第二十八話「絶望を超えて」

 葛木宗一郎の登場という予想外の事態に敵味方関係無く一瞬の隙が出来た。その一瞬を宗一郎は一つの行動に使った。
 動作は単純。既にポケットから取り出していた一枚の紙切れを破ったのだ。瞬間、虚空に陣が形勢され、その中から神代の魔術師が姿を現した。
 
「――――まったく、無茶をなさらないで下さい……、総一郎様」

 溜息混じりにキャスターは呟く。

「すまんな。教師として、教え子が暴漢に襲われていては助けぬわけにもいかん」
「……相変わらずですね」

 キャスターは宗一郎とアーチャーを庇うように立ち、宗一郎は倒れ伏しているアーチャーに手を伸ばす。

「起きろ、衛宮。まだ、やるべき事が残っているのだろう?」
「……ど、どうして?」
「質問には主語を付けろ。お前の世界の私は教えなかったのか?」

 アーチャーを助け起こし、宗一郎は言う。彼が全てを理解している事を悟り、アーチャーは尚問いを口にした。

「何故……、私を助けたんだ?」

 その表情に浮ぶのは困惑。葛木宗一郎は魔術師ではない。それは確かな事だ。
 ただの人間が英霊の前に立ちはだかるなど、愚行でしかない。
 それも殺されようとしていたのはいずれ敵になるかもしれないサーヴァント。自らの身を危険に晒してまで救う道理など無い筈。

「妙な事を聞くな――――」

 宗一郎は眼鏡を抑えながら淡々と呟く。

「お前が私の生徒だからだ」
「……は?」

 呆気に取られるアーチャーに宗一郎は言う。

「キャスターから話は聞いている。お前が何者なのかもな。別の世界の――――、既に卒業したOBとは言え、お前は私の生徒だ。キャスターもお前達を仲間と称した。ならば、救わぬ理由が無い」
「……せ、先生」

 唖然とするアーチャーにキャスターがクスリと微笑む。

「私が惚れ込む理由が分かったのではなくて?」
「キャスター……、お前は……」

 満面の笑みで惚気る魔女にアーチャーは未だ困惑の表情を向ける。
 すると、宗一郎が言った。

「一つ、あの女は見当違いの事を言っていたな」
「見当違い……?」

 怪訝な表情を浮かべるアーチャーにキャスターが言う。

「貴方の人生が無意味だったなら、私はここに居ないわ」

 そう言って、魔女はアーチャーに微笑み掛ける。

「貴方と契約したその日にとんでもない夢を見せられた。貴方という英霊の事を知ろうと思ってパスを開いた事を猛烈に後悔したわ」
「お、お前……」

 自分の過去を見られたのだと知り、アーチャーは青褪める。

「――――だけど、見ていて愛おしかったわ。だって、貴方はあまりにも一途だった。一途過ぎる程に……」

 だから、助けてあげたくなったのよ。キャスターは言った。

「貴方の後悔を繰り返させない為にセイバーには荒療治を施した。貴方のセイバーが言ってたでしょ? 『最近、ちょっとおかしいんだ。何が正しくて、何が悪い事なのかが分からないんだよ』って」

 アーチャーは息を呑んだ。

「貴方のセイバーはあの時すでに心を病んでいた。当然よ。未だ、男としての人格を強固に持っていた状態で性行為をするなんて、繊細なガラス細工をトンカチで叩くようなものだもの」
「お、俺は……」
「後悔はし飽きたでしょ? あと少し、頑張りなさい、エミヤシロウ」

 キャスターが視線を前に向ける。そこには立ち上がり、憤怒の表情を浮かべるアルトリアが居た。

「……宗一郎様に渡していた魔符のおかげで侵入は出来たけど、脱出するにはこの結界を解除する必要がある」

 キャスターはアルトリアからライダーに視線を移動する。

「私とセイバーはライダーを倒す。恐らく、敵はアサシンやバーサーカーも出して来る筈だから少し時間が掛かると思うの……、だから――――」
「ああ、あの女の事はオレが引き受ける。今度こそ、奴に引導を渡してやるさ」
 
