第二十話「世界」

 拘束が解かれ、身動きが取れるようになったものの、未だに私の体には幾つかのルーンが張り付いている。追跡と魔力封じ、そして死の刻印。
 四面楚歌とはこの事だ。逃げ出す手段を封じられ、万が一逃げ出せたとしても死が待ち受ける。
 仕方なく、私はバゼットの後に続いて円蔵山を目指している。彼女の言葉が真実であるなら、私は聖杯戦争の一参加者から冬木市の管理者に立ち戻らなければならない。

「……はぁ」

 アーチャーは周囲の警戒を行っている。私が人質に取られているせいで言いように使われている。それが堪らなくムカつく。
 
「……到着です」

 石畳の階段を前にバゼットが足を止める。見上げた先には柳洞寺の山門が見える。
 いつもと変わらぬ静かな佇まいだ。どうやら、聖杯戦争が始まった今でも、この場所に目立った影響は無いらしい。

「行きますよ?」
「え、ええ……」

 バゼットに続き、階段へと足を向ける。
 その時だった。

「――――そこで止まれ」

 ほんの数秒前までは誰も居なかった筈の石階段の上に一人の男が立っていた。
 金色の髪を風で揺らしながら、禍々しい鮮血の如き真紅の瞳を私達に向けている。
 瞬時にアーチャーとランサーが私達の前に躍り出て警戒態勢を取る。

「ここより先に足を踏み入れる事はこの我が許さん」
「……貴様は?」
「疾く消えろ」

 それが私の意識が途絶える寸前に聞こえた最後の言葉。正直、何をされたのか理解出来なかった。抵抗する暇すら与えられずに私はこの日、二度目の敗北を経験した。

 目が覚めた時、最初に映った光景がアーチャーの背中だった事に心底安堵した。
 
「……また、生きてたみたいね」
「奇跡だな」

 敗北がそのまま死を意味する筈の聖杯戦争。にも関わらず、二度に渡る敗北を経験しながら、私は今も生きている。アーチャーも無事だ。コレは幸運な部類なのだろう。
 薄暗い部屋だが見覚えがある。ここはバゼットの拠点だ。

「それで……、バゼットは?」
「ここに居ますよ」

 声はアーチャーとは反対の方向から聞こえた。
 バゼットは涼しい顔をしながらコーヒーを啜っている。

「……何が起きたの?」
「分かりません」

 恥を忍んで尋ねた疑問の答えは実にシンプルだった。

「私達は円蔵山へ足を踏み入れ、謎の人物によって強制的に意識を刈り取られた。アーチャーとランサーの証言によると、彼らも戦いにすらならずに敗北したそうです」
「……嘘でしょ?」
「本当です。彼らも何が起きたのか分からないと言っています。疑うのなら、自らのサーヴァントに問い質してみるといい」

 私がアーチャーに視線を向けると、彼は申し訳無さそうに表情を曇らせた。

「すまない。不甲斐ない話だが、私達も何をされたのかが分からなかった。気が付くと、私達は円蔵山から遠く離れた田園区域に移動させられていた」
「……アイツって、サーヴァント?」
「恐らく……。だが、確証が持てなかった。アレには確かな実体があった」
「けど……、アレは明らかに人間を超えた存在。死徒とも違う。なにより、アレは大聖杯の事を知っていた。だからこそ、大聖杯の調査に乗り出そうとしていた私達を止めたのでしょう」

 アーチャーとバゼットの言葉によって、謎が更に深まった気がする。

「ともかく、現在、ランサーに円蔵山の調査を命じてあります。彼が帰って来たら――――、と噂をすればなんとやら」

 バゼットが窓を開くと、そこからランサーが入って来た。

「どうでした?」
「どうもうこうも……、アレはヤベェ……」

 ランサーは険しい表情を浮かべながら円蔵山の方角を見た。

「アレは神殿なんて生易しいレベルじゃねぇぞ。山が丸々異界化していた。踏み込めば、人間だろうとサーヴァントだろうとただでは済まん」
「あの男の仕業?」

 私の問いにランサーは頷いた。

「だろうな……。恐らく、何らかの宝具だろう」
「では、貴方はあの男がサーヴァントだと?」
「当たり前だ。ただの人間に出来る芸当じゃない」

 あの男がサーヴァントだったのなら、私達が瞬殺された事にも若干の説明がつけられる。つまり、私達がやられたのも宝具による攻撃を受けたからに違いない。
 宝具とは、英霊が生前身に付けていた技術や武器だけでなく、その伝承が結晶化したモノも存在する。そうしたモノの中には魔術では再現不可能な魔法に匹敵する程の理不尽な能力を持つものも数多く存在すると言う。
 
