第九話「まずは学校でいつもどんな風に過ごしているのか、聞かせてもらえるかな?」

 セイバーと黒衣のサーヴァントの戦いはほぼ、一方的なリンチの様相を見せていた。なにしろ、敵があまりにも速い過ぎる。直感のスキルによる迎撃が間に合わず、体の至る所から血を垂れ流している。激しい痛みが思考を鈍化させ、更に苦戦を強いられるという悪循環。

「ッハハ、なんだ、ただの木偶の坊じゃないか! どうやら、外れを引いたらしいな、衛宮」

 返す言葉も無い。彼の言葉は真実だ。本物のアーサー王なら、この程度の相手に苦戦などしない。
 目で追えない時点で詰んでいる。後は嬲り殺しにされて終わるだけだ。だが、そうなると己のマスターはどうなる? 偽物相手に救いの手を伸ばそうとしてくれた士郎。己が居なくなった後、目の前の怪物が彼に何をするか、想像しただけで吐き気が込み上げて来る。
 終われない。彼の為に、ここで諦めるわけにはいかない。せめて、この命を引き換えにしてでも、目の前の敵を倒す。彼女さえ居なければ、士郎は逃げられる。凛と合流を果たす事が出来ればもう、安心だ。彼女はきっと、彼を守り抜いてくれる。
 だから、狙うは必殺。こちらの息の根を止めようと仕掛けて来る一瞬に全てを賭ける。相手が女である事を無視し、全身に走る痛みを無視し、誰かを殺す事への罪悪感を無視する。
 士郎を守りたい。その事で頭の中をいっぱいにする。他の余計な感情が入り込む隙間を作らない。

「いいぞ、やっちまえ、ライダー! 衛宮のサーヴァントを始末しろ!」

 ついに来た。直感が示すライダーの必殺の軌跡に全身全霊を掛けた攻撃を放つ。
 守りを捨てた渾身の一撃がライダーの体を大きく抉る。けれど、同時に襲い来る筈の痛みが来ない。届いたのは甲高い金属音と守るべき主の息遣い。

「し、士郎……君?」

 セイバーが声を掛けるも、彼の耳には届かない。聴覚がまともに機能していない。むしろ、まともに機能しているのは片目だけだ。痺れたみたいに、手足の感覚も無い。

「酷い出来だ……」

 両の手には白と黒の双剣。陰陽剣、干将・莫耶。ライダーの釘剣を渾身の力で弾き返して尚、刀身には傷一つ無い。けれど、その出来はあまり良く無い。
 士郎の体がよろめき、セイバーが慌てて抱き止める。

「嘘だろ……」

 慎二の声が響く。呆然と傷ついたライダーを見下ろしている。まだ、彼女は生きていた。
 セイバーは小声で謝りながら士郎を地面に寝かせ、エクスカリバーの柄を握り締めた。

「な、何してるんだよ、おい! ふざけんなよ!」

 取り乱す彼に一歩ずつ近寄っていく。

「……慎二君」

 ライダーに対して、口汚い罵声を浴びせる慎二にセイバーは声を掛けた。

「な、なんだよ……。来るんじゃない! お、おい、ライダー! いつまで寝てるつもりなんだ!」

 ライダーの体に火花が散る。どうやら、慎二の命令に従えない罰を受けているらしい。
 悪循環だ。ライダーはもう戦える状態じゃない。立ち上がる事さえ困難の様子。なのに、慎二は立ち上がり、戦えと命じる。その命令を守れないが為に体を苛まされ、傷を深くして、命の灯火を小さくして行く。

「……慎二君、ライダーを引き渡すんだ。そして、家族の下へ帰りなさい」

 ライダーは殺す。女だろうと、彼女はサーヴァントだ。サーヴァントが生き残っている限り、聖杯戦争は終わらない。だから、止めを差す。
 いつかはこの時が来ると分かっていた。

「……さあ、行くんだ」

 怖い。喉がからからに渇いている。
 いくら、相手が人間じゃなくて、サーヴァントだとしても、殺すのは罪だ。戦争だから、生き残るためだから、敵だから……、思いつく限りの言い訳を脳裏に浮かべる。
 士郎を守るという事はつまり、聖杯戦争を終わらせるという事。それは即ち、敵サーヴァントを殺すと言う事。
 慎二は悲鳴を上げて逃げて行った。もう、これで邪魔をする者は居ない。

