第二十話「……ちょっと、やり過ぎちゃったかしら」

 光と音が世界を埋め尽くす。咄嗟の事態に対応出来たのはランサーとバゼットのみ。ランサーは士郎とイリヤを両脇に抱え、バゼットが凜を背負う。既に臨戦態勢に入り、肉体を極限まで強化していた二人は全力で後退を選択。一蹴りで百メートルを戻る。
 幸い、光の奔流は柳洞寺へ連なる石段の麓を中心としている。距離があった分、襲い来る余波のみに対処すれば良かった。とは言え、その余波が侮れない。盛り上がった土が聳える壁を構築し、土石流となって襲って来る。猛烈な衝撃波と局地的大地震のおまけ付きで――――。

「ッハ! 無茶苦茶だな、オイ!」

 着地と同時にランサーは士郎を放し、虚空に空いた手で光のルーンを刻む。“影の国”とも呼ばれる冥界の女王・スカアハより授けられしルーンの秘術。何の神秘も宿らぬ、単なる土石流如き、彼の道を阻む障害とはならない。迸る魔力の衝撃に士郎達は顔を伏せ、次の瞬間、ランサー達を呑み込む筈だった膨大な量の土砂石が吹き飛んだ。
 ランサーのサーヴァントを純粋な槍使いであると思い込んでいた士郎達はその光景に唖然となり、その間にランサーは士郎を抱えなおすと、自らが開いた活路を突き進む。
 今のランサーの魔術行使が何らかの切欠となったらしく、光が唐突に止んだ。あの場所で何が行われていたのか、大よその見当はつく。大方、他の二陣営が此方を尻目に勝手に闘争を繰り広げていたのだろう。だが、今ので片方が撤退した。キャスターが自らの拠点を易々と放棄するとは思えない。恐らく、逃亡したのはマキリの陣営。
 何れにせよ、千載一遇の好機。如何に無敵の布陣を敷いていようが、二大陣営のぶつかり合いとなれば、両者共にある程度は疲弊している筈だ。
 攻めるなら、今――――ッ!

「――――往くぞ、テメェ等!!」

 此方には抑止力となるイリヤが居る。あの光の爆発を無闇に撃っては来ない筈だ。
 勝負は一瞬で決まる筈。その一瞬、邪魔物を抑えるのが士郎達とバゼットの役割。
 ランサーは士郎を先に解放し、その腕にイリヤを抱かせた。
 意思の疎通はアイコンタクトのみで行う。既に作戦が固まっている以上、無駄口を叩く理由は無い。
 
「イリヤ、走れるか?」
「大丈夫よ、シロウ。足手纏いにはならない」

 士郎は走りながらイリヤを降ろし、投影の準備に入る。
 背後から凜の気配が追いつき、各人が自らのポジションに着いた。
 そして、彼等は石段に辿り着く。見上げた先にまず見えたのはアーチャーのサーヴァント。常の紅の装束に身を包み、干将・莫耶を手に提げている。
 次に目に入ったのは上空に浮ぶ二騎の英霊。
 
「――――セイ、バー?」

 士郎は片一方の英霊を見て、当惑した。
 装束は確かにセイバーのものだ。青き衣に白銀の鎧を身に纏っている。
 けれど、彼女の金砂の如き髪色が墨のような深黒に染まっている。それに、背中からは真っ白な翼を生やしている。
 魔術や英霊という非日常的な概念や存在に慣れ親しんでいる士郎達ですら、その姿は非現実的に見えた。

「――――スカアハ直伝」

 困惑は彼にとっても同じ事。けれど、見知った者の髪色が突如変わろうが、人が翼で空を飛ぼうが、その程度の事に動揺する時間など刹那も存在しない。
 彼はそういう戦場を生き抜き、勝って来たのだ。
 故に彼の緋眼が狙うは変貌したセイバーでは無く、それを為したであろう下手人。キャスターのサーヴァント目掛け、自らの魔槍を振り上げる。

「突き穿つ――――」

 元々、それは投擲の技法の名。魔と武を極めし女神の奥義。
 クー・フーリンはその奥義に自己流のアレンジを加え、近接にも使えるようにした。
 けれど、この奥義はやはり、投擲でこそ真価を発揮する。
 加えて、ランサーはこの奥義を最大にして、最速に撃ち出す為の準備を整えていた。
 槍そのものに刻まれたルーンとランサーの身に刻まれたルーン。それが意味するのは――――、不可避の速攻。

