第二十三話「壊れた世界」

「どういう事だ……?」

 僕は自らの生家を前にしてたたらを踏んだ。ほんの数時間程度、アヴェンジャーと共に情報収集の為に出かけていただけなのに、間桐邸は出掛ける前と一変してしまっていた。
 魔術師としての才能を持たない彼にも分かる程、間桐邸は明確に変貌を遂げていた。

「……おいおい、こいつは」

 アヴェンジャーは自らの宝剣を構え、僕を庇うように立つ。

「臓硯か……?」
「いいや、こんな物を作れるのはオレが知る限り、母上かあの悪魔くらいのもんだ……。あの妖怪如きに作れる代物じゃない」

 アヴェンジャー……、モードレッドの母と言えば、稀代の魔女と名高き妖后モルガンの事だろう。悪魔の方は分からないが確かに臓硯と言えど、彼女が相手では比較対象にもならないだろう。
 だとしたら、考えられる事は一つ。

「キャスターか!」

 モルガン級の魔術師となれば、考えられる可能性は一つしかない。
 魔術師の英霊による襲撃。

「桜!」

 思考が加速する。
 キャスターがここを襲った理由は間違いなく僕達を仕留める為だ。策謀に長けたキャスターがここまで堂々と仕掛けて来た以上、それなりに準備も万端という事だろう。
 だけど、立ち止まっている暇は無い。

「アヴェンジャー!」
「ああ、分かっている!」

 アヴェンジャーは敵の領地と化した間桐邸へ攻撃を仕掛ける。
 その瞬間、突然玄関の扉が開いた。

「ッハ、我が対魔力を舐めるなよ!」

 負けるとは思わない。アヴェンジャーの対魔力は強力だ。現代の魔術は勿論、神代の魔術だろうと無効化してくれる筈だ。
 だから、問題なのは桜の安否だ。一刻も早く救い出さなければならない。最悪、最後の令呪を使ってでも――――、

「は?」

 アヴェンジャーは開いた玄関から中へと突入しようとして――――、その直前で急停止していた。

「どうしたんだ!?」

 様子がおかしい。

「って……、桜!?」

 我知らずアヴェンジャーに駆け寄ると、彼女の前に桜の姿があった。

「近づくな!」

 アヴェンジャーは瞬時に後退して僕の前に立った。彼女の剣先は桜に向いている。

「な、何をしているんだ! 相手は桜だぞ! そんな物を向けるな!」
「黙っていろ! アイツがキャスターのマスターだ!」

 あまりの事に耳を疑った。桜がキャスターのマスターだって? 何を言っているんだ、そんな筈無いだろう。

「――――兄さん。アヴェンジャーの言葉通りよ」

 どうしてだろう? 妹の声なのに……、とても寒気がした。

「桜……?」
「紹介するわ」

 桜は片手を上げた。そこには真紅の聖痕が刻まれている。
 桜の呼び掛けに応えるように空間が歪み、そこから怪しげな格好をした女が現れた。

「まさか……」
「貴方がマスターのお兄さんね? 私はキャスターのサーヴァント。よろしくね」

 嘘だ……。

「……はは、なんだこれ」
「お、おい、マスター?」

 やばい、今まで保ってきた物が零れていくような感覚だ。
 必死に遠くへ逃がそうとした衛宮と飯塚がマスターになってしまった。
 必死に守ろうとした妹がマスターになってしまった。
 僕が守りたかったものがみんな――――、

「おい、しっかりしろよ、マスター!」

 アヴェンジャーに頬を叩かれて、少しだけ乱れた思考が整った。
 そうだ、嘆いている場合じゃない。桜がマスターとなった以上、そこには必ず臓硯の介入があった筈だ。

「桜、臓硯はどこだ?」

 奴は僕との契約を破った。桜は巻き込まない約束だったのに!

「殺したわ」
「……は?」

 一瞬、桜が何を言ったのかが分からなかった。
 殺した?
 誰を?
 誰が?

「臓硯は私が――――」
「待て!」

 桜の言葉を遮るようにアヴェンジャーが声を荒げた。

「マスター、一度落ち着け!」

 アヴェンジャーに肩を揺さぶられる中、僕は頭の中で桜の言葉を反芻し続けた。
 殺した。
 死んだ。
 臓硯が殺されて死んだ。
 臓硯が桜に殺されて死んだ……。

「ァ――――」
「マスター! クッソ、なんだってこんな事に……」

 臓硯が死んだ。なら、僕は一体何のためにあんなにたくさんの人間を犠牲に……。

「ァァ……」

 無駄だった。僕が余計な事をしなければ、最初から桜が臓硯を始末出来たんだ。

「……ハ、ハハ……アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 ああ、世界が崩れていく。僕が犠牲にした人達の怨嗟の声が一層強まる。
 彼の顔が、彼女の顔が、あの子の顔が、あの人の顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が顔が――――……。

 ◇

「マスター!」

 肩をいくら揺さぶっても、頬を叩いても、マスターは涙を浮かべながら笑い続けるばかりだった。
 壊れてしまった。守るべき妹が自らの力で窮地を脱してしまった事でシンジの心の支えが失われてしまった。

「に、兄さん……?」

 サクラはシンジの豹変ぶりに戸惑っている。どうやら、自分がシンジに致命的な一撃を与えてしまった事に気づいていないらしい。
 
「……謝らないぜ。サーヴァントを召喚した今、お前もオレの敵だ」

 人の心というものは存外脆く、思いの外強い。一度完膚無きまでに打ち砕かれたとしても、人は再び新たな意思と共に立ち上がる事が出来る筈だ。
 今は壊れてしまっているが、シンジも再び心を癒やす事が出来る筈。だが、その為には時間が必要であり、目の前の女は邪魔者でしか無い。

「退がりなさい、マスター!」

 いち早く気がついたキャスターが桜の前に躍り出る。
 恐らく逃げられるだろう。だが、ここで倒せなくても別に構わない。
 だって、これは決別の挨拶だ。お前達『マトウ』との――――、

「クラレント・ブラッドアーサー!」

 赤雷を叩き込む。狙うはサクラとキャスターのみならず、その遥か下層で苦しみ喘ぐ者達!

「……あばよ」

 魔力を供給していたラインが途切れるのを確認して、オレはシンジを担ぎ上げると間桐邸の跡地を後にした。

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