第十六話「狂戦士襲来」

 燃え盛る炎の中にワタシは居た。ボクは只管助けを求めた。アタシは瓦礫から抜けだそうと藻掻いた。俺は怨嗟の声を上げた。けれど、懇願も悲哀も憤怒も憎悪も絶望も……、全て炎に呑み込まれた。
 生きながらに殺された私達は空にぽっかりと空いた黒い穴を見上げる。あそこには炎が届いていない。あそこまで行けば助かる筈だ。そう思うと不思議と体が動いた。虚空を踏み、天へ向かって歩いて行く。
 そこは渦の中心。外側へと通じる穴を穿つ為の螺旋。この世とあの世の境界面。
 そこで死者達は人ならざる者の声を聞く。

――――貴方の望みは?

 ◆

「……セイバー。その……、どうするんだ?」

 士郎が心配そうに尋ねると、セイバーは僅かに逡巡しながら呟くように応えた。

「戦う事になるでしょうね」
「それは……」

 実の息子と殺し合うという事……。
 港の倉庫街を舞台に繰り広げられた聖杯戦争の開幕戦。セイバーとランサーの激戦に横槍を入れた襲撃者は彼女の実の息子、モードレッドだった。
 アーサー王伝説の終焉。カムランの丘で殺し合った親子が時空を超えて再会し、再び命を奪い合う。
 その運命のあまりの苛酷さに言葉が見つからない。

「だって……、息子なんだろ?」
「ええ……、ですが同時にアレも私も今はサーヴァントです」
「で、でも……」
「マスター。私には何があろうと叶えねばならない願いがある。その為ならば……、我が子を再殺する事も躊躇いません」

 あまりにも苛烈な言葉に士郎は愕然としている。

「駄目だ……、そんなの」
「議論の余地はありません。アレもまた、自らの願いを叶える為に召喚に応じ、主に剣を捧げた筈。聖杯に至る事が出来るのは一組のマスターとサーヴァントのみ。ならば、是非もありません」
「……なんだよ、それ。自分の子供を殺してまで、聖杯なんてものが欲しいのか!?」

 己が欲望を満たす為に実の子を殺す。それは明確な悪であり、正義の味方を志す者にとって、それは到底看過出来ない事。
 士郎は声に怒りを滲ませ、セイバーを睨みつける。

「息子を殺してまで、何を願うってんだ!?」

 声を荒げる士郎に対して、セイバーは冷めた表情を浮かべている。

「……では、どうするのですか?」
「え?」

 セイバーは感情の無い声で問う。

「貴方の望みは聖杯戦争における犠牲者を最低限に抑える事。その為には速やかに敵のサーヴァントを殲滅するしかない。にも関わらず、貴方はサーヴァントを殺す事に異を唱える」

 セイバーの声にも苛立ちの色が見え始めている。

「サーヴァントを殺さずにどうやって聖杯戦争を終わらせるのですか? 代わりにマスターを殺しますか?」
「……は、話し合う事は出来ないのか?」
「話になりませんね。相手は自らの悲願の為に不特定多数の他人を殺す決意を固めた者達ですよ? 今更、何を話し合うと言うのですか?」
「それは……」
「結局、殺し合う以外の道など無い。それが嫌なら……、貴方との契約もここまでだ」
「な……っ」

 士郎は言葉を失っている。だけど、僕にとっては好都合な展開だ。
 士郎の気持ちは僕にも理解出来るけど、言っている事が正しいのはセイバーの方だ。
 聖杯戦争を終わらせる為にはサーヴァントを全て脱落させるしかない。少なくとも、セイバーや士郎が持ち得る知識の中ではコレ以外の方法など見出だせない筈だ。
 もっとも、セイバーが聖杯を諦めない限り、大聖杯そのモノを破壊するなどの反則技も不可能だけど……。

「貴方の人柄は私にとっても好ましいものだ。だが、戦場にまでそのような考えを持ち出されては背中を預ける事など出来ない」
「お、俺は……」
「シロウ。貴方は優しい人間だ。だからこそ、貴方に戦場は似合わない」