 アーチャーはスッと表情を引き締めた。

「ええ、任せるわ。今度はキッチリ倒しなさい」

 キャスターはそう言うと、アーチャーに複数の魔術を重ね掛けした。

「無粋かしら?」
「いいや、感謝するよ、キャスター。もう……、残るは“アレ”しかないからな」

 アーチャーはそう呟くと、意識を自らの内側へ静めた。
 すると、暗闇に声が響いた。

“アーチャー”

 その声が誰か、聞くまでも無かった。聞き慣れた主の声。

“……本当は貴方の口から聞きたかったわ”

 どうやら、キャスターは相当なお喋りらしい。よもや、己の恥ずべき過去を凜に聞かれるとは思わなかった。
 
“恥ずかしがってないで、目の前の事に集中しなさいね”

 細かな感情まで伝わってしまっているらしい。
 思わず溜息を吐きそうになる。相変わらず、この少女には敵わない……。

“辛気臭い事は言わない。アンタはアンタのやりたい事を精一杯やりなさい。その為に力を貸してあげるから” 

 その言葉と共に全身に活力が漲る。

“頑張りなさい、アーチャー。出来れば……、帰って来てね?”

 努力はする。生前も今も迷惑ばかり掛けてしまっている少女にまだ、己は何も返せていない。
 
“ああ、必ず帰るよ――――、遠坂”

 親愛を篭め、彼女に言う。

“約束よ……、士郎”
“ああ、約束だ”

 瞼を再び開いた時、アーチャーは髪を手でくしゃくしゃにした。髪を下ろした彼はまさに士郎と瓜二つだった。

「――――往くぞ、騎士王!!」

 心を外へ広げる呪を唱える。自らの在り方を謳う。

“I am the bone of my sword.”

 キャスターと宗一郎がセイバーと士郎の下へ後退すると同時にアルトリアが動いた。
 突如、己を投げ飛ばした宗一郎の異様な体術を警戒していたのだろう。

“Steel is my body,and fire is my blood.”

 投影を行う。生み出される剣群にアルトリアは足を止める事無く回避する。

“I have created over a thousand blades.”

 けれど、距離を詰めるには至らない。刀剣があたかも結界のようにアーチャーを中心に降り注ぐ。

“Unknown to Death.Nor known to Life.”

 遠くでキャスター達も動き出した。
 あちらは彼等に任せよう。
 
“Embraced regret to create many weapons.”

 アルトリアが剣群の合間を抜けて迫る。
 投影するはバーサーカーの斧剣。同時に彼の技術も模倣する。

「――――是、射殺す百頭」

 本物には遠く及ばぬであろう剣戟だが、アルトリアは咄嗟に距離を取る。

“Yet,those hands will never hold anything.”

 詠唱は一節を残して完成した。
 空気の変化を感じたのか、アルトリアは動きを止め、真っ直ぐにアーチャーを見つめた。

「……面白い。まだ、抗うのだな。ならば、見せてみよ」

 片腕のみの癖に勇ましく、力強く、堂々と立ちはだかる騎士の王。
 嘗て、遠く及ばなかった頂に今、手を伸ばす――――、

「So as I pray,“unlimited blade works”.」

 世界は書き換わり、荒野が広がる。無数の剣が墓標の如く立ち並び、その中央には美しい二振りの剣。
 天は曇り、世界は薄闇に包まれている。
 これがアーチャーの心象世界。衛宮士郎に許された唯一の魔術。それが“剣”であるなら、如何なるものでも複製する固有結界。
 
