第二十七話「絶望の果て・下」

 いい加減、痺れを切らした三人は警戒しながら森の外へ撤退する事にした。
 油断した所を狙う作戦だろうと思い、慎重に行動したが、結局、森を抜け、衛宮邸に戻ってもイリヤの襲撃は無かった。
 不可解に思いながらも無事に家へ帰る事が出来た――――。

 思い出すと苦笑してしまう。その頃から既に気持ちにズレが生じていたのだろう。

 アインツベルンの森からの脱出に成功し束の間の平穏を取り戻したものの、予断を許さぬ現状。三人は今後の事を考える。

『幸い、令呪を消費せずに済んだわけだし、高ランクの対魔力を持つセイバーならキャスターを倒す事は難しくない筈。問題はランサーとアサシンね……』

 内、片方は令呪を使う事で倒す事も出来るだろう。けれど、問題は残る一体。

『しばらくは様子見に徹するってのは?』

 悟が提案すると、遠坂は渋い表情を浮かべる。

『セイバーが正真正銘最強最優の英霊だったら、その案もアリなんだけどね……』
『何か問題があるのか?』
『多分、セイバーはキャスターに次いで弱い。それでも、令呪を使えば一度限り最強になれる。残るサーヴァントはどれも間諜に秀でたクラスであったり、英霊であったりするから、セイバーを最後の一人にはしないと思うの』
『なんで?』

 俺が首を傾げると遠坂は呆れたようにジトっとした目を向けて来る。

『セイバーは一度だけなら最強になれるのよ? 最後の一人に残したら、セイバーは迷い無く最強状態で迎え撃てちゃうじゃない』
『あ……』
『だから、どの陣営もセイバーに最後の令呪を使わせようと動く筈』
『なら……、どうするんだ?』
『決まってる。こっちから攻め込むのよ。キャスターとアサシンは内に引き篭もり、必勝の策を練り、刹那の隙を狙うクラスだから、待ち構えるのは下策だし』

 遠坂の言っている事は至極もっともだ。けれど、問題が一つある。

『攻め込むのはいいとして……、敵うかな? 令呪は使えないわけだろ?』

 自身無さ気に呟く悟。

『――――……そうなのよね。それが最大の問題なのよね』
『致命的な欠陥があるじゃないか……』

 敵わないのに攻め込んでも自滅するだけだ。
 
『でも、待ち構えてたら余計窮地に陥るわけだし……』
『結局……、どっちにしても死線を潜る必要があるわけか……。攻め込んだ方がまだマシってだけで……』
『そういう事よ』

 話し合いの末、俺達はキャスターが根城とする柳洞寺に赴くこととなった――――。

 夜になり、三人は円蔵山へと向う。不気味な程静かな夜道。

『なんか……人の気配が全然しないな』
『まあ、今は聖杯戦争中だもの。聖杯戦争の事を何も知らなくても、街にはびこる違和感を感じて、皆、家に引き篭もってるんだと思う』

 やがて、円蔵山に辿り着くと、三人は愕然となった。
 柳洞寺へ続く石段が崩れているのだ。何事かと思いながら、慎重に山門を目指して登る。
 柳洞寺に辿り着いた瞬間、三人は猛烈な死臭を感じた。

