第十話「召喚Ⅱ」

 予想以上に苦戦したけど、どうにかあの脳天気兄妹を冬木から追い出す事に成功した。さすがにこの期に及んで残るなどとは言い出さないだろう。
 漸く、聖杯戦争に本腰を入れる事が出来る。

「兄さん……」

 臓硯から借りた前回の聖杯戦争の資料を読み耽っていると、いつの間にか桜が目の前に立っていた。気配を消して近寄るのは止めろと何度も言っているのに、本当に学習能力の無い奴だ。僕の心臓が破裂したらどうしてくれる?
 資料を閉じて顔を上げると、桜は予想通りの表情を浮かべていた。今にも自殺しだすのではないかと思う程、思いつめた表情。
 まったく、馬鹿の癖にくよくよ思い悩みやがって……。

「止めないよ」

 桜が口を開く前に先手を打つ。大方、僕がこれからやろうとしている事を止めに来たのだろう。今更、止められる筈も無いというのに……。

「安心しろよ。一か八かの賭けってわけじゃないんだ。勝算は十分にある。準備も十全だ」

 桜は険しい表情を浮かべた。昔と比べると、随分表情豊かになったものだけど、こうして怒る事は珍しい。

「やめて下さい」
「止めないよ」

 立ち上がり、桜の肩に手を置く。

「お前はただ待っているだけで良い。聖杯は僕が手に入れる」

 桜が何か喚いているけど、僕は無視して部屋を出た。
 階段を降り、臓硯の部屋に向う。

「慎二よ。決意は変わらぬか?」

 臓硯は愉しそうに口元を歪めながら、聞くまでもない事を問う。

「変わらないよ。変わるわけが無い。それより、そっちこそ準備は出来てるんだろうね? 今更、『やっぱり無理でした』なんて言葉は聞きたくないんだけど?」
「ッハ、誰に物を申しておるのだ。準備は万全よ」
「なら、早速始めよう」
「良いのか? 未だ、召喚されたサーヴァントは三騎のみ。開戦までは時間があるが――――」
「クドいね。後顧の憂いは断って来た。後は聖杯を手に入れて、お前との縁を永遠に断ち切るだけだ」

 僕の言葉が余程おかしかったと見える。臓硯は噎せ返る程哄笑した。

「良いぞ。お前が真に聖杯を持ち帰る事が出来たならば、その時はお前達の前から消えるとしよう。聖杯さえ手に入れば、血の合わぬこの地に留まる必要も無いからな」

 問答は終わりだ。臓硯が立ち上がり、僕はその後に続く。地下への隠し扉を潜る直前、泣きそうな顔をしている妹の姿が見えた。軽く手を振り、僕は堂々と地下の空洞へと足を踏み入れる。
 足元で無数の蟲が蠢いている。何度見ても薄気味悪い。

「ここだ」

 臓硯は無数の横穴の一つへ足を踏み入れた。僕も黙って後に続く。
 そこは正に地獄だった。生きながらに殺され続けている老若男女が繋がれている。彼らは皆、魔術の素養を持つだけの一般人だ。
 冬木市は元々優秀な霊地であり、数百年前から行われている聖杯戦争が呼び水となった事もあり、多くの魔術師が出入りしている。その関係で、魔術の知識を持たない魔術師の子孫が数多く住み着いている。

「ぁぁ……がぁぁぐぎ……たすけ……ぃぁあ」

 中央には年若い女。

「その女を使う」

 臓硯は苦しみ喘ぐ女の腹を杖で突きながら言った。この女には今、この空間内に存在する総ての人間の魔力を注ぎ込まれている。刻印蟲を使い、無理矢理繋げたパスを通して、過剰な程の魔力を注ぎ込まれる苦痛たるや、想像を絶するだろう。
 寿命を刻一刻と削り続ける地獄の責め苦に一般人の女が耐えられる筈も無い。未だに狂わずにいることが既に奇跡に近い。だが、彼女が生きてここを出る事は無い。嘆こうが、苦しもうが、憎もうが、怒ろうが、狂おうが、彼女には一つの役目を担ってもらう。そして、役目が終わる時は彼女が死ぬ時だ。
 聖杯戦争において、最低限マスターに求められる仕事は大きく分けて二つ。一つはサーヴァントの憑り代となる事。もう一つはサーヴァントへの魔力供給。この内、サーヴァントの憑り代となるだけなら、別に魔術回路は必要無い。魔力供給を行う手段さえ確立出来ていれば、一般人がマスターとなる事も可能なのだ。
 必要なものは魔力供給を行う手段。そして、それこそがこの女の役割だ。
 この方法は前回の聖杯戦争をヒントに思いついた。十年前、一組の魔術師が英霊召喚のシステムに細工を行ったのだ。召喚した英霊との間に繋がるパスを二つに分けるという荒業だ。
 時計塔きっての天才と名高き魔術師による奇策だが、所詮は外来の魔術師に過ぎない。彼に出来て、御三家であり、元々召喚システムを構築した当人であるマキリ・ゾォルケンに不可能な事は無い。
 