「――――死翔の槍ッ!!」

 態勢を整え、槍を構え、魔力を充填し、跳び上がり、真名を解放し、投擲する。
 その過程の内、彼は真名の解放と投擲以外の過程を全て破却した。
 過程の無視。それによる威力の減退はルーン魔術が補強する。
 元々、ランサーは他の連中を当てになどしていなかった。それは彼等を信じていなかったからでは無く、単に必要性を感じていなかっただけの事。
 無論、バゼットならばセイバーの相手は余裕だろう。例え、アレが正真正銘のアーサー王であり、その実力を最大限に発揮したとしても、バゼットは負けない。
 アーチャーに対しても、士郎達ならば十分に持ち堪える事が出来る筈だ。士郎の覚悟と凜の魔術、そして、イリヤの存在が彼を押し留める事を可能とするだろう。
 だが、それらはランサーが一瞬で勝負を決められなかった時の為の対策。

――――舐めてんじゃねぇよ。

 ケルト神話最強の大英雄が魔術師風情に遅れなど取るものか――――。
 一気呵成に事を成したランサー。放たれたが最期、敵の心臓を射抜くまで、その槍は止まらない。
 発動と同時に敵の死が確定している。その過程を後から創るのが“ゲイ・ボルグ”。
 因果律に干渉する業。如何に神代の魔術師と言えど、本物の神の業に抵抗するなど――――、

「――――熾天覆う七つの円環!!」

 確かに、キャスターには発動したランサーの魔槍を防ぐ手立てが無い。
 けれど、彼女は孤独に非ず。忘れる無かれ、彼女には今、二騎の“最強”が控えているという事実を――――。

「アーチャー!?」

 凜が叫ぶ。その驚愕はどこに向うのだろうか……。
 彼が魔女を助けた事か――――、
 彼が発動した宝具の事か――――、
 あるいは、その両方に対してか―――ー。

「――――我が“ゲイ・ボルグ”に挑むつもりか、弓兵!!」

 アーチャーは応えない。応える余裕など無い。
 彼が展開した七つの花弁を持つ盾の宝具は投擲武器に対して無敵とされる結界宝具。
 嘗て、トロイア戦争で大英雄の投擲を唯一防いだとされるアイアスの盾。
 この盾の前には、投槍など一枚羽にも届かず敗退するのが必定。
 にも関わらず、一撃で花弁が二つ消し飛んだ。

「……っく」

 苦悶の声はアーチャーのもの。
 二枚の花弁を破砕した魔槍は弾き飛ばされて尚、自らの目的を忘れず、目標に狙いを定めている。
 次なる一撃は初撃を越え、三枚の花弁を粉砕。
 再び弾かれながら、更なる追撃が加わる。
 刹那の間に繰り出される三連撃。もはや、残る花弁は一枚。その花弁にアーチャーは渾身の魔力を篭める。
 キャスターから供給される膨大な魔力を悉く注ぎ込み、盾は一秒という時間を作り上げた。
 そして、その一秒が活路を作り出す。

「約束された――――」

 キャスターは既に転移の魔術の発動態勢にある。とは言え、転移したとしても、魔槍はどこまでも追い駆けて来る事だろう。
 だが、槍そのモノが消失してしまえば――――、

「――――勝利の剣!!」

 エクスカリバーが発動する。同時にキャスターは転移の魔術を完成させ、逃亡。
 同時にアーチャーの姿も掻き消える。どうやら、キャスターが彼に対しても転移の魔術を行使したらしい。
 如何に大英雄の渾身の一撃と言えど、発動体そのものが失われれば無意味。
 光の斬撃が走る。
 ゲイ・ボルグを防がれる事は即ち、セイバーとアーチャーの奪還を阻止された事を意味する。
 落胆に肩を落としそうになる士郎の耳にバゼットの声が響いた。

「――――後より出でて先に断つ者」

 振り返ると、彼女は拳の上に球体を浮かばせ、真っ直ぐにセイバーを睨み付けている。
 彼女の意図は明白だった。この一撃を防がれてしまったら、二度とキャスターはランサーの宝具の射程範囲に入ろうとはしないだろう。
 ここで取り逃がす事は即ち、キャスターを倒す好機を失うという事。それに、エクスカリバーが直撃すれば、如何に大英雄の宝具と言えども無事には済まない。
 キャスターを取り逃がし、唯一の戦力であるランサーの宝具を失う事態だけは避けなければならない。
 今ここで、キャスターを倒し、ランサーの宝具が破壊される事を防ぐ唯一の手段。それは――――、