『あ、あれって――――!』

 中心部には女性の死体が転がっていた。赤い髪の女。

『……どうやら、魔術師だったみたいね。既に死んでいる。もしかすると、ランサーのマスターかも……』
『ランサーのマスター……?』

 悟が大きく目を見開く。それを正体不明だったランサーのマスターが死んでいる事に対する驚愕と受け取った遠坂が頷く。

『恐らく、彼女はランサーと共に此処に攻め込んだ。けれど、返り討ちにあったみたい』

 幸運と受け取って良いのかは不明。
 三人は不気味なものを感じながら境内を歩き、本堂へ入る。
 中は外よりも更に濃厚な死臭が漂っていた。

 寺の人間は皆無事だった。ただ、目覚めぬ眠りについているだけ……。
 寝返り一つうたず、五十人弱の僧侶は例外無く衰弱し切っていた。

『後で教会に連絡を入れましょう。大丈夫……、助かるわ』

 遠坂は優しく囁いた。いつの間にか拳を握り締め、険しい表情を浮かべていたらしい。
 奥へと向う。そして、そこには――――、

『葛木先生……?』

 辺り一面に広がる赤。
 床に倒れ伏した男の胸から血があふれ出し、床を染め上げていた。
 
『……死んでから、大分時間が経っているみたい』
『な、なんで、葛木先生が?』

 原因は分かるが、理由が分からない。

『……恐らく、彼がキャスターのマスターだ』

 悟が言った。

『葛木先生が!?』

 驚く俺に対して、遠坂は『なるほど』と頷く。

『けど……、どうして死んでいるんだ?』
『……もしかして、キャスターはランサーと相打ちになったのかしら?』

 幾ら考えても、答えは分からなかった。
 教会に連絡を入れ、俺達は一端、衛宮邸へと戻る事にした。
 そして――――、何も起こらぬまま数日が経過した。

 あの時は本当に平和な時間が流れていた。どうせなら、もっと満喫すれば良かったとさえ思う。
 最初の数日は常に警戒しながら時間を過ごした。けれど、一向に敵が襲って来なかった。
 当然だろう。既に敵は一人残らず駆逐されていたのだ。ただ一人を除いて――――。

『ひょっとして……、もう戦いは終わってる?』

 あまりにも平穏な時間が続き、遠坂が困惑した表情で呟く。

『終わってるって……、どういう事だ?』
『いや、だって……、こんなに待っても襲撃の一つも無いって事は……。ほら、アーチャーがバーサーカーと相打ちになって、ランサーとキャスターも相打ちになって、ライダーは既にセイバーが倒している。残るはアサシンで、襲撃をずっと警戒していたけど……、アサシンがとっくに他の陣営に撃破されていた可能性も有り得なくは無い……でしょ?』

 あまりにも唐突過ぎる勝利。
 俺と悟はポカンとした表情を浮かべている。

『とりあえず、明日、ちょっと教会に行って来る。もし、本当に勝利してたなら、教会が把握してる筈。あそこに居座ってる監督役はあんまり仕事熱心じゃないから、こっちから確認しに行かないと――――』
『ま、待った! 教会って……、“言峰綺礼”に会いに行くのか? それは――――』
『……はい? なんで、綺礼の名前が出て来るのよ?』
『え、いやだって、監督役って言うから……』

 悟の言葉に遠坂は不可解そうな表情を浮かべる。

『何を言ってるの……? 監督役はカレン・オルテンシアっていう女よ? 綺礼なら――――、十年前に死んでるじゃない』

 悟はその言葉に愕然とした表情を浮かべた――――。

 様子のおかしい悟の事が心配になり、その夜、俺は悟に宛がった部屋に来た。

『なあ、どうしたんだよ?』
『な、なんでも無いよ……』

 明らかに隠し事をしている。それがなんだか面白くなかった。
 既に数週間を共に過ごしている仲なのだ。死線を何度も潜り抜け、肌も重ねた。
 今更、何を隠すというんだ。そう、不満を口にすると、悟は申し訳無さそうに呟く。

