第十九話「……さあ、後は頼んだぞ、小童共」

 夜明けの少し前、バゼットが戻って来た。居間で待機していた士郎達に彼女は言った。

「――――行きますよ」

 士郎達は互いに頷き合い、互いの意思を確かめ合う。
 此度のキャスター陣営に対する襲撃はバゼットとランサーを主戦力に据えて行う事になっている。
 ただし、彼等が抑えられるのは二名までだ。敵が三名居る以上、一名が余る。その対処が士郎達三人の役割だ。

「……では、確認します」

 円蔵山への道程、バゼットが歩きながら口を開く。

「本命であるキャスターの相手はランサーが引き受けます」

 此方の勝利条件はあくまでキャスターを討伐する事にある。他の二名を倒す事はむしろ避けたい事案だ。
 故に最強の戦力を彼女にぶつける。

「任せましたよ、ランサー。初手から全力で討ちに行って下さい」
「了解だ、マスター」

 ランサーはバゼットの隣を歩きながら、自らの槍や肉体に光で文字を刻んでいる。
 それがルーン魔術の刻印なのだとイリヤが士郎に解説する。

「セイバーの相手は私がします。恐らく、アーサー王としての真の力を引き出された状態で待ち受けている事でしょうから――――」

 最優のサーヴァントと名高きセイバーのサーヴァント。その中でも最強であろう英霊・アーサー王。
 如何に封印指定の執行者であろうと、生身の人間が立ち向かうなど狂気の沙汰だ。けれど、彼女は気負った様子も見せずに淡々と語る。

「問題はアーチャーですが……、いいのですね?」

 バゼットが確認を取るように凜を見る。凜は頷く。

「こっちには“聖杯”であるイリヤが居る。加えて、“士郎”も」

 本来、戦闘能力の低いイリヤは衛宮邸に残して行くべきだ。にも関わらず、戦場に連れて行く理由は二つある。
 一つは彼女が他の陣営に狙われている事。一人、無防備な状態で残して行く事は獣の目の前に餌を放置するのと変わらない。
 もう一つの理由は彼女の存在価値の高さ。彼女が“聖杯”である事は既に全陣営が承知の事実。マキリがイリヤを攫おうとした理由もそこにある。
 その事を逆手に取り、彼女の存在を抑止力にしようと考えたのだ。

「イリヤが居る限り、アーチャーを含め、敵は大規模な範囲攻撃を出来なくなる。接近戦に持ち込めば、ある程度なら持ち堪える事が出来る筈よ」

 とは言え、絶対では無い。凜とイリヤにはある程度の勝算があるらしいが、士郎の剣技ではアーチャーに遠く及ばない。
 一晩、ランサーに揉まれて、少々技術の底上げが出来たつもりだが、付け焼刃の通じる相手じゃない。
 相手は弓兵なれど、ケルト神話を代表する大英雄の槍捌きに負けず劣らずの双剣使い。二度目の戦いでは撃退すらしてみせた武の英雄。
 正体は未だ不明なれど、少し剣技を齧った程度の士郎には荷が重過ぎる。バゼットは未だ幼さを残す少年の顔を見た。そして、余計な心配など不要である事が分かった。
 少年には既に覚悟が決まっている。ランサーから伝え聞いた話によれば、少年はセイバーに恋をしているらしい。愛する者を救う為と思えばこその勇気と覚悟がそこにあるのだと感じる。
 
「――――頼みましたよ、衛宮士郎。セイバーは必ず私が取り戻します」

 特別性のグローブを手に嵌めながら、バゼットが言う。

「……ああ、頼む。何があっても、アーチャーにお前達の邪魔はさせない。だから――――」
「任せろ、シロウ。キャスターなんざ、俺の敵じゃねぇからよ。速攻で片を付けてやる」

 士郎の言葉に応えたのはランサー。
 この一週間、彼は諜報活動に徹していた。己の渇望する戦場を求め、戦いの刻を待ちながら、士郎達の生活を監視し続けて来た。
 その間の彼等のやり取りは見ていて飽きなかった。互いが互いを護る為に全てを掛ける。その関係は実に清々しいものだった。
 己が主の思惑がどうあれ、今の自分はこの少年の仲間だ。ならば、全力をもって思いに応えるとしよう。
 それが昨日の敵とも酒を飲み交わし、昨日の味方の首を取るのが日常であった常勝無敗の大英雄の決断だった。

