第三十三話「ボーイ・ミーツ・ガール Ⅱ」

 僕はまた、夢の世界に来ていた。
 あの人は以前と同じように炎の柱を見上げていた。

「こんにちは」
「……ああ、こんにちは」

 相変わらず、大きな人だ。この人と比べたら、ボブ・サップでさえ、小柄に見えてしまう。

「――――おじさんは何者なの?」
「私の事を君は知っている筈だ」

 むぅ、そう返して来ますか……。

「……分かんない。どこかで会った気はするけど」
「分からないなら、そのままでも良いと思う」
「え?」

 意味深な事を言って、彼は腰を下ろした。それで漸く、立っている僕と視線が合う。

「全てを識る事が良い事であるとは限らない」
「……意味が分からないよ。僕はただ、おじさんの事を知りたいだけなんだよ?」
「私の事を知れば、君は恐らく、真実へ至ってしまう。その時、君の日常は崩れ、暗闇に呑み込まれてしまうだろう」
「こ、怖い事を言わないでよ!」

 なんて不吉な事を言い出す人だ。

「と言うか、僕の日常はとっくに崩れているよ。聖杯戦争のせいで、折角、士郎と平々凡々生きてきたのに……」
「イツキ」

 ぶつくさと文句を言う僕に彼は言った。

「残された時間は僅かだ。決して、後悔を遺さぬように少ない時間を大切にしろ」
「……だから、不吉な事を言わないでよね」

 感覚的に夢から醒めるまで、もう少し時間が掛かる事が分かった。
 僕はおじさんの背中に背を預け、腰を降ろす。

「僕はずっと士郎と一緒に生きていくんだ。色々あって、有耶無耶になってるけど、士郎からちゃんと答えを聞いて、そして……、えへへ」
「……そうか」

 時間なんて、幾らあっても足りないよ。

「なら、サーヴァントの脱落を防ぐのだ。君が望むなら、私も力を貸そう。まだ、未完成とはいえ、既にこの世界は繋がっている。君はいつものように魔術を行使すればいい」
「それって、どういう――――」

 またしても、肝心な所で意識が現実世界へと引き戻されていく。
 
 ◇

 目を覚ました僕を待ち受けていたのはライダーの顔だった。

「おっはよー、マスター!」
「おはよう、ライダー」

 ベッドから降りて、僕は窓の外に視線を向けた。空は晴れ渡り、街は静かに目覚めの時を待っている。少し、早く目が覚めてしまったみたいだ。
 昨日、柳洞寺で慎二くんとアヴェンジャーを保護した僕達は拠点を遠坂邸に移した。遠坂さんとバゼットさんはアヴェンジャーの回復の為に慎二くんと屋敷に到着するなり密室に篭ってしまい、僕と士郎、イリヤの三人は勝手に台所を使わせてもらって、軽い食事を摂り、その間に色々な事を話した。
 殆どがイリヤの問い掛けに僕達が答えるというもの。切嗣の事や僕達の生活の事をイリヤは事細やかに知りたがり、僕達も昔を懐かしみながら語り聞かせた。
 結局、話し終えたのは深夜に差し掛かった頃だった。僕達は事前に遠坂さんによって割り振られた部屋に向かい、眠りに落ちた。
 
「士郎は?」
「まだ、寝ているよ。それより、ボク、イツキの御飯が食べたいなー。昨夜の食事はとっても美味しかったもん! セイバーも大絶賛だったよ! 一晩中、二人で語り明かしちゃった」

 一晩中って……。昨日は簡単なものしか作ってないから、そこまで感動されると逆に困ってしまう。僕の料理は本当はもっと美味しいんだぞ。
 よーし、折角だから、朝食は気合を入れて作ろう。材料は昨日買った物があるし、後で光熱費を遠坂さんに払うとして、また、台所を使わせてもらおう。
 意気揚々と一階まで降りて来て、台所に向かうと、僕達は驚くべき光景を目の当たりにした。
 そこにはサーヴァントが居た。恐らく、遠坂さんのアーチャーだ。彼は鎧を脱ぎ、白いワイシャツに袖を通して、エプロンを着けた状態で鍋を振るっていた。

「……ん? ああ、君達か」

 アーチャーは僕とライダーを見ても一切警戒せずに鍋を振るい続ける。

「えっと……、アーチャーさん?」
「ああ、私がリンのサーヴァント、アーチャーだ。そう言えば、こうして直接言葉を交わすのは初めてだったね。ああ、少し待っていてくれ――――」

 コンロの周りには調味料が並んでいる。僕は彼が探している調味料を手渡した。

「……よく分かったな」

 このタイミングでコレを使うと味がグッと引き締まる。僕のオリジナルだと思ってたけど、やっぱり、料理が出来る人は最終的に同じ事を考えるものらしい。
 アーチャーは調味料を適量、鍋に加えると、少ししてから此方に顔を向けた。

「さて、初めましてだな、ライダーのマスター。そして、ライダー」
「は、はい。初めまして」

 思った以上にフレンドリーでビックリだ。白髪な上に濃い肌色、その上、アーチャー。多分、僕が知っている通りの存在なのだと思うけど、Fateではこんなにフレンドリーな性格では無かった気がする。アレは士郎の視点だったからなのかな?
 
