第七話「頑固な朴念仁」

 高校生活は中々に順調なスタートを切った。士郎と慎二くんが揃って大河さんが顧問を務める弓道部に入部したので、便乗させてもらった所、棚から牡丹餅で、友人のゲットに成功したのだ。ご存知、次期弓道部の部長である美綴綾子だ。
 彼女と友人に成れた理由、それはズバリ……、僕の運動音痴が災い転じて福となした結果だ。弓道なら、運動音痴な僕でもイケると意気込んだんだけど、そもそも的まで届かないという非常事態が発生したのだ。士郎は神業的な射で皆の注目を集めているのに対して、僕は悪い意味で注目を集めてしまっていた。慎二くんも始めたばかりにしては物凄い腕前で、二人に教えを請おうとも思ったんだけど、周りの女子の目が痛すぎた。
 周りから見ると、どうやら僕は男を囲っている嫌な女という印象らしい。酷い風評被害だ。慎二くんには桜ちゃんが居るぞ。
 早速、周囲から孤立してしまった僕はまたもボッチな学園生活がスタートするのかと戦々恐々だったけど、そこに救いの手を伸ばす女傑が居た。そう、綾子である。さん付けしたら止めてと言われたから呼び捨てにしている。
 彼女は気風の良い性格で、僕の境遇にとやかく言わず、射の練習に手を貸してくれた。彼女は中々に人気者で独り占めには出来なかったけど、運動音痴というスキルが面倒見の良い彼女の気を惹く切っ掛けとなってくれた。
 加えて、彼女は士郎にちょっとした憧れを抱いている。士郎の射があまりにも美しいからスッカリ魅せられてしまったのだ。彼女はしきりに士郎に話し掛けて来て、それに僕も便乗させてもらった。彼女と一緒なら、割りと自然に士郎と一緒にいられる。綾子の士郎に対する思いはあくまで武人としての憧れであるという所が重要。彼女は僕が一緒に居ても全然オーケーと懐の広さを見せてくれた。ここで情欲が絡んでいたら色々と厄介だったけど、実に運が良いというか何というか……。
 いや、もしかしたら、それは僕に対する配慮かもしれない。彼女は豪放に見えて、細かい所もよく見ているから、僕が士郎と一緒に居たがっている事を見抜き、自分の恋心を封じているのかもしれない。総ては僕の空想だけど、そうだとしてもありがたい。正直、最近は士郎に彼女が出来る事を恐れている自分がいる。
 男女の色恋にとやかく言う筋合いが僕には無い事を承知している上で、誰かに士郎を取られる事が嫌で堪らないのだ。それが女であれ、まかりまちがって男であれ、おじさんから継いだ理想であってもだ。何て我儘な奴だろうと自分でも呆れてしまう。たぶん、僕は所謂重い女という奴なんだろう。しかも、一人称が『僕』という痛々しいキャラクター。これで見た目が悪かったらかなり悲惨だ。ありがとう、マイボディー。どうしてこうなったのかは依然としてわからないままだけど……。

「アンタ、これはもう今すぐにでも嫁にいけるね。なんなら私がもらってやろうか?」

 初めてお家にご招待し、御飯を御馳走したらそんな言葉が飛び出して来た。

「へへへ、運動は駄目だけど、家事は昔からこなしてたからねー」

 元男としては複雑な心境だけど、料理を褒められる事は素直に嬉しい。数少ない僕の自信を持てる特技の一つだからだ。普段は二人っきりの食卓だけど、時々大人数の宴会になるからレパトリーがどんどん増えて、今では和洋中なんでもござれだよ。

「見た目も遠坂に匹敵するし、ちょっと衛宮には勿体無いね」
「なんでそこで俺の名前が出て来るんだ?」

 綾子の言葉よりも士郎の言葉にツッコミを入れたくなるのは僕が割りと自分の容姿に自信満々だったりするからだ。だって、元男の僕から見てもかなりの可愛さだ。金髪翠眼で顔立ちも整っているし、眉や髪を確り手入れするだけで化粧要らずな程だ。正直、女子から煙たがられている要素の一つはこの顔だろうとも思ってる。男の頃にイケメン憎しと思っていた僕には彼女達の気持ちが良く分かる。まあ、こういう考え方がバレたら今どころじゃないバッシングの嵐だろうけどね。客観的に聞いてるとどんだけナルシストなんだよ、この高慢ちきって思うもの。
 士郎の言葉にツッコミを入れたくなる理由は単純だ。正直、客観的に僕を見たら、完全に士郎にホの字だと思われても不思議じゃない。士郎といつまでも一緒に居たいと願っている気持ちは本物で、その為にそう見えるように行動して来たからだ。要は他の女が寄り付かないようにアピールしているわけだ。暇さえあれば『しろうしろう』とベッタリしている。正直、士郎がその気になってもおかしくないくらいのアピールをしているつもりだ。僕だったら絶対落ちてる。そういう接し方だからね。
 なのに、士郎は一向に落ちない。いや、落ちられても困るんだけど、その時はその時で覚悟を決める所存なわけで……。