「わかった」

 だが、この方法には相応のリスクがある。
 まず、何より、この方法の成否は総て臓硯の手腕と意思に依存するという点だ。だが、これは心配しても詮無きことだ。臓硯が聖杯を欲している以上、わざと失敗させるような事は無いだろう。
 他にも、召喚時に何かの弾みでサーヴァントが僕から魔力を吸い取ろうとした場合、僕に抵抗する力が無いから、魔力……即ち、生命力を根こそぎ奪われ、死に至る可能性もある。
 召喚したサーヴァントが僕達の行為に怒りを覚え、反逆して来る場合もある。
 それでも、ここまで来て、止めるという選択肢など取れる筈が無い。

「始めよう」

 僕が失敗したら、桜がサーヴァントを召喚させられる。そうなったら、桜は敵のマスターやサーヴァントに狙われる事になる。
 失敗は許されない。

「では、こっちへ来い」

 臓硯に導かれ、僕は魔法陣の前に立った。

「……さて、折角孫が儂に孝行する為に命を賭けようとしておるのだから、儂も一つお前に贈り物をやろうと思う」
「贈り物……?」
「これだ」

 臓硯が指差した先、魔法陣の上には奇妙な物体が置かれていた。見た目は木片のようだが……。

「前回の聖杯戦争でマスターとなった男に貸し与えたものだ。アーサー王伝説は知っておるだろう?」
「ああ……。一応、一通りの伝承や伝説、逸話には目を通してるよ」
「ならば、この木片の価値が分かるはずだ。これは件の伝説に登場する円卓の欠片だ」
「え、円卓の欠片だって!?」

 予想外の名称が飛び出して来た事に僕は思わず目を見開いた。
 臓硯はそんな僕を愉快そうに見つめ、口を開いた。

「サーヴァントの召喚システムについては資料にある通りだ。触媒を使えば、召喚する英霊を事前に選別する事が出来る。逆に触媒を使わなければ、召喚者の性質と似通った英霊が召喚される。前者のメリットは言わずもがなだが、後者にもそれなりのメリットがある。自らの性質とサーヴァントの性質が近い故に意思の疎通が図りやすい、前者の場合では、性質が合わない場合があり、それ故に内輪揉めを起こし、自滅する可能性がある」

 臓硯は床を数回突いた。すると、臓硯の横に蟲が寄り集まり、ゆっくりと人型を形成した。
 見覚えがあった。その人物は前回の聖杯戦争に参加した僕の叔父だった。名前は間桐雁夜。

「此奴はソレを使い、ランスロットを召喚した。ランスロットの伝承は知っておるだろう? 雁屋とランスロットは実に似た者同士であった。もっとも、奴等は自らの業によって自壊しおったがな」
 
 呵呵と笑い、臓硯は雁屋の人型に向かって杖を振るった。崩れ落ちる雁屋を愉快そうに見つめながら、臓硯は話を続ける。

「円卓の欠片は先に申した二つの方法のメリットを両方得る事が出来る」
「両方……?」
「分からぬか? ソレを触媒にする事で召喚される英霊は当然円卓の騎士。アーサーにしろ、ランスロットにしろ、ガウェインにしろ、誰が呼び出されても英霊としては一級品よ。加えて、選別の縛りは円卓の騎士のみ故、その一級品の中から召喚者と最も相性の良いサーヴァントが選ばれる」
「……なるほど」