『ごめん……。もう少しだけ、待って欲しい……』

 結局、悟の秘密は明かして貰えなかった。最後まで……。

 そのまま、二人で一緒に居ると不意に月明かりが溢れる夜の廃墟で悟を抱いた時の事を思い出し、落ち着かなくなった。
 あの時のように、部屋は月明かりに照らされている。

『その、悟……』
『なんだい?』
『その……、魔力って、大丈夫なのか?』
『……っぷ』

 悟は噴出した。そして、そのまま服を脱ぎ始める。

『別に言い訳とかはいらないよ』
『……うん』

 そうして、その夜も何事も無く過ぎていった――――。

 互いの気持ちは一致していると思い込んでいた。
 肌を重ね合う事はその確認となると信じていた。

 翌日、遠坂は教会に出向く事になり、その間、俺達二人は街に出た。もう、戦いが終わっているなら何も心配は無い。俺は悟を連れまわし、色々な場所を回った。
 悟はいつもニコニコしていた。それを俺は楽しんでくれているのだと感じ、喜んだ。もう、戦わなくていいのだ。これからは二人で仲良く楽しく過ごすのだ。
 空が茜色に染まり、体がクタクタになるまで二人は遊び歩いた。

 そして――――、再び聖杯戦争の時間がやって来た。

『……え?』

 帰り道、談笑しながら歩く二人の前に彼は現れた。

『慎二……?』

 ライダーとの戦いの後、姿を晦ませていた慎二の登場に二人は驚く。
 
『……十分に楽しめたか?』

 慎二は陰鬱そうに問う。

『え?』

 途惑う俺に構わず慎二は言う。

『……友人の好で時間をやったけど、それも明日までだ』

 茜色に染まる橋の上で慎二は告げる。

『もう、これ以上は待てないらしい……。衛宮、今直ぐにセイバーとの契約を破棄して、教会に行け』
『な、何言ってるんだよ……。聖杯戦争は終わった筈だろ!? 俺達が勝ったんだ!! だから、もう……、戦わなくていい筈で……。俺とさと……、セイバーはずっと一緒に――――』
『現実を見せてやるよ』

 慎二が指を鳴らすと、俺達は息を呑んだ。

『これが現実だ。お前達は決して勝てないという……、残酷な真実だ』

 声は慎二の背後から響いた。
 そこに、悟……否、セイバーが立っていた。ただし、鎧や衣は漆黒に染まっている。

『お前は……』
『知っている筈だぞ、我が写し身よ。さあ、選ぶが良い。今直ぐに戦いから降りるか……、それとも――――』
『ふ、ふざけるな!! な、なんなんだよ、お前!?』
『知ってるだろ? アーサー王だよ、衛宮。本物のアーサー王だ』

 慎二が言う。

『僕がコイツを抑えておけるのは明日までだ。それまでに決めろ。僕は……、お前を殺したいわけじゃない。間違えるなよ? そいつは人間じゃない。単なる亡霊なんだ。そんな奴の為に命を粗末にするなよ?』
『――――待て、シンジ』
『……あ?』

 去ろうとする慎二を呼び止めたのは黒のセイバーだった。

『お前の事は気に入っている。故に、幾らか譲歩してやった。だが、私はこの写し身に興味がある。明日まで待って、自害でもされては興醒めだ。少し、遊ばせろ』
『……おい』
『案ずるな。その小僧の事はどうでもいい。それに、適当に遊んだら切り上げるさ』

 剣を抜く黒のセイバーに慎二は鼻を鳴らす。

『勝手にしろ。だけど、衛宮は殺すな。そいつは……、桜を少しだけ人間にしてくれたからな』
『そ、それってどういう意味だ、慎二!?』
『お前が知る必要は無い』

 そう言って、慎二は去って行った。そして、戦いは唐突に幕を開いた。……否、それは戦いなどと呼ぶのもおこがましい、一方的な蹂躙だった。
 悟は一太刀すら受け切れずに倒れ伏し、黒のセイバーは悟が起き上がるのを待つ。その繰り返しを十繰り返した後、黒のセイバーは悟の頭を踏みつけ、言う。

『つまらんな。私の写し身ともあろうものが、何と言う体たらくだ……』

 蹴り飛ばし、橋の下を流れる川に悟を落とす黒のセイバー。

『テ、テメェ!!』

 飛び掛ると黒のセイバーは焦る様子も見せずに俺の拳を避けた。そして、誰かが俺の腹を蹴り、悟と同じく川へ落とした。
 落下の際、俺が見たのは――――、慎二に寄り添う六つの影だった。

