第二十一話『流れ込んだもの』
シロウの家で一夜を過ごした。
「……なんか」
どうしてだろう。胸がドキドキと高鳴っている。こんな感情、わたしは知らない。
落ち着かなくて、割り当てられた部屋を飛び出した。当てもなく歩き回っていると、廊下の雰囲気が変わった。
洋室のエリアから、和室のエリアへ移ったのだ。
「こういうのをワヨウセッチュウって言うんだっけ」
そのまま歩いていると、なんだか奥の部屋が気になった。障子を開けると、布団で横になっているシロウを見つけた。
ドキドキが大きくなっていく。
「これ……、なに?」
心の赴くまま、わたしは部屋の中に入った。布団の横に立ち、しゃがみ込む。
シロウの寝顔を見ていると、抱きしめたい衝動に駆られた。
「シロウ……」
「……ん。うん……?」
どうやら、起きたみたいだ。ゆっくりと瞼を開いた彼は、ギョッとしたような表情を浮かべた。
「イ、イリヤ……?」
「おはよう、シロウ」
そのまま、わたしはシロウの口を喋んだ。考えてした事じゃない。体が勝手に動いた。
自分がキスをした事に気付いたのは、彼の口を一分近くも堪能した後の事だった。
頬が熱くなって、わたしは彼から離れた。
「イ、イリヤ!? いきなり、何してんだ!!」
真っ赤な顔で叫ぶシロウにわたしは答える事が出来なかった。
だって、自分でも分からない。
何してるの、わたし!?
「えっと……、おはようのキス?」
「おはようのキスって……。うーん、さすが外国人……」
シロウが外国人に偏見を持っていて助かった。どうやら、納得してくれたみたい。
「あー、起こしに来てくれたんだよな?」
「え?」
「え?」
「……う、うん! そうだよ!」
わたしは慌てて立ち上がった。すると、立ちくらみがしてシロウの下へ倒れ込んでしまった。
「イ、イリヤ!」
咄嗟に受け止めてくれた腕が思いの外逞しくて、ドキドキが更にパワーアップした。
今にも心臓が外に飛び出してきそう。なにこれ、わたし、死ぬの?
「えっと、大丈夫か?」
「……え、ええ、ありがとう。もちろん大丈夫よ、何も問題ないわ」
「そうか? じゃあ、先に居間に行っててくれ。直ぐに準備をして、朝食を作りに行くから」
「うん。……一緒に、だよね?」
「ああ、一緒に作ろう」
「うん! はやく来てね、シロウ! 待ってるから!」
「はいはい」
わたしはシロウの部屋から飛び出した。
顔が熱い。もう、どうしちゃったのかしら、わたしってば……。
「セラなら何か分かるかな?」
そう口にして、浮かれていた気分が一気に冷めた。
分からない事があった時、いつも答えを教えてくれるセラは、もういない。
バーサーカーを奪われて、セラもきっと、殺された。
「どうしたんだ?」
立ち尽くしているわたしに仕度を済ませたシロウが声を掛けた。
「シロウ……」
「イリヤ!?」
気付いた時には彼に抱きついていた。
「ど、どうしたんだよ、イリヤ」
困った表情を浮かべながら、彼はわたしの頭を撫でてくれた。
やさしくて、大きな手。じんわりと、胸があたたかくなる。
「シロウ」
「どうした?」
「……わたし、ここに居てもいいの?」
「急にどうしたんだ? 居ていいに決まってるだろ」
少し不機嫌そうに彼は言った。
「……ありがとう、シロウ」
涙が収まった後、わたしは赤くなった目元を見られないように振り返った。
「行こう、シロウ」
「あ、ああ」
わたしは漸く自覚した。
ああ、この感情は……まさしく、
◇
「……それで、今後の事ですが」
朝食を食べ終えた後、セイバーが口火を切った。
「今後の事?」
シロウが首を傾げると、セイバーは言った。
「ええ、イリヤスフィールがここに居る時点で、貴方が聖杯戦争に参加した目的は達成されました。……そこで、提案があります」
そう言えば、前にシロウにこの家に連れて来られた時、彼が言っていた。
――――俺はイリヤを戦わせたくないからマスターになったんだ!
わたしを危ない目に合わせたくないって、その為なら何でもするとまで言ってくれた。
あの時は受け入れる事が出来なかったけれど、バーサーカーを失った今、彼の差し伸べてくれた手を拒絶する理由がない。
どうしても許せない筈だったのに、いつの間にか、わたしの中に彼への怒りは微塵も残っていなかった。
「シロウはここで聖杯戦争から降りるべきだ」
「……は?」
セイバーの言葉にシロウは目を白黒させた。
わたしも、セイバーの提案に驚いて唖然とした。
「なっ、何を言ってるんだ、セイバー! 聖杯戦争を降りるって……、一体」
「そのままの意味です。貴方の目的は達成された。ならば、これ以上身を削る必要も無いでしょう」
「ちょっと待ってくれよ、セイバー。いきなり、どうしてそんな事を言いだしたんだ? たしかに、イリヤを助けたくて参加したけど、俺は――――」
シロウの言葉をセイバーは手で制した。
「ハッキリ言います。リンとアリーシャが離反し、バーサーカーがキャスターの手に堕ちた現状、わたしでは貴方達を守りきる事が出来ない」
「セイバー……?」
セイバーの言葉にシロウが戸惑う。
「不甲斐ない話ですが、事実です。前にも言いましたが、わたしではアリーシャに勝つ事が出来ない。それに、ヘラクレスとメディアはどちらも難敵です。ハッキリ言って、勝率は零に等しい。だから、ここで私との契約を切り、貴方達は教会へ保護を求めに行くべきです」
それが彼女の下した結論だった。彼女の判断は冷静かつ的確であり、彼女の言葉通りにする事がわたし達にとっての最善だった。
それでも、シロウは首を横にふる。わたしにも、セイバーにも分かっていた事だ。
「それは出来ない。これは俺が自分の意思ではじめた事だ。それを途中で投げ出す事は出来ないし、セイバーを一人で戦わせるわけにもいかない」
「ですが、シロウ。それでは、イリヤスフィールを戦いから遠ざけたいという貴方の願いはどうなるのです?」
「……それは」
「シロウ」
わたしは彼の手を握った。
「シロウはシロウが思った通りにすればいいのよ」
「イリヤ……?」
「だいじょうぶ。シロウがやりたい事をやれるように、わたしも協力してあげるから」
わたしはセイバーを見つめた。
「セイバー。貴女もサーヴァントなら、マスターの事を最後までキッチリ守りなさい」
「……ですが、イリヤスフィール」
「言ったでしょ。わたしが協力してあげる」
この胸の高鳴りに身を委ねよう。好きな子の為に頑張るなんて、当たり前。そのくらいの事、わたしだって知ってる。
マスターでは無くなっても、小聖杯としての役目を真っ当出来なくても、出来る事は山ほどある。
シロウの為に、わたしに出来る事をしよう。
――――これがわたしの聖杯戦争。
たしかに、わたしはサーヴァントを失った。だけど、生きている。
そう――――、まだ何も終わっていない。