第三十話「ターニング・ポイント」

 魔女は嗤う。ほんの数日前までは全てを諦めきっていたと言うのに、今や聖杯に王手を掛けている。これが嗤わずにいられるだろうか。
 数時間前の事だ。柳洞寺を占拠し、陣地を形成した彼女は主の体内を浄化する傍らで、街の様子を遠見の魔術で確認していた。魔力の波長を辿り、瞬く間に全てのサーヴァントの居所を掴んだ彼女はそれぞれの陣営の情報を得る為に注意深く監視を続けていた。
 監視を続けていくと、戦況が中々に厄介な状態に陥っている事が分かった。
 まず、単独で動いている陣営が彼女自身を除くと最強の英霊を従えるアインツベルンの他はマスターの兄である間桐慎二とアヴェンジャーのみだった。
 セイバーとライダー。アーチャーとランサー。それぞれ、足りない部分を補い合う形で理想的なパーティーを組んでいる。
 この二つの陣営を崩すには手札が不足している。特にセイバーとライダーは共に絶対的な対魔力を持っていて、現代の魔術はおろか、神代の魔術さえ無効化されてしまう。加えて、マスターが未熟である事が翻って幸いし、サーヴァント達のマスター保護に対する警戒心を際限無く高めている。あの陣形を崩す為には強力な手駒が必要だ。
 間桐慎二はマスターの方針上、手出しが出来ない。セイバーとライダーも現状では打つ手なし。アインツベルンのサーヴァントは単独でもセイバーとライダーの陣営以上に驚異的。そうなると、残された選択肢は一つだった。
 アーチャーとランサーの陣営。これが一番崩せる目のある相手だ。特にアーチャーは対魔力のランクが極めて低い。遠距離攻撃には注意が必要だが、やろうと思えば如何様にも対処が可能だ。
 方針としてはこうだ。先にアーチャーを下し、しかる後にランサーを手駒に加える。あの一撃必殺の宝具を己が効率良く運用してやれば一晩の内に決着をつける事も可能な筈だ。
 方針が定まった後、彼女はアーチャーとランサーの陣営の監視に精を出した。
 結果、決定的な好機を掴み取る事が出来た。

「アッハッハハハハ!」

 ランサーが単独でバーサーカーと激闘を繰り広げていた。
 アルスター伝説の大英雄、クランの猛犬は主神オーディンが冥界から持ち出したと言われる『ルーン』を自在に操り、大英雄の魂のストックを次々に奪っていく。
 彼がマスター達を遠ざけた理由は簡単だ。近くに居ては巻き込まれる。バーサーカーのボディーを貫通する高ランクの魔術の連続発動によって、爆炎が大地を焦がし、雷鳴が迸り、一呼吸するだけで死に囚われる程の濃密な瘴気が発生した。
 解呪のルーンによってあらゆる攻撃魔術を無効化し、強烈な瘴気と炎熱によって近接戦闘に特化したホムンクルスを無力化し、蘇生のルーンと持ち前の生き汚さによる『仕切り直し』の連発。
 彼はとうとうバーサーカーの魂のストックを零にする事に成功した。
 しかし――――、

『……クランの猛犬。貴方を侮った事、詫びるわ。だけど、結果は私達の勝ち』

 残り一回。あと少しで勝利に手が届くという所でランサーは力を使い果たしてしまった。両の腕はとうの昔に切り落とされ、それでも口に槍を加えて奮闘したけれど、腹を抉られ、片足を失った今、もはや彼に残る一つの命を奪うだけの余力など残っていない。
 それでも、彼は膝を折る事無く立ち続け、バーサーカーを睨んでいる。まるで、その視線をもって殺そうとでもしているかのように……。

