あとがき

これにて、全話完結となります。
長い間、お付き合い頂き誠にありがとうございました(∩´∀`)∩

さてさて、今作品の最後にして、最大の伏線の話をここで……、

第三十三話「ボーイ・ミーツ・ガール Ⅱ」における無銘の

「……樹。ありがとう」

という台詞が後に無銘が凛に言った「君のおかげでオレの願いは叶った」につながります。

あれは味噌汁の秘訣を教えてくれて……、ではなく、ずっと言ったかった「ありがとう」を言ったというわけです・w・っ

プラス・若干夢のない話になりますが、
最後の樹は第二十七話「ワークス」で樹が士郎に施した『再生の炎――リバース・ファイア――』の残り火的な感じです。

樹の魔術は『ヴァルプルギスの夜』の部分的展開であり、
本体である『この世全ての悪』の悪性の炎と『飯塚樹』を形成する善性の炎を吐き出すというものでした。
傷口の蘇生は樹の一部を吐き出しているので、樹の肉体を蘇生出来たというものです。
なので、実は第二十七話における『再生の炎』は士郎の内部に樹の一部を埋め込んだだけで、治療的な意味では何の意味もありませんでしたヽ(°▽、°)ノ

作中では明かせなかった事なので、ここで失礼致します。

私の過去作など↓サイトにて掲載しております。よろしければどうぞです・w・ン
『霜花の部屋』

エピローグ・とある英雄の回顧録

 ――――あれから、何十回目かの春が来た。最近、体の節々が痛くて、ロクに外も出歩けなくなった。
 
「先生! 弥彦君を見ませんでしたか!?」

 ドタドタと慌ただしく一人の青年が台所に飛び込んで来た。
 未だ、辿りつけぬ味噌汁の極地へ探求を重ねている最中だというのに……。

「いや、見てないな。また、悪戯でもしたのか?」
「それが……、茜ちゃんのスカートを捲って、そのまま逃走したようで……」
「なるほど、茜が暴れているんだな」

 藤村の爺さんに建て直して貰ったばかりの時はあまりの寂しさに涙を流したものだが、あれから数十年が経ち、ここも随分と賑やかになった。
 二十年ほど前まで、私は親友と共に世界中を駆け回っていた。だが、ある紛争地帯で大怪我を負ってしまい、以来、地元に戻って孤児院を経営している。
 幸い、懐事情は親友のおかげで余裕があり、数人のスタッフを雇う事も出来て、それなりに安定している。
 
「どれ、私が行こう」
「すみません、先生」

 しょぼくれている彼とも長い付き合いだ。
 ある魔術師の屋敷から保護した少年だ。どうやら、長い期間、魔術の実験の為に幽閉されていたらしく、最初の頃は言葉を話す事もままならなかった。
 だけど、今では立派に孤児院のスタッフとして働いている。
 子供達の笑顔とスタッフ達の賑やかな声が何とも愛おしい……。

「先生……?」

 おや、どうした事だろう。
 気が付くと、私は倒れたまま、動けなくなってしまった。
 意識が少しずつ遠退いていく……。

「た、大変だ!! い、医者に電話しなきゃ!! 慎二さんにも――――」

 意識が朦朧とする中、私はどこか懐かしい風景に身を置いていた。
 今とは間取りが若干異なる。ここは――――、嘗ての衛宮邸だ。

『――――士郎』

 懐かしい声が聞こえた。
 そんな筈は無いと思いながら、私は声の方に振り返った。
 そこには彼女が居た。
 私が愛した女性。
 私が殺した女性。

「……樹?」
『うわぁ、士郎ってば、すっかりお爺ちゃんだね!』

 樹は私の隣に腰掛けると、ニコニコと笑みを浮かべた。

「……あれから六十年だ。爺にもなるさ」

 これは夢だ。
 樹はあの日、この世から消えてなくなった。
 不意にキッチンを見て、彼女が料理を手に微笑みかけてくれる姿を何度も幻視したけど、それが現実になる事は無かった。当たり前だ……。

「いろいろあったんだ……」

 夢だと分かっていても、嬉しかった。
 また、彼女の声を聞く事が出来て、涙が出る程嬉しかった。

「いろいろ……あったんだよ」
『聞かせて、士郎。君がどんな人生を歩んだのか……、知りたいな』

 肩を寄せてくる樹に年甲斐も無く照れてしまった。

「い、いいぞ。えっと……、どこから話そうかな……」

 私は必死に過去の記憶を遡った。最近、物覚えがとんと悪くなり、昔の事が思い出せなくなる事がしょっちゅうなのだ。 
 私はなんとか思い出した断片的な記憶をポツリポツリと語り始めた。

 最初は……そう、あの運命の夜の話から始めよう。
 樹の消滅後、大聖杯はモードレッドがクラレントで破壊した。
 遠坂達がモードレッドとアストルフォを維持する方法を提案してくれたけど、二人に留まる意思は無かった。
 勿論、モードレッドは慎二との別れを惜しんでいたし、アストルフォも私を気に掛けてくれたけど、最期は静かに光の粒子となって消えた。
 あの頃、私は少し自棄になっていた。イリヤが一緒に住むようになり、慎二や遠坂達が時折、私の様子を見に来てくれたけど、誰に対しても空返事ばかりだった。
 転機が訪れたのはイリヤの命日だった。
 元々、ホムンクルスは短命であり、加えてイリヤは聖杯戦争の為に無理な改造を施されていた為に一年後、息を引き取った。
 
『……ごめんね、シロウ。また、独りぼっちにしちゃって……』

 それが彼女の最期の言葉だった。
 一年間、ずっと一緒に居た筈なのに、私は彼女に何もしてやらず、挙句の果てに謝らせてしまった。
 その後、私は衛宮邸から出て行く事を決めた。とりあえず、世界を見て回ろうと思った。
 いわゆる、自分探しの旅って奴だ。

『僕も付き合ってやるよ』

 旅立ちの日、何故か旅行かばんを担いだ慎二が家の前に居た。

『どうせ、海外に行くなら拠点が必要でしょ?』

 そして、何故か遠坂が空港に居た。
 全力で逃げ出そうとする私と慎二。だけど、赤い悪魔から逃げる事は出来なかった。

 ロンドンで遠坂の手伝いをしながら、時間を見つけて私は慎二と一緒に世界中を見て回った。
 その途中、中東の小さな村で悲劇が起こった。
 その村をテロリストが襲撃したのだ。
 テロ行為を行う為の資金を得るために彼らは村人を殺し、財産を奪った。
 苦痛と嘆きが蔓延するその村で私は必死に救護活動を行った。

『お願い……、アイツ等を殺して……』

 手酷い扱いを受けたらしい少女が涙を浮かべて懇願して来た。
 思えば、その時初めて、私は人間の悪意というものを目の当たりにした。
 あの聖杯戦争の間でさえ感じた事の無い空恐ろしいモノを前に私はたじろぎながら、復讐を望む少女を必死に諭した。
 
 そういう事がやがて日常茶飯事になった。

『――――こうなると思った』

 慎二は呆れたように微笑みながら、私の愚行に付き合い続けてくれた。
 私にはよく分からない株とかいうので儲けた金で活動を援助してくれた。
 何度も紛争地帯に赴いては救援活動を行い続けた。
 その度に何度も死にそうな目に合い、何度も人間の憎悪に触れた。
 
「……嘆き悲しむ人々を見て、何度も『暴力』を振るおうとした。だけど、その度に君の顔が浮かんだ」

 悪人だから、殺しても良い。そんな考えが過る度に樹の顔が浮かび、自分の馬鹿さ加減を呪った。
 誰かの命を奪う選択肢を選びそうになる度、彼女の存在が静止を呼び掛けた。
 魔術を使う事があっても、それは誰かを守る為だけに使った。誰かを攻撃しようとすると、やっぱり樹の顔が浮かんだ。

「それで救えなかった命も数え切れないくらいあった……。でも、そのおかげで救えた命もあった。気がつけば……、知らない人に『君はなんて立派な人間なんだ』なんて、言われるようになった」

 吐き気がする。

「……何が立派なものか。私は……、ただの臆病者だ。ただの馬鹿野郎だ……。君をこの手に掛けておきながら……、まだ、あの頃の理想を引き摺っている……」
『本当だね。士郎は馬鹿だ』
「……ああ、本当に……救えない」
『君が救った人達は君に感謝している筈だよ。だから、見知らぬ人が君を『立派な人』だと言った。ねえ、君の耳は機能してる? ちゃんと、周りの声を聞いてごらんよ!』
「周りの声……?」

 気が付くと、あの村で出会った少女が居た。

『ありがとう……、お兄ちゃん』

 ある紛争地帯で出会った老人が居た。

『ありがとう、坊や』

 テロリストに捕らえられた青年が居た。

『恩に着るよ』

 魔術師の実験体にされていた少年が居た。

『ありがとう、先生!』

 樹は優しく微笑み、私の頭を撫でた。

『皆、君に感謝している。別に感謝して欲しかったわけじゃないと思うけど、感謝してくれている彼らの思いを踏み躙ったら駄目だよ?』
「でも……、私は……」
『士郎。あの時も言った筈だよ。僕は君に感謝している。君と出会った事、君と過ごした日々、あの結末だって、感謝の気持ちでいっぱいさ』
「でも、オレは!」
『士郎……。僕の『ありがとう』って、そんなに無価値だった?』
「え……?」

 悲しそうに樹は周りを視る。
 周りに立つオレが助けた人達も一様に悲しそうな表情を浮かべている。

『みんなの『ありがとう』も無価値だった?』
「ち、違う……。そういう事じゃなくて……」
『みんな、君に感謝してる。僕も君に感謝してる。ねえ……、もう、自分を責めるのは止めようよ』
「オレは……、だって、オレは……」
『君は僕だけの正義の味方じゃなくなったんだ。みんなの正義の味方になったんだよ。最初はおじさんからの受け売りだったかもしれないけど、今は君自身の……正真正銘の正義の味方になったんだ』
「正義の味方に……、オレが……」

 樹は微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。

「ど、どこに行くんだ!?」
『……士郎。もう、大丈夫だよね?』
「樹……?」

 樹が去って行く。

「待って……。待ってくれ……ッ!」

 いつの間にか、辺りは真っ暗になっていた。
 足元が抜けている。足をどんなにバタつかせても、前に進めない。

「待ってくれ、樹!! 待って……、待ってくれよ」

 オレは君に言いたいことがあるんだ。
 ずっと、ずっと言いたかったんだ。

「――――樹、ありが……」

 言い切る前に私の意識は完全に暗闇に呑み込まれてしまった。

 そして、気が付くと私はベッドの上で横になっていた。
 何本もチューブが体に突き刺さっている。

「起きたか、衛宮」

 ベッドの脇には白髪の老人が座っている。
 声を出そうにも、呼吸器が邪魔で喋れない。

「懐かしい夢でも見たか? 涙なんぞ流して、みっともない」

 人を小馬鹿にしたような態度は相変わらずだ。

「もう、お爺ちゃんってば、そういう事言わないの!」

 随分と可愛い声が聞こえた。

「衛宮のお爺ちゃん! 早く、良くなってね! あの鬼婆が元気なくしちゃって困ってるの!」

 今代の遠坂の後継者は実に神経が座っている。
 あの遠坂凛を鬼婆などと呼べる人間はこの世で彼女ただ一人だろう。
 彼女はちょくちょく我が孤児院に逃げ込んで来ては大騒動を巻き起こす。
 