「……あの男がサーヴァントだとして、その正体に心当たりがある人はいる?」

 三人の表情はいずれもノーと言っている。

「円蔵山全体を異界化する程の大規模結界宝具。更に、ランサーとアーチャーに気取られる事も無く眼前に出現した能力。そこから推察するしかありませんが……」
「サッパリね。そういう宝具や能力を単体で持つ英霊なら幾つか候補があるけど……」
「……結界を宝具とする英霊は大抵が王侯貴族やいずれかの組織のトップを務めた者。自らの領地を持っていた者が結界宝具という形で自らの領地を展開するという話ならば聞いた事がある」

 バゼットの言葉にアーチャーが唸る。

「だが、気配や姿を隠すという能力は王侯貴族というより、暗殺者やそれに類する存在にこそ相応しい能力だ」

 あの男の能力と宝具はあまりにもチグハグだ。

「……何者なのよ、あの男」

 私の問い掛けは虚しく響き、返る事なく消えていった。

 ◆

 布団でグッスリと眠っている士郎の横顔を見続ける事三時間。

「……思ったより飽きないな」

 セイバーとライダーは昼間の内に地形を把握すると言って、ヒポグリフに乗って今頃遊覧飛行中だ。
 昼間の内から攻め込まれるような事は無いと思うけど、サーヴァント不在の間は念の為に外出を避けるべきだというセイバーの意見を尊重し、僕はずっと士郎の寝顔観察に勤しんでいる。
 他にもやる事があるだろう、と言われるかもしれないけど、僕の魔術回路は一点特化タイプの為に使い魔を作ったり、遠見をするなどといった器用な真似が出来ないし、ここはあくまで他所様の家だから、無断でウロウロするわけにもいかない。
 結果、延々と士郎の寝顔を見ているくらいしかやる事が無い。
 けど、思いの外飽きない。

「可愛いな……」

 時々、ムズがるように渋い表情を浮かべる辺りが最高だ。
 ちっちゃい頃、おじさんと三人で川の字で眠っていた頃と殆ど変わらない寝顔。
 ツンツンの髪を触ってみる。

「……んん」

 顔をクシャッとさせて、嫌そうに顔を動かす士郎。

「ほれほれー」

 ほっぺをツンツン。

「……ウゥゥン」

 眉間に皺を寄せて唸る士郎。

「……うへへ」

 ああ、癖になりそうだ。
 それから更に二時間。空が茜色に染まり始めた頃、セイバーとライダーが帰って来た。二人共、今朝より仲良くなっているみたいだ。

「……昨夜は気にしていませんでしたが、雲の上の光景を見るという機会は今まで無かったので、中々見応えがありました」

 やや興奮気味に言うセイバー。
 確かに、ヒポグリフに乗って雲の上を遊覧飛行する機会など滅多に……というか、普通は絶対に無い。

「ラ、ライダー」
「いいよ! 後で士郎が起きたら遊覧飛行に行こうか!」
「いいの!? やったー!」

 僕も昨夜は他の事で頭がいっぱいで空を見上げる余裕なんて無かったから凄く楽しみだ。

「まあ、二人には一度気晴らしの機会があった方が良さそうですしね」

 一瞬、反対されるかと思ったけど、セイバーはアッサリと遊覧飛行を許してくれた。
 
「……雲の上まで上がってしまえば、アーチャーに狙撃される事も無いでしょう。今宵は他陣営の動きを見るに徹するとして、折角ですから満天の星空を堪能するとしましょうか」

 今朝までの彼女と比べると随分気前が良い提案だ。

「どうしました?」

 態度が顔に出てしまっていたらしい。セイバーはクスリと微笑みながら問う。

「えっと……」

 怒られないかな?