 そう言って、少しだけ表情を和らげたセイバーは士郎に告げた。

「でも……、俺はこの戦いを……」
「士郎」

 僕は士郎の言葉を遮るように声を掛けた。
 士郎には悪いけど、この流れを利用させてもらう。頑固な士郎を戦いから引き摺り下ろすチャンスだ。

「もう――――」

 僕が口を開き掛けた直後、突然部屋の明かりが消え、カランカランという音が鳴り響いた。同時に地響きが鳴り、強大な何かが庭へと降って来た。
 一目見た瞬間に分かった。恐れていた事が遂に現実になったのだ。
 浅黒い肌の巨人。その肩に少女は座っている。雪のように白い髪と血のように赤い瞳の愛らしい少女が禍々しい殺意を放ちながら僕達を見つめている。

「な、なんだ!?」
「……こんばんは」

 優雅な足取りで地面に降り立ち、少女は謳うように告げる。

「私の名前はイリヤスフィール。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ずっと、貴方達に会える日を待っていたわ」

 薄く微笑み、イリヤスフィールは巨人へと振り返る。

「さあ、やりなさい、バーサーカー」
「ライダー! シロウとイツキを連れて離脱しろ!」
「了解!」

 僕達が動けずにいる間にサーヴァント達は的確な判断を下し、行動を開始していた。
 セイバーは迫り来るバーサーカーに真っ向から立ち向かい、その隙をついてライダーがヒポグリフを召喚し、僕達を掻っ攫い、上空へと駆け昇る。

「あれが……、バーサーカー」

 我に返り、地上で戦うセイバーとバーサーカーを見て、怖気が走った。
 アレと戦うつもりで居たなんて、何て愚かだったのだろう……。

「本物の化け物だ……」

 セイバーやライダー、ランサーとも違う。正に破壊の化身だ。
 僕達の育った家が崩れていく。怪物が斧剣を振るう度に巻き起こる旋風が壁を崩し、柱を切り裂き、屋根を吹き飛ばしていく。
 僕達の思い出がたくさん詰まった家が秒毎に崩壊していく。

「やめて……」

 おじさんとの思い出が失われていく。

「やめてよ……」

 士郎との思い出が失われていく。

「やめてってば……」

 何をしても振り向いてもらえない僕にとって、この家での思い出だけが士郎を繋ぎ止める唯一の希望だと言うのに、それが壊されてしまったら……。

「ライダー!」

 全てが終わったら、また帰ってくるつもりだった。また、ここで士郎の為に料理を作り、士郎と一緒にいつまでも過ごす筈だった。
 それを壊すなんて、許せる筈が無い。

「オッケー! このままだと、セイバーもやられちゃいそうだしね」

 手の甲が疼く。令呪の一画が消滅し、ライダーの体を中心に膨大な魔力が渦巻く。

「しっかり、捕まっててよ!」

 ヒポグリフが嘶く。目が眩む程の閃光が迸り、刹那の瞬間、僕達は次元の異なる世界へ足を踏み入れた。
 次の瞬間、目の前にバーサーカーの姿が現れ、ヒポグリフはその身を怪物へ叩きつけた。まるで、風船が破裂したかのような光景だった。血潮が舞い、骨肉が撒き散らされている。
 そんな光景を瞬く間に地平の彼方へ置き去りにして、ヒポグリフは再び天空に舞い上がっていた。

「討ち取ったりー!」

 電光石火の早業に地上のセイバーが唖然としている。

「ど、どうなったんだ!? 今のは一体……」

 仰天しているのは士郎も同じ。というか、僕も同じだ。
 まさか、こんなにアッサリとバーサーカーを殺せるなんて思わなかった。

「す、凄いよ、ライダー!」
「へっへへー! もっと、褒めてー」

 セイバーは無事だったけど、今の攻撃に生身の人間が耐えられるとは思えない。直撃を受けなくても、衝撃だけでミンチになっている筈だ。
 期待しながら地上に視線を向ける。

