第三十二話「再起」

「いつまでイジケてんだよ?」

 アヴェンジャーが僕の胸ぐらを掴んで言った。彼女の苛立ちも分かる。間桐邸を飛び出してから、僕達は港の倉庫街を隠れ家にして既に三日も経過している。その間、僕は何も行動を起こしていない。聖杯戦争に勝利して、聖杯を手に入れ、願いを叶えるために召喚に応じた彼女にとって、この三日間の喪失は憤然たるものだったに違いない。
 だけど、僕の都合も考えて欲しい。僕はただ、妹を祖父――――、臓硯の魔の手から救い出したかっただけなのだ。なのに、当の妹が自らの力で祖父の戒めを振り解き、反撃に打って出た上に勝利をもぎ取ってしまうという大番狂わせが起きた。僕の今までの苦労や思い、覚悟なんかが全て一瞬で砕け散ってしまった。
 身勝手な奴だと罵りたければ罵るがいい。道化と笑いたければ笑うがいい。愚か者と蔑みたければ蔑むがいい。
 僕にとっては『妹を救う』という行為は人生の目標でもあったのだ。今の僕は正に路頭に迷っている状態。
 誰か、僕に道を示して欲しい。このままでは僕は――――、

「まだ、お前は妹を救えていないじゃないか」

 アヴェンジャーはいつものぶっきらぼうとした口調では無く、どこか諭すように言った。この三日間、彼女の口から飛び出したのは罵詈雑言ばかりだったから、僕は吃驚して顔を上げた。
 
「お前の妹は聖杯戦争のマスターとなり、闘争の渦中に居る。しかも、サーヴァントは最弱のクラスであるキャスターだ。父上を始めとして、此度の聖杯戦争には『対魔力』の能力を保有するサーヴァントが多数参加している。まともにやっても、お前の妹に勝ち目は無い。そして、この戦いに敗北するという事は即ち――――」
「死ぬ……。桜が……」

 それは駄目だ。桜が死ぬ事を容認など出来ない。
 ああ、僕にはまだ戦う理由があったのだ。ただ、戦うべき相手が変わっただけだ。
 妹を聖杯戦争から引き摺り下ろす。誰かに負けて殺される前に、僕が彼女に引導を渡す。それが僕の最後の責務だ。
 罪を償うのはその後だ。その前にやるべき事をやらないといけない。
 だって、僕は桜の兄貴なのだから――――。

「……こんな場所で蹲ってる場合じゃないな」
「漸く、目が覚めたか?」
「ああ、僕にはまだ、戦う理由があった。ありがとう、アヴェンジャー」
「なら、さっさと行くぞ。思い立ったが吉日だぜ」
「い、今直ぐかい?」
「なんだ? 怖気づいちまったか?」
「そんな事あるもんか! ああ、いいさ。今直ぐ出陣だ!」

 アヴェンジャーはまったく容赦が無い。でも、その容赦の無さが心地良い。今の僕にとって、彼女は正に道を指し示す光だ。苦笑いを浮かべながら、僕は腰を上げた。

「でも、桜の居場所は分かってるのかい? 屋敷は君が吹き飛ばしてしまったし、あそこに留まっているとは思えないんだけど……」
「あの魔女が行動を開始してから、胸糞の悪い魔力が街中に渦巻き始めている。恐らく、その中心を目指せば、そこに奴等が居る筈だ」

 街中に渦巻く魔力。僕には感じ取る事が出来ないけど、彼女には分かるらしい。
 彼女の出自については夢で見て知っている。
 彼女の父、アーサーが女性だったと知った時から密かに抱き続けていた疑問。

『どうやって産んだ?』

 彼女の母、モルガンも紛う事無き女だ。女と女が子作りなんて出来る筈が無い。
 その疑問の答えがモルガンという偉大な力を持つ魔術師の起こした奇跡。
 モルガンはアーサーを呪術によって一時的に男に性転換させるという荒業を為した挙句、その精子を奪い、培養し、一体のホムンクルスを鋳造した。
 それが叛逆の騎士、モードレッドの正体。彼女はアーサー王という人物の模造品として作られた人造人間だった。
 ホムンクルスは錬金術において、人の精と幾つかの要素を元に作られる。女性の子宮に依存せずに生命を誕生させる外法によって生み出される存在だ。その肉体はエーテルによって形成され、その在り方は『人の手によって創造された自然の触覚』なのである。
 故に彼女のようなホムンクルスは並の魔術師よりもずっと世界の違和感に敏感だ。彼女が街に魔力の渦が発生していると言うのなら、それが真実なのだ。