「斬り抉る――――」

 放たれし、黄金の輝き目掛け、バゼットはその手に浮かべる奇跡の真名を紡ぐ。
 其は――――、逆光剣・フラガラック。
 ランサーのマスターであるバゼット・フラガ・マクレミッツの秘奥の名。神代の魔術たるフラガラック――――、その力は“不破の迎撃礼装”。呪力、概念によって護られし神の剣。
 後より出でて先に断つ――――。その二つ名の通り、フラガラックは因果を歪ませ、自らの攻撃を『敵の切り札の発動よりも先に為した』というものに書き換えてしまうのだ。如何に強力な宝具を持っていても、死者にその力は振るえない。先に倒された者に反撃の機会を与えられる事は無い。
 フラガラックとは、その事実を誇張する魔術礼装であり、運命を歪ませる相討無効の神のトリック。如何に優れた英雄であろうと、歪められた運命の枠から逃れる事は出来ない。

「――――戦神の」

 だが、それは彼女の宝具が発動すればの話。
 如何に強力な宝具を持っていても、死者にその力は振るえない。それはバゼットに対しても同じ事が言える。

「駄目よ、駄目駄目。あの子を殺させるわけにはいかないの」

 背筋が凍りつく。魔女の転移は単なる逃亡では無く、窮地を打開した先の勝利の為のもの。
 魔女は歪な形状の短剣を発動寸前の逆光剣に突き立てていた。

「破戒すべき全ての符」

 あらゆる魔術契約を断つキャスターの宝具が逆光剣に担い手を裏切らせる。
 発動を中断された逆光剣の球体が落下し、同時にエクスカリバーがゲイ・ボルグ諸共、大地を蹂躙する。
 猛烈な光と爆風に晒され、士郎達は目を開けていられなくなった。

 士郎達とキャスター陣営が交戦を始めた瞬間、既に老人は動き始めていた。
 ただ傍観に徹するも良しの状況にありながら、老人は動く事を選んだ。その理由は――――、

「奴等が手を組むと……?」

 アルトリアが肩に乗せた臓硯の使い魔に問う。
 使い魔越しに老人の嗄れ声が肯定する。

「――――キャスターはランサーのマスターを殺さずに宝具の発動を阻止した。どちらも結果が同じなら、マスターを殺した筈じゃ」
「それはどうかな……。あの女は優れた戦士だ。心臓を破壊されようと、宝具を発動するくらいはしたかもしれない。それを懸念したのでは?」
「ならば、脳を破壊すれば良い。あの魔女ならば可能な筈。脳を破壊すれば、その時点で宝具の発動など不可能。心臓とは違い、壊れた瞬間に人としての機能が失われる故な」
「……なるほど」

 バゼットを殺さなかった理由は一つしか考えられない。
 キャスターは彼等と手を結ぶ算段なのだろう。だとすれば、臓硯にして見れば最悪の展開。
 敵の陣営が巨大化する事は避けねばならない。

「――――負ける気はせんが、不安の種は詰んでおくに限る」
「了解した、マスター。では、仕事をするとしよう」

 アルトリアは円蔵山を視界に収め、自らの聖剣を振り上げた。
 彼女が思うのは先の戦闘で刃を交えた弓兵の事。

「……奇妙な男だ。優れた剣技を持つ癖に、自らを非才の身などと……」

 いや、それは恐らく事実。あの男の剣技は生来のポテンシャルを活かすものでは無く、何も基盤の無い者が必死に地力を上げ、修練に修練を重ねた結果、最適化されたもの。
 だが、如何に歳月を修練のみに捧げようよ、騎士の王とまで称された己に迫る剣技を果たして非才の者が得られるだろうか……?

「……まるで、私と戦う為だけに鍛え上げたかのようだった」

 恐ろしく、奴の剣技は己の剣技と噛み合っていた。それ故に、アルトリアは彼の剣技を褒め称えた。
 初見の相手の剣にああまで見事に合わせられる者など、そうは居ない。それこそ、天賦の才によるものだと思った程だ。
 興味が湧いた。情欲にも似た、堪え切れない興味。もう一度、刃を重ねたいと願ってしまう。けれど、己が果たすべきは“聖杯の入手”。
 ここで、自らの興味を優先し、聖杯を取り逃がすなど、あってはならない。

「……出来る事なら、生き延びてくれ、アーチャー。そして、もう一度、私と刃を交えてくれ」

 その顔は恋する乙女のように可憐。
 なれど、彼女の纏う殺気と振り上げる剣の魔力は邪悪に染め上がっている。

「さあ――――、私の期待に応えて見せろ、アーチャー!! そして、我が写し身よ!!」

 暗黒の魔力が大気をも揺るがし、迸る。

「約束された――――」

 セイバーの放つソレとは比較にならない力の波動。
 正真正銘、本物のアーサー王が振るいし一撃。それを防げる者など――――、

「――――勝利の剣!!」

 気が付くと、士郎達は不可思議な空間に居た。淡い光のドームの中、彼等は顔を見合わせる。自分達が生きている事実に混乱している。
 だが、直ぐに自分達の置かれている状況を判断し、臨戦態勢を整えた。
 そんな彼等の前に彼女は立っていた。