「……ぅぁ」

 ライダーに近寄れば近寄るほど、体が震え、眩暈に襲われる。

「……こ、殺さなきゃいけないんだ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

「殺すんだ……。殺さなきゃ、守れないんだから……仕方無いんだ」

 全身から力が抜けていく。

「ぁぁ……」

 怖い。こんなに怖い気持ちになるのは初めてだ。トレーラーに牽かれる寸前だって、こんなに怖くは無かった。
 人を殺すって、死ぬより怖い事なんだ。

「でも……、でも……」

 ガランという音がした。俺はエクスカリバーを落としてしまった。

「あ……、ひ、拾わなきゃ――――」

 落ちたエクスカリバーを拾おうと腰を屈めた瞬間、狙い済ましたかのようにライダーが動いた。
 反応が出来ない。直感がどうこうのレベルじゃない。対処しようにも、体勢が悪過ぎる。
 殺される。直感が告げたのは、起死回生の一手などではなく、避けようの無い現実だった。だと言うのに、セイバーはホッと胸を撫で下ろしてしまった。
 これで、殺さなくて済む……。

「――――この野郎!」

 血飛沫が舞った。セイバーのものでは無い。首から上を失った、ライダーのものだ。
 士郎が干将で飛び掛かって来たライダーの首を刎ねたのだ。

「な、なんで……」
「……セイバーは殺さなくていい」

 士郎は静かな声で言った。

「だ、駄目だ……。士郎君の方こそ、子供がこんな事――――」
「泣いてる癖に!」

 セイバーの言葉を遮り、士郎は怒鳴った。顔を強張らせるセイバーに士郎は唇を噛んだ。

「……こういうのは俺の役割なんだよ」
「何を言って――――」
「――――魔術師は死を容認するものだ」

 士郎は今まで聞いた事の無い冷たい声で言った。

「……他者を傷つけようと傷つけまいと関係無い。自分自身の手を汚さなくても、進む道は血に塗れる。それが魔術師って存在なんだ。だから、俺には人を殺す覚悟が出来てる。でも、セイバーは違うだろ」
「お、俺だって、君を守る為に――――」
「そんな事の為に……、セイバーが人を殺す覚悟なんてする必要無い!」
「だって、それじゃあ、君を――――」
「守らなくていい! そんな顔をしてる奴に守られたくなんかない!」
 
 なんて、馬鹿な話だろう。聖杯戦争に参加するって事の意味を己は今に至るまで、真に理解出来ていなかったのだ。士郎は干将を苛立ちに任せて投げ捨てた。
 戦い、生き残るにはサーヴァントを殺さなければならない。それはつまり、セイバーが士郎を守ろうとする限り、いずれ彼にはサーヴァントを殺さなければならない時が来るという事。そして、それが今だった。
 こうなる事は想定出来た筈なのだ。魔術師ですら無い一般人である日野悟が人を殺める。それが如何なる苦しみを彼に与えるか、考えもしなかった自分が憎らしい。

「前提を間違えてたんだ。何があっても、セイバーを戦わせるなんて、しちゃいけなかった」
「士郎君、それは――――」
「悟は一般人なんだぞ!」

 本名を呼び捨てにされて、思わずセイバーは黙った。

「悟が命の遣り取りをするなんて、間違ってる。もっと、早くに気付かなきゃいけなかったのに……」

 士郎は言った。

「もう、セイバーには戦わせない」
「ば、馬鹿を言うな! 瀕死のライダーを殺したくらいで――――」
「分かってる。ライダーはとっくに死に体だった。残る五体のサーヴァントを相手に今の俺の力が通用するなんて思ってない」
「なら……」
「だから、強くなる」

 士郎の目には揺るぎない決意の光が灯っている。

「……そんなの、駄目だ」

 けれど、セイバーも引くわけには行かなかった。

「敵を殺す為に力を求めるなんて……、それを人は修羅道と呼ぶんだ。士郎君にそんな地獄を歩ませたくない!」
「だから、自分で歩むってのか?」

 怒りを滲ませた士郎の声に、今度はたじろがなかった。

「ああ、そうだ。忘れるなよ、士郎君。俺はとっくに死んでるんだ。地獄を歩むのは死人の役目、敵を殺すのは俺の役目だ」
「泣きべそかいて、震えて、肝心の武器を落として、そんな奴に修羅道を歩むなんて無理だし、許さない」
「君の許可なんて不要だ。さっきは醜態を晒したけど、次は必ず――――」
「殺すって? 無理だな、お前には」
「無理じゃない!」