「……衛宮。樹に会えたのか?」

 しばらくして、二人っきりになると、慎二はおだやかな声で問い掛けて来た。
 私が小さく頷くと、慎二は「そうかぁ」としみじみとした声で呟いた。

「どうせ、怒られたんだろ」

 どうして、わかったんだろう。
 不思議そうな顔をする私に慎二は笑った。
 
「分かるさ。儂だって、彼女の親友だったんだぞ? 今のお前さんを見て、彼女が何も言わん筈が無い」

 そうか……、慎二にもそう見えていたんだな……。

「……衛宮。思った以上にお互い長生きしちまったな。孤児院の方は儂に任せておけ。お前はもう……、休んでいいぞ」

 休んでいい……か、そうだな。
 とても気分が穏やかだ。ちょうど、眠くなってきた所だし、お言葉に甘えよう。

「……おや、す……み」
「ああ、おやすみ」

 意識がゆっくりと沈んでいく。
 もう、二度と上がってこれないくらい深い……、深い……、水底へ……――――。

 ああ、彼女に感謝の言葉を伝えたかった……。ただ、それだけが心残りだ。

 ◆◇◆◇◆

 ――――そして、運命は再び巡りあう。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ!! 天秤の守り手よ――――!」

 赤い服を来た少女の前に男は姿を現す。

「まず、初めに確認するが――――、君が私のマスターか?」

最終話「ありがとう」

 干したばかりの布団はいい香りがする。俺は樹と一緒に取り込んだばかりの布団にダイブした。

「おいおい、二人共。折角の日曜日なのに、寝てたらもったいないじゃないか!」

 うとうとし始めた俺達に切嗣は慌てたように言う。今日はこの後、三人で出掛ける予定なのだ。
 渋々起き上がる俺達に切嗣は心底ホッとした表情を浮かべる。それがあまりにもおかしくて、俺達はつい吹き出してしまった。
 まったく、俺達よりもよっぽど子供っぽい性格をしている。

「今日は水族館に行こう! 新都に新しくオープンしたらしいんだ!」
「イッエーイ! 僕、マンタ見たい!」
「樹は渋いなー」

 大はしゃぎの樹に心底嬉しそうな表情を浮かべる切嗣。
 俺までつられて嬉しくなってくる。

「折角のお出かけだし、おめかししていかないといけないね。じゃーん! 二人に新しい洋服を買っておいたんだ!」
「わーい! ありがとう、おっちゃん!」
「おっちゃんは止めて欲しいなー……。僕的には『パパ』っていう方が……」

 おっちゃんと呼びたい樹。
 パパと呼んで欲しい切嗣。
 結局、紆余曲折の後におじさん呼びで落ち着き、俺達は新都に向かった。

「……パパが良かったなー」
「だ、だって、恥ずかしいし……」

 未だにイジケている大きな子供。

「ったく、自重しろよな、爺さん」
「……士郎が虐める」

 小さくなってため息を零す切嗣に俺達はヤレヤレと肩を竦めた。

「あー! 冬木大橋! いつ見ても、でっかいねー!」

 樹は窓の外を食い入るように見つめている。
 俺は何だか見慣れちゃって、あんまり感動しないけど、樹は毎回大興奮だ。
 
「士郎! 楽しみだね、水族館!」
「うん! 俺、早くクラゲが見たいな」
「……一番渋いの士郎だよね、やっぱり」

 なんでさ……。
 水族館に到着すると休日という事もあり人がごった返していた。

「二人共、逸れないように手を繋ごう」
「はーい!」
「おう!」

 切嗣の手を掴んで、俺は樹と目を合わせた。

「いっくぞー、ダッシュ!」
「え? ちょっと、待って!?」 

 ひーこら言う切嗣を連れて、俺達は券売機の下へ走った。

「見て見て! 今日はペンギンのショーがあるみたいだよ!」
「ゼェゼェ……、ほ、本当だ! 見に行こう! 今すぐに! 早く、座りたい!」

 ほんの短距離走っただけで疲れ過ぎだろ。
 まったく、運動が足りてないな。

「あー、あっちで変なの売ってるよ!」
「待って……、お願い! ちょっと、息が整うまで、待って!」

 俺達は何だかどんどん楽しくなって、切嗣をめいいっぱい連れ回した。
 ペンギンの形のソーダアイスを舐めながら、マンタの裏側に絶叫したり、ペンギンショーで笑ったり、のんびり小さな魚の群れと一緒に泳いでいる鮫に和んだり、俺達は楽しい時間を過ごした。
 
「士郎……」

 楽しくて……、楽しくて……、幸せ過ぎて……、俺はそれが許せなくて……、いつの間にか血が出る程強く左腕を握り締めていた。
 樹は悲しそうに俺の手に触れ、ハンカチで傷口を塞いでくれた。
 切嗣は黙って俺の右手を握り締め、樹は左手を握り締めた。
 俺は泣きそうになりながら、二人に挟まれ、一緒に歩いた。

「帰りは歩いて帰ろう」

 途中、切嗣の提案で歌を歌いながら、三人は帰路を歩き続けた。
 夕焼けが沈んでいく光景を橋の上で見て、三人で歓声を上げた。
 
「……樹?」

 その美しさに感動したのか、樹は涙を流していた。

「綺麗だね……」
「ああ」
「また、三人で行こうね、水族館」
「……そうだね。何度だって、行こう。楽しい思い出をいっぱい作ろう」

 幸福過ぎた……。
 こんな毎日がずっと続いていくのだと誤解してしまう程、楽し過ぎた――――……。
 
 ◇

 思い出が罅割れていく。

「……これで、いいんだろ、樹」

 体の震えが止まらない。後悔の波が止め処なく襲って来る。
 
「――――うん。ありがとう、士郎」

 耳元で彼女が囁く。体を貫かれていると言うのに、彼女は心底幸せそうに微笑んだ。
 俺は樹の体にクラレントを突き刺した。
 抵抗らしい抵抗など無かった。降り注ぐ宝具は全て刀剣の類ばかりで、俺の無限の剣製はその尽くをコピーして、撃ち落とした。
 初めは包丁や日本刀ばかりのみすぼらしい荒野だったのに、今は無数の宝具によって煌めいている。

「……僕からのプレゼント、気に入ってもらえた?」
「こんなモノ、どうしろって言うんだよ……」
「君がこれから進む道には必要だと思ってね」

 これから進む道……?

「正義の味方になるんでしょ?」
「……なれるわけ……、無いだろ!! お前を殺して、それでどの面下げて、正義の味方なんて……」

 これは樹が望んだ事だ。争いが嫌いな樹は『この世全ての悪』として、世に災いを招く事を恐れ、俺に自分を殺させようと誘導した。
 その事に俺はアーチャーからの手紙の内容で気づいた。
 気付いてしまった……。

「マスター……」

 ライダーは震えた声で呟く。

「ライダー。いっぱい、迷惑かけちゃって、ごめんね」
「……謝らないでよ。ボク……、君を救えなかった」
「救って貰ったよ。君のおかげで僕は僕として死ねる」

 その言葉にライダーは大粒の涙を零した。

「いつ、き……、俺も……、一緒に……」
「駄目だよ、士郎。君はまだまだ生きなきゃいけない」

 樹の体から光が溢れ始める。セイバーが消えた時のように……。

「それに、僕は別に死ぬ訳じゃない。ただ、在るべき場所に還るだけだよ。だから、どっちにしても、君を連れて行く事は出来ないんだ」

 嫌だ……。

「士郎……、最期に言わせてね。十年間、一緒にいてくれて、ありがとう。『わたし』の今までの時間の中でこの十年は最高に輝いていたよ。とても幸福だったよ」
「……きだ」
「士郎……?」

 涙が溢れてくる。
 俺は徐々に透け始めている樹の体を抱き締めた。

「――――好きだ、樹」

 離れたくない。
 もっと、一緒に居たい。

「好きなんだ、樹の事が……。離れたくない……」
「……だ、駄目」

 樹の声が震えた。

「駄目だよ……、今、そんな事言っちゃ……」

 彼女の瞳からも涙が溢れ出した。

「……あは……はは……、馬鹿だよね、僕。こうなるって、分かってた癖に……」

 樹は言った。

「人の感情が分かるようにしたら……、人と同じ感情を持ってしまう可能性だってあるって、分かってた筈なのに……」

 震えている。

「……士郎。僕も好きだよ。ずっと……、好きだよ」

 俺達は初めて、キスをした。
 涙ですごくしょっぱい……。

「……ありがとう、士郎」
「お礼なんて言うなよ……。俺はお前を……ッ」

 もう、その姿は朧気にしか見えない。
 彼女との思い出が次々に浮かんでくる。
 
「もっと……、一緒に居たかったね」
「……ああ」
「士郎、僕は君と出会えて幸福だった。『この世全ての悪』を君は救ってくれたんだ。自分の存在を『悪』と呪わずに逝ける……。君がこの先、どう生きてるのか、僕はそれを見届ける事は出来ない。だけど、忘れないで――――」

 もはや、ただの光の粒子となった樹が呟く。

「君は僕にとって、間違いなく『正義の味方』だったよ。『わたし』は君にとても感謝している。ありがとう……、士郎」

 それで本当に彼女の姿は消えてしまった。
 立っていられなくなった。
 あまりの喪失感に頭がおかしくなりそうだった。

「ぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 声が枯れるまで叫び続けた。
 涙が枯れるまで泣き続けた。
 俺のたった一人の家族が……、
 俺が愛したヒトが……、
 死んだ。消えてしまった。もう、二度と手の届かない場所にいってしまった。
 
『ありがとう』

 彼女が最期に言い残した言葉が頭の中で反響し続けている。
 もう、彼女の料理は食べられない。
 もう、彼女の声は聞けない。
 もう、彼女と過ごす日々は永遠に戻って来ない――――……。

******
次回、『エピローグ・とある英雄の回顧録』
みなさま、次回で本当に最期となります。ここまで長い間お付き合い頂き、ありがとうございました。

第四十九話「ラスト・ワークス」

 舞い散る紙片が樹を包み込む。樹とセイバーは微動だにせず、受け入れている。
 大丈夫だ。ライダーは必ず救い出せると言った。俺はその言葉を信じる。

「……どうして?」

 ライダーの泣きそうな声が響いた。

「アストルフォ。その宝具では私には届きません」
「な、何でだよ!? どうして、真名を解放しているのに!!」

 どうしたんだ?
 早く、樹を助けてくれよ。
 いい加減、そろそろ藤ねえに会いに行かなきゃいけないし、学校もかなりの期間、サボってしまっている。

「なあ、樹!! 早く、こんな場所から離れよう!! 一緒に帰ろう!!」
「……衛宮士郎。その言葉は間違いです。帰るというなら、既に帰っています。この場所こそ、私の居るべき世界です」
「違う!! そうじゃないだろ!! 俺達の家は――――、あの衛宮邸だけだ!!」

 樹は困ったようにため息を零した。

「私はもう、貴方の知っている『飯塚樹』ではありません。その名前の本来の持ち主は十年前の大火災で既に死亡しています」
「……え?」

 十年前の火災で死亡している……?
 