「――――さあ、覚悟はいいですね?」

 遠くに円蔵山が見えて来た――――、そして、光と音が爆発した。

 一際、甲高い金属音が鳴り響く。柳洞寺へと連なる石段にて、赤と黒が剣を交えている。
 片や双剣、片や長剣。石段という不安定な足場だと言うのに、両者はまるで平地に立つが如く、揺るぎない。

「……弓兵風情と侮っていた事を詫びよう。いや、これほどの剣士がアーチャークラスで召喚されるなど、システムに異常が起きているのかもしれんな」

 黒衣を纏う剣の英霊が呟く。

「生憎、剣の才能は無かった。私がセイバーのクラスで召喚されるなど、あり得んよ」
「才無くして、この腕前……。相手にとって不足無し」

 狂気的な笑みを浮べ、怒涛の剣戟を放つ暗黒の騎士を赤き弓兵は嵐の如き双剣捌きで迎え撃つ。
 その様子を上空から見守るは魔術師の英霊。

「――――此方が動くより先に攻めて来るとは、侮っていた事を認めるわ、マキリ・ゾォルケン」

 彼女の視線の先、石段の下には枯れ木の如き老人が一人。呵々と笑いながら、彼は隣に並び立つ奇怪な影に指示を下した。
 影が猛烈な勢いで石段を侵食する。

「セイバー!!」

 サーヴァントに対する絶対的な優位性を持つ影。されど、敵を侮ってはならない。この神殿と化した山の主は神代の魔女。
 既に脅威の存在を知覚し、理解している彼女にとって、対処不可能な事案など存在しない。
 御三家の当主。五百年を生きる妖怪。人を喰らいし化け物。
 如何に大層な名を冠していようが、所詮は現代の魔術師。如何なる権謀術数に優れようが、戦術と戦略を駆使しようが、蟻如きが獅子に挑むなど無謀を通り越した愚行。
 天上に現れし、黒髪の騎士が魔女の与えし翼を駆り、光の剣を掲げる。

「――――約束された勝利の剣!!」

 地上を呑み込まんとする暗き影を“最強の幻想”が輝きの光をもって打ち祓う。
 キャスターの魔術によるサポートを受けたエクスカリバーの一撃はアーチャーを器用に避け、地上を蹂躙する影と暗黒の騎士に牙を剥く。
 されど、焼き払われた地上にマキリのセイバーは尚健在。咄嗟に効果範囲内から脱出出来たのは“直感スキル”の恩恵と“魔力放出スキル”の最大出力による敏捷性の一時的向上によるもの。
 そんな化け物染みた真似が出来るのは彼女のみであり、影と臓硯は跡形も無く消し飛んだ。
 けれど、キャスターの顔に浮かぶ表情は渋みを帯びている。

「虫けら如きが……」

 嫌悪感をありありと浮かべながら、キャスターは吐き捨てるように呟く。
 光に呑み込まれたのはどちらも偽物。本体は恐らく、間桐邸に引き篭もっているのだろう。
 ここに本物はマキリのセイバーのみ……。

「セイバー!!」

 再び、姿を現す影。それも所詮は偽物。けれど、万が一にもアーチャーの動きを阻害させる訳にはいかない。
 如何に調整を施したとは言え、セイバーは偽物。本物と打ち合えば、真贋の差が如実に現れるだろう。
 高ランクの対魔力を持つマキリのセイバーに対して、キャスターの自慢の魔術も通用しない。
 そうなると、彼女に対抗出来るのは、“とある理由”から、アーチャーのみとなる。
 だが、それは万全の状態に加え、キャスターの魔術による助力があればこその拮抗。
 均衡が僅かにでも崩れれば、瞬く間に勝敗が決してしまう。