『馬鹿……な』

 あまりにも絶望的な光景がそこにあった。
 脱落した筈の六体のサーヴァントが、まるで慎二に付き従うかのように立っていた。
 体を漆黒に染めながら――――。

 その後、ずぶ濡れの状態で衛宮邸に帰ると、遠坂が待っていた。彼女は教会で情報を手に入れて来た。
 本来、どの陣営にも手を貸さない筈の教会が情報を渡した理由は一つ。聖杯戦争という枠組みを逸脱した現象が発生している為だった。
 第三次聖杯戦争でアインツベルンが犯した過ち。第四次聖杯戦争の最後に起きた事件。そして、この第五次聖杯戦争でマキリが犯した反則と凶行。
 慎二に与えられた最後の時間をどう使うか必死に考え、そして――――、

『……凜。確認したい事がある』
『何かしら?』

 黒のセイバーへの対策法が一向に思いつかず、雲泥の気分に浸っていると、悟が突然言った。

『令呪を使い、俺を完全にアーサー王にする事は出来ないかな?』
『……どういう意味? 令呪はあくまでも一時的なものに過ぎないから永続的には続かないわよ?』

 遠坂の言葉に頷きながら悟は名案だとばかりに言う。

『ほら、令呪を使って、俺の精神をアーサー王のものにするのさ。そうすれば、一時的じゃなくて、永続的に戦闘力を向上させる事が出来る筈だ』

 その言葉の意味を正しく理解出来たのは遠坂だけだった。
 彼女は険しい表情で口を開きかけ――――、やがて俯き、感情の無い声で言った。

『……そんな事をしたら、自分がどうなるか分かって言ってるの?』
『もちろんだよ。けど、他に選択肢も無いだろ?』
『な、何を言ってるんだ?』

 二人の空気が重くなっている事に気付き、遠坂を問い詰める。
 すると、彼女は言った。

『……恐らく、セイバーの提案は可能だと思う。令呪を使えば、霊魂からアーサー王の精神を複製して、セイバーの精神に上書きする事も出来る筈よ。でも――――』

 彼女は言った。

『そんな事をしたら、セイバーの意識はアーサー王の意識に塗り潰されてしまう』
『ど、どういう事だよ……』
『分からない? アーサー王の精神で塗り潰されたら、セイバーの意思は残らない。今の彼女は死ぬのよ』
『……え?』

 何を馬鹿なと叫びそうになった。
 悟が死ぬ。そんな事を許容する事は出来ない。そんな事になったら、全てが無意味になってしまう。

『その案は却下だ。他の方法を探そう』

 遠坂と悟は俺が必死に考えて意見を口にすると、悉く論破した。
 そんな作戦では全滅するだけだ……、と。
 
 悟は言った。

『――――アーサー王が士郎の中にある鞘を手にすれば、敵は居ない。最強最優の英霊として、全てに決着をつけられる筈だ』

 そう言って、詰め寄る悟に俺は只管首を横に振り続けた。

『他に方法がある筈だ』
『そんなものは無いよ……。戦力が違い過ぎるんだ。士郎、覚悟を決めるしかないんだよ』

 その言葉で頭に血が上った。

『なんだよ、覚悟って!! お前一人に犠牲を払わせるくらいなら、俺はいっそ――――』
『自棄を起こすなよ』

 激昂する俺に対して、悟はどこまでも冷静だった。穏やかに微笑んでいる。
 そして――――、

『君は正義の味方になりたいんだろ?』

 そんな残酷な事を口にした。

『マキリを勝たせるわけにはいかない。凜が言ってただろ? マキリは人喰いを是として、大量の犠牲者を出しているんだ。そんな奴等に聖杯が渡ればどうなると思う?』
『で、でも――――』

 分かっている。マキリは何としても止めなければならない。
 学校に行ってなかった為に知らなかったけれど、クラスメイトも何人か行方をくらましているらしい。
 その原因がどこにあるか考えずとも分かる。
 だけど――――、

