第十二話「開幕の夜」

 気持ち良く熟睡していたと言うのに、突然のけたたましいベル音に叩き起こされた。時計を確認すると、まだ深夜の一時半。こんな時間に電話を掛けてくるような非常識な人間は私の知る限り一人しかいない。
 無視しよう。どうせ、また小言を聞かされるだけだろう。布団を頭から被って、ベルの音をシャットアウトする。まだ微かに音が布団の隙間から入り込んでくるけど、無視出来るレベルだ。

「……って、しつこい!」

 直ぐに止まると思っていたのにベルは止まる事無く、延々十分近く鳴り続けている。
 頭に来た。人の安眠を妨害したツケを払わせてやる。布団を跳ね飛ばし、廊下に置いてある電話の受話器に手を伸ばす。

「うるさいわよ! 今、何時だと思ってるの!?」
「……ふむ、魔術師とは夜に生きる者だと師からは教わったのだが?」
「私はもう布団に入ってたのよ!」
「それはすまなかった。魔術師にあるまじき健康優良児よ。だが、事は急を要するのだ。早寝早起きをもっとうとする学生の鑑である所の君に対して、まことに申し訳なく思うが、少しばかり時間をくれないか?」
 
 相変わらず、人を苛々させる事に掛けては天下一品の腕前を持つ男だ。

「さっさと用件を言いなさい! 簡潔に分かり易くね! くだらない事だったら許さないわよ!?」
「くだらないかどうかは君の考え方次第なのだが、今宵、サーヴァントがほぼ同時に二箇所で召喚された。これで既に五つのクラスが埋まった事になる。残る枠は二つに絞られた。もたもたしていると――――」
「なんですって――――ッ!?」

 ちょっと待ってよ。昨日の夜までは二体だったじゃない!
 なんで、一日の内にそんなに一斉に召喚されているのよ、冗談じゃないわ。

「の、残ってる枠は?」
「それは言えんな。兄弟子として、融通をきかせてやりたいのは山々だが、私は監督役として、総てのマスターに対して公平であらねばならん。こうして、催促の電話を入れる事も本来ならば業務違反なのだ。これ以上の優遇は出来ぬ。だが、例え余っているのがアサシンやバーサーカーでも、君ならば必ず勝利に漕ぎ着ける筈だ」
「うう……」

 言ってる事が正論過ぎて何も言い返せないのが悔しい。

「ああもう、分かったわよ! 今夜中にサーヴァントを召喚すれば問題無いんでしょ!?」
「急ぐのだぞ、凜。遠坂の当主がサーヴァントの召喚を先延ばしにしていて肝心な聖杯戦争への参加資格を取り逃したとあっては末代までの恥だ。それでは師に申し訳が立たん」
「分かってるわよ! 今直ぐ召喚するわよ!」

 ガチャンと受話器を叩き付け、私は大急ぎで地下室に向かった。もう、いつ総てのサーヴァントが揃ってもおかしくない。幸か不幸か、今は私の魔力が一日で一番充実している時間帯だ。
 準備は十全とは言えない。けど、こうなったら四の五の言っている暇は無い。

「ああもう、邪魔!」

 地下の工房には雑多なガラクタがいっぱいだった。少しでも英霊召喚の役に立つものはないかと家中ひっくり返している途中だったのだ。
 とにかく、召喚用の魔法陣の上に散らかっている物を片っ端から脇に避ける。この際、整理整頓は二の次だ。
 大急ぎで召喚陣のチェックを行い、魔術回路を励起させる。
 残る席は後二つ。どのクラスが残っているのかは分からないけど、残り物には福があるって言うし、私はベストを尽くすだけだ。

「さーって、始めますか!」

 腕を捲り、召喚陣の前に立つ。瞼を閉ざし、意識を完全に切り替える。
 人間としての遠坂凛は死に、魔術師としての遠坂凛が息を吹き返す。体内を巡るは酸素に非ず。大気中を漂うマナが私の体を通りぬけ、オドを生成し、循環する。
 全身の神経にヤスリを掛けるような慣れ親しんだ痛みを噛み殺し、ゆっくりと詠唱を開始する。

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ」

 余計な思考が混じらないように集中する。

「降り立つ風には壁を」

 触媒を手に入れる事が出来なかったのは痛手だけど、このくらいの逆境を跳ね除けられないようなら、私は所詮、そこまでだったというだけの話。

「四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 触媒なんて無くても、引き当ててみせる。最強のサーヴァントを!