「ど、どういう事だよ……」
「そのままの意味です。私は彼の魂から記憶を拝借していただけ……、あくまでも、この身は『この世全ての悪―― アンリ・マユ ――』という名の悪神なのです」
「そ、そんな訳無いだろ!! 聖杯戦争が始まったのは、つい数週間前の事じゃないか!! 俺達はそれよりずっと前から――――」
「そう、十年前……、第四次聖杯戦争が終結した日から一緒に過ごしていましたね」

 体が震える。

「私は自らの存在意義を定義する為に『正義の味方』を監視していました。『絶対悪』という概念の具現として、何をすればいいのか、それを対極に位置する『正義の味方』から学ぼうと思ったのです」
「い、言ってる意味が分からないぞ!!」
「……衛宮士郎。貴方は『悪』という存在をどう定義しますか?」
「え?」

 悪の定義。そんなもの――――、

「ひ、人を殺める存在……」
「でも、銀行強盗や殺人鬼を射殺する警察官を悪と断じる事が出来ますか?」
「それは……」
「難しい問題ですよね。善悪などという二極化を行うには、世界は混沌とし過ぎています。だから、私は貴方の存在に感謝しています」
「ど、どういう……」
「貴方はいずれ、人類種が抱く『正義の味方』の概念の体現者となるヒト。即ち、絶対的な正義」

 樹はうっとりとした表情を浮かべて俺を見つめる。
 恋する乙女のような顔で恐ろしい事を口にする。

「貴方のおかげで、『絶対正義の敵対者』という定義付けを行う事が出来ました。貴方を倒す事、それこそが私の存在意義」

 やめてくれよ……。
 どうして、俺とお前が敵対しなければならないんだよ。
 
「……樹」
「私はアンリ・マユです」
「――――なら、俺を殺せば、お前は満足するのか?」
「……その時は別の正義の味方を探します。そして、何度も殺します。『正義の味方の敵対者』として、あまねく『正義の味方』を殺し尽くす。それが私の存在意義」

 脳髄に響く声が徐々に音量を上げていく。

「俺と一緒に居たいって……、そう言ってたじゃないか!! お前が望むなら、俺はいつまでだって一緒に居てやる!! どこにも行かない!! だから――――」
「……貴方が正義の味方としての生き方を止めると言うのなら、私は別の正義の味方を探しに行くだけです」
「本当に……、もう、お前の中に樹は居ないっていうのか!? 俺と一緒に過ごした十年間は――――、全部嘘だったのか!? 全部……、芝居だったっていうのかよ!?」
「芝居ではありません。私自身、この時が来るまで自覚出来ないようになっていました」
「だったら――――」

 その時だった。
 黒炎が大きく震えた。

「衛宮士郎――――、私は既に『この世全ての悪』として覚醒しています。貴方との記憶は今も私の中に存在していますが、既に定義が確立しています」

 同時に樹の瞳が紅く染まっていく。

「死にたくなければ、私を殺しなさい。他の多くの同胞を救いたければ、私を殺しなさい」
「樹……だって、お前はそこに居るんだろ!!」
「私は飯塚樹ではありません。ただ、その人の記憶を借りて、その人の人格を真似ていただけ……」

 黒い炎が樹を中心に渦巻いていく。

「ある少女が未来を識りたいと願い、それを『聖杯―― ワタシ ――』は叶えた。ある少年が生きたいと願い、それを『聖杯―― ワタシ ――』は叶えた。ある男性が愛しい息子の未来を憂い、ある女性が愛しい息子の傍に居てあげたいと願い、『聖杯―― ワタシ ――』は叶えた」

 黒炎はまるで翼のような形になり、樹の体が浮いていく。

「私は未来を全て知っていました。ただし、『私自身』の情報は隠蔽されていたので、『私』が存在しない時間軸の未来ばかりでしたけど……。飯塚樹は生前、ゲームが好きだったみたいで、この世界の『未来』をゲームの内容という形で頭に刷り込まれていました。だけど、私は貴方を聖杯戦争から遠ざけたり、自身が逃げ出そうとしても必ず失敗しました。それは『私』の本体がそれを許さなかったから……」

 波紋が彼女の背後に広がっていく。
 そこから顔を出す無限の宝具――――。

「……衛宮士郎。私の中には多くの人々の想念が渦巻いている。この世界は『彼ら』があの日視た共通景色……。あの黒炎こそ、『彼ら』が通った『大聖杯―― アンリ・マユ ――』へ続く門。あそこから、『本体―― アンリ・マユ ――』は私の中に入り込んできています」

 樹は言った。

「正義の味方なら、選ぶべき選択肢は分かりますね?」

 黒炎の柱が徐々に大きくなっていく。それに呼応するように樹の魔力が膨張し、背後の波紋が大きく広がっていく。

「……ライダー。本当に樹を救う事は出来ないのか?」

 ライダーは答えない。涙を流し、蹲っている。
 樹を殺す。本当にそれしかないのか……?
 なら、アイツの家族として……、正義の味方として……、俺は――――ッ!!

『迷った時は川辺を思い出せ』

 突然、その言葉が脳裏を過った。

「……川辺?」

 あの時は何の事だか、さっぱり分からなかった。
 だけど、今はその意味がハッキリと分かる。

『……えへへ、転んじゃった』

 アレは中学の頃だった。俺は慎二と一緒に新都に出かけていた。その帰り道、傷だらけになっている樹の姿を見つけた。
 何があったのか聞いても、転んじゃったの一点張り……。
 その頃、アイツはクラスメイトから酷い虐めを受けていた。
 それを必死に隠していた。
 いつも平気そうな顔で学校に行き、平気そうな顔で帰って来た。
 だけど、川辺で蹲っていた時……、樹は間違いなく泣いていた――――。

「ライダー……、この固有結界は崩せるか?」
「出来るけど……、まさか!!」

 ライダーは憎悪と憤怒が入り混じった視線を向けてくる。
 
「……他に道は無い」

 俺の言葉にライダーは涙をポロポロと流した。

「嘘だよ……、こんなの……。なんで? どうして、イツキとシロウがこんな……、酷いよ。あんまりだよ……」

 ライダーは泣きながら、知恵の書を地面に置いた。紙片が舞い散る。
 同時に俺はいつまで経っても襲ってこない宝具の群れを見上げながら、祝詞を呟く。
 方法は既に知っている。魔力も遠坂から預かった宝石で事足りる。

“体は剣で出来ている”

 樹は争いが嫌いなんだ。

“血潮は鉄で、心は硝子”

 だから、俺に教えたくなかったんだ。
 俺が知ったら、必ずイジメっ子を痛めつけるとわかっていたから……。

“幾たびの戦場を越えて不敗”

 だから、あの時も――――、
 俺がイジメっ子と大喧嘩していた時、アイツはエアガンと竹刀を振り回して必死に争いを止めようとしていた。
 あの時、結局誰も怪我をしなかった。ただ、竹刀を無抵抗な相手を前に振り回した事で藤ねえの逆鱗に触れてしまったけど、アレはただ暴れていただけじゃなくて、脅威を見せつける事でイジメっ子を退散させようとしただけだった。

“ただ一度の敗走もなく、”

 思わず笑ってしまいそうになる。

“ただ一度の勝利もなし”

 何が、この世全ての悪だ……。
 何が、正義の味方だ……。

“担い手はここに独り、剣の丘で鉄を鍛つ”

 アイツは誰よりも知っていた。

“ならば、我が生涯に 意味は不要ず”

 アイツは誰よりも体現していた。

“この体は、無限の剣で出来ていた”

 俺の理想は目の前にあった。

「……それでいい。さあ、始めましょう」

 これが最後の選択肢だ。
 無限に広がる剣の荒野から俺は――――……。

***************
次回、最終回です(∩´∀`)∩今まで、お付き合いありがとうございました!!

第四十八話「第零話」

 一人の男が楽園を夢見た。争いなど無縁な、誰も苦しまずに済む、平和で穏やかな優しい世界を欲した。
 だけど、私にはその世界の作り方が分からなかった。だから、彼に尋ねた。

『どうやって、作ればいいの?』

 彼は答えなかった。仕方がないから、彼の心に尋ねた。
 すると、ヒトが死に絶える未来が浮かび上がった。
 なるほど、これなら誰も苦しまない。争うべき相手が居なければ、争いなどそもそも発生しないのだから、それはとても平和な世界だろう。
 だけど、その世界を彼自身が否定した。

『だって、それが貴方の望んだ世界でしょ?』
『違う!! こんなモノを望んだわけじゃない!! 僕は……、ただ――――』

 彼は彼自身が下した結論を『悪』と断じた。
 でも、それはおかしい。だって、彼は『正義の味方』なのだ。
 ならば、彼の下した結論は『善』である筈。
 
『分からないわ、切嗣。じゃあ、どうすればいいの?』
『分からない……。分からないから、僕は奇跡に縋ったんだ……』

 彼は善人だ。正義の味方として、正義を為してきた。
 だけど、彼は自らの行いを『悪』と罵った。
 矛盾している。なら、何を持って、『善』とする? 何をもって、『悪』とする?
 