『こ、怖くないのかよ!? お前、死んじゃうんだぞ!?』
『……怖くないよ』

 穏やかな笑顔のまま、悟は言った。

『だって、君を守れるんだぜ? 怖がる理由が無いじゃないか。それに俺は一度死んでる身だ。だから、大丈夫さ』
 
 いつの間にか、遠坂は居なくなっていた。けど、そんな事はどうでも良かった。
 ただ、悟の考えを改めさせたくて、口を動かし続けた。

『他にも方法がある筈だ!! 思考停止してるだけだろ!! もっと、よく考えよう!!』
『……無いよ。俺も士郎も弱過ぎる。せめて、もう少し力があれば良かったんだけどね……』
『でも……、こんなの――――ッ!!』
『……泣くなよ、士郎』

 いつの間にか、目から止め処なく涙が溢れ出していた。

『――――士郎。俺と君が出会って、まだ二週間くらいしか経ってないんだぜ? だから、大丈夫だ』
『何が大丈夫なんだよ!?』
『君は乗り越えられるよ。この二週間あまりの聖杯戦争を過去の思い出にして、ちゃんと歩き続けられる。大丈夫だよ。君は強いからね』
『な、何言ってんだよ!?』

 勝手な事ばかり言う悟に俺は掴み掛かった。

『ふざけるなよ!! 居なくなるなよ!! お前は俺とずっと一緒に居るんだ!!』

 身勝手な事を口にしていると分かっていながら、俺は言わずに居られなかった。
 そのまま、途惑う悟の唇を奪う。

『……仕方無いな』

 諦めたように呟く悟。
 大丈夫だという確信があった。だって、俺達の気持ちは同じ筈。
 そうじゃなかったら、拒絶している筈なんだ。
 服を脱がし、抱いた。何度も何度も泣きながら抱いた。

『……気は済んだかい?』
『……え?』

 気がつけば夜明けが近づいていた。
 悟の言葉に途惑う俺。対して、彼は続ける。

『酷い事を君に言う。だから、先に謝っておくよ』
『な、何を言って……』
『君が愛したのはこの体だ。俺じゃない』

 そんな酷い事を悟は口にした。

『ち、違う。俺は――――』
『俺の見た目が違っていたら、君はきっと抱きたいなんて思わなかった筈だ』
『違う!! 俺は悟の事を――――』
『君が愛した女は偽物だ。君はこの容姿に騙されたんだよ』

 やめてくれ。そう叫んだ。なのに、悟はやめてくれなかった。

『俺は偽物なんだよ、士郎。セイバーというクラスもアーサー王という真名も女という性別も全て偽物だ。日野悟という何の取り得も無い大学生。それが俺なんだよ』
『や、やめろよ……』
『俺は偽物なんだ。そして、お前の愛も――――』

 偽物だ。そう断じられて、頭がおかしくなりそうだった。
 違う。そう、何度も叫んだ。けれど、悟は穏やかな笑みを浮かべるばかりだった。

『俺は悟が好きなんだ!! さ、悟だって、そうなんだろ!? だって、じゃなきゃ……、肌を重ねるなんて……』
『……ああ、愛してるよ』

 その言葉に……、戦慄した。
 違う。悟が俺に向けているモノと俺が悟に向けているモノは決定的に違っていた。
 男が女に向ける愛では無く、悟が俺に向けるソレは――――、親が子に向ける愛情。
 そう、藤ねえが俺に向けて来る愛情と酷く似ていた。