『……付け焼刃の連携はむしろ互いの足を引っ張りかねない』

 そう言ったのはアーチャー自身。
 セイバーとアーチャーが連携してマキリのセイバーを打ち倒すという策を提示したキャスターに彼は冷ややかな声で言った。

『――――アレを倒すのはオレの役割だ。お前達は影と臓硯の相手に集中しろ』

 如何に神代を生きた魔女と言えど、戦闘行為に関しての“いろは”は殆ど無い。
 アーチャーの判断に従う事こそが最善。例え、そこに私情があろうと、理に叶っているのならば不問とする。
 ただし――――、

「負けたりしたら、承知しないわよ、アーチャー!!」

 並大抵の魔術はむしろ、敵のエネルギー源となってしまう。影を迎え討つ手段は一つしかない。
 圧倒的な破壊力を篭めた一撃を放ち、吸収する間も与えずに消し飛ばす。シンプルにして、究極の対処法。

「セイバー!!」

 魔女は苦心して円蔵山に溜め込んだ膨大な魔力を惜しみなく使わせる。
 最強宝具の連続発動。大地に刻まれた傷痕は一つ一つが底の見えぬクレーターと化している。
 円蔵山の麓は田畑が連なっている為、死人が出る恐れは無い。だが、赤々と燃え上がるその様は正しく地獄の具現。
 神秘の秘匿など存ぜぬとばかりの凶行。けれど、それが最善であり、唯一の活路であるのなら、是非も無い。

 戦場の様子を使い魔の視界越しに見ていた臓硯は舌を打つ。
 キャスターを侮っているつもりは無かった。むしろ、最大の障害にして、最強の脅威であると確信したが故に彼は先手を打って、虎の子であるアルトリアを放った。

「――――よもや、アルトリアと斬り結び、互角の英霊が居ようとは」

 影による“絶対的優勢の立場”の形成をセイバーの宝具の連続発動というとんでもない方法で封じられ、アルトリアを孤立させられてしまった。
 とは言え、本来ならば彼女だけで十分だった筈なのだ。強力な対魔力故にキャスターは敵では無いし、弓兵や偽物など束になって掛かられても圧倒出来る筈と高を括っていた。
 侮っていたのはアーチャーの技量。よもや、受肉し、生前の力を取り戻したアーサー王と互角に戦える弓兵が存在するなど考えていなかった。

「遠距離から宝具を放つだけならば対処のしようもあったものを……」

 この状況の肝は“立ち位置の妙”にある。
 アーチャーが遠距離からの狙撃に徹し、セイバーがアルトリアを迎え撃つという、本来あるべき立ち位置であったなら此方の勝利だった。
 偽物が本物に勝てる道理は無く、“約束された勝利の剣”という最強クラスの対城宝具でも無ければ、影が一層される事も無かった。
 エクスカリバーの連続発動というデタラメさえ無ければ、アーチャーによる遠距離からの狙撃だったなら、影は悉く攻撃を呑み込み、同時に迎撃に来るセイバーの動きを止め、アルトリアの剣技で圧倒するという戦術が機能した筈だった。
 
「――――アーチャーの剣技。そして、キャスターの知略。加えて、セイバーの宝具。この状況は不味い……」

 先手を打たれた事による動揺すら感じられない完璧な布陣。此方の戦力と戦術と戦略を全て読み切ったキャスター。
 やはり、最悪の敵。倒さねばならぬ、障害。

「セイバーの宝具の連続発動など、如何に魔力を溜め込んでいようと続かぬ筈……。その間、アルトリアが耐え抜けば、こちらの勝利。だが――――ッ」

 あのアーチャーは侮れない。そもそも、奴は“弓兵としての切り札”を使っていない状況でアルトリアと拮抗している。
 セイバーやアルトリアのように、発動時に“一瞬の隙”が発生するような宝具持ちであるなら、この状況が動く事は無いだろう。
 だが、もしも接近戦をしながら発動出来る切り札を持っていたなら、事態は最悪の方向に向う。そして、あの剣技の卓越さを見るに、“そうした切り札”を持つ可能性は極めて高い。
 
「――――しかも、奴自身が持っておらずとも、奴の背後にはキャスターが居る」

 如何に優れた対魔力を保有し、あらゆる魔術を無効化出来ようとも、敵は神代の魔術師。現代の魔術師の理解を遥かに超越する魔女。しかも、同等の存在であるセイバーを手中に収めている状態。
 セイバーの翼や様子の変化から察するにキャスターはセイバーの対魔力に対する対策を持っている可能性が高い。アーチャーによって、動きを止められている今、奴の魔術がアルトリアに牙を剥けば――――、