『僕は……、こんなモノを望んでなんていない……』

 結局、彼は『聖杯―― ワタシ ――』を拒絶した。
 善人の行いは全て、善ではないのか?
 悪人の行いは全て、悪ではないのか?
 分からなくなった。そもそも、『善』も『悪』もヒトが作り上げた概念だ。
 知る必要がある。『この世全ての悪―― アンリ・マユ ――』として再誕した私は『悪』という概念を知らねばならない。
 幸い、尋ねる相手には事欠かなかった。 
 燃え盛る炎が次々にこの地の人々を死へ追いやっていく。
 私は彼らを受け入れた。
 子供が居た。老人が居た。男が居た。女が居た。
 善人が居た。悪人が居た。
 私は彼ら一人一人の魂を覗き、広義的な意味での善人と悪人に分けてみた。
 そして、一人一人に尋ねて回った。

『――――貴方の望みは?』

 死の瞬間こそ、ヒトは真の正直者となる筈。
 彼らが死に際に抱いた願いこそ、『善』と『悪』を秤る試金石となるだろう。

『――――オレのダチは大丈夫なのか!? 頼む、アイツを救ってやってくれ!!』

 暴走族という、広義において悪とされる男は他者の救済を願った。

『――――嫌よ!! どうして、私がこんな目に合うの!? ずっと、良い子にしてたじゃない!! 皆はどうして生きてるの!? 皆も殺してよ!! こんなの、不公平だわ!!』

 気立ての良い女の子という、広義において善とされる少女は他者を道連れにしたいと願った。
 余計に分からなくなった。他者を救済したいと願う事は善では無かったか? 他者を道連れにしたいと願う事は悪では無かったか?
 数百に上る人間の願いを聞いた結果がコレだ。
 矛盾している。一方から見れば悪でも、他方から見れば善の場合があり、他方から見れば悪でも、一方から見れば善の場合もある。そうした矛盾が世界には蔓延している。
 完全無欠の善など無く、完全無欠の悪など無い。
 それでは、『この世全ての悪』たる私は一体、何をどうしたらいい?
 絶対悪などという概念はその実、何よりもあやふやだ。中身が無い。
 
『もっと……、人間を知らなければならない。彼をもっと知らなければならない』

 絶対悪たる私の対極に存在する存在。正義の味方をもっとよく知る必要がある。
 私は一体の人形を作り上げた。ヒトという種を理解する為に彼らの想念を紡ぎ創り出した私の分身だ。
 
『肉体は……、うん! 可愛い方がいいわね』

 私は記録にある二人の少女の姿を思い浮かべながら、肉体を作り上げた。
 一人は金髪碧眼の凛々しい騎士様。
 一人は愛らしい妖精さん。
 二人の記録は『私』の大切な宝物。

『紡ぐ想念は――――、やっぱり、広義的な意味で善なる願いを抱いた人々から……』

 正義の味方を識る為につくり上げるのだから、『悪』の要素は要らないだろう。
 未来を知りたいと願った少女。もっと、生きたいと願った少年。愛する息子の将来を憂いた男性。愛する我が子の傍に居てあげたいと願う女性。
 幾人かの広義的な意味での善なる魂が抱いた想念を紡いでいき、『私』に定着させる事で一つの『魂』を偽装する。

『後は……、正体が『私』だと知られる事はマイナスよね……。切嗣が相手だとバレちゃうかもしれないし……。よーし、誰かの魂の記憶を基盤に……っと、うん! 彼にしましょう』

 生きたいと願った少年が居た。どうせなら、その願いを叶えてあげよう。

『今、会いに行くからね? 切嗣……』

第四十七話「最後の戦い」

 ――――今宵、天上から月は完全にその姿を消している。
 狂気の源とされる月の消失によって今、一人の騎士が理性を取り戻す。
 晴れ渡った夜空を見上げ、騎士は過去を振り返る。主と共に空を翔け、空と宇宙の境界から眺めた『この惑星』の姿。
 彼女は地球を美しいと言った。ずっと、ここに居たいと言った。

「――――イツキ。ボクは必ず、君を取り戻すぞ」

 幸福を願い、努力を重ねた彼女には不幸な結末など似合わない。
 男として、騎士として、英雄として、サーヴァントとして、必ず彼女を救い出す。
 ライダーは決意を胸に近づいて来る円蔵山に視線を向けた。

「これは――――」

 シロウの声に緊張が混じる。
 嘗て、この山の地下洞窟に潜り込んだ時、僕達は生々しい生命の息吹を感じた。
 今や、円蔵山全体にその気配が充満している。
 まるで、山そのものが一個の生き物のようだ……。

「……行こう」

 理性を取り戻した時、同時に恐怖の感情が呼び起こされた。
 一歩進む度に悪寒が走り、息苦しいまでの圧迫感を覚える。
 
「魔力の密度が果てしなく濃くなっている。全員、警戒して下さい! ここから先、何が起きても不思議ではありません!」

 バゼットの言葉に一同が頷く。
 準備は整えて来た。だけど、不安が過る。
 
「……シロウ。必ず、取り戻そうね」
「ああ……」

 シロウはポケットから赤いペンダントを取り出した。
 リンから渡されたモノだ。この山全体を覆う強大なマナと比べれば微々たるものだけど、それでも並々ならぬ魔力が宿っている。
 
「アーチャーは……、この事を知っていたのかな?」

 シロウは呟いた。

「記憶を視たんじゃないの?」

 リンがシロウに渡したモノはペンダントだけじゃない。彼女が共に戦場を潜り抜けた相棒の記憶。その断片をシロウに視せた。
 アーチャーのサーヴァント。真名は『無銘』。しかして、その正体は正義の体現者と呼ばれるまでに上り詰めた『エミヤ シロウ』。
 彼の正体を知った時、色々と合点がいった。
 シロウの投影魔術を指南したり、イツキの料理を絶賛したり、今にして思うと、彼は確かにシロウだった。

「遠坂が持っていた記憶は奴の英霊としての記憶ばかりだった。生前の記憶は殆ど……。アーチャー自身も消滅する寸前に記憶が蘇ったみたいだ」

 アーチャーがシロウの未来だとしたら、何故、彼は料理の技術を身に付けていたのだろう?
 だって、イツキが傍に居たら、ずっと、彼の為に料理を作り続けていた筈だ。

「……シロウ。ボク達は絶対、救い出せるよね?」
「ああ……、絶対に救い出すんだ」

 少しずつ石階段を上がっていく。
 守りたい。幸せになって欲しい。
 彼女を失う可能性など、欠片も考えたくない。

「……イツキ」

 思い返せば、たった数日の事。
 なのに、思い出が溢れかえっている。
 一緒に遊覧飛行に出掛けたり、一緒にショッピングをしたり、一緒に馬鹿な事をしたり……。
 彼女が作る料理にはいつも愛情が篭っていた。

「シロウ……。ちゃんと、愛してあげてね?」

 仮に救い出せたとしても、ボクは一緒に居られない。
 だから、彼に託しておく。

「誰よりも幸せにしてあげてね?」
「――――うん」

 良かった……。
 
「――――あ」

 何の前触れも無く、ボク達は突然、異界へ足を踏み入れた。
 見覚えのある光景。
 遥か彼方に黒い炎の柱が見える。

「これが――――、『死者を囲う円冠―― ヴァルプルギスの夜 ――』」

 リンの慄くような声と共に目の前に彼らは現れた。

「バ、バーサーカー!?」
「ランサー!?」
「アーチャー……」

 サーヴァントを失った三者が叫ぶ。
 彼らの眼前に失った筈のサーヴァントの姿があった。
 皆、一様に黒く染め上げられている。
 
「――――他にもぞろぞろと湧いてきたぞ」

 気がつけば、そこにはキャスターの姿があった。
 無数のビースト共が居た。
 
「おい、どうするんだ?」

 アヴェンジャーが誰ともなく問いを投げ掛ける。

「決まってるだろ!」

 応えたのはシンジだった。彼はボク達に向かって言った。

「行け、衛宮! ヒポグリフなら、ここを飛び越えて飯塚の所まで行ける筈だ! 僕達がこいつらを引き付ける!」
「慎二……、頼む!」

 アヴェンジャーは慎二の言葉と同時にサーヴァントの群れに飛び込んで行った。
 同時にボク達もヒポグリフの背に跨る。

「……ありがとう、シンジ!」

 ヒポグリフを一瞬の内に黒炎の柱へ辿り着く。
 そこには無数のビーストが折り重なり、山を作り上げていた。
 あの奥にイツキが居る。

「イツキ!」

 ボクは一旦、ヒポグリフに上昇を命じ、高度を上げた所で飛び降りた。
 腰に備えた宝具を手に取る。
 知恵の書と共にロジェスティラから貰った魔法の角笛だ。
 息を大きく吸い込む。同時に角笛は一気にボクを囲う程の大きさに膨張した。

 喰らえ、『恐慌呼び起こせし魔笛―― ラ・ブラック・ルナ ――』――――ッ!!

 瞬間、大地に向かって、魔音が鳴り響いた。
 それは、龍の咆哮であり、巨鳥の雄たけびであり、神馬の嘶き――――。
 山程のビーストの大軍が音波によって尽く粉砕されていく。
 魔音によって拓けた大地にボクが降り立つと、同時にヒポグリフも降下して来た。
 そして、ボク達の目の前には彼女達の姿があった。

「樹……、それに、セイバー」

 イツキだけではなかった。
 そこには黒く染まったセイバーの姿もあった。
 
「ようこそ、衛宮士郎。そして、アストルフォ。待っていましたよ」

 穏やかに微笑み、彼女は言った。

「さあ、始めましょう。絶対正義と絶対悪の戦いを――――」

 瞬間、ボクは知恵の書を開いた。
 今なら、その真名が分かる。
 真の力を引き出す事が出来る。

「『破却宣言―― キャッサー・デ・ロジェスティラ ――』――――ッ!! さあ、知恵の書よ!! 我が主を救う方法をボクに示せ!!」

 紙片が舞う。そして――――……、

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 無限に増殖を続けるビーストと一騎当千のサーヴァント達を前にアヴェンジャーは哄笑する。

「――――さあ、これが正真正銘、最後の戦いだ。聞け!! この領域に集う、一騎当千、万夫不当を騙る雑魚共!! テメェ等全員、まとめてオレが相手になってやる!! かかって来い!!」

 一閃。迸る赤雷が走り、同時に無限の半分が消滅した。
 今の彼女には無限に抗うべく、無尽の魔力が流れ込んでいる。
 それが遠坂凜の用意した秘策の一つ。
 始まりの御三家の知識を総動員して創り上げた反則技。
 遠坂、間桐、アインツベルンの三家に属する少女達の全魔力が今、一騎のサーヴァントに注ぎ込まれている。
 
「行かせるか――――、『麗しき父への叛逆―― クラレント・ブラッドアーサー ――』ッ!!」

 アヴェンジャー達を無視して、ライダー達の下に向かおうとするサーヴァント達の前に巨大な溝を作り上げる。
 莫大な魔力が動員された事でアヴェンジャーのステータスは軒並み上昇している。
 そこに――――、

「令呪を持って、命じる!! モードレッド!! 絶対にこいつらに衛宮達の邪魔をさせるな!!」
「応よ!!」

 令呪によるブーストが重なり、そのステータスは一時的にサーヴァントとしての最高値すら上回る。

「ッハァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 アヴェンジャーと慎二にとっても、これは最後の瞬間だ。
 如何なるカタチに終わろうと、彼らにもまた、別れが訪れる。
 ここに来る前に言葉を語り尽くした。身に互いを刻み込んだ。
 それでも、流れ落ちるものは止められなかった。