『……なら、なんで……、俺が求めた時に拒絶しなかったんだ?』
『……不安にさせたくなかった』

 悟は言った。

『何から何まで偽物だけど、そんな俺にも出来る事があるならする。ただ、それだけだよ。ただ、士郎が望むなら俺は――――』
『やめろ!!』

 ただ、求められたから応えただけなんて……、そんなの娼婦と同じだ。
 俺は悟にそんな事を望んだわけじゃない。

『……ごめん。最近、ちょっとおかしいんだ。何が正しくて、何が悪い事なのかが分からないんだよ』
『さ、悟……?』

 悟は苦悩に満ちた表情を浮かべていた。

『ただ、士郎の為に何かしようとすると、頭がスッキリするんだ。他の何よりも集中出来る。だから――――……ごめん』

 足場が崩れ去ったかのような気分だった。
 何もかもを裏切られた。俺はただ只管惨めになり、涙を零した。
 悟はそんな俺の頭を撫でながら『ごめんね……』と呟き続けた。
 
 そして、夜が明けた。俺は心が乱れ切っていた。手酷い裏切りにあった気分だった。
 だから、諦めてしまった。泣きながら、震えながら、俺は令呪を掲げる。
 悟はやはり穏やかな笑顔のままだった。

『大丈夫だよ、士郎。君は大丈夫。きっと、こんな事に負けたりしない』

 悟は言う。まるで、急き立てられているかのように早口だ。

『――――ちゃんと乗り越えて……、君は立派な人間になるんだよ』

 そして、俺は令呪を使った。
 変化は一瞬だった。後悔しても遅過ぎた。
 垂れがちだった目が釣り上がり、穏やかな笑顔が消えた。

『……では、マスター。早速、アヴァロンを摘出しましょう』

 それは悟が死んだ事を意味した。
 俺が悟を殺した。その事に気付いたのはセイバーが俺の中からアヴァロンを取り出した後の事だった。
 セイバーは強かった。マキリの陣営は七体の英霊を使役し、更に聖杯の泥を戦力に盛り込んでいたが、アヴァロンを手にしたアーサー王の前に悉く敗れ去った。
 幕切れは驚く程呆気無いものだった。あまりにも呆気無さ過ぎて、俺は脱力してしまった。
 
『では、マスター。さらばです』

 用は済んだとばかりにセイバーは聖杯を破壊して消えた。
 俺に残ったのは悟を殺した事実だけだった。


 
 それで彼が経験した聖杯戦争は終わりだった。
 愛した者を殺した士郎は全てを捨てて旅に出た。同時期に渡英した凜の助けを借りながら魔術の鍛錬を重ねながら戦場を練り歩き、嘗て、義父から譲り受けた理想を叶える為に戦い続けた。
 憧れは呪いとなった。

“君は立派な人間になるんだよ”

 悟が言い残した言葉が士郎に足を止める選択を許さなかった。
 彼を殺したからには立派な人間にならなければならない。中途半端など許されない。
 多くの悲劇を食い止める為に人を殺した。戦いを扇動する者を殺し、病の感染源を排除し、悲劇を生み出す者を殺した。
 殺して、殺して、殺し続けた。狙撃の技術や毒の知識を深めていく。
 正義の味方になる。立派な人間になる。その為に超一流の殺人鬼となった。

 人の心を持たない怪物として人々に忌避されるようになり、彼は人気の無い場所に身を隠すようになる。
 そこは山奥の小さな小屋だった。正義を執行する時以外はここで剣を握った。暗殺を主な手段とする彼には無用である筈の技術を鍛え続けた。
 瞼の裏に焼きつくセイバーの戦い。あれほどの力があれば、悟を殺さずに済んだ。だから、無意味と知りながら剣を振り続ける。只管彼女の戦いをトレースし続けた。そして、悟を殺す事になった要因である黒のセイバーを殺す方法を考え続けた。
 
 戦場を練り歩くか、無意味な鍛錬で自己陶酔に浸り、そして、妄想に耽り自分を慰める日々。
 苦しみしか無かった。けれど、止まれなかった。

“君は立派な人間になるんだよ”