「キャスター……」

 魔女は彼等の前に無防備な姿を晒している。
 表情を引き締める彼等に魔女は言う。

「……ちょっと、止まっていなさい」

 その一言で彼等は身動きが取れなくなった。
 ランサーですら、体の自由が一切効かない状態に驚愕している。

「無駄な抵抗は止しなさい。如何に三騎士と言えど、空間そのものを固定化されていては動けないでしょう。安心なさい。貴方達に危害を加えるつもりは無い。ただ――――」

 キャスターは言った。

「ちょっと、アレに対処する間、邪魔をしないで欲しいのよ」

 キャスターが指差すのは彼等の後方。勝手に首が回り始め、彼等は“ソレ”を目撃した。
 立ち昇る暗黒の魔力。天上にまで到達し、大気をも揺るがし、大地を鳴動させるソレに全ての者の思考が一つとなる。
 見える筈の無い彼方に立つ存在。常勝無敗にして、清廉潔白なる騎士の王。彼女が振り上げる、あまねく兵達の祈りの結晶。
 その剣は正しく、担い手に“勝利”を齎す究極の剣。

「――――令呪をもって、命じます」

 抵抗に意味など無い。あれは発動したが最期、敵に敗北という事実を突きつける。
 にも関わらず、キャスターの目に迷いは無い。 
 あらゆる逆境を知略で切り抜けてこその魔術師の英霊。
 彼女の瞳には自らの敗北という未来を断ち切る意思が宿っている。

「アーチャー!! 自らの“最強”を創り上げなさい!!」

 一画の令呪が消滅し、アーチャーが彼等の前に躍り出る。
 彼は一説の呪文を紡ぐ。

「……I am the bone of my sword.」

 そして、誰もが目を見開いた。彼の手に顕現したソレは紛れも無く、彼方で敵が構えし、“最強の幻想”。

「嘘……」

 その言葉は誰のものか……。
 アーチャーはアーサー王の剣――――、エクスカリバーを手に携えている。

「セイバー!!」

 上空から髪を黒く染め上げたセイバーが降り立つ。彼の手にもエクスカリバーがある。
 同時に“同じ宝具”が三つ存在しているという異常事態。
 その驚天動地の事態に混乱する一同を尻目に稀代の魔女が自らの手に宿る令呪を掲げる。
 
「令呪をもって、我が二人の騎士に命じます。最大威力のエクスカリバーを放ちなさい!!」

 同時にキャスターは自らの魔術を展開する。セイバーとアーチャー。並び立つ二人の騎士に神代の魔術が次々に重なっていく。
 そして、二人は同時に聖剣を振り上げた。
 瞬間、彼方の敵が動く。暗黒に染まりし、エクスカリバーの一撃が迫る。
 対する、セイバーとアーチャーも自らが握るエクスカリバーを振り下ろす。

「約束された勝利の剣!!」
「永久に遙か黄金の剣!!」

 エクスカリバーとエクスカリバー・イマージュ。
 二つの真名解放による光の斬撃が暗黒の斬撃を迎え撃つ。
 片や担い手の中身が偽物。
 片や担い手も宝具も両方偽物。
 故に威力は迫る本物に遠く及ばない。
 けれど、二つが重なり合い、神代の魔女が力を貸せば、その威力は本物をも凌駕する。
 白き光と黒き暗黒がぶつかり合う。世界の終焉を思わせる光と暗黒の衝突は大地に皹を入れ、天上の雲を裂く。田園地帯は荒地に変貌し、余波によって巻き上げられた土砂石が隕石のように周囲に降り注ぐ。民家の屋根が吹き飛び、窓ガラスが割れていく。
 そして、ぶつかり合いを制したのは白き光。セイバーとアーチャーとキャスター。三騎の英霊の力が合わさった事でアルトリアの放ったエクスカリバーを掻き消し、その先の彼女自身へと牙を剥く。
 大幅に威力が減退しているとはいえ、相応の威力を秘めた光の斬撃にアルトリアが浮かべたのは愉悦の笑み。

「……素晴らしい。次に会う時が楽しみだ」

 光に呑み込まれながら、彼女は呟いた。
 光は彼女を呑み込み、尚も突き進む。冬木の空を明るく照らし、山の頂上を削り、空の彼方へと消え去る。
 その光景にキャスターは真顔で呟いた。

「……ちょっと、やり過ぎちゃったかしら」

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