「いや、それにしても驚いたな。さっきのタイミングでのアレの使用は秘伝のつもりだったのだが……、君も料理を?」
「は、はい!」
「……ふむ、どうにも緊張させてしまっているようだな。どれ、もう少ししたら出来上がるから、食卓で待っていたまえ。見目麗しいお嬢さん方がこんな狭苦しい場所に暑苦しい男と一緒では気も滅入るだろう」

 この人、本当に士郎の未来の姿なのだろうか……。
 麗しいお嬢さんなんてフレーズ、初めて聞いたよ。

「あの……、手伝います」

 折角の機会だし、もう少し話したい。
 彼はどうやら僕の事を知らないみたいだし、きっと、彼の生前に僕は存在していなかったのだろう。つまり、僕の知っている士郎と彼は別人という事だ。
 だけど、彼も士郎なら、僕の知らない一面を教えてくれるかもしれない。というか、既に一つ教えてもらった。士郎も将来、女の子を相手に『見目麗しいお嬢さん』のフレーズを使う日が来るのかもしれない。
 もっと、知りたいと思った。

「いいのかい? なら、お言葉に甘えるとしよう」
「はい。えっと……、この料理の組み合わせなら、アレも必要ですよね」
「……分かっているな、君」

 調理は順調に進んだ。不思議なくらい、僕と彼の息はピッタリで、彼が欲しているものを僕は直ぐに手渡す事が出来たし、逆もまた然り。
 ライダーに味見をお願いすると、大絶賛の声が返って来た。

「これで完成だな」

 朝御飯にしては少々豪華過ぎる気もするけど、人数的には丁度いいのかもしれない。

「さて、皆の者が起きてくるまで、もう少し時間が掛かりそうだな」

 エプロンを脱ぎ去り、アーチャーは僕が作った味噌汁に目を留めた。

「……任せきりにしてしまったが、実に美味しそうだ。少し、味見をしても構わないかね?」
「どうぞどうぞ」

 この短期間の間に僕達の間の――僕が一方的に築いていた――壁はすっかり崩れて無くなっていた。一緒に誰かと料理をするというのは思った以上に楽しかった。
 
「……え?」

 僕もアーチャーが作った料理を味見させてもらおうと、小皿を取ると、突然、ガシャンという音が鳴った。驚いて、アーチャーを見ると、彼は愕然とした表情を浮かべていた。まるで、お化けでもみたような顔だ。

「ど、どうしたの?」
「……どうして、この味が」
「え?」

 アーチャーは泣きそうな顔で僕を見た。

「……この味噌汁は君のオリジナルか?」
「う、うん。実はちょっとだけトマトケチャップを入れてて……」

 ずっと昔、士郎が手伝ってくれた時に彼が間違ってトマトケチャップを入れてしまった事があった。少量だったけど、これは駄目かな……、そう思っていたのだけど、思いの外美味しく出来上がり、今では僕の味噌汁の隠し味として活躍している。

「ト、トマトケチャップ……、だと?」

 呆気に取られているアーチャーに僕はその昔話を語った。
 すると、アーチャーは呆然とした表情を浮かべ、僕を見つめた。

「……その、すまないが君の名前をもう一度教えてくれないか? いや、リンから聞いてはいるのだが、君の口から……」
「え? えっと、樹です。飯塚樹」

 名前を言った途端、アーチャーは「そうか……」と呟き、背を向けた。

「……樹。ありがとう」
「えっと……、どういたしまして……?」

 そんなに味噌汁にケチャップを入れる事が彼にとって革命的だったのだろうか……。

「ケチャップか……、そうか、その発想は無かったな……」

 なんだか、咽び泣いている。

「りょ、料理が好きなんだね」
「……ああ、まあ……、そうだな」

 皆を起こしに行ってくる。アーチャーはそう言い残すと去って行った。

「な、泣いてたね」

 ライダーがビックリしたように呟く。

「う、うん。まあ、味噌汁にケチャップはそうそう無いからねー。でも、美味しいんだよ―」
「へへへ、楽しみー。ねね、もっと味見していい?」
「だーめ。皆が揃ってから、一緒に食べよう」
「ちぇー」

 それにしても、本当に楽しかった。厳密に言えば別人だとしても、士郎と一緒に台所に立つ事はやっぱり特別という事だろう。
 今度、士郎に料理を教えてあげようかな。聖杯戦争が終わったら、一緒に作って食べよう。アーチャーも料理の最中は凄く楽しそうだったし、士郎も嵌るに違いない。
 うーん。士郎が料理を始める機会を奪ってしまった事が悔やまれる。今からでも遅くないといいな……。

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