「なら、行こう」

 僕達は隠れ潜んでいたコンテナから出た。ここは初戦の舞台であり、他でも無いアヴェンジャーの手によって廃墟と化している。人の立ち入りを禁じられたこの場所は隠れ家として実に優秀だった。
 真っ直ぐに円蔵山へと向っていると、突然、グーという音が響いた。最初は自分のかと思い、緊張感の無さに呆れたが、二度目の音は明らかに僕以外の場所から響いていた。
 振り向くと、警戒の為に実体化しているアヴェンジャーが照れたように頬を掻き、ソッポを向いていた。
 意外だ。サーヴァントも腹が減るんだな。知らなかったとは言え、悪い事をした。今迄、彼女に食事を与えた記憶が無い。僕は近くのたこ焼きやで食料を調達し、決戦前の腹ごしらえをする為に近場の公園に向った。
 
「サーヴァントでも腹は減るんだね」
「……だ、黙れ、マスター。別に必須って訳じゃない。ただ、喰おうと思えば喰えるってだけだ。今のは何て言うか……、その……、ええい、何でも無い!」

 怒鳴られてしまった。まあ、女の子相手に振る話じゃなかったね。
 忘れていたというか、他の事に夢中になり過ぎていて、今迄気付かずに居たけど、アヴェンジャーはとても魅力的な女の子だった。
 そして、同時に気付いた。僕は彼女の事を彼女自身の口から聞いた事が一度も無かった。前から知っていた知識と夢で見た彼女の記憶以外、僕は彼女という存在について、何も知らないのだ。
 良い機会だと思った。これが最後の戦いになるのかもしれないし、今の内に聞きたい事を聞いておこう。

「アヴェンジャー」
「ん?」

 たこ焼きを頬張り、頬を緩ませている。どうやら、かなり気に入ったみたいだ。多めに買っておいて良かった。

「君は何の為に聖杯を求めるんだい? やっぱり、王位を手に入れる為?」

 僕の問い掛けにセイバーは口の中のたこ焼きを胃に収めてから答えた。

「言っておくが、聖杯に王位自体を願う気は無いぞ。オレはただ、選定の剣を抜くチャンスが欲しいんだ」
「選定の剣を抜くチャンス……? どうして、王位自体を望まないんだ? もし抜けなかったら……」
「ばーか。オレに抜けない筈が無いだろ」

 あっけらかんとした答えに僕は言葉が出なかった。

「……凄い自信だな」
「単なる事実だ。オレは王となるべき者だからな」
「そっか……」

 今の内に聞いておいて良かった。僕にはまた一つ、戦う理由が出来た。
 二つの理由は矛盾しない。僕はキャスターを討ち、桜を聖杯戦争から引き摺り下ろす。そして、聖杯を手に入れる。
 モードレッドを王にする為に――――。

「なら、さっさとキャスターを倒さないといけないね。僕の願いの為にも……、君の願いの為にも」
「……ああ、そうだな。腹ごしらえも済ませたし、さっさと行こうぜ」
「ああ」

 僕達は戦いの舞台へ向けて足を向ける。アヴェンジャー曰く、魔力の渦の中心は円蔵山だそうだ。あそこには知り合いが一人居る。別に親しいわけじゃないけど、無事である事を願いたい。

 ◇

 柳洞寺の石階段に到達した時、僕達の前に意外な人物が姿を現した。

「テメェは……」

 アヴェンジャーが僕の前に飛び出す。現れたのは蒼き槍兵、ランサーだった。
 紅の槍を握り、彼は僕達を睨みつけている。どうにも様子がおかしい。彼からは明確な意思というものが感じられない。まるで、人形と相対している気分だ。

「……ッハ。キャスターの操り人形にでもされたか、ランサー」

 アヴェンジャーの嘲りの言葉にもランサーは応えない。
 何があったのかは分からないけど、どうやらランサーはキャスターの手駒と化しているみたいだ。

「いけるかい?」
「当然!」

 赤雷を纏い、アヴェンジャーが飛び出す。
 迎え撃つランサー。その凄まじい速度に僕は何が起きたのかサッパリ分からなかった。ただ、気が付くとアヴェンジャーがランサーと壮絶な打ち合いを開始していた。

