だけ……」
「……え?」

 アルトリアは考え込み始めた。

「あの……、マスターは魔術師ではあるのですよね?」
「い、一応……」
「一応というのは?」
「出来ることが強化と解析しかありません……」

 尻すぼみになる俺の言葉にセイバーは深刻そうな表情を浮かべた。

「えっと……、すまん」
「え?  あ、いえ、貴方が謝る事は何もありません。ただ、私が少し軽率だったもので……」

 頭を下げると、アルトリアは慌てた様子で言った。

「軽率って?」
「その……、真名を敵に知られる事は大きなリスクとなるのです。なので……」
「未熟な俺には教えるべきじゃなかったって事か……?」

 気まずそうに頷かれて、俺は肩を落とした。

「……とりあえず、聖杯戦争について教えてもらってもいいか?」
「ええ、構いません」

 聖杯戦争。アルトリアの口から語られるその内容は思った以上に血腥いものだった。
 万能の願望器である聖杯を求めて、七人の魔術師がサーヴァントを使役して殺し合う争奪戦。
 聞けば、既に四回も戦端が開かれ、その度に泥沼化して多くの死者を生んだらしい。
 イリヤがその戦いに参加している。
 いや、イリヤだけじゃない。この街に住んでいる人間は誰も彼も無関係でなどいられない。
 藤ねえ、桜、一成、慎二、雷画の爺さん、猫さん、零観さん……。
 親しい人間の顔が次々に浮かんでくる。他にも、商店街の人や近所の顔見知り、それ以外の人達も理不尽に殺される理由などない。

「アルトリア。俺はこの戦いを止めたい。こんなバカげた戦いで犠牲になる人が出るなんてイヤだ! その為に力を貸してくれないか!」

 彼女の話では、サーヴァントも聖杯に掛ける願いがあって召喚に応じるらしい。
 彼女にも相応の願望がある。聖杯戦争を止めたい俺とは相容れない立場にある。それでも、俺には彼女の力が必要だ。

「……頼む、アルトリア!」

 頭を下げると、アルトリアは深く溜息を零した。

「……私には聖杯が必要です」
「ああ……」
「ですが、貴方の思想にも共感出来る」
「なら!」

 顔を上げた俺にアルトリアは険しい表情を浮かべて言った。

「貴方は聖杯戦争を止めると言いましたが、その為に取れる手段は一つだ。被害が出る前に、迅速に全てのサーヴァントを打ち破る。それ以外に方法は無く、それならば私の方針とも一致する」
「それは……」
「ええ、それは貴方が戦争から遠ざけたいと願う少女とも戦う事を意味しています。あるいは、彼女に血化粧を施すのが貴方になるかもしれない。それに、それは貴方が厭う聖杯戦争へ積極的に参戦するという事。この矛盾を呑み込めますか?」
「は、話し合いとかは……」
「聖杯戦争に参加している以上、それは殺し、殺される覚悟を決めた魔術師達です。話し合いの余地などない。迷えば死ぬのは貴方であり、貴方が守りたいと願う人々だ」

 彼女の言葉に嘘偽りはなく、その瞳はどこまでも真摯だ。
 俺の気持ちを汲み取って、その上で残酷な言葉を突きつけてくる。

「守りたいのなら、今ここで選択するべきだ。時間のある内に覚悟を決めた方がいい」
「俺は……」
「すぐに答えを出す必要はありません。迷える内に迷っておいた方がいい」

 結局、俺は答えを出せなかった。
 いつかの切嗣の言葉が頭に浮かぶ。

 ――――士郎、誰かを救いたいということはね、他の誰かを救わない、ということなんだよ。

 そんな事はない。きっと、何か方法がある筈なんだ。
 どこかに……、きっと……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。