第三十三話「第二魔法――――、キシュア・ゼルレッチ」

 私の聖杯戦争は既に終了している。十年待った私の聖杯戦争がこんな風に呆気無く終わってしまうとは思わなかった。
 まあ、アーチャーは本懐を遂げられて満足して逝ったわけだし、そこに文句をつけるつもりは無い。
 けど――――、

「……文句を言う時間さえくれないんだもん」

 涙が薄っすらと浮かぶ。
 色々と言いたい事もあった。もっと、一緒に居たかった。辛い人生を歩んだのだから、その分、彼の事も幸福にしてあげたかった。
 彼にとって、私は何だったんだろう。

『……すまなかった、凜。君を勝者にしたかった。それは誓って本当なんだ』

 そんな言い訳染みた言葉は欲しくなかった。

『ありがとう、遠坂。君がオレを召喚してくれたおかげだ。オレの人生は――――、報われた』

 そんな事で感謝されても嬉しくない。

「……馬鹿」

 私が欲しかった言葉は私と共に居た時間を肯定する言葉。
 彼の心には常に一人。私は結局、最後まで他人だった。

「……っちぇ」

 理不尽である事は重々承知している。それでもセイバーを見ていると苛立ってしまう。そんな自分の狭量さに驚くと共に腹が立つ。
 セイバーに罪など無い。ただ、巻き込まれてしまったイザコザの中で懸命に抗おうとしているだけだ。なのに、どうしてこんなにイラついてしまうのだろうか……。
 椅子に腰掛、眉間に皺を寄せているとノックの音が響いた。

「――――誰?」

 面倒に感じながら椅子から立ち上がり、扉を開く。
 すると、予想外の人物が立っていた。

「く、葛木先生?」

 そこに居たのは葛木宗一郎。私が通う高校の教師。

「――――遠坂。思い悩んでいるそうだな」
「……何のことですか?」
「お前を心配する友人から相談を受けた」
「友人……?」

 そんなもの、私にはいない。昔はそういう付き合いもあったけど、今は魔術師の家の当主としての自覚があるから他人とは一定の距離を置くようにしている。
 
「一体、誰の事ですか?」
「アインツベルンだ」
「……イリヤ?」

 あの子は友人どころか敵だ。今は士郎を助けるという共通した意志の下で共闘しているが、決して親しい間柄ではない。
 
「……それで、一体先生が私に何の用ですか?」

 つい、刺々しい口調になってしまう。

「――――要らぬ節介とは思うが……、教師として思い悩む生徒を放っておく訳にはいかん」
「……本当にそれだけですか?」
「どういう意味だ?」
「だって、貴方はキャスターのマスターじゃない」

 魔術師では無い。さりとて、一般人とも違う。キャスターと契約したのは単なる偶然という話だけど、それだって確固たる証拠があるわけじゃない。
 安易に信用していい相手じゃない。

「リン……。貴方、いつまで意地を張っているつもりなの?」

 宗一郎の背後からひょっこりと顔を出したのはイリヤ。

「意地って……」
「ここに居る者は誰も裏切ったりしないわ」
「どうして、そう言い切れるの?」
「だって、意味が無いもの」

 イリヤはキッパリと言った。

「意味が無い……?」
「考えてもみなさい。私や貴女は別に聖杯に固執しているわけじゃない。ただ、士郎の為にココに居るに過ぎない。そして、それはキャスターにも当て嵌まる」
「キャスターにも……?」
「彼女は聖杯を欲しているけど、同時にアーチャーとの約束を守ろうともしている。でなきゃ、アーチャーが脱落した今、ここに居座る理由が無いもの」

 それは……、認めざるを得ない。彼女はいつでも私達を見捨てる事が出来る。なのに、彼女がココに居座る理由はアーチャーとの約束を守り、士郎とセイバーを生かす為。

「私達の意志は一致している。故に裏切る必要なんて無い」
「でも……――――」
「――――ねえ、リン。もう、一人で抱え込む必要は無いのよ?」

 イリヤの言葉に困惑する。別に私は何も抱え込んでなんか――――、

「士郎とセイバーがあまりにも無防備だから、貴女は常に周囲に目を光らせる必要があった。セイバーやアーチャーがキャスターに奪われた事で一時は士郎を一人で守らなければならなくなった時もある。だから、誰の事も信じられなくなった。自分だけは常に周囲を疑い、隙を見せないようにしないといけないから……」
「そ、そんな事は……」
「アーチャーが居なくなったせいで、貴女のその思いは更に強まってしまった」
「私は――――」

 声を張り上げようとする私をイリヤが抱き締めた。
 あまりの事に声が出ない。目を丸くする私に彼女は言う。

「前にも言ったでしょ? 一人で根を詰めるのは禁物だって」
「イリヤ……」
「私達は仲間よ。私は愛する弟を守りたい。貴女は大切なパートナーの願いを叶えたい。なんなら、誓ってあげる」