 悟が残した呪いが足を止める事を許してくれなかった。
 そして、気がつけばそこに居た。思想に共感してくれた友人に裏切られ、独房に入れられた。
 死刑台に向いながら、それでも安堵してしまう。友人には感謝の言葉しかなかった。
 これで苦しみから逃れられる。首に縄を掛けられ、最後の時を向かえる。
 そして、今際の際に彼は呟く。

『ああ――――、俺は正義の味方じゃなくて……』

 そして、死を迎えた彼を待ち受けていたのは終わりの虚無――――ではなく、更なる地獄だった。

 彼は既に守護者の契約を世界と交わしていた。掃除屋として、世界の滅びを水際で防ぎ続ける日々。
 見たくも無い人間の醜悪な部分ばかりを延々と見せられ続けた。
 心は磨耗し切り、ただ只管苦しみ続けた。

 そうして、彼は彼女によって運命に招かれる。再び見る“終わった筈の世界”で彼は無意味と思いながら半生を費やし鍛え上げた剣技と共に戦場へ向う。
 それが英霊・エミヤシロウの生涯だった。セイバーが知る本来の彼とは違う存在。只管、後悔に塗れ、自己陶酔と妄想に耽り続けた男。
 彼の見せる憎悪、憤怒は全て己に向けられたものだった。彼がマキリのセイバーに殺意を向けるのも己の後悔が故。
 
「――――オレは」

 アーチャーが吼える。

「お前を殺して、今度こそ――――」

 少年の体は青年のものへと成長した。けれど、奇妙な出会いと数奇な運命を経て尚、心はあの頃のまま……。
 アーチャーの干将が振り下ろされる。
 瞬間――――、

「……他の女の事を考えるとは余裕だな」

 アーチャーの腕が干将ごと引き裂かれた。
 勝利の確信。それが呼び起こした歓喜にアーチャーの動きが僅かに一瞬遅れ、その隙をアルトリアは逃さなかった。
 片腕でありながら、魔力放出を使い放たれた斬撃はアーチャーを一撃で戦闘不能に追い込んだ。

「……なるほど」

 アルトリアはセイバーを見た。そして、視線はそのまま士郎に向けられる。

「……そういう事か」

 つまらなそうにアルトリアは肩を竦める。

「お前がそれほどの剣技を手にするには人生の大半を注ぎ込まねば足らなかっただろう」

 まるで、失望したかのようにアルトリアは冷たい眼差しを彼に向ける。

「貴様の努力は全て水の泡だ。まったく、無意味な人生を送ったな――――」

 悔しいのか涙を溢れさせるアーチャー。飛び出そうとするセイバーと士郎。そして、アーチャーに止めを刺そうとするアルトリア。
 彼等の動きを止めたのは一人の男だった。

「……は?」

 止めを刺そうとエクスカリバーを振り上げたアルトリアの懐に踏み込んだのは――――、

「せ、先生?」

 士郎は目を点にした。眼鏡を掛けた倫理の先生が最強の英霊の首に指をねじ込み、遠くへ投げ飛ばしたのだ。
 呆気に取られる一同。それまで傍観していた慎二やライダーからも驚きの声が上がる。
 士郎の学校の先生、葛木宗一郎は威風堂々とそこに立っていた。
 常の厳格な態度を崩さず、彼は言う。

「……無事か、衛宮。学生がこんな夜更けにこんな場所をうろつくなど感心しないな」

第二十七話「絶望の果て・下」」への2件のフィードバック

  1. 悟セイバーは垂れ目だと!
    そんなの士郎じゃなくてもだまs…惚れるわ!

    にしても散々だな悟さん
    今日もありがとうございます!

    • ビジュアル的には三枝さんっぽい顔つきのセイバーな感じですねヽ(°▽、°)ノ
      アーチャーのサトセイバーは心にガタがきてましたけど、それでも士郎の事は何より大切でした。だからこそ、彼を思う時だけは頭がスッキリすると発言しています。
      なので、士郎の為に死ねた事は彼にとってそこまで悪い結果では無かったのです(∩´∀`)∩

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