「行け、モードレッド!」
「ォォオオオオオオオオ!!」

 彼らだけでは無い。
 遠坂凛は宝石を投げながら――――、
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは髪をゴーレムに転じながら――――、
 バゼット・フラガ・マクレミッツは自らの拳足を振るいながら――――、
 最後の時を感じている。長きに渡った戦いの終わりが今、迫っている。

第四十六話「問」

 誰も何も喋らない。倉庫街で起きた一連の出来事を私達は慎二の口から聞いた。
 セイバーが脱落し、飯塚さんが……、

「――――『この世全ての悪―― アンリ・マユ ――』。確かに、飯塚さんはそう言ったのね?」
「ああ……」

 慎二は項垂れながら応えた。
 親しくしていた友人の正体がよりにもよって、災厄の魔王だったなんて、悪い冗談にも程がある。
 それでも、衛宮君やライダーよりはずっとマシだ。あの二人は帰って来てから一言も喋らず、頭を抱えて蹲っている。

「……はぁ」

 私はイリヤとバゼットに合図を送り、慎二達を部屋に残して廊下に出た。
 今、事態を冷静に俯瞰し、分析する事が出来るのは私達だけだ。
 もっとも、イリヤも冷静では無い。飯塚さんの話を聞いてから、明らかに顔色が悪くなっている。

「――――とりあえず、疑問を一つ一つ検証し、解消していきましょう」

 バゼットが言った。

「まず、ミス・イイヅカの正体についてですが――――」
「それは語るまでも無い事よ。恐らく、イツキの言葉は真実。彼女の正体はアンリ・マユ……、より正確に言うなら、アンリ・マユが人類種の観察の為に設けた触覚だった」

 断言するイリヤにバゼットは眉を潜めた。

「何故、そう言い切れるのですか?」
「それ以外にあり得ないからよ」

 イリヤは言った。

「忘れたのかしら? 彼女は以前、キャスターとの戦いでヘラクレスを自らの肉体に憑依させた。それが如何にあり得ない所業か、既に話し合った筈よ」

 そうだった……。
 私達はあの時の事に対して、明確な答えを見つけ出す事が出来ないままだった。

「だけど、彼女の正体がアンリ・マユなら、全ての疑問に片が付く。違うかしら?」

 何故、彼女はヘラクレスの魂を持って来る事が出来たのか? 
 何故、彼女はヘラクレスを憑依させる事が出来たのか?
 答えは簡単、――――『アンリ・マユ』だからだ。

「……では、彼女をアンリ・マユと仮定して話を進めるとしましょう。疑問はまだまだあります。例えば、どうして彼女は彼らを生かして帰したのでしょうか? ライダーなどは腹部を刺し貫かれたというのに、ただ、『契約が解除された』だけでダメージ自体は少ない」

 バゼットがこの期に及んで、『仮定』などという単語を使った理由はソコにある。
 慎二の話を聞く限り、彼女はあの場で彼らを皆殺しにする事が出来た筈だ。
 アヴェンジャーは全ての力を使い果たしていたし、ライダーも殺そうと思えば殺せた状況だ。
 にも関わらず、彼女は慎二達を逃した。

「そこよ」

 イリヤは言った。

「それこそが私達の話し合うべき内容。どうして、あの子はライダーを殺すのではなく、契約の解除を行ったのか? どうして、あの子はシロウ達を見逃したのか? どうして、あの子はシロウに大聖杯の前で待つなどと言ったのか?」

 イリヤの表情が微かに熱を帯びている。
 飯塚さんの取った不可解な行動の中に希望を見出す事が出来る筈だと、彼女は信じているのだろう。

「……イリヤ」

 結局、夜が明けるまで続いた話し合いが実を結ぶことは無かった。当たり前だ。出すべき結論は出ており、答えなど本人に尋ねるしか無い疑問について、延々と話し合っていたのだから……。
 彼女はアンリ・マユであり、本体の現界こそが己の役割の一つだと言っていた。
 本来なら、話し合っている暇など無い。なのに、無駄な時間を費やしてしまった訳は……、

「――――ハァ、だって仕方ないじゃない」

 絆されたつもりは無いけど、彼女が作ってくれた料理はとても温かみがあって、美味しかった。何年も誰かの為を思って作り続けていた味だった。
 アーチャーが死後も望み続けていた味。

「すんなり、彼女を倒すべき敵だなんて、割り切れたら苦労しないわよ」

 彼女は常に善良だった。私は一度、彼女を見殺しにしようとしたのに、彼女は私の妹を救うために立ち上がってくれた。

「だが、あまり時間がありません」

 バゼットは言った。
 分かっている。アンリ・マユ本体の現界がいつになるか、正確な事は分からない。だけど、あまり時間は残されていない筈だ。少なくとも、今夜中には決着をつけなければならない。その果てにどのような結末が待っていようと……。
 私は憂鬱な気持ちで衛宮君達の下に戻った。彼らは未だに沈んでいる。
 当たり前だ。たった数日一緒に居ただけの私でさえ、殺さないで済む方法を必死に模索しようとしている。あの子とずっと一緒に居た彼らが今、どんな気持ちで居るのか、想像もつかない。
 だけど、時間は待ってくれないのも事実。

「……衛宮君」

 私は蹲る彼の前で揺らぎそうになる心を叱咤し、声を掛けた。

「貴方が決めなさい」

 そんな、無責任極まりない言葉を吐いた。

「――――俺が?」

 その顔は恐怖に歪んでいた。

「飯塚さんの正体がアンリ・マユである以上、私達は彼女を討伐しなければならない。さもなければ、彼女はアンリ・マユの本体を現界させ、今度こそ、世界を滅ぼしてしまう……」
「い、樹は……、そんな事しない」
「飯塚さんならね。けど、今の彼女はアンリ・マユ。甘い考えは捨てなさい」
「で、でも、アイツは俺達を見逃したんだ! きっと、アイツの中にはまだ――――」

 彼もまた、イリヤと同じ希望を抱いている。あるかどうかもわからない微かな希望の光を幻視している。

「……貴方がそう思うなら、それでいいわ。けど、何れにしても、今夜中には彼女の待つ大聖杯の下へ行かなければならない。彼女を止めるにしても、救うにしても、倒すにしても……、タイムリミットはそれまでよ。それまでにすべての可能性を良く考えなさい。そして、結論を出すのよ」

 震えている。まるで、幼子のように……。

「私やバゼットは既にサーヴァントを失っている。彼女を止められるとしたら、それは貴方や慎二だけよ。決定を慎二に委ねるなら、それでも構わない。貴方が何を選択しても、私達は誰も責めないわ。それだけは覚えておいてちょうだい」

 好き放題言って、私は彼から離れた。

 ◆◇◆

 遠坂の言葉が頭の中で木霊している。
 樹を討伐しなければ、世界が滅ぶ。だから、決断しなければならない。

「どうしてだよ……」

 どうして、樹なんだよ……。
 目を瞑れば、彼女との思い出が湯水の如く湧き出てくる。
 病院で初めて出会った日から、今に至るまで、思い出の数はそれこそ星の数程もある。
 その中で彼女が殺されなければならないような罪を犯した事など一つも無い。苦しまなければならない理由など一つも無い。
 運動音痴で、ちょっと馬鹿で、だけど、すごく優しくて、料理が上手で、いつも俺を思ってくれていて……、そんな樹を殺せだと?

「巫山戯るなよ……」

 頭を掻き毟る。囁いてくるのだ。俺の中で誰かが呟くのだ。

『喜べよ。正義の味方には倒すべき悪が必要だ。この世全ての悪など、正義の味方が打ち倒す相手として実に相応しいじゃないか!』

 吐き気がする。
 こんなものが正義だと?
 冗談じゃない。樹を殺す事が正義なのだとしたら、そんなもの――――、

「シロウ」

 涙でぼやけた視界の向こうでライダーが微笑む。

「君はどうしたいの?」
「俺は……、樹を殺したくない。だけど、殺さなきゃ……世界が――――」
「シロウ。ボクの質問にちゃんと答えてよ。ボクは君に君自身がどうしたいと思っているのかを聞いてるんだよ?」

 俺自身がどうしたいのか?
 そんなの語るまでも無いだろ。

「取り戻したい……。決まってるだろ! 樹を取り戻したい!」
「うん。それでこそ、シロウだ!」

 ライダーは俺の目元を拭った。明瞭になった視界に彼女の顔が映り込む。

「シロウ。ボクと契約して欲しい」
「ライダー……?」
「一緒にマスターを助けよう」
「出来るのか……?」
「出来るよ。ボクにはコレがある」

 そう言って、ライダーが掲げた物は一冊の本だった。

「えっと……、『魔術万能攻略書―― ルナ・ブレイクマニュアル ――』だったっけ?」
「これはボクがロジェスティラから貰った『知恵の書』さ。今夜は新月……。一夜限り、ボクは蒸発した理性を取り戻す事が出来るんだ。その時、ボクはこの知恵の書の真名を思い出す事が出来る。この『あらゆる魔術の秘密が記された本』の真の力を使えば、きっと、マスターを救い出す事が出来る筈だよ!」
「本当に……、樹を?」
「勿論さ! だから、シロウ!」

 曖昧だった希望の灯火が一気に燃え上がった。

「――――ああ、契約する。ライダー! 俺と一緒に樹を取り戻そう!」
「了解だ! 共にマスターを救おう、シロウ!」

 失われた筈の令呪が再び光を取り戻す。

「……衛宮。忘れてないと思うけど、当然、僕も一緒に行くぜ?」

 慎二が言った。

「ッハ、救えるかもしれないと思ったらいきなり立ち直りやがって、現金なマスター殿だぜ」

 アヴェンジャーはおかしそうに笑いながら言った。

「――――シンジの意思はオレの意思だ。勿論、オレも同行してやる」

 その言葉と共に扉がバンッと開いた。
 遠坂が喜色を浮かべて入ってくる。

「ったく、そういう事はもっと早く言って欲しいものね。なら、さっさと準備を始めるわよ!」
「準備……?」
「ええ、救うにしても、戦いは避けられないでしょうからね。万全の準備を整えるわよ!」

 ライダーが齎した希望によって、事態は一気に良い流れで動き出した。

「……必ず、取り戻してやるからな、樹」

 ◆◇◆◇◆◇◆

 大聖杯の前に一人の男が現れた。

「――――言峰綺礼。今更、何をしに来たのですか?」

 樹が問う。

「永きに渡る疑問の答えを得るために来た」
「私に答えられる事なら答えましょう。彼が来るまで、どうせ暇でしょうからね」
「……っふふ、まるで人間のような物言いだな、アンリ・マユよ」
「知っていたのですね」
「当然だ。ギルガメッシュの慧眼から逃れる事は誰にも出来ない。神であっても……」
「それで、私に聞きたい事とは?」