「イカン……。これは非常に不味い状態じゃ。このままではアルトリアを失う事態になりかねぬ……」

 聖杯に取り込んだ英霊を使うか……。
 
「……駄目だ、本体で無ければ英霊の再召喚は行えない」

 聖杯に取り込んだ英霊を再利用する場合、影のリソースを大きく削る事になる。
 それに、先手を打つ策に加え、アルトリアと影による連携攻撃をもってすれば、勝利は確実と高を括っていた。
 その二つを理由に予め、英霊を再召喚するという策は使わなかった。それが完全に裏目に出ている。

「――――いや、そもそも、あのセイバーの宝具の連続発動を前にしては……」

 あのような波状攻撃を連続で繰り出されては、如何に優れたサーヴァントであろうと一溜りも無い。
 
「……そうだ。奴等がアーチャーを見捨てれば、その時点で詰む。そもそも、奴はキャスターにとって捨て駒に過ぎぬし……」

 セイバーがエクスカリバーでアーチャーごとアルトリアを狙えば、今度こそ避け切れない。
 今の状況はキャスターがアーチャーを見捨てていないが故のもの。恐らく、次なるランサーとの戦いを見越しての安全策の為だろうが……。

「セイバーが居る以上、無理にアーチャーを残しておく可能性は低い」

 一分にも満たない逡巡。刻一刻と変化する戦場において、致命的とも言える迷い。
 アルトリアが未だ健在な理由は“この迷い”が臓硯だけのものでは無いからだろう。
 恐らく、キャスターにも“迷い”があるが故の“思考時間”の発生。
 だが、もはや残された時間は無いだろう。

「――――これはッ」

 決断する切欠は使い魔越しに見えた新たな軍勢。
 臓硯は無意識に笑みを浮かべる。
 
「愚か者共が間抜け面を下げて、ノコノコと現われおった!!」

 恐らく、キャスターを討伐し、自らのサーヴァントを取り戻そうと言う魂胆なのだろう。
 好機の到来。キャスターさえ脱落すれば、誰に何のサーヴァントが戻ろうと関係無い。
 今回の最大の戦果はアーチャーの技量という情報が手に入った事。十分過ぎる結果を得られた。

「――――最悪な事態があるとすれば、キャスター陣営と奴等が組む事だが、それは無かろう」

 桜からの報告と使い魔による監視の末、衛宮士郎のセイバーに対する思慕の大きさはある程度掴めている。
 精神性に少々異常をきたしているらしいが、それでも好いた女を奪われた事に対する憤りはそう易々と消えるものでもあるまい。
 キャスターの失策はあの小僧からセイバーを強引に奪った事。話し合いによる一時的な譲渡などでは無く、力ずくによる強奪だった事で奴等の関係に和解という解決策は消滅している。
 臓硯は佐々木小次郎を寄り代にハサン・サッバーハを召喚した際、手に入れた令呪を掲げた。
 令呪はサーヴァントを縛るもの。受肉しようとも、アルトリアにはサーヴァントとしての側面を未だ残している。故にこその聖杯の汚染。
 寄り代である山門との楔とする為のものだった故に一画のみだが、それは確かに臓硯の腕に存在した。

「令呪をもって、命じる!! アルトリアよ、全力で撤退せよ!!」

 膨大な魔力が吹き荒れる。遠き地の先で一人戦うアルトリアに臓硯の命令が届き、彼女の肉体が消失する。タイムラグを発生させず、強制転移が発動し、アルトリアが臓硯の眼前に現れる。
 臓硯は嗤う。
 仮にこれでキャスターの陣営とランサーの陣営が手を組むと言う最悪な事態が発生しても、対策を練られるだけの情報は得られた。

「まあ、その可能性は低いだろうが……」

 勝利の道筋が見えた。だが、出来るなら苦労は負いたく無い。
 故に臓硯は心から少年少女一行を応援する。慈愛の眼差しを使い魔越しに向け、彼は呟く。

「……さあ、後は頼んだぞ、小童共。儂の為に存分に踊ってくれ」

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