 イリヤはまるで母のように穏やかに微笑んだ。
 その瞬間、私はちっぽけな子供に戻っていた。まだ、家族皆で一緒に過ごしていた頃の……、世の理不尽を何も知らなかった頃の私に戻っていた。

「――――私は貴女を裏切らない。最後の瞬間まで、貴女の味方で居てあげる」
「……どうして?」
「だって、貴女はシロウを守ってくれた。これまでずっと……。私の愛する弟を守り続けてくれた。あんなポンコツコンビを抱えて、魑魅魍魎が跳梁跋扈する聖杯戦争を戦い抜くなんて、無茶を通り越して無謀。だけど、貴女は今日まであの子を守り通した。その事に私が恩を感じている事がそんなに不思議な事かしら?」
「…………いや、だって、貴女は一回士郎を殺してるじゃない!!」
「それは私もマスターの一人だったからよ。マスター同士は殺し合う。それが聖杯戦争のルール。だけど、今の私はマスターじゃない。ただのシロウのお姉ちゃんよ」

 溜息が出た。張り詰めていたものが解放されたような気分。
 イリヤは味方だ。そんな事、ずっと前から分かっていた筈なのに、どうしても警戒を緩める事が出来なかった。
 理由は彼女の言った通り。士郎とセイバーを守る。その事を気負い過ぎていたらしい。

「……ありがとう、イリヤ」
「相談……、してくれるかしら? 貴女の悩みを私達にも聞かせてちょうだい」

 イリヤの言葉に頷き掛けて、その必要が無くなった事を悟った。
 頭の中がすっきりしていて、セイバーに対する苛立ちの原因もスッと理解出来た。
 
『何も……、教えてもらえなかった。あんなに一緒に居たのに……、結局、最期まで……』

 以前、アーチャーが呟いた言葉が脳裏に響く。
 それが苛立ちの正体だ。セイバーの隠し事。アーチャーが知りたいと願った彼の秘密。
 それを今尚、私達に話してくれない事に腹が立っていたのだ。

「――――ごめん。必要無くなっちゃった」
「ふーん。悩みは解決したって事?」
「ううん。そうじゃなくて、これから悩みを解決しに行くの」

 私は二人に感謝の言葉を告げ、部屋を出た。
 居間に入ると、エプロン姿で朝食をテーブルに並べるセイバーの姿があった。
 
「セイバー。食事の後に大事な話があるの。いいかしら?」
「……凜? 別に構わないけど、大事な話って?」
「後で話すわ。先に朝食を済ませてしまいましょう」
「う、うん……」

 困惑した様子のセイバー。今日は絶対に逃がさない。白状してもらう。全てを――――。


 
 朝食は恙無く終わり、セイバーがお茶を淹れて回っている。

「セイバー。座ってちょうだい」

 凜はセイバーが淹れたお茶を一口飲むと言った。

「う、うん」

 緊張した面持ちのセイバー。

「二人はどうしたんだ?」

 二人の間に走る奇妙な緊張感に士郎はすっかり困惑し、傍らに座るイリヤに問う。

「凜がセイバーに聞きたい事があるんだって」
「聞きたい事?」

 よく分からず、士郎はハラハラしながら二人を見守る。

「単刀直入に聞くわ。貴方が隠している事を教えなさい、セイバー」
「か……、隠してる事って?」
「この期に及んで惚けないでちょうだい。私が何を聞きたがっているか……、分かってるでしょ?」

 その言葉にセイバーは顔を強張らせた。助けを求めるように士郎を見る。
 士郎が思わず助け舟を出そうとするとイリヤに止められた。

「私も気になるわ、セイバー。貴方が何らかの隠し事をしているなら、それは私達の信頼関係に致命的な溝を作る事になる。それでも隠し通したい事なの?」

 穏やかな口調だけど、そこには断固とした意思が垣間見える。

「で、でも……」

 セイバーは再び士郎を見た。

「士郎がどうかしたわけ?」

 凜が問うと、セイバーは恥ずかしそうに呟く。

「……この事を話したら、士郎に嫌われちゃうかもって思って」

 その言葉に誰よりも早く士郎が反応した。

「嫌わない!!」
「し、士郎……?」
「嫌うわけないだろ!! 何を聞いたって、俺はセイバーを嫌いになんてならない!!」
「士郎君……」

 いきなり出来上がった二人の世界に凜はすっかり呆れてしまった。

「はいはい、御馳走様。聞いての通り、士郎は貴方にゾッコンだから、何を聞いても嫌ったりしないわよ」
「……う、うん」

 今度は頬を赤く染め、別の意図で士郎を見つめるセイバー。ウットリとした眼差しに別の意味でイラッとくる。

「いいから、さっさと話しなさい。いい加減にしないと、しばくわよ?」
「は、はい!」

 セイバーは名残惜しそうに士郎から視線を逸らし、深呼吸をしてから口を開いた。

「……まず、俺がこことは違う世界の人間だって事は皆知っての通りだ」

 凜達が頷くのを見て、セイバーはゆっくりと話を続けた。

「俺の世界には『Fate/stay night』っていうゲームがある」
「ゲーム……?」
「うん……。ジャンルは伝奇活劇ヴィジュアルノベル。まあ、簡単に言うと小説みたいなものだよ。話の内容に沿った絵や音楽がある分、アニメや漫画のような要素もあるゲームなんだ」
「それがどうしたんだ……?」

