第十三話『聖女』

第十三話『聖女』

 マキリ・ゾォルケン。五百年を生きる怪翁は土地の異変にいち早く気付いていた。
 何者かが大聖杯に手を加えている。見過ごすわけにはいかない事態だ。
 彼の目の前には裸体に男性器を模した蟲を這わせる女が立っている。空虚な瞳には何の意志も宿っていない。
 衛宮士郎の死は彼女の完成を早めた。暗闇に慣れた目よりも、眩い光を浴びていた目の方が闇を色濃く映す。愛する者の死によって絶望した彼女の心は完全に折れた。
 髪色はより鮮明なマキリの色に染まり、肉体はマキリの後継を産み出す母胎として最適な状態になっている。

「……次に間に合う予定だったのだがな」

 彼女は既に妊娠している。その身に宿る全てを子に移し、苗床として生涯を終える手筈になっている。
 生気を吸われ、魔術回路を蝕まれ、死の影が色濃く浮かぶ少女に老人は溜息を零す。
 
「仕方あるまい」

 大方、遠坂の娘が大聖杯の解体でも目論んでいるのだろうと当たりをつける。
 衛宮士郎の死はアレにも相応の心の傷を植え付けていた。加えて、戦争中に聖杯の真実に気づいていたのならば、そう動いたとしても不思議ではない。
 そして、老人は円蔵山の地下に向かう。
 如何に才気に恵まれ、聖杯戦争を生き残った手練だとしても所詮は小娘。始末する事は容易い筈だ。
 そう考えていた彼は大聖杯の前に立つ二人の女に驚愕した。
 第五次聖杯戦争におけるセイバーとキャスター。セイバーがいる事自体は想定していた。だが、キャスターの存在は完全に予想外だった。
 撤退しようとした時には既に遅く、魔女に捕捉された彼はアッサリと命を落とした。ラインを遡り、魔女の術は彼の存在をこの世から完全に抹消した。

「……おじいさま?」

 少女は混濁する意識の中で彼の死に際の光景を視る。マキリに染められた彼女にとって、祖父の記憶を垣間見る事は珍しくなかった。
 自分のものではない記憶に不安を抱いていた頃もあった。それも今は昔の事。
 肉体を蝕む苦痛が急激に緩和され、思考に余裕が生まれた彼女は嗤った。

「そう……、そうなんだ」

 アルトリアは諦めていない。
 
『わたしはシロウを救う』

 彼女は愛に狂った瞳でそう語っていた。なら、協力してあげよう。
 折れた心に小さな光が宿る。望まぬ赤子に命を吸われ続け、もう幾ばくも残らぬ命なら、最後に……、

 ――――先輩の役に立ちたい。

 少女は地の底から地上へ出た。その足で嘗て足繁く通った衛宮邸に向かい、アルトリアに協力を申し出た。
 
「……サクラ」
「お願いします。残り少ない命を私は先輩の為に使いたいんです」
「キャスターに頼めば、延命措置も……」
「……蟲に孕まされた体を先輩には見られたくありません」
「シロウなら……」
「……それでもです」

 ◇

「また、衛宮邸に通うようになったサクラ。異変はイリヤスフィールもすぐに察したわ。だって、日を追うごとにやつれていくんだもの……。赤ん坊も大きくなり始めて……」
 
 それはイリヤスフィールの感情だった。同じ人を愛した少女が死に向かう。少し前なら心が多少揺れる程度で済んだはずだ。
 だけど、藤村大河と過ごした時間が彼女の心を変えた。

「……サクラを問い詰めたわ。そして、彼女から経緯すべてを聞いた」

 忌々しそうにフィーネは語る。

「アルトリアとサクラがアンリ・マユに騙されている事はすぐに分かったけれど、その時点で殆ど手遅れの状態だった。イリヤスフィール個人の力ではどうにもならない程、状況は進んでしまっていた」
「……それで、イリヤはどうしたの?」

 桜の境遇を聞いてから視線を落としたままの凛が問う。

「……アルトリアは狂ってしまった。サクラも壊れかけていた。だから、彼女達と協力して事に当たる事は不可能だった。おまけにイリヤスフィール自身も肉体が限界に近付いていた。元々聖杯戦争で命を落とす予定だったから、それ以降も生き延びたとしても一年保てば奇跡だった。だから……、メディアの皮を被ったアンリ・マユに己の身を譲り渡したわ」
「……どういう事だ?」

 前後の繋がりが分からずライネスが問う。

「アンリ・マユも贄の魂を回収する小聖杯を必要としていた。そして、サクラはマキリに聖杯の欠片を埋め込まれていた。ここまで言えば分かるでしょ?」
「……間桐桜の協力が小聖杯として身を捧げる事を意味していたのだとしたら、イリヤスフィールは自身を身代わりにした……、という事か?」

 ウェイバーの言葉にフィーネは頷いた。

「表向きの理由はね」
「……表向き?」
「もちろん、本当の目的は他にある。だって、ただ身代わりになっただけじゃサクラもアルトリアも救われない。騙されたまま、弄ばれて、最期は皆と仲良く滅亡よ?」

 ただ身代わりになって済む話では無かった。だからこそ、イリヤスフィールは決断を下した。

「イリヤスフィールは賭けたのよ。自分の命をベットに勝利の鍵を引き寄せた」
「勝利の鍵……?」

 フィーネは言った。

「イリヤスフィールはアンリ・マユを煽ったのよ」
「煽った……?」
「聖杯戦争を聖杯大戦に格上げさせるようアンリ・マユを唆し、正当な聖杯をアンリ・マユに授ける。結果として、災厄の魔神が完全な状態で現界出来る条件が揃ったわ」

 フィーネの言葉にフラットが困惑の表情を浮かべる。

「なっ、なんで、そんな事を?」
「言ったでしょ? 勝利の鍵を引き寄せ得る為よ」
「だから、その鍵とやらは何なのよ!」

 声を荒げる凛にフィーネは微笑んだ。

「それは――――」

 彼女が答える寸前、突然建物が揺れた。

「なっ、なんですの!?」

 ルヴィアがキャスターを見る。

「……どうやら、敵襲のようだ」

 ◇

 悍ましい。拠点にしている建物の屋上で周囲の警戒を行っていたアーチャーは突如現れたサーヴァントを見て、そう感じた。
 
「……まったく、頭がおかしくなりそうだ」

 己で三人目だと主は言っていた。つまり、数キロ先に立つ男は四人目という事だ。
 変わり果てた風貌。濁りきった瞳。黒く染まった肌。 

「驚いたな。そこまで腐り落ちるとは……」

 まるで、ブレーキの壊れた車だ。先が奈落に通じる崖だとしても、誰もいない荒野だとしても、突き進まずにはいられない。
 衛宮士郎という男はそういう人間であり、その成れの果てが己であり、あの男だ。

「……アレを人任せにはしたくないな」

 愚痴を零しながら、迎撃に向かうランサーを見降ろす。拠点防衛の要として、持ち場を離れる事が出来ない事に重い溜息を零した。

「キッチリ始末をつけてくれよ? ランサー」

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