 互いに睨み合う二人。決して譲れぬ思いが、二人の間に亀裂を作る。
 互いに思い合うからこそ、ぶつかる。

「お前はただ、美味い飯を食べて、ゲームして、寝転がってればいいんだ!」
「こっちの台詞だ! 子供は子供らしく、大人に甘えてろ! もっと、自己中心的になれ!」

 言い争う二人。その二人を止めたのは小さな呻き声だった。
 ライダーに襲われた女性。彼女は微かに息をしていた。
 助かるかもしれない。そうと分かった途端、二人の頭から言い争いを続けるという選択肢は消えうせた。一刻も早く、彼女を治療する必要がある。

「慎二は医者に連れて行っても無駄だって言ってた」
「なら、凛に助けを求めるしかない。衛宮邸に向おう」
「ああ、分かった」

 頷いて、士郎が女性を抱き上げようと屈んだ途端、彼の体が崩れ落ちた。

「し、士郎君!?」
「あ……れ――――?」

 ピクリとも動かなくなった。慌ててセイバーが呼吸を確認すると、不規則とは言え士郎はかろうじて生きていた。けど、予断は許されない。

「と、とにかく、凛の下に……」

 苦戦しながら、士郎を背中に背負い、女性を抱き上げる。二人を落とさないように慎重にセイバーは歩き始めた。
 
 屋敷に到着すると、セイバーは二人を床に降ろして凜に助けを求めた。

「……それは?」

 凜より早く、アーチャーが駆けつけてくれた。彼は士郎が握ったままの莫耶を見て、僅かに瞠目した。

「これは士郎君が投影したものだ。それより、二人を!」
「――――なるほど、小僧の方は私が何とかしよう。そちらの女性は凜に任せるしかない」

 彼の親切にセイバーはもはや驚かなかった。ただ、信頼を篭めて、彼に士郎を預けた。

「……なるほど、私の剣を投影した事で閉じていたものが開いたらしい」
「閉じていたもの?」
「この小僧は度し難い愚か者だ。魔術回路とは、一度作ってしまえば、後はスイッチのオンオフをする要領で表層に現出させる事が出来る。だが、この小僧はそれを知らずに勘違いしていたらしい」
「つまり……?」
「小僧の内には既に回路があったのだ。だが、こやつはそれを知らずに今日まで生きて来た。故に、放棄されていた区画が急に『正しい使い方』をされて驚いている状態なのさ。いずれにせよ、処置は施した。一晩眠れば、体も動くようになる」
「じゃ、じゃあ、もう士郎君は――――」
「問題無い。むしろ、今までが異常だった分、目を覚ました時、以前よりも幾らかマシな魔術師になっている筈だ」
「そ、そうか……」
「それより――――」

 アーチャーが口を開きかけた時、廊下の奥から凜が走って来た。その手には赤い宝石が握られている。

「――――ったく、こういうのは教会の領分なのに!」

 文句を言いながら、事情も聞かずに治療を開始する凛。どうやら、セイバーが二人を背負って帰って来るのを窓から目撃していたらしい。治療に必要なものをかき集めるのに時間が掛かったそうだ。

「凛、彼女は……」
「何とか、一命を取り止めたわ。雑な喰らい方をしたものね、彼女を襲った奴は」

 そう言って、彼女は立ち上がり、セイバーに視線を向けた。

「それじゃあ、説明してもらえるかしら?」
「……うん」

 とりあえず、場所を移す事にした。士郎と女性を布団に寝かせ、居間に向う。

「そう言えば、さっきは何かを言い掛けてたよね?」

 居間の襖を開けながらアーチャーに問う。すると、彼は顔を逸らして言った。

「何でもない。それより、今夜の稽古は無しだ。今夜はゆっくり体を休めておけ」
「……うん。いろいろとありがとう、アーチャー」
「……ふん」

 アーチャーは踵を返し、姿を消した。
 もう一度、セイバーは虚空に感謝の言葉を投げ掛け、凛への報告の為に席に着いた。
 ライダーのマスターが慎二である事や、彼女を脱落させる事が出来た事を話すと、凜は「なるほど」と肩を竦めた。

「未熟者コンビにしては上出来よ。だけど、今日の戦果は相手も未熟だったから、という理由に過ぎない。その事を忘れちゃだめだからね?」
「……ああ、肝に銘じておくよ」
「――――それにしても、慎二か……、完全に盲点だったわ。まあ、確かにマキリは御三家の一つだし、裏技の一つや二つ、用意しててもおかしくないか……」

 考え事をしたいから、と凜が部屋に戻った後、セイバーは士郎が眠る部屋に向った。
 結局、士郎との言い争いに関しては凜に話さなかった。士郎の意思は誰が何と言おうと変わらないだろうから、対処法は彼が安心出来る位、セイバー自身が強くなる事しか無いからだ。
 氷水を用意して、タオルを湿らせ、彼の額に流れる汗を拭う。