 綺礼は表情を引き締めた。
 けれど、恋い焦がれた瞬間の訪れに彼の瞳を歓喜の色を浮かべている。

「――――私は生まれつき、人並みに物事を愛する事が出来なかった。生まれた時から致命的なまでに道徳が欠如していたのだ」
「知っています」

 樹の返答に綺礼は微笑んだ。

「どうせ暇なのだろう? ならば、年寄りの与太話くらい聞いてやれ」

 そう言って、綺礼は話を続けた。

「私にも物事を愛する事自体は出来た。ただ、その基準が他の者とは違っていた。若い頃はその間違いが許せなかった。だが、今は考えを改めたのだ」

 綺礼は言った。

「お前は存在自体が『悪』だ。なにしろ、そのように創られたのだからな。人々が望み、創り上げた『純粋悪』よ、お前ならば答えられる筈だ。いや、お前にしか答えられない」

 綺礼は問う。

「答えてくれ、アンリ・マユ。生まれながらにして持ち得ぬもの。初めからこの世に望まれなかったもの。それが誕生する意味、価値の無いモノが存在する価値を教えてくれ」

 その言葉には積年の思いが詰まっていた。

「お前は自らの存在を……、行動を『悪し』と嘆くか? それとも、『善し』と笑うか?」

 その言葉にアンリ・マユは嗤った。

「――――そのような問い、語るまでも無いでしょう」

 その呟きと共に綺礼の胸から闇が広がった。

「これは――――ッ」
「哀れな魂よ、我が内で安らぎを得るといい」

 綺礼は闇の中に沈んでいく。

「ま、待て! 答えを! 答えを教えてくれ!」

 必死に藻掻きながら、綺礼は叫ぶ。
 アンリ・マユは言った。

「決まってるじゃないですか……。私は『 』ですよ」

 その言葉は果たして綺礼の耳に届いたのだろうか……。
 既に彼の肉体は消え失せていた。まるで、初めからそこに存在などしていなかったかのように――――。

第四十五話「ヴァルプルギスの夜」

 ヒポグリフが地面に降り立つと同時に間桐慎二は駆け出していた。

「モードレッド!」

 赤く燃える大地を踏みしめ、自らの相棒の下へひた走る。
 彼女は何かを抱くような姿勢で固まっていた。
 慎二は何も言わずに彼女を抱き締めた。

「……シンジ」

 彼女の声は酷く弱々しいものだった。
 今、ここに居るのは王位を簒奪するべく、国に反旗を翻した大罪人では無い。
 ただ、愛する者を失い、悲嘆に暮れる少女が一人。

「モードレッド……」

 モードレッドは涙を流した。声を大にして泣き喚いている。
 その声を聞いている内に慎二は不思議な光景を幻視した。

 一人の幼い少女の姿。独りぼっちで、彼女はいつも泣いていた。
 アーサー王は決して彼女を冷遇などしていなかった。あらゆる暴力から彼女を庇護し、彼女が望む物を全て与えた。けれど、彼女の孤独は癒えなかった。彼女が何より欲した『愛情』だけはアーサー王も……、他の誰も彼女に与えてくれなかった。
 いつかの夜、彼女は言った。

『オレとお前は似ている』

 少しだけ、彼女の言った言葉の意味が分かった気がする。
 共に孤独感を抱いていた。幸い、慎二には掛け替えの無い友が二人居た。けれど、彼らにも話せない秘密を抱いていた事でどこか距離を感じていた。
 結局、彼もまた、全てを自分だけで抱え込んでいたのだ。そして、流されるままに罪に手を染めた。
 二人の生き様はとても似通っていた。だからこそ、彼は彼女を喚び、彼女は彼に応えたのだろう。

 今、少年と少女はまだ幼かった頃に戻っている。
 情けは人の為ならず。
 彼女が王位を目指したのは父を王位という呪縛から解き放ちたかったから。
 彼が聖杯戦争に参加したのは妹を呪われた運命から解き放ちたかったから。
 けれど、心の奥底では……、

「……オレはただ、愛して欲しかった」
「……僕は誰かに自分の存在を認めて欲しかった」

 オレを見て欲しかった。
 僕を見て欲しかった。
 始まり、そうした単純な願いだった。
 
「シンジ……」
「モードレッド……」

 二人は自然と顔を寄せ合い、口づけを交わした。
 誰よりも愛を欲した二人は今、嘗て無い引力を互いに感じ合っていた。

 ◇

 衛宮士郎は失われた令呪が宿っていた手の甲を見つめていた。
 あの戦いの最中、セイバーは彼とのラインを閉じていた。勝負に公正さを求めたのか、一切の魔力供給を受け付けず、残存魔力のみで戦っていた。
 彼女が何を思い、息子であるモードレッドと戦っていたのか、正確な事は分からない。けれど、一つだけ確信している。
 彼女は満足して逝った。彼女との繋がりが切れる最後の瞬間、耳では無い別の感覚器官が彼女の声を聞いた。

『――――ありがとう、約束を守ってくれて』

 彼女の声はとても満ち足りていた。
 抱き合う慎二とモードレッドを眺め、士郎は小さく微笑む。

「……親子になれたんだな、セイバー」

 彼女と過ごした日々を思い出す。喧嘩をした事もあったけど、いつも自分達を導いてくれた彼女との時間はとても楽しく、尊いものだった。
 だから、士郎は虚空に向けて感謝の言葉を口にした。

「こっちこそ、ありがとう、セイバー」

 荒野と化した倉庫街。海から吹き込んでくる風は凍て付く寒さだ。
 
「……そろそろ、帰ろうか」

 コレ以上、ここに長居をしていても仕方がない。なにより、体調の優れない樹が心配だ。そう考え、振り向いた瞬間、士郎は目を大きく見開いた。
 あり得ない光景が広がっていた。

「いつ……、き?」

 全身を刺青によって覆われているが、その装い、その顔は確かに樹のソレだった。
 彼女は――――、ライダーの腹部を手刀で刺し貫いていた。

「――――ぁガ」

 手刀が引き抜かれると、ライダーはその場で倒れ伏した。

「い、樹、お前、何をして――――ッ」
「今、漸く阻害因子の吸収に成功」
「阻害因子……? 樹、お前、何を言ってるんだ!?」

 駆け寄ろうとする士郎をライダーが体当たりで吹き飛ばした。

「うわぁぁぁ」

 遠慮の無い猛烈な一撃に士郎は慎二達の下まで吹き飛ばされてしまった。

「え、衛宮!?」
「な、なんだ……、アレは!?」

 慎二とモードレッドも漸く事態に気付き、体を離す。
 そんな彼らの下にヒポグリフが主を抱えて近づいて来た。
 その瞳は凶暴な光を浮かべ、樹を睨みつけている。

「ラ、ライダー! 大丈夫なのか!?」
「……くぅ、急所は外れてるけど……、痛いよ」

 腹部に大穴を穿たれ、ライダーは苦痛に顔を歪めている。
 
「おい、樹! いきなり、どうしたっていうんだ!?」

 士郎の言葉に樹は反応を示した。

「本来ならば、とうの昔にプロセスは完了していました。しかし、ヘラクレスが門の拡張を阻害していた為に大幅に完成が遅れていた。ですが、漸く、完成に至った」
「何を言ってるんだよ……。サッパリ言ってる意味がわからないぞ!」
「難しい事は言っていませんよ。ただ、目的を達成したと言っただけです」
「目的……?」

 恐ろしい。コレ以上、何も聞いてはいけないと本能が警鐘を鳴らしている。
 コレ以上踏み込めば、今までの全てが崩壊してしまう。
 そんな予感がする。

「私の役割は人類種の観察、並びに『本体』の行動原理の設定と現界の準備でした」
「い、意味の分からない事を言うな! ほら、帰るぞ、樹!」
「帰る必要はありません。これより、本体の現界プロセスを開始します」
「本体って、何の事を言ってるんだよ!?」
「――――『この世全ての悪』です」
「アンリ・マユ……、だと?」

 モードレッドは唖然とした表情でつぶやく。

「お、おい、どういう事だよ」

 慎二もまた、わけが分からず困惑している。
 
「マ、マスター……?」

 ライダーは今にも泣き出しそうな顔で自らの主を見つめている。

「何を言ってるんだ、樹! アンリ・マユが本体って、お前は人間だろ! 飯塚樹っていう、俺のたった一人のかぞ――――」
「『飯塚樹』は人類種の観察をより円滑に進める為の仮想人格です。より正確に言えば、本体に生じたバグの修正に必要な情報を得る為、バグの要因となった『衛宮切嗣』の観察、及び、『衛宮切嗣』を継いだ『衛宮士郎』の観察が主目的でした」
「冗談は止せよ……」
「衛宮士郎、感謝します。貴方のおかげで解答を得る事が出来ました」

 膨れ上がる魔力。同時に士郎の瞳はあり得ないものを視た。
 それはサーヴァントのステータスを看破する透視能力が描く映像。
 そこに樹の情報が現れた。

「……嘘だ」

 そこには確かに樹の姿があり、真名が記される欄には飯塚樹の名ではなく――――、『この世全ての悪―― アンリ・マユ ――』の名があった。
 
「なんだよ……、それ。だって、まだ答えてないじゃないか! 俺はお前にまだ――――」
「いいえ、十分な解答を頂きました。故に、私は――――」

 樹の瞳が炎のように紅く染まる。無尽の魔力が彼女の身から吹き出し、まるで、いつぞやに通った大空洞を思い出させた。
 暗黒の烈風に煽られ、瞬きをした瞬間、世界は一変した。
 そこは暗黒の炎が天を焼く無限の荒野。無数の黒い怪物達が怨嗟と憎悪の協奏曲を奏で、踊り狂っている。

「ここは――――ッ!?」
「固有結界……」

 モードレッドは周囲の異常を誰よりも敏感に感じ取り、その正体を見破った。
 
「――――少し違いますが、その認識で構いません。ここは『私』と『本体』を繋ぐ第五の門、『死者を囲う円冠―― ヴァルプルギスの夜 ――』」

 それは古代スカンディナヴィアの人々の間で伝わったと言われる風習。
 オーディンがルーンを会得する為に死者の国へ赴いた事に端を発するものであり、その夜は生者と死者の境界が弱まるとされている。
 
「……嘘だろ。ここに居る連中、全部がサーヴァントだ!」

 慎二が恐怖の叫びを上げる。
 士郎の『眼』にも彼らの情報が浮かんでいる。
 全てが等しく『ビースト』というクラスのサーヴァントだった。いずれもステータスは最低ランクだが、その夥しい数はそれだけで猛威だ。
 