 ◆

 それはいかなる因果か――――。
 遠坂凛が英霊召喚を行おうと、召喚陣の前に立った丁度その時、衛宮士郎もまた、土蔵の中へと足を踏み入れていた。
 まるで、待ち構えていたかの如く、地面には奇妙な紋章が浮かび上がっている。
 召喚陣の前に立った瞬間、その手の甲には真紅の聖痕が刻まれた。

「――――トレース・オン」

 込み上げてくる怒りを押し殺し、魔術回路を起動する。
 泣きじゃくり、止めてくれと懇願する樹に優しくしてやる事も出来ず、怒りに呑まれたまま声を荒げ、必要な事を聞き出した。
 みっともない事この上ない。アレはただの八つ当たりだった。
 慎二の嘘。
 樹の嘘。
 二人の吐いた嘘に気付けず、あと一歩で取り返しの付かない事になりかけた。
 後一歩で、慎二と樹が殺し合うのを傍観する所だった……。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ」

 聖杯戦争が十年前の悲劇を生み出した原因だと樹は言っていた。
 ああ、あんな悲劇を生み出すような戦いは絶対に認められない。
 あの炎の中で多くの人が死んでいった。
 死にたくないと嘆く人が居た。
 生きたいと叫ぶ人が居た。
 助けてくれと懇願する人が居た。
 生き残ったからには悲劇を食い止めなければならない。
 
「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 遠坂凛は召喚陣から噴き出してくる魔力の奔流を前に閉じていた眼を開いた。
 十年前、父が悲願を胸に抱き戦死した戦い。
 待ち望んでいた刻がついにやって来た。
 己を苛む耳鳴りと頭痛を聖杯戦争に対する高揚感で吹き飛ばす。
               
「―――――Anfang」

 超えた。一線を超えたという確かな手応えを感じた。

「――――告げる」

 士郎は吹き荒れるエーテルの嵐を前に拳を強く握りしめた。
 この戦いは絶対に止めなければならない。
 その為には力が居る。

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 聖杯なんてものに興味は無い。

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 遠坂の悲願、聖杯は必ず手に入れてみせる。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 遠坂邸の地下室と衛宮邸の土蔵が可視化する程の濃密な魔力によって満たされる。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ!」

 引き当ててみせる。私に相応しい、最強最高のサーヴァントを!

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」

 来い!

「天秤の守り手よ――――!」

 少年と少女は空間を隔て、意思の疎通を図ったわけでもないのに、ほぼ同時に呪文を唱え切った。
 眩い光が眼を焼く。物理的な衝撃を伴う魔力の波動と共に、召喚陣の中央から人影が現れた。

「問おう――――」

 衛宮士郎は光の中から現れた青い衣と銀の鎧の少女の姿に息を呑んだ。

「まず、初めに確認するが――――」

 遠坂凛は召喚陣の中央に出現した紅の衣を身に纏う長身の男に向き合った。

「貴方が――――」
「君が――――」

 異なる場所に同時に出現した二騎の英霊は自らのマスターに問う。

「私のマスターか?」

 ◆

 これで七騎……。
 霊器盤に示された7つの光を見て、神父は微笑んだ。

「随分と機嫌が良さそうだな、綺礼」

 薄暗い地下の礼拝室に金髪の男が音も無く現れ、綺礼の見ている霊器盤に視線を落とした。

「ほう……」
「お前が持ち帰った情報と照らし合わせてみると、実に面白い状況になっている」

 神父は高らかに嗤った。

「聖杯とは……、聖杯戦争とは……、実に度し難い」

 うっすらと涙を溜めながら腹を抱える神父に金髪の男は肩を竦める。

「それよりも、客人が来ているようだぞ?」
「……ああ、彼女か」

 神父は涙を拭い、部屋の隅の階段へ足を向ける。

「ギルガメッシュよ。暫しの間、ゆっくりと寛いでいろ。余計な茶々は入れずに――――、な」
「ああ、言われるまでも無い。一応の慈悲を掛けてやろうかとも思ったが、これほど愉快な見世物をわざわざ台無しにする事もあるまい。人が人を降せば、つまらぬ罪罰で迷おう。そんな物は見ていても面白くも何とも無いが、それが人では無く、化生同士となれば話は別だ」

 ギルガメッシュはどこからか取り出した黄金の盃に真紅のワインを注ぎ込む。

「古来より、獣同士を相争わせる見世物は多くの者を魅了し続けて来た」
「では、我々も古来よりの伝統に乗っ取るとしようではないか」
「ああ、じっくりと見物させてもらおう」

 神父はゆっくりと階段を登る。
 礼拝堂には一人の女が待っていた。

「――――お久しぶりですね」

 女は微かに親愛の感情を滲ませ微笑んだ。
 この女を殺し、サーヴァントを奪う事は容易い。
 初めはそうする予定だった。だが、状況が変わった。
 この女の存在は舞台を大きく盛り上げてくれる事だろう。

「久しいな、バゼット・フラガ・マクレミッツ。用件は承知している」
「では――――」
「ああ、監督として、君をマスターの一人であると認めよう。既にサーヴァントは出揃っている。存分に己が責務を果たすがいい」

 魔術協会所属封印指定執行者よ。この街にはお前の獲物がうようよしている事だろう。存分に暴れ回り、化生共を脅かすが良い。

「君の活躍を楽しみにしている」
「ええ、必ずや聖杯を手に入れてみせます。積もる話もありますが、サーヴァントが出揃ったと聞いては立ち止まっていられません。話はまたいずれ、戦いが終わった後に」
「ああ、頑張りたまえ」

 夜の街へと去って行くバゼットの後ろ姿を神父はずっと見守り続けていた。
 今宵、この街は戦場となる。日常と非日常の境が崩され、多くの嘆きと苦痛が生まれる事だろう。
 その混沌がより大きな混沌を生み出し、私を愉しませてくれる事だろう。

「ああ、楽しみだ」

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