「……この朴念仁めー」
「なんだよいきなり!?」

 頬をつんつんと突く。ここまで反応が薄いとそれなりにショックでもある。女として十年生きたのだ。それなりに女としてのプライド的なものも芽生えている。まだ、大部分は男だと自覚しているけど、それでもこの無反応振りは少々悔しい。
 時々でいいから、もうちょっと僕の行動に思春期らしい素直な反応を見せて欲しい。

「これは苦労するわー」

 綾子が呆れたように言う。

「なんでさ……」

 ここまで鈍いともう少し直接的なアピールが必要かもしれないね。今度から、お風呂場の鍵は開けておこうかな……。

「まあ、ずっと一緒に過ごしてたら仕方ないかもね。私だって、弟と色恋とか絶対無理だし」
「い、いや、僕達は本当の兄弟じゃないし……。っていうか、苗字も別姓のままだし……」

 敵はまさに無敵戦艦。これを攻略するのは至難の業だ。

「くっそー……」

 セイバーさんは第一印象でハートキャッチだし、遠坂さんもとくに接点の無い段階から士郎の方が憧れていた。桜ちゃんはかなり苦労していたけど……、彼女が僕くらいのアピールの仕方をしていたら確実に落ちている気がする。
 士郎は別に性欲が無いわけじゃない。彼の押入れの奥のアヴァロンには中々の逸品が眠っている事を僕は知っているのだ。士郎は僕にバレていないと思っているのか、昔からその場所を秘宝の隠し場所にし続けている。正直、予想外にマニアックな物もあって、ちょっと吃驚しました。机の上に並べなかったのは元男としての武士の情けだ。
 人並みに性欲がある癖に、何故こんなに可愛い子が身近に居て意識せずに居られるんだ。まったく、わけがわからないよ。

「それとも……、胸か?」

 視線を下げる。そこには桜ちゃんのようなダイナマイトは無い。全く無いというわけじゃなくて、単に平均的なだけだ。でも、やはり士郎はダイナマイトの方がいいのかもしれない。僕は胸に貴賎なしと思う派だけど、士郎は大きいことは良い事だ派なのかもしれない。

「えっと……、迷走しないようにね?」

 綾子が心配そうに言う。大丈夫だ、問題ない。ちょっくら、胸が大きくなる体操でも始めようかと思っただけだ。
 と、まあ綾子との付き合いはそんな感じで続いている。僕が士郎に一方的な好意を寄せていると誤解した彼女は僕に色々とアドバイスをくれるようになり、僕も一応実践している。効果はまったく感じられないけど、こういう風な付き合い方は初めてだから、正直凄く楽しい。

「後一年かー」

 そうこうしている内に冬が来た。聖杯戦争は確か冬の事だった筈だから、いよいよ時間が少なくなって来ている。もっかの悩みはどうやって、皆に避難してもらうかだ。士郎には無理矢理頼み込んで、一緒に――やっぱり、海外はハードルが色々高過ぎるので――温泉旅行にでも行ってもらうとして、藤村組の人達や柳洞寺の人達、それにネコさんや綾子をどうやって冬木の外に出すか全くアイディアが湧かない。
 さすがに魔術の話をするわけにもいかないし……。下手な事をしたら魔術協会とやらに目を付けられてしまうかもしれない。魔術を一般の人に話す事はルール違反だからだ。
 