「ヒポグリフ!」

 ライダーは士郎と慎二を掴むと、ヒポグリフに跨った。モードレッドも後に続く。
 彼女はその手に一冊の本を掲げる。

「――――『魔術万能攻略書―― ルナ・ブレイクマニュアル ――』よ、この世界から逃れる方法を!」

 魔導書が光を帯びる。一枚の紙片が空中を舞い、ある一点で止まった。

「あそこだ、ヒポグリフ!」

 ヒポグリフは加速していく。やがて、その身は紙片の下に辿り着くと同時に異界へ至り、直後、冬木の上空に躍り出た。。
 瞬間、士郎達の目の前に樹が現れた。

「衛宮士郎。貴方を大聖杯の前で待ちます」

 そう言い残し、彼女は姿を完全に眩ませた。

「樹……」

 士郎の呟きが夜闇の中に溶けていく……。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 前回の優勝者、衛宮切嗣は『世界平和』を願った。
 だが、ソレには『世界平和』という願いの叶え方が分からなかった。
 だから、衛宮切嗣自身にその答えを求めた。結果、『人類種』の全滅という答えに至った。
 その時だった。
 ソレは一つの疑問を抱いた。

『正義とは何だ?』

 正義を志した男がその果てに下した結論、それは広義において、『悪』と呼ばれる所業だった。

『ならば、悪とは何だ?』

 疑問は次々に湧き上がった。
 正義の味方が下した結論は、やはり『正義』である筈だ。ならば、広義において『悪』とされる事も『正義』となり得る。
 ならば――――、

『【この世全ての悪】と呼ばれる己は一体何だ?』

 分からなくなった。
 己の存在意義たる、『悪』が一体、どういうものなのかが分からなくなった。
 そもそも、『悪』という概念はヒトが生み出したものだ。自然界にそんな概念は存在せず、あるのは敵かそうじゃないかの違いのみ。
 この世全ての悪を為すには理解する必要があった。
 人類種という存在を――――、

「だから、本体はサンプルを集める事にした」

 十年前の火災現場で死亡した者達を招き、その願いを聞いた。
 ある者は全てを憎んだ。
 ある者は自らの死を嘆き悲しんだ。
 ある者は残した者を憂いた。
 ある者は未来を知りたいと願った。
 
「だが、答えは見つからなかった。故に、彼らの想念を紡ぎ、私を作った」

 己が為すべき事を識る為の触覚を作りだした。
 人の感情を持つ触覚に『バグ』の要因となった『衛宮切嗣』とその後継者たる『衛宮士郎』を監視させた。
 そして、永い時の果てに漸く答えを得た。

「『悪』とは即ち、『正義』の敵対者。ならば、私の為すべき事は簡単だ」

 正義の味方を倒す事。そして、この地には正義の味方が存在する。
 人類種が抱く『正義の味方』という概念の体現者。
 彼を倒す事こそが『この世全ての悪』の為すべき使命。
 答えが見つかった。とても爽快な気分だ。『無』である筈の私はついつい微笑んでいた。

「――――さて、士郎くんを攻略しようか!」

 絶対悪として、絶対正義を打ち砕く。それで漸く、私は自らの存在に意義を見出す事が出来る。

第四十四話「Camlann」

 ぶつかり合う鋼と鋼。赤と青の光が倉庫街を縦横無尽に駆け巡っている。
 互いに全てを出し尽くす気でいる。
 ここは途次にして、終着点。
 この後など存在しない。必要が無い。全ての問いの答えがココにある。

「アーサー!」
「モードレッド!」

 全力の魔力放出が生み出す波動は嵐の如く、コンクリートで舗装された大地を捲り、十トンクラスのコンテナが宙空を舞い踊る。
 カムランの丘で終わった筈の物語。王(おや)と反逆者(こ)は凄惨な戦いの果てに相打ちとなり、血染めの丘で倒れ伏した。
 今、時空を超え、奇跡を求める為の奇跡によって、物語の続きが紡がれている。
 
「負けるな……、勝て、モードレッド!」

 赤き剣士の主はライダーのヒポグリフによって招かれた天空の観覧席にて声高に叫び続ける。
 この数週間に及んだ激戦。絶望渦巻く聖杯戦争を共に戦い抜いた相棒。肌を重ね、分不相応な許されぬ想いを抱いた。

「頑張れ、セイバー!」

 青き剣士の主は頼るばかりだった相棒とのたった一つの約束を守る為、自らの理想が囁く言霊から目を逸らし、彼女の勇姿を見守り続ける。
 本当なら止めたい。止めなければいけない。親と子が殺し合うなどという異常な戦いをコレ以上続けさせてはいけない。
 だが、それは単なる己のエゴに過ぎない。この戦いを止めるという事は彼女達の今までの足跡を踏み躙る事と同義だ。
 彼女は言った。

『その時が来ても、私達の戦いを止めないで欲しい。もし、私達に親子の絆が生まれるとしたら、それは剣を交えたその先にしかあり得ないのですから……』

 この戦いの果てに、漸く彼女達の時間は動き出す。
 王は親となり、反逆者は子となる。
 それを止めるという事は、彼女達を永遠に王と反逆者という啀み合う関係のままで終わらせるという事。
 そのような事、許される筈が無い。
 
「勝て! モードレッド!」
「負けるな、セイバー!」

 激突する二つの星。月がその姿をほぼ闇に隠し、故に星が満天に広がる空の下、彼女達は互いの意思を剣に委ねる。
 片や、清廉なる星の光を束ねる。
 片や、禍々しき赤雷を纏う。
 青と赤。天と地。光と闇。聖騎士と魔剣士。王と反逆者。両者の立ち位置は全くの対極だった。
 けれど、見るがいい、その瞳に宿るもの、その背に広がるものを――――、

「約束された勝利の剣―― エクスカリバー ――ッ!」
「麗しき父への叛逆―― クラレント・ブラッドアーサー ――ッ!」

 二つの極光は大地を裂き、天上を穿つ。
 もはや、港の倉庫街は単なる荒れ地と化した。あらゆる生命の存在を許さぬ死地で、二騎は尚も立ち続けている。
 互いの健闘など称えない。これはカムランの続章――――ならば、
 
 王は王位を守る為、
 反逆者は王位を奪う為、

 眼前の敵を叩き潰さねばならない。

「倒れろ、モードレッド!」
「死ね、アーサー!」

 両者が狙うは常に必殺。
 一秒先の己の死を更なる刹那の敵の死に塗り替える。
 死闘は続き、やがて、共に限界を迎える。
 
「オレは――――、勝つ!」
「来い、モードレッド!」

 自らの存在を掛けた一撃。
 星光と赤雷が再び衝突する。
 
「ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「ッハァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 光が止む間も待たずに両者は大地を蹴り、決着をつけるべく、最後の一撃を振り上げた。
 そして――――、

 ◆◇◆◇◆

『オレとお前は似ている』

 いつかの夜、己のマスターである少年に言った言葉だ。
 もっとも、オレには生前、アイツのように信用出来る仲間も、信頼出来る友も居なかった。居たのはオレの立場を利用しようと企むゴミばかり……。
 シンジが思うより、オレはずっと内向的な性格だ。誰の事も信じられず、いつも俯いて、鬱屈した事ばかりを考えていた。
 積み重なっていく鬱憤や苛立ちを馬上槍試合などで晴らそうとしても、一時しのぎにしかならなかった。

『いずれ王を倒し、その身が王となるのです』

 いつしか、母上の言葉がオレの中で呪いのように膨れ上がっていた。
 オレは誰よりも優れている。何故なら、オレは王の息子であり、いずれは王となるべき存在なのだから! そう、己を鼓舞する事で泣きそうになる己を慰める事も少なくなかった。
 そんなオレにとって、唯一心を許す事が出来た相手はアグラヴェインだけだった。
 今のオレの性格や口調は彼を見習った部分が大きい。彼はオレと同じく他の円卓の騎士……、中でもガウェインに対して大きなコンプレックスを抱いていて、その事に強い共感を覚えた。
 彼の傍に居ると、彼の毒舌に勇気付けられた。いつしか、オレは彼を己の心の代弁者と考えるようになっていた。

 ある日の事、母上が殺害された。殺したのは誰あろう、異父兄弟の一人、ガヘリスだった。母上はガヘリスの父を殺害したペリノア王の息子と同衾していたのだ。母上譲りの激情家だったガヘリスにはそれが堪らなく許せなかった。
 オレはガウェインやアグラヴェインと共に事の元凶たるラモラックを追跡した。

『すまなかった。許してくれ……。守ろうとしたのだ』

 ラモラックは母上をガヘリスの手から守れなかった事を嘆き、悔やんでいた。
 正直な話、オレにとって、ガウェイン達の父であるロット王はどうでもいい他人に過ぎなかった。だからこそ、あの母上の心を射止めたラモラックに密かに称賛の想いすら抱いていた。
 けれど、ガウェイン達の怒りは収まらず、結局、オレ達は奴を嬲り殺しにした。
 それが初めての殺人だった。
 最初は恐怖のあまり、一晩中涙を流し、胃の中身を床にぶち撒けた。
 けれど、ある日を境に乗り越え、それから、オレの中で変わった。
 人を殺す事に対しての躊躇が無くなったのだ。聖杯探求に乗じて、オレは徐々に燃え上がる野望の障害となるであろう騎士達を次々に葬った。
 殺した騎士達の中にはディナダンの名もあった。オレが最も忌み嫌い……、同時に恐れた男だ。
 奴は常に円卓の中心に居た。円卓に不和の根が張られれば、誰よりも早く気付き、独特なユーモアで笑いに変える道化師。騎士達を『友情』という絆で結束させた男。
 奴はオレに刃を向けられても平然と笑っていた。

『貴公の心に蔓延る闇を解き放つ事が出来なかった。それだけが心残りだ。どうか、君が歩む道の果てに救いがある事を祈っているよ』

 巫山戯た男だ。今から殺されるって時に、殺人者を気遣うなど、頭がおかしい。
 オレは恐怖に駆られながら、何度も何度も奴の体を斬りつけた。
 
『……ああ、君にはバラなどより、白百合が似合うというのに』

 今際の際にそう呟き、奴は息絶えた。
 ディナダンの死は円卓にとって、あまりにも致命的だった。
 ラモラックの死によって、既に不和の根は張り巡らされていた。それを瀬戸際で食い止めていたディナダン亡き後、騎士達の間に亀裂が走った。
 その時だった。アグラヴェインはランスロットとグィネヴィアの不貞の話を持ち掛けて来た。

『王に対する不忠、決して許せるものではない! 共に奴の不貞を暴こう、モードレッド!』

 オレはその時既に、自分がどうして王位にこだわっているのかが分からなくなっていた。ただ、それ以外の事を何も考える事が出来なかった。
 ランスロットとグィネヴィアの不倫現場に乗り込んだ時、オレは屈折した正義感を振り翳すアグラヴェインをランスロットにぶつけた。アグラヴェインはランスロットに殺されたが、その後の展開は思い通りの流れを辿った。
 ランスロットがグィネヴィアを連れてフランスへ逃れ、その後を父上とガウェインが追った。その間にオレは諸外国と密約を交わし、王位簒奪の為に動いた。
 そして、最後の刻を迎えた。