 確かに、それなら間違っても弱小な英霊など現れないだろうし、仲違いをする可能性も低くなる。
 しかし……、

「何を企んでるんだ?」
「はて、企むとは?」
「恍けるなよ。アンタが善意でこんな物を用意すると思う程、僕は甘ちゃんじゃない」

 何か裏がある筈だ。

「……さて、それを問う事に意味があるのか?」
「なに?」
「お前は儂の言葉など信じぬだろう? ならば、儂に何を問うた所で意味など無い。儂のコレが善意であれ、悪意であれ、使わざる得ぬ事も承知しておる筈だ。何故なら、お前は勝たねばならぬ故にな」
「……っく」

 奴の言葉は正しい。どんなに奴を疑おうと、答えなど返ってこない。返って来たとしても、その真贋を見極める事が僕には出来ない。それに、奴の言う通り、僕はこの聖遺物を使わざるを得ない。縁だけを便りにギャンブルを行うなど、失敗を許されない現状では無理な話だ。

「分かった……」
「素直で結構。ならば、始めるが良い!」

 僕は魔法陣の前に立った。

「受け取るが良い。此奴を自らの内に受け入れるのだ。魔力供給を行う必要は無くとも、サーヴァントとの間にパスを通す必要がある」
「……気色悪いな」

 男の陰茎を模した禍々しい形状の芋虫を僕は瞼を閉じて口に含んだ。吐き気がする。
 こんな物を桜は毎日……。

「……閉じよ」

 詠唱を開始すると同時に手の甲に痛みが走った。
 真紅の輝きを伴う刻印が刻まれていく。

「閉じよ……」

 最低ラインは突破した。後は呪文を唱え切るだけだ。

「閉じよ……」

 目に見えない突風を感じる。耳鳴りが始まり、頭痛がする。

「閉じよ……」

 これが魔術。初めて体感する神秘の術は正しく最悪だった。

「閉じよ!」

 負けてたまるか! たくさんの人間を犠牲にしたんだ。こんな苦痛、屁でもない。

「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 もはや、空間内は局所的な嵐の様相を呈していた。
 雷鳴がとどろき、疾風が渦巻く。

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 いや、これは総て僕の脳が写す幻覚に過ぎない。
 
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 肌が捲れていく――――、気のせいだ!
 眼球が蒸発していく――――気のせいだ!
 神経がヤスリで削られていく――――気のせいだと言ってる!

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ!」

 鬼が出るか蛇が出るか……。
 僕は僕自身が最低最悪な人間だと自覚している。
 そんな僕と似通った性質を持つ英霊など、ろくでも無いに決っている。
 だけど、僕には力が必要なんだ。
 だから、来い!

「天秤の守り手よ――――ッ!」

 視界がスパークした。真っ白で何も見えない。
 召喚は成功したのか? それとも、失敗したのか?
 視覚が復活するまでの時間がいやに長く感じた。やがて、徐々に薄暗い地下室の光景が蘇ってくる。
 そこにソイツは立っていた。
 鋭い眼光。荒々しい気迫。これが僕の召喚したサーヴァント!

「お前がオレのマスターか?」

 言葉1つ、所作一つが刃のように迫って来る。
 怯えるな。舐められるな。必死に自らに言い聞かせながら、僕は口を開いた。

「そうだ。僕がお前のマスターだ」
「名は?」
「間桐慎二」
「マトウシンジ……? ケッタイな名前だな」
「慎二が名前で、間桐は苗字だ。好きな方で呼んでくれ」
「了解だ」
「それで、お前は……、その出で立ちからして……、セイバーか?」
「大正解……と言いたい所だが、違うみたいだ。どうやら、オレはイレギュラーって奴らしい」
「イレギュラー……? それがお前のクラスなのか?」
「そうじゃない。どうやら、俺は基本的なラインナップからは外れた存在らしい」
「つまり……?」
「オレのクラスは……っと、答えたい所だが、その前に聞かせろ」

 未だクラス不明のサーヴァントは恐ろしい程の殺気を滾らせ、此方を呑気に見ている臓硯を睨みつけた。

「アレは何だ?」
「……僕の祖父だ。敵意を向ける必要は無い」
「アレが祖父だと……? なら、お前は何だ? アレが孕ませたモノが人間な筈無いだろ」
「いいや、僕は人間だよ。正真正銘の……、ね」
「……何ともいけ好かない所に呼び出されたみたいだな」

 周囲の惨たらしい惨状を見回しながら、サーヴァントは嫌悪感を隠さずに言った。

「……それで、改めて聞くけど、お前のクラスは?」
「フン……。俺は――――、アヴェンジャー。復讐者のサーヴァントだ」

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