「っていうか、知り合いじゃなくても死ぬ可能性があるって知ってて放っておくってどうなんだろ……」

 正直、罪悪感が物凄い。だって、ここは戦場になるのだ。
 人が死ぬんだ。Fateでは、あまり直接的な描写が控えられていたけど、それでもニュースになるレベルの殺人が行われていた事は確かだ。確か、近所の民家で一家全員が長物で殺害される事件が発生する筈なんだ。
 それ意外にもキャスターが広域に網を張り、人々から魔力……つまり、生命力を奪う。慎二くんもいろんな人を襲う。士郎が助けられた人も居たけど、助けられなかった人も居たはずだ。
 今の慎二くんなら簡単に人を殺したりしない……と思う。そう信じたい。けど、彼がやらなくても、誰かが殺す。

「あはは……、今更何言ってるんだろう」

 それ以前に現在進行形で苦しめられている人達が居る。おじさんと初めて出会った病院で同室だった子供達。彼らは今、新都の教会に居る。そこで……、生きたまま殺され続けている。
 今更過ぎる。見ず知らずの人間を救うくらいなら、それ以前に彼らを救うべきだ。彼らを救わないのに、他を救おうなんて、それこそ――――、

「そうだよ。知ってても、僕に何が出来るっていうんだ……」

 何も出来ないなら何もしない方が良い。大河さんも綾子も大切だけど、どうにもならないなら放っておく。だって、皆を魔術の事を隠して冬木から追い出すなんて真似、僕に出来る筈が無い。
 下手をすれば、不自然さを感じて、士郎がこの街の異変に気付いてしまうかもしれない。そうなったら最後だ。士郎は正義の味方として、この街を出られなくなる。
 一番大切な物は何? それは士郎だ。僕のたった一人の家族だ。他を助けようとして、士郎を助けられなかったら本末転倒だ。
 聖杯戦争が無ければ、士郎はセイバーと出会わない。セイバーと出会わなければ……、あんな戦いを経験しなければ……、もしかしたら、もっと身近な事で理想を追ってくれるかもしれない。例えば、警察官や消防士になって、街の平和を護るんだ。きっと、皆が彼を慕うだろう。間違っても、死刑台になんて送られる事は無いだろう。
 
「……本当に今更だな」

 本当はもっと早くから行動するべきだった。興味本位で魔術なんて習わず、士郎にも習わせなければ良かった。そうすれば、前提条件が覆る。魔術師でない士郎はどうあってもあんな結末には至らない。だって、あれは魔術があるからこその結末だ。

「ちゃんと決断しておかなきゃ……」

 僕が護るのは士郎だけだ。他の人は総て見捨てる。死ぬかもしれないと知ってて、何も教えない。何も策を講じない。

「……は、はは」

 笑ってしまう。なんで、僕がこんな苦しい思いをしないといけないんだろう。だって、僕は何も悪くない。聖杯戦争を作ったのも、聖杯戦争を肯定したのも、聖杯戦争に参加するのも僕じゃない。僕はただ知っているだけだ。

「そうだよ。僕は悪くない。何も悪くないんだ。ただ、士郎を護るだけなんだ。大河さんが死んでも、綾子が死んでも、慎二くんが死んでも、桜ちゃんが死んでも、誰が死んでも、僕は何も悪くない」

 決めたからには士郎を何としても守らなきゃいけない。絶対に聖杯戦争には参加させない。

「……は?」

 それからまた一年、僕の決意を後押ししてくれたのは慎二くんだった。

「だから、これで旅行に行って来いって言ってんの」

 士郎にどう切り出すか悩んでいた僕にとって、正にそれは渡りに船だった。何故なら、聖杯戦争の開始は冬休みと春休みの間。つまり、普通に登校日なのだ。色々とこの日の為に二人っきりの旅行を切り出しても不自然じゃない関係を築こうとしたんだけど、無敵要塞はやはり無敵だった。
 勇気を出して、ラッキースケベ的な展開が起こるように色々と細工をしたのに、その尽くを回避されてしまった。おかしい、セイバーさんとはお風呂場でドッキリを二回も起こしているのに、どうして僕だと起きないんだろう。
 それとなく、可愛い下着を士郎に見えるように置いておいたり、わざとパンツが士郎から見えてしまう体勢をとったりと、正直、やれる事はやったつもりだ。
 結局、今に至って、登校日を休んでまで二人っきりで温泉旅行に行けるような関係にはなれなかった。