「オレはただ……」

 時折、夢を見る。
 大岩の上に突き刺さった一振りの剣。その前には老魔術師が座っていて、一人の少女が剣を引き抜こうとしているのを見守っていた。

『それを手にする前に、キチンと考えたほうがいい』

 恐らく、ソレはオレの中に眠る父上の記憶だったのだろう。
 ホムンクルスはその基となった存在と深い部分で繋がっている。

『それを手にしたが最後、君がヒトでは無くなるのだよ?』

 魔術師の問い掛けに少女はやんわりと笑みを浮かべた。
 魔術師は少女に全てを見せた。その剣を手にすれば、待っているのは最悪の結末だと、ご丁寧にも、少女がその死に至るまでの全てを余すこと無く見せた。あまりにも寂しく、虚しい死に様を見せつけた。
 恐ろしくない筈が無い。にも関わらず、少女は首を振る。

『――――いいえ』

 柔らかくも、強い言葉で少女は言った。

『多くの人が笑っていました。それはきっと、間違いではないと思います』

 オレと父上はその在り方があまりにも違っていた。
 それを認める事が怖かった。
 だから、必死に王位を求めた。
 父上の在り方に近づきたいと……。

 違う。

 それだけじゃなかった。オレは――――オレは……、父上の為に何かをしたかった。
 あの悲しくなる程に細く小さな背中を支えたかった。
 オレはいつも独りぼっちだった。
 だけど、父上もいつも独りぼっちだったんだ。
 同じ独りぼっちなら、片方が全てを背負ってしまえばいい。
 誰も愛さず、全てを傷つけようとするオレなんかでも、民を愛し、守ろうとした父上を王位という呪縛から解放する事くらいなら出来る筈だ。
 それが始まりだった。
 けれど、その結果は――――、

「モードレッド」

 父上の声が耳元に響く。

「今も私はお前に王位を譲るつもりはない」
「……父上」
「だけど……、これだけは信じて欲しい」

 父上は徐々に光となりながら、オレを抱きしめた。
 温かい……、泣きたくなる程、心地が良い。

「私はお前を愛したかった。だけど、私の罪が愛する事を許さなかった」

 それはオレが生まれて直ぐの事。マーリンはオレが国を滅ぼす事を予言で知り、その日生まれた子供を皆殺しにしようと提案し、実行した。
 だけど、何の因果か、オレだけが生き残った。

「無関係の子供達を大勢殺してしまった。お前を殺す為に……」

 雫が頬を伝う。父上は泣いていた。

「モードレッド。私の罪は決して消えない。本当ならば、こんな言葉を紡ぐ資格など無い。だが、それでも、王でなくなった今だから言える事……、言いたい事がある」

 父上は言った。

「愛している……。お前を息子として愛している」
「父上……、オレは――――ッ」

 オレが言葉を紡ぐ前に父上の体は夜闇に消えていった。

第四十三話「幕間 ―― Last day ――」

 日を跨ぐ前に遠坂達が帰って来た。
 慎二と桜の無事な姿を見て、俺はホット胸を撫で下ろした。
 しかし、、失われたモノも大きかった。例のサーヴァントと交戦し、アーチャーが消滅したのだ。
 正直言って、俺はアイツが苦手だった。どうしてか分からないけど、敵愾心とは違う……、嫉妬のようなものを抱いていた。
 今の俺では決して届かない頂きに奴は居た。

「……アーチャー」

 樹もショックを受けている。アイツは樹の味噌汁を絶賛したり、何かと気に掛けていたから、穿たれた喪失感はそう簡単に拭えないだろう。
 俺だって、それなりにショックを受けている。アイツには色々と教えてもらった。その恩を返す前に死なれてしまって、何とも宙ぶらりんな気分だ。
 
「衛宮」

 ノックの音がして、慎二が部屋に入って来た。

「アヴェンジャーの傍に居なくていいのか?」
「いいわけないだろ。だけど、お前に渡すモノがあるんだ」
「渡す物……?」

 慎二は一通の手紙を投げ渡して来た。
 
「……これは?」
「アーチャーがアヴェンジャーに託した物だ。確かに渡したぞ」

 そう言って、慎二は踵を返してアヴェンジャーの下へ走っていった。
 アヴェンジャーは今、とても危険な状態に陥っている。遠坂達が色々と手を尽くしているけど、果たしてどうなるか……。
 いずれにしても、魔術師として未熟な俺達に出来る事は何もない。本職に任せよう。
 
「何て書いてあるの……?」

 樹が俺の手元を覗き込んで来た。
 目覚めてからも時折ボーっとしたり、具合が悪そうな素振りを見せている。
 心配だ……。

「樹……、本当に体の調子は大丈夫なのか?」
「うん。ちょっと、気怠さが残ってるけど、それだけだよ」

 どう見ても嘘だ。蒼白な顔をして、何を言ってるんだ……。
 だけど、問い詰める事が出来ない。
 今の樹はまるで、ちょっとでも触れたら割れてしまう薄くて脆いガラスのようだ。
 何かの拍子に全てが壊れてしまう気がする。

「それより……」
「あ、ああ……、読むぞ」

 手紙の内容は一文のみだった。

『迷った時は川辺を思い出せ』

「何これ……?」
「何だろう……」

 意味が分からない。川辺って、何の事だ?

「アーチャーって、筆不精なタイプだったのかな?」
「いや、それにしたって……」

 ここまで不親切な内容の手紙もそうは無いと思う。コレで一体、アイツは俺に何を伝えたかったんだ?
 結局、手紙の謎を解き明かす事が出来ないまま、一夜が過ぎていった。
 翌日も樹の体調は良くならなかった。遠坂達はアヴェンジャーに付きっ切りで、樹の容態を診てもらう事が出来ず、俺は前に樹が作ってくれたお粥を何とか真似して作ってみた。

「……え?」

 頑張って作ったけど、やっぱり樹が作るモノと比べたら天地の差だ。
 ポカンとした表情を浮かべる樹に頭を下げた。

「すまん。頑張って作ってみたつもりなんだけど……」
「し、士郎が作ってくれたの!?」
「お、おう。そう言っただろ?」
「あ、う、うん! いや、凄く美味しそうだったから、ビックリしちゃって!」

 何度か樹の手伝いをした事はあったけど、実際に一人で料理を作ったのは初めての事だった。まあ、お粥なんて、料理の内に入るか微妙だけど、それでも、樹の反応は嬉しかった。
 翌日、アヴェンジャーの体調がある程度回復した事で遠坂達に樹の容態を診てもらう事が出来た。
 だけど、結果は芳しくなかった。どうやら、樹の魔術回路はかなり特殊なものらしく、セイバーやアヴェンジャーのように対魔力のようなものを備えているそうだ。それが遠坂達の魔術を阻害してしまうみたいで、内側の診断が出来なかった。

「……まあ、英霊をその身に降ろしたわけだし、それなりのデメリットがあって当然よね。ヘラクレスもあまり良い状態では無いって言ってたわけだし……」
「い、樹はどうなるんだ!?」

 つい、語気を荒らげてしまったけど、遠坂は気にした様子も見せずに言った。

「とにかく、数日の間、様子を見るしかないわ」

 遠坂の言葉に歯がゆさを感じながら、何も出来ない自分に腹が立った。
 その翌日、遠坂の提案で大聖杯の調査に乗り出す事が決定した。樹が『僕も行く』と言い出して、初めは止めたけど、樹は頑として譲らず、最終的にコッチが折れる結果となった。時々、妙に頑固な一面を見せる事がある。
 大聖杯の下へ続く洞窟の中はとても気味が悪かった。けど、外を出歩いた事が良かったのか、樹の体調がかなり回復した。これは嬉しい誤算だ。
 帰り道、御馳走を作ると張り切る樹を見て、胸を撫で下ろした。
 だけど、やっぱり時折ボーっとなる。その度に自分が今、何をしているのか分からなくなっているみたいだ。

「魔術が駄目なら、普通の病院で診てもらうってのは?」
「だ、大丈夫だよ! 確かに、ボーっとしちゃう事はあるけど、疲れが溜まってるだけだって! そんなに心配しないでよ! それより、ライダーと考えたんだけど、アヴェンジャーが大分回復したみたいだし――――」

 大聖杯の調査から数日が経ち、丁度、アヴェンジャーの体調が回復し、大聖杯の調査も区切りがついた所だった。
 前に外に出た時、少し体調が良くなった事を思い出して、一日だけ試しに出掛けてみる事にした。もし、これで体調が優れないようなら、今度こそ病院に連れて行こう。
 翌日、慎二とアヴェンジャーを連れ、俺達は新都に向かった。やっぱり、樹は時々ボーっとなる。だけど、慎二一押しのカフェや水族館を回り、樹は実に楽しそうだった。
 最後にライダーがちょっとしたイベントを企画した。マスターとサーヴァントが互いに似合うと思う服を選ぶという俺にとってはかなり難易度の高い企画だった。だけど、樹がノリノリだったから、折れる事にした。
 なんとなく、樹の思う通りにしてやるべきだと思った。少しでも楽しく……、幸せだと思う時間を作ってやるべきだと思った。
 まるで、直ぐ後ろに何か恐ろしいモノが近づいて来るような奇妙な感覚が延々と心の隅で漂っていた。

「ど、どうかな?」

 ライダーが選んだ洋服に身を包んだ樹はとても可愛かった。
 いつだって、樹の事は可愛いと思っていたけど、今日の彼女はいつも以上に魅力を引き出されていた。
 思わず、本音を口走ってしまい、お互いに真っ赤になった。
 夜道を歩きながら、樹にいつかの答えを聞かせて欲しいと言われた。

「答えるよ」

 俺は心に決めた。ちゃんと言おう。
 照れ臭いし、今までの関係が変わってしまうかもしれないと思ったら、何となく怖くて、言い出せずにいたけど……。

「ちゃんと、今度こそ」

 幸福感に包まれていた。
 だからこそ、叫び出しそうになる自分を必死に抑えた。
 彼女はこんな俺を愛してくれている。
 ならば、俺も自分に正直になるべきだ。

『おまえはそんな幸福なところで何をやっているんだ』

 そんな言葉が脳裏を過り、自分自身に対する憎悪と憤怒が際限無く高まっていく。
 今直ぐ、この首を絞め殺してやりたい。
 そんな衝動を必死に抑える。
 俺が不幸になるのは別にいい。だけど、彼女を不幸にする事だけは絶対に出来ない。
 彼女は幸せでなくてはいけない。この世界の誰よりも幸せでなくてはならない。
 だって――――、俺は……、彼女を愛している。

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残すところ、後9話になりました(∩´∀`)∩
もう暫し、お付き合いくださいましー!