「マスター! 後退していろ!」

 アヴェンジャーの叫びに頷きながら後退る。槍の一振りが大砲染みた破壊の痕跡を地面や周囲の木々に与える。以前、港の倉庫街で目撃した彼の動きとは明らかに異なっている。まるで、槍兵では無く、狂戦士と戦っているような気分になってくる。
 
「――――つまらんな」

 ところが、アヴェンジャーは破壊の権化と化したランサーを相手に少しも押し負ける事無く、徐々に傷を与えていく。

「意思を剥奪された時点で、コイツは英雄では無く、ただの木偶の坊と化した。多少小細工を弄してステータスを底上げした程度の……、そんなモノに止められる者が英霊などと名乗るものか!」

 ついにはランサーの片腕を切り飛ばし、アヴェンジャーは止めを差すべく必殺の一撃を繰り出すべくクラレントを振り上げる。
 直後、ランサーの体が光を放ち姿を消した。

「撤退させたか……。行くぞ、マスター! 逃げられる前にキャスターを仕留める!」
「あ、ああ!」

 意思を剥奪されていたとは言え、あんな怪物染みた力を持つ存在を軽々と圧倒したアヴェンジャーに僕は憧憬を覚えた。見た目の年齢は僕と殆ど変わらないのに、なんて凄い奴なんだ。
 共に石階段を登りながら、僕は確信する。アヴェンジャーが一緒なら、必ず勝つ事が出来る。最後の最後まで――――、勝ち続ける事が出来る。

「――――僕も見たいな」

 走りながら、僕は無意識に呟いていた。

「あ?」

 困惑した表情を浮かべるアヴェンジャー。
 僕は笑みを浮かべながら言った。

「君が選定の剣を引き抜く所を僕も見たいよ」
「……ッヘ。なら、立ち止まってる暇なんて無いぜ?」
「ああ、勝とう、モードレッド!」

 頂上に到達すると、無数の骨で出来た兵隊達が出迎えた。

「邪魔だ」

 クラレントを振り上げるモードレッド。禍々しく形状を変化させていく剣。赤雷が刀身を覆っていく。

「クラレント・ブラッドアーサー!」

 横薙ぎの一撃。赤雷を纏う斬撃が一瞬で柳洞寺の境内を更地にした。

「……危ないわね。後一歩でマスターまで蒸発する所だったわよ?」

 瞬間、僕達の頭上で耳障りな女の声が響いた。傍らに桜の姿もある。どうやら、奴がキャスターのサーヴァントらしい。

「その時は、この程度の事でマスターを死なせる無能を引き当てたソイツが悪い」
「お、おい、モードレッド!?」
「後退っていろ、マスター。お前の妹は必ずオレが奪い返してやる」
「……奪い返すとは言ってくれるわね。むしろ、マスターの方から私を求めたのよ?」

 そうして睨み合う二騎の英霊。
 大丈夫だ。負ける筈が無い。だって、僕のサーヴァントは最強なんだ。あの強化されたランサーを一瞬の内に退けたアヴェンジャーなら、キャスター如き、それこそ一瞬で仕留めてくれる筈。
 そう確信して、僕はアヴェンジャーを見つめた。そして、気がついた。