『終わりよ……。貴方の奮闘に免じて、マスターの事は見逃してあげる』

 狂戦士の肉体もランサーが最後に足を使って放った投擲宝具『突き穿つ死翔の槍』によって心臓が突き破られ、同時に槍から飛び出した幾千もの刺によって内側をズタズタに引き裂かれ、回復に時間が掛かっている。
 だが、それも一瞬の事。後数秒も経てばバーサーカーは全快し、ランサーの首を刎ねる事だろう。
 キャスターのサーヴァントはその僅か数秒の好機を逃さなかった。即座に転移の魔術を使い、アインツベルンの森に移動し、片手でランサーの胸に短剣を突き立て、もう一方の手でバーサーカーにAランクの大魔術を浴びせ掛けた。
 一回殺すだけでいいなら、如何に大英雄が相手だろうと狂っているならどうとでもなる。

「テメェは……」
「令呪をもって命じます。私を主と認めなさい、ランサー」

 もはや抵抗する余力など残っておらず、ランサーはキャスターの令呪に屈してしまった。彼女の魔力が彼の内に広がっていき、意思を捻じ曲げられていく。
 
「すまない、バゼット……」

 キャスターの魔術によって意識を手放したランサーは大地に横たわる。

「――――、イリヤ!」

 キャスターの手がイリヤの方に向けられた瞬間、戦闘不能状態に陥っていた筈のホムンクルスが動いた。どうやら、魔術師型の方のホムンクルスが治癒を施したようだ。
 しかし――――、

「サーヴァントならいざ知らず、人形風情に遅れは取らないわ」

 魔術型のホムンクルスが施した強化の魔術を一瞬で解呪し、同時に衝撃波によって迫り来るホムンクルスを弾き飛ばした。

「リズ!?」
「止めを……っと、そんな暇は無さそうね」

 近づいて来るサーヴァントの気配にキャスターは舌打ちをしながらランサーと共に転移の魔術を行使した。
 ランサーは戦闘に即時投入出来る状態では無く、準備不足な現状ではアーチャーを相手に博打は打てない。
 戦いによって切り開かれた空間に取り残されたイリヤは静かに涙を流した。

「バーサーカー……」

 ◆

 それがイリヤスフィールの語ったランサーとバーサーカーの激闘の行方だった。
 いよいよ姿を現したキャスターによってランサーが奪われ、バーサーカーが討伐された。後少しでも到着が早ければ……、そう悔やまずには居られない。
 これで私達は一気に不利になった。ランサーという前衛を失っただけで無く、敵の戦力が増強されてしまった。ここにはあの謎のサーヴァントに対抗する為に戦力の拡大を望んでやって来たというのに……。

「――――実体を持つサーヴァントですって?」

 せめて、何らかの情報を引き出せないかと私達は彼女の話を聞き終えた後、あの謎のサーヴァントについて話した。
 結果、分かった事は彼女もあのサーヴァントの事を知らないという事。

「クラスも特定出来なかった。キャスターかとアタリをつけてみたけど、どうやら違ったみたいだし……」
「……考えられる可能性は二つくらいね」
「と言うと?」
「一つはそういう能力を持ったサーヴァントである場合。僅かな時間で広域に結界を張り巡らせたり、サーヴァント二騎を瞬殺する手札がある以上、そういう能力を持っていただけという可能性も捨てきれないわ」

 なるほど、道理だ。なんともインチキ臭い話だが、あれ程の規格外な能力を持っている以上、その可能性も捨て切れない。

「『制御』の可不可を問わなければ、そういう規格外な能力を有した英霊も居なくはない」
「……それで、もう一つの可能性って言うのは?」
「マスター、あるいはサーヴァント自身が何らかの反則を行った。例えば、サーヴァントの召喚システムを弄って、サーヴァントに実体を持った状態で喚び出したとか……」
「それって可能な事なの?」
「普通は無理。そんな事が出来るなら、アインツベルンがとっくにやってるわ。だけど、サーヴァントの召喚システムに介入するという反則事態はあまり珍しくないのよ」
「珍しくないって……」