「……なるほど、貴様は剣士でも無ければ、弓兵ですらなかったわけか」

 呆れたようにアルトリアは呟く。

「なのに、あれほどの剣技か……」

 溜息を零す彼女にアーチャーは呟く。

「全てはお前を倒し――――、今度こそ“悟の味方”になる為だ!!」

 それこそ、彼が胸に秘めていた願い。
 父から託された祈りを否定する独り善がりな願い。
 好きな子の為だけに生きたい。そんな子供染みた願い。

「……これが嫉妬というものか。お前の心にあるのは常に一人なのだな」

 あの日、悟を死なせる以外の方法があったなら、きっと違う未来があった。
 託された夢や背負った祈りに背を向けて、ただ一人の為だけに生きる道があった筈。
 過ぎ去った過去のIFを求め、無駄と知りながら必死に足掻いてきた。

「だが、アレはお前の愛した女ではあるまい。所詮、似て非なる別物だ。それでも、お前は――――」
「分かっているさ。別に小僧と立場を入れ替えたいなどと思ってはいない。オレはただ、日野悟が幸福になる未来さえ切り開ければソレで良い」

 アーチャーは言った。

「愛して貰えなくたって良かったんだ!! ただ、幸せにしたかった!! なのに、オレは一時の感情に任せて、取り返しのつかない事をしてしまった!!」

 そうだ。愛して貰えなくても良かった。ただ、悟が幸せになれればそれで良かった筈なのだ。
 なのに、その未来を己の手で潰してしまった。幸せになれたかもしれない悟の未来を潰してしまった。
 それがアーチャーの妄執の正体。

「オレは悟の未来を切り開く!! その為だけにココに居る!!」

 アーチャーは片腕を上げる。その手に引き寄せられるは二振りの聖剣。
 光と闇。相反する二つの属性に別れた同一の剣が重なり合う。
 陰には陰の、陽には陽の欠落がある。それを互いに埋め合い、一つの奇跡を為す。

「二振りのエクスカリバーを一つにするとは……、無茶苦茶な事をするな」 

 おかしそうにアルトリアは笑う。

「まるで、子供の発想ではないか……。一本では太刀打ち出来ないと見て、二本を一本に打ち直すなど――――」
「そう馬鹿にしたものでも無いさ。コレなら、お前の持つ本物にだって負けはしない」
「だが、そんなモノを使えばお前は――――」
「覚悟の上だ」

 二振りのエクスカリバーを融合させる。そうは言っても、別に力が二倍になるわけでは無い。
 単に光の剣と闇の剣、双方にある欠陥を埋め合ったに過ぎない。
 けれど、光と闇、双方の力を有するソレはもはや――――、

「……その剣の半身は私の剣だな?」

 アーチャーが頷くと、アルトリアは喜色を浮かべた。

「そうか……。お前の心には確かに“私”も居るのだな」

 アルトリアはそう言うと漆黒の魔剣を振りかざす。

「……受けて立とう」

 膨大な魔力を魔剣に注ぎ込むアルトリア。
 対するアーチャーも凜とキャスターから与えられた力を一滴残らず注ぎ込む。

「願わくば、この瞬間だけは私だけを思え――――、エミヤシロウ!!」

 アルトリアが思いの丈を叫ぶ。それに応えるが如く、アーチャーが烈火の如く吼える。
 光が破裂する。二つの幻想が世界を蹂躙する。
 その光景はまるで世界の原初をみるようだった。無が割れ、天と地が発生した瞬間の如き光景。
 あらゆる生命の死がそこにあり、あらゆる生命の生がそこにある。
 そして――――、