「アヴェンジャー……?」

 アヴェンジャーは汗を流していた。肩で息をしながら、体を僅かに震わせている。

「ど、どうしたんだ!?」
「黙っていろ、マスター!」

 怒鳴るアヴェンジャーに対して、魔女は嗤う。

「そんな状態で戦う気? そんな、魔力が枯渇寸前の状態で?」
「……え?」

 キャスターの言葉に僕はアヴェンジャーを見た。
 どういう事だ? 魔力が枯渇寸前って……。

「……ッハ、この状態でもお前を殺すくらいなら問題無く可能だ」

 どういう事だよ……。
 混乱する頭で必死に考える。そして、思い出した。アヴェンジャーがさっき空腹で腹の虫を鳴らした事を。
 サーヴァントに食事は必要無い。なのに、体が空腹を訴える状態。それはつまり、食事で微量でも魔力を回復しなければならないという彼女の肉体が発したサイン。
 そうだ。モードレッドは間桐邸から逃げ出す時、地下に向けて赤雷の斬撃を放った。あの時、地下に居た魔力生成の為の生贄達は死に絶えたのだ。
 こんな瀬戸際の状況に陥って、そんな事に漸く気付いた自分の愚かさに目眩がする。
 モードレッドはこの三日間、魔力の供給を一切受けられない状態だった。そして、それは今後も変わらない。魔術師では無い僕では魔力を供給する事が出来ないからだ。
 だから、彼女は今日、普段の彼女からは想像も出来ないような言葉で僕を奮い立たせた。これ以上、魔力を失えば戦う事すら出来なくなると踏んで……。

「アヴェンジャー……。君は――――」

 僕は彼女の言葉を思い出した。

『お前の妹は必ずオレが奪い返してやる』

 最後の力を彼女は僕の為に使い果たそうとしている。
 
『選定の剣を抜くチャンスが欲しい』

 そんな明確な祈りを持っている癖に……。
 僕の事なんてさっさと見捨てて……、それこそ、切り伏せてでもマスターとしての権限を捨てさせて新たなマスターを探しに行けば良かったのに……。

「……王になる筈だろ?」

 僕の言葉が届いていないのか、モードレッドは真っ直ぐにキャスターを睨みつけ、残り少ない筈の魔力を惜しみなく使い、キャスターへと斬り掛かる。

「モードレッド!」
「うおおぉぉぉぉぉ!」

 モードレッドは雄叫びを上げ、赤雷を刀身に纏わせる。

「……ふん。死に損ないに構ってなんていられないわ。マスターの意思もあるし、見逃してあげるから、最後の時間を有意義に使う事ね」

 渾身の一撃はアッサリと回避され、キャスターは姿を消した。肩で息をしながら、モードレッドは唇を噛みしめる。

「ちく……しょう……」

 倒れ込むモードレッドに慌てて駆け寄り抱き留めた。
 そして、そのあまりの軽さに僕は驚いた。鎧を形成していた魔力が解れ、ドレス姿になったモードレッドを無意識に抱きしめながら、僕は自分の無力さを噛み締めた。
 こんな女の子に戦いを全て押し付けておきながら、何も出来ず、彼女が消滅する事を防ぐ事も出来ない自分に嫌気が差した。

「……何が、僕も見てみたいだ」

 本当なら、僕は彼女の傍に居ていいような人間じゃない。だけど、この聖杯戦争というシステムが引き合わせた。
 戦う力も無い矮小な人間の癖に王になるべき彼女を自分の身勝手な思いの為に振り回してしまった。挙句がこの様だ。

「どうしてだよ……。願いがある癖に……、どうして、僕なんかの為に……」
「……ばーか」

 か細い声で彼女は言った。

「オレはただ……、オレの為に……戦っただけ……だ」

 そう言って、モードレッドは意識を失った。彼女が消えるもの時間の問題に違いない。だけど、そんなのは嫌だ。
 僕はまだ、彼女に何も返せていない。彼女の為に何もしてやれていない。ただ、縋り付いて、彼女という存在を使い潰しただけだ。
 そんなの許されない。彼女には崇高な願いがあるのだ。道化のように踊るばかりの僕とは違って、彼女は王になる存在なのだ。
 
「助けてくれ……。誰か、モードレッドを……。こんな所……、死なせるわけには――――」
「じゃあ、条件が幾つかあるわ」

 返ってくる筈の無い懇願に聞き覚えのある声が返って来た。
 顔を上げると、そこには悪辣な笑みを浮かべる遠坂凛の姿。

「一つ、私の言葉には絶対服従。二つ、貴方の知っている情報を洗いざらい全て提供する。その二つを呑むなら、彼女を救う方法を教えてあげる」
「の、呑む! モードレッドを救えるなら、何だってする! ぼ、僕は――――、モードレッドを王にしないといけないんだ!」

 その後、僕はこの事を永遠に後悔し続ける事になる。
 僕は――――、悪魔と契約してしまったのだ。それも、とんでもなく質の悪い悪魔と……。

「なら、契約成立ね。間桐慎二君。言っておくけど、撤回は認めないから、そのつもりで!」

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