 そんな話、お父様の手記や資料には無かった。

「真っ当に戦って来た私達が馬鹿って事……?」
「うーん、サーヴァントの召喚システムへの介入っていうのは大博打だから、そうとも言い切れないわ。だって、既に完成しているモノを弄る以上、失敗する可能性も大いにある。第三次聖杯戦争におけるアインツベルンの『アンリ・マユ』召喚なんて、その最たるものよ。必勝を目論見、システムを弄った結果、喚ばれたのは悪神の紛い物。結果は初戦敗退という散々たるもの。正攻法が絶対的に正しいとも言い切れないけど、案配ではあるわね」
「なるほど……」

 真っ当な戦い方には真っ当なりの強みがあるという事だ。

「どちらにしても、確実な事は何も言えないわ。私自身の目でそのサーヴァントを見たわけじゃないし……」

 長々と話したからか、イリヤスフィールは疲れたように溜息を零した。

「さあ、話せる事は全て話したわ。後は煮るなり焼くなり好きにしなさい。バーサーカーを失った今、私に抵抗する力は残ってないわ」
「そう……、好きにしていいわけね?」

 頷くイリヤに私は言った。

「なら、私達に協力しなさい」
「……は?」

 凄い嫌そうな顔をして来た。だけど、煮るなり焼くなり好きにしろと言ったのはそっちだ。だったら、骨までシャブッてやるのが礼儀というもの。

「ぶっちゃけ、今は猫の手も借りたい状況だもの。貴女の知識は今後も絶対に必要になって来る。だから、私達と来なさい。拒否は許さないから、そのつもりで」
「……うわぁ」

 厄介な奴に目を付けられた。そう、視線で訴えている。失礼ね。

「虎の威を借る狐……。アーチャーが居るからってやりたい放題ね」
「いいから、答えは? イエス? それとも、はい?」
「……はいはい、イエスイエス。これで満足かしら?」
「ええ、大満足よ。じゃあ、ちゃっちゃと撤収して、私達の拠点に向うわよ」

 ◇

 拠点に辿り着いた頃には既に日が暮れ始めていた。
 未だ失意から立ち直れずに居るバゼットをアーチャーに任せ、軽く汗をシャワーで流して、作戦会議を始めると、イリヤスフィールの方から一つの提案を口にして来た。

「戦力の拡充についてだけど、私に心当たりがあるわ」
「どういう事?」
「……私も少し頭が冷えて来たし、もう一度会いたいと思っていた所なの。あの子達なら、恐らく、力を貸してくれる筈よ」
「誰の事……?」

 イリヤスフィールは口元に微笑を浮かべながら言った。

「セイバーとライダーのマスター。あの子達の方針は聖杯戦争で犠牲者を出さない事なの。大聖杯の異常について話せば、間違いなく協力してくれるわ」
「聖杯戦争で犠牲者をって……、そいつら本当にマスターなの?」
「正真正銘、マスターよ。それで、どうするの? 行くの? 行かないの?」
「行くわよ。決まってるでしょ? 私達には戦力が必要。例え、どんな甘ちゃんでも、力を借りる事が出来るなら借りるまでよ」
「そう……、なら、行きましょうか」
「ええ……っと、ちょっと待ちなさい」

 椅子から腰を上げるイリヤにストップを掛け、私はバゼットに近寄った。

「一応、そういう方針で動く事にしたわ。反対意見はある?」
「……ありません。ただ、願わくば戦力の拡大に成功した後、向かって欲しい場所があります」
「分かってるわよ。取り戻すんでしょ?」

 私の問い掛けと共に戦士の瞳に燃えるような闘志が蘇る。

「ええ、必ず取り戻します。例え、契約は断たれても、私も彼も死んでいない。なら、私は今でも彼のマスターだ」
「その意気よ、バゼット。さあ、肩を貸す必要はあるかしら?」
「いえ、必要ありません。ご迷惑をお掛けしました」

 バゼットは威勢よく立ち上がった。

「もう、心配は要らないみたいね。なら、改めて出発するわよ!」

 目指しはセイバーとライダーのマスターの拠点。
 意気揚々、目指した先は――――、廃墟だった。

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