「……ぁぁ」

 霞む視界の向こうに嘗て愛した人が居た。

「……駄目だよ、士郎君。逝かないでよ……」

 顔をくしゃくしゃに歪め、涙を浮かべるセイバー。

「……やつ、は?」

 声が上手く発せられない。どうやら、ダメージが相当酷いらしい。

「マキリのセイバーは消滅したわ。そして、貴方は未だ……、ここに居る。貴方は勝ったのよ、アーチャー」

 キャスターが優しい笑みを浮べて言った。

「アーチャー……」

 小僧が複雑そうに己を見つめている。
 意識が今にも消えそうだ。ぼやけた視界に光が見える。どうやら、そう長くはもたないらしい。
 多少の苦痛を無視して、口を開く。

「――――衛宮士郎」
「……なんだ?」

 既に体の半分が消えているアーチャー。
 彼は苦悶に表情を歪めながら言う。

「オレと同じ間違いを犯すな……」
「……ああ、分かってる」

 アーチャーは次にキャスターを見た。

「……任せてもいいか?」
「貴方は最大の障害を排除してくれたわ。その功績には相応の報酬が在って然るべきですもの」

 キャスターは言う。

「引き受けてあげるわ、アーチャー。だから、安心なさい」
「……すまない」

 そして、アーチャーはセイバーを見つめる。

「……士郎君」

 涙を浮かべるセイバーにアーチャーは言った。

「オレは……、悟に幸せになって欲しかった」

 アーチャーの言葉にセイバーは黙って耳を澄ます。

「幸せになってくれ、悟」

 その言葉がセイバーの心に重く圧し掛かった。
 けれど、撥ね付ける事など出来ない。己の為に人生の殆どを費やしてくれた相手に言える事など一つしかなかった。

「……うん。ありがとう、士郎君」

 必死に笑顔を取り繕う。もう、彼の体は半分以上消えてしまっている。

「……それと、凜に伝えてくれ。すまなかった……、と」
「――――そういう事は直接伝えなさいよ、馬鹿」

 その声にアーチャーは僅かに目を見開いた。
 そこには凜が居た。額から汗を流し、肩で息をしながら彼女は立っていた。
 彼女は川の向こうの衛宮邸から必死にここまで走って来たのだ。
 
「……すまなかった、凜。君を勝者にしたかった。それは誓って本当なんだ」
「……どうだかね、嘘吐き」

 それはどれに対しての言葉だろう。あまりに多くの嘘を吐いて来たせいで直ぐに分からなかった。
 虚言ばかり弄した事を申し訳なく思う。

「――――帰って来てって、言ったのに」

 凜は涙を流していた。

「アンタだって、幸せになっていいのに……」

 凜はアーチャーの頭を撫でる。

「アンタはよく頑張ったわ」
「……そう、思うか?」

 アーチャーは自信無さ気に問う。

「オレはちゃんと……」
「立派な人になれたよ、士郎君」

 セイバーは微笑みながら言った。

「君はちゃんと、立派な人になったよ」
「……ああ、嬉しいなぁ」

 アーチャーは涙を流しながら笑みを浮かべた。

「ありがとう、遠坂。君がオレを召喚してくれたおかげだ。オレの人生は――――、報われた」

第二十八話「絶望を超えて」」への4件のフィードバック

  1. おおう…。葛木先生かっこいいね。
    アーチャーと黒セイバーはここで退場ですか。アーチャーお疲れ様。
    てっきり反転が解けて正常化したアルトリアが絶望のどん底に落ちるのではと思っていたのだけれど…。
    うん。黒セイバーが倒れたならマキリ陣営はほぼ全滅に近いはず。
    でも全く不穏な気配がきえてないな。

    • これよりいよいよ終盤に入ります。
      序盤が士郎とセイバーの物語
      中盤がアーチャーの物語
      そして、終盤は――――、いよいよ彼の物語が始まります。
      彼と士郎の物語が交差する最終局面。残り僅かとなりましたが、これからもよろしくお願いします!

  2. やっぱ相打ちか、でも守れたね
    アーチャーお疲れ様
    そろそろヒロイン覚醒ねw

    • 序盤が士郎とセイバーの物語でしたが、中盤はアーチャーの物語でした。
      彼の物語が終わりを迎えたことでいよいよ物語は終盤。
      彼がいよいよ動き出します(∩´∀`)∩

Kento へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。