「……うそ」

 イリヤスフィールは生きていた。お穴を穿たれた道場から埃を叩きながら出て来る。
 殺意に満ちた真紅の瞳を此方に向けている。

「ありゃ……、思ったよりシブトイみたいだね、あのデカブツ」

 ライダーが呆れたように呟き、地上を見下ろす。彼女の視線の先には蘇生を完了させたバーサーカーの姿がある。
 バーサーカーの正体はギリシャ神話の大英雄、ヘラクレス。その宝具は十二の試練。かの英雄が乗り越えた試練の数だけ彼は蘇生する。しかも、一度受けた攻撃は通じない上にランクB以下の攻撃は無効化されてしまうというインチキ振りだ。
 今のライダーの攻撃で一回。残り十一回。一回だけなら僕も殺せるけど……。

「やっぱり、バーサーカーを倒すのは無理か……」

 なら、やはり狙うべきはイリヤスフィール。

「回路接続……、完了」

 魔術回路を起動する。狙うは地表。視力を強化し、狙いを定める。
 
「『湧き出す炎――スプリング・ファイア――』!」

 僕が使える魔術は二つ。再生と破壊。僕は破壊の力を持った炎を掌から吐き出した。
 蛇口を緩めるように際限無く炎が飛び出す。例え、水の中でもこの炎は衰えない。
 おじさん曰く、これは呪詛の塊のようなものらしい。だからこそ、あらゆる物理法則に影響されず、対象を焼き尽くす。壁があれば壁をすり抜け、風が吹けば風を無視する。
 魔術に対する影響は実践出来なかったから分からないけど、Fateでイリヤスフィールが魔術を使ったのはHFのラストや士郎を自城に連れて行こうとした時だけだった筈。

「え?」

 ものの数秒で地表に到達した炎はそのままイリヤスフィールを呑み込み炎上していく筈なのに、イリヤの周囲には不可思議な光が広がり、炎の侵入を防いでいる。

『面白い魔術を使うのね』

 甘ったるい声で耳元に囁かれた。
 振り向くと、そこには銀色の光の糸で編まれた鷲が浮かんでいた。

「危ない、イツキ!」

 間一髪、襲い掛かって来た光の鷲をライダーが剣で叩き落としてくれた。
 けれど、次の瞬間、目の前に十を超える光の鷲が姿を現した。

「……これは」
『一度とは言え、バーサーカーを殺せた御褒美に今夜は見逃してあげようと思ったんだけど、もう少しだけ付き合ってあげる』

 どうやら、私は藪をつついて蛇を出してしまったみたいだ。
 光の鷲が一斉に襲い掛かってくる。

「ふん! あんまりボクを甘く見るなよ!」

 慌てて炎で壁を築こうとした僕を抑え、ライダーが一冊の本を取り出した。

「我が宝具、『魔法万能攻略書――ルナ・ブレイクマニュアル――』の力、とくとご覧あれ!」

 瞬間、光の鷲の形状が崩れ、それぞれが一本の銀色の紐になって虚空へと消えていった。

「ボクに魔術は通じないよ」

 あまりの事に言葉が見つからない。バーサーカーの防御を突破する攻撃力とヒポグリフによる飛翔能力、そこに魔術に対する絶対防御が加わり、もはや最強に見えた。

「い、一体幾つ宝具を持ってるの!?」
「うーん、後二つくらいかなー」

 これだけ強力な宝具を披露しておきながら、まだ後二つも切り札を残している。
 その言葉に驚いたのは僕だけでは無かった。

『……ふーん。面白いじゃない』

 またも唐突に現れた光の鷲がイリヤの声を届けた。

『いいわ。今度こそ見逃してあげる。メインディッシュは後に回す事にするわ。でも、逃げようとしたら殺すからね?』

 光の鷲を通してそう言うと、イリヤはバーサーカーを伴い衛宮邸を後にした。

『ばいばい。私に殺されるまで、他の雑魚に殺されちゃダメだよ?』

 そんな物騒な言葉を言い残して……。
 ライダーがヒポグリフを地上に降ろすと、僕は急いで炎を自分の中に戻した。出し入れ自由な所も僕の魔術の不思議なところ。

「……家が」

 炎が消え去った後に残ったのは瓦礫の山だった。言い訳をしておくと、僕の炎は対象以外を燃やさない。受動的にも能動的にも対象以外の物理的干渉が発生しないのだ。

「壊れちゃった……」

 あまりの事に僕は崩れ落ちた。そのまま、意識を手放した。

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