「正直、お前らって見てられないんだよ」

 大きな溜息と共に慎二くんが言った。

「衛宮。お前、飯塚の気持ちに未だに気付いてないんだろ?」
「は?」

 ナイス! 思わずガッツポーズを取りそうになった。
 第三者のお節介。本物の恋愛なら確実に悪手だけど、この朴念仁に僕を意識させるにはこれは中々の手だと思う。

「飯塚。お前もハッキリ言ってやれよ。衛宮の事が好きなんだってさ」

 恐らく、これが僕だけの言葉だったら、冗談と思われて終了だった事だろう。
 もはや、ここまで来たらなりふりなど構っていられない。理想を追い掛ける云々に関しては正直止めていいのか未だに迷いがあるけど、聖杯戦争にだけは参加させたくない。
 ここは乗るしかない。慎二くんの投げたパスボールを見事にキャッチしてみせる。
 だ、大丈夫だ。いくら、どんなに展開が上手く転んでも、こんな朴念仁といきなり大人な時間にはならないだろう。一応……、覚悟は決めるけどさ……。

「ぼ、僕は――――」
「あんまりからかうなよ、慎二」

 士郎は呆れたように微笑みながら言う。

「いや、からかってるんじゃなくてだな」
「樹だって、これでも一応女の子なんだ。言っていい事と悪い事がある。変な噂が立って、樹が嫌な思いをする事になったら幾ら俺でも怒るぞ」

 ここは喜んでいいのか悲しんでいいのかどっちだろう。一応という枕詞が気になるけど、ちゃんと女の子として認識されていた事にはホッとした。いや、ホッとするのはおかしいのか? まあ、とりあえず、良しとしておこう。

「し、士郎。僕は別に困らな――――」
「俺は嫌だぞ」
「え?」
「え?」

 僕と慎二くんの声が重なった。
 なんか、一気に奈落の底へ突き落とされた気分。さすがに士郎から僕と恋仲であると噂される事が嫌などと言われるとは想像もしていなかった。
 やばい、足が震える。今にも泣きだしてしまいそうだ。

「ちょ、ちょっと待て、衛宮! お前、それは幾ら何でも――――」
「俺は樹が辛い目に合うなんて絶対に嫌だ。本人が何と言おうとな」

 心臓が拳銃で打ち抜かれた気分だよ。まさかのダウンアッパー。

「……し、心臓に悪い奴だ」
「は?」

 慎二くんは戦慄の表情を浮かべている。

「と、とにかく、飯塚はお前の事が好きだよ。間違いない! なんなら、僕の全財産を賭けてもいい!」
「……慎二。今日のお前、なんかおかしいぞ」

 おかしいのは君の方だと思うんだ、僕。本心はどうあれ、行動は確実に君の事大好き少女だよ。なんで気付いてくれないんだ!

「クッソ! ここまで頭の固い奴とは思わなかった」

 髪をかきあげ、こめかみをピクピクさせる慎二くん。正直、髪をかきあげた状態の彼はかなりのイケメンだ。士郎もかきあげたら……、アーチャーになるね。新事実! 男は髪をかきあげるとイケメン化する。

「いいから、これで旅行に行って来い! もう、兄妹旅行としてでいいから!」
「いや、この日って普通に学校があるだろ? 藤ねえに怒られるに決まってる。それに三週間って長過ぎだろ……」
「いいから行けよ! もう、お金は払ってあるんだ! そ、そうだ! なら、藤村の分も出してやるよ! それで三人で行って来い!」
「もう払った!? いや、ちょっと待てよ慎二! お前、本当にどうしちゃったんだ!? 幾ら何でもおかしいぞ!}

 まあ、確かに長期休暇でも無いのに三週間の旅行はちょっと非常識かもしれない。

「いいから行けよ! 学校の方は僕が何としても黙らせるから行って来い!」
「いや、だから無理だって……。お金は何とか払い戻し出来ないのか?」

 慎二くんは両手で顔を覆い、やり場のない怒りにのたうち回っている。

「お、おい、慎二?」

 士郎の方は慎二くんの奇行に完全にビビっている。

「し、士郎。その……、折角の慎二くんのご厚意なんだし……」
「いや、駄目だろ。幾ら何でも理由も無く三週間の旅行をプレゼントしてもらうわけにはいかない。数万円じゃきかないぞ。それに、学校を休むわけにもいかないだろ」

 言ってる事が正論過ぎて反論出来ない。
 結局、慎二くんの作戦は空振りに終わった。それは僕の作戦も事実上実行不可能である事を意味した。だって、僕の提案も同じ理由で断られてしまうに決っている。多少は譲歩してくれても、長期休暇になってからという風になってしまうだろう……。

「もう……、手段は選んでいられないか……」

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