「寝顔だと、余計に幼く見えるな……」

 こんな子供に人を殺させてしまった事に深い罪悪感を覚える。
 あの時、己がもっと確りしていれば……、ライダーを殺せていれば、士郎を不安にさせる事も無かった。

「情け無いな……、俺」

 彼より年上の癖に肝心な所で怖気付いてしまった。これでは、何の為にアーチャーに稽古をつけてもらっているのか分からなくなってしまう。
 
「士郎君は正義の味方になるんだろ? なら、敵を殺す為に力を求めたりしたら駄目だよ……」

 直接は聞いていないけど、セイバーは彼の夢を知っている。その顛末が如何なるものかも知っている。でも、原作の凛ルートで、彼の未来であるアーチャーは自らの過去を肯定した。
 苦しい事や悲しい事はあるだろうけど、彼はちゃんと正義の味方になれるんだ。なら、こんな自分のせいで道を踏み外させるわけにはいかない。
 このままいけば、きっと、彼は取り返しのつかない未来に向って歩んで行ってしまう気がする。

「……幸せになって欲しいな」

 これが父性というものなのだろうか?
 彼に不幸な人生を歩んで欲しくないと、セイバーは切に祈りながら一晩中、士郎の看病を続けた。
 朝になり、先に目を覚ました女性はパニックを起こしたけれど、予め、準備を整えていた凜が対処した。記憶を弄り、朝の内にアーチャーを連れ、教会へと連れて行った。
 お昼になっても目を覚まさない士郎を心配しつつ、セイバーは少しだけ彼から離れ、お風呂場に向った。昨晩の戦いで服や肌に汚れが付着したままだったからだ。
 服を脱ぎ、洗濯籠に入れてから中に入る。衛宮邸のお風呂は広々としていて快適だ。椅子に座り、シャワーを浴びる。曇り止めの塗装がされている鏡にクッキリと映る自らの姿をセイバーは溜息を零しながら見つめた。

「……あれ?」

 マジマジと鏡を見つめると、奇妙な違和感に襲われた。
 何がどうとは言えないけれど、奥歯に物が挟まったかのような感じがする。
 しばらく眺めて、結局結論が出せず、セイバーは考えを放棄して、髪と体を洗い、湯船に浸かった。足をめいいっぱい伸ばせるお風呂というのは実に素晴らしい。
 生前、住んでいたアパートは便所と一緒な上にとても狭くて辛い思いをした。このお風呂に浸かっている時間はまさに至福。この世界に来て良かったと思う瞬間を与えてくれる。

「……ん?」

 のんびり浸かっていると、扉の外でガチャガチャと物音がした。
 士郎が起きて、洗濯物を片付けようとしているのかもしれない。病み上がりの彼にそんな事をさせるわけにはいかない。慌てて止めようと声を発しようとした時、急に扉が開いた。欠伸をかみ殺しながら、割と大きいアレをブラブラさせ、入って来た。

「……あれ?」

 漸く、士郎君はセイバーに気付いた。互いに言葉を失う。
 凍り付いた時間を動かしたのは天井から垂れてきた冷たい雫だった。
 ポチャンという音と共に我に返ったセイバーは言った。

「……まさか、お風呂場でバッタリを体験する事になるとはな」

 士郎の表情が目まぐるしく変化する。最初は赤くなり、次に青くなり、最後には真っ白になった。

「ご、ごめん、セイバー! 汗を流そうと思って、それで!」
「……ああ、とりあえず、落ち着きなよ。ほら、深呼吸、深呼吸」

 セイバーに促され、素直に深呼吸をする士郎。漸く冷静さを取り戻した彼は回れ右をした。

「……ちょっと、待ってくれ、士郎君」

 出て行こうとする彼をセイバーは呼び止めた。

「な、なんでしょう……?」

 強張った表情の士郎。

「……ちょっと、話をしないか?」
「話……?」
「ああ、体を洗いながらで構わないよ」
「いや、それは――――」
「男同士、裸の付き合いといこう」
「男同士って言っても……・。大体、何を話すのさ?」
「お互いの事さ」
「お互いの……?」

 セイバーは頷いた。

「ちゃんと、君の事を知りたい。それに、俺の事も知って欲しい。駄目かな?」
「……いや、いいけど、ここじゃなくても――――」
「ここなら、変に飾らずに話せる気がするんだ」
「……分かった」

 士郎は渋々頷きながら、石鹸を手に取った。

「それで、俺の何を知りたいんだ?」
「そうだねぇ――――、うん。まずは学校でいつもどんな風に過ごしているのか、聞かせてもらえるかな?」

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