「その……、セイバーは反対するかもと思ったから……」
「ええ、本音を言えば、聖杯戦争中に何と悠長な事を――――、とも思っています」

 やっぱり。でも、それならどうして許してくれたんだろう?

「ですが、戦いに明け暮れるばかりでは何れ疲弊してしまう。休める内は気力、体力の回復に努める事も戦いにおいては重要です」
「なるほどー」
「と言う訳で!」

 ライダーがパンと手を叩いて、士郎の布団を引剥がした。

「な、なんだぁぁああ!?」

 ライダーの突然の暴挙に士郎が飛び起きる。

「さあさあ、シロウ! 寝ている場合じゃないぜー?」
「て、敵襲か!?」
「遊覧飛行さ!」
「はぁぁあ?」

 うん。士郎ってば、大混乱。

 ◇

「凄い……」

 雲の上へ出た瞬間、僕達は歓声を上げた。セイバーでさえ、あまりの美しさに目を大きく見開いている。
 今、僕達の視界には満天の星空が広がっている。

「す、すげぇ」

 士郎は感動に打ち震えているみたい。無理も無いよ。こんなに美しい光景を見たのは生まれて初めてかもしれない。飛行機に乗っても、肉眼でコレを見る事など絶対に出来ない。

「ライダー。もっと、上へは行けないの?」
「行ってみる?」
「行ってみたい!」
「よーっし! 行ける所まで行くぞー!」
「おー!」

 ライダーの掛け声に応えるようにヒポグリフは大きく嘶くと、虚空を蹴り、更なる高度へと駆け上がっていく。
 空がぐんぐんと近づいて来る。飛行機が飛ぶ高度よりも遥かに高い場所へ!

「うわぁ……」

 言葉が出ない。
 シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。士郎の寝顔を眺める合間、僕は彼女の伝説を『狂えるオルランド』を通じて知った。
 彼女は親友の理性を取り戻す為、月へと向かった事があるそうだ。

「ライダー」
「なんだい?」
「君がローランの理性を取り戻すために月に向かった時もこの光景を見たの?」
「ああ、見たよ。この素晴らしい光景を! 時代は違えど、この光景は不変だ! 僕らの棲まう惑星の美しさは不変だよ!」

 僕らの視界に映るのは星の海ばかりではない。
 僕達が住む星。地球の姿がある。

「……ち、地球は青かった」
「ああ、それ僕が言いたかった!」

 もしも宇宙に行ったら言ってみたい言葉ベスト3の一つを先に士郎に言われてしまった。
 ここは正確にはまだ宇宙と呼ぶ場所では無いけど、それでも、地球の青さや巨大さが良く分かる場所まで来ていた。

「……ずっとここに居たら、聖杯戦争なんて関係無いね」
「いや、それは……」
「分かってるけどさ……、でも……」

 ずっとここに居たい。この美しい光景と士郎とライダーとセイバーが居るこの時間を永遠にしたい。この超越した感動を共有した四人といつまでも一緒に居たい。
 
「僕……、ここに居たいな……」

 叶わない願いだと分かっていても、口にしたくなる。

「ああ……、ここにはそう思わせるだけの素晴らしさがある」

 セイバーが言った。

「ここからでは……、日本が……、とても小さく見える。きっと、我がブリテンも……、こんな風に……」

 きっと、歴史上の宇宙飛行士達が羨ましがる事間違いなしだ。
 この素敵な光景を分厚いガラス越しではなく、肉眼で見る事など、僕達以外の誰にも出来ないのだから……。

「あはは……、何でだろう……、涙が出て来た」
「……俺も」
「ボクも……」

 きっと、元の世界の地球もこんな風に美しいのだろう。
 どうして、この世界に来てしまったのかは今も分からない。きっと、これからも分からない。だけど……、この世界も僕の世界だ。

「ライダー」
「なーに?」
「ありがとう」
「うん。どういたしまして」

 不思議な気持ち。今まで、漠然と死にたくないと思って生きてきた。
 今は違う。ああ、ずっと生きていきたい。
 世界はこんなにも美しいのだから、少しでも長い時をこの世界で歩んでいきたい。
 士郎と一緒に……。ライダーやセイバー、大河さんや慎二くん、桜ちゃんと一緒に……。

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