 突然、ゲームの話題を振られすっかり困惑する士郎達。ただ一人、全てを理解しているらしいキャスターだけが悠々とお茶を口にしている。
 語るべきか語らないべきか、セイバーは迷った。この話はある意味でこの世界を否定するものだ。それはつまり、彼等の事を否定する事でもある。
 けれど、この期に及んで口を噤む事は出来ない。

「……士郎」
「なんだ?」
「……その……、本当に俺の事……、嫌わないか?」

 もじもじと問い掛けるセイバーに士郎は顔を真っ赤にして頷いた。

「ぜ、絶対嫌わない!!」
「そういうのいいから、さっさと話を進めなさい!」

 凜に嗾けられ、セイバーは深く息を吸い、覚悟を決めた。

「……そのゲームの内容は聖杯戦争っていう魔術師同士の戦いを描いたものなんだ」
「――――は?」

 一同が凍りつく。セイバーはキュッと唇を窄め、話を続けるべきか再び迷った。

「……続けてくれ、セイバー」

 士郎の一言を受け、セイバーは懸命に迷いを振り払う。
 
「……その作品の主人公の名前は――――、衛宮士郎」

 セイバーは恐る恐る話し始めた。『Fate/stay night』というゲームの内容を……。
 出来る限り、事細やかに説明を終えた後、セイバーは俯いた。反応が怖かった。
 特に士郎の顔を見るのが怖かった。

「……ゲームか――――、さすがに予想外だったわ」

 凜の言葉に震えが走った。
 
「……ねえ、貴方は知ってたの?」

 凜が問う。

「マキリの聖杯やアーチャーの正体を最初から知っていたの?」

 それは単なる問い掛け。思わず顔を上げた先にある凜の顔に怒りの色は無い。

「……うん。知ってたよ。アーチャーが士郎だって事を俺は知ってた」
「そう……、そうなんだ」

 深く息を吐く凜。彼女が今、何を考えているのか想像もつかない。

「とにかく、謎は解けたわね。セイバーが言峰綺礼を監督役だと思い込んでいた理由もハッキリした」

 イリヤの言葉に凜が頷く。

「…………もっと早く教えてくれていたら、色々出来たかもしれないのに」
「ごめん……」
「まあ、いきなり言われても信じられなかったかもしれないけど」

 凜とイリヤは俺の話した事をあくまで情報の一つとして受け入れている。
 けれど、セイバーの不安は晴れない。一番肝心な相手が未だ反応を示していない。
 
「ゲームか……」

 漸く口を開いた士郎の言葉に身が竦む。次に何を言うか想像して恐怖のあまりどうにかなりそうだ。
 裏切り者。嘘吐き。偽物。この状況で自らに相応しい罵倒の文句が山のように浮んで来る。

「……悟」

 士郎は言った。

「怖がるなよ」
「……え?」

 士郎が俺の目下を人差し指でなぞる。すると、彼の指に小さな雫が付着した。
 それで漸く、自分が泣いている事に気が付いた。

「言っただろ? 何を聞いたって、お前を嫌いになんてならない」
「士郎……」

 士郎はセイバーを安心させるように微笑み、そして、少しだけムスッとした表情を浮かべた。

「むしろ、俺がお前を嫌うなんて思われた方が心外だ。俺って、そんなに信用ならないか?」
「そ、そんな事無い!!」

 机に乗り出して主張するセイバーを士郎は愛おしそうに見つめる。

「なら、俺を疑うな。俺は何があってもセイバーを嫌いになんてならないし、セイバーに嫌われるような事もしない」
「士郎……」

 感極まり過ぎて、感情が抑えられない。無意識に彼の頬に手を伸ばしていた。

「……やばいよ、士郎。ますます、君が好きになっちゃった」

 慄くような表情を浮かべて言うセイバーに凜が頭をチョップする。

「いい加減にしなさい」
「ご、ごめん……」

 呆れ帰っている凜とイリヤの表情を見て、急激に恥ずかしくなった。

「セイバー」
「な、なんだい?」
「俺からも話があるんだ」
「は、話……?」

 このタイミングで話とは一体……。
 セイバーの脳内に広がるのはキャスターの夢で見た目くるめく日々の情景。
 
「……なんで、セイバーはこんな頭の中お花畑状態になってるの?」

 悶々としているセイバーにドン引きしているイリヤ。

「まあ、恋愛経験なんて無かったみたいだし、初めて恋人が出来て浮かれてるんでしょ……」

 呆れかえる二人を尻目にセイバーは士郎の次の言葉を待っている。
 
「――――キャスターが俺を強化してくれる事になったんだ」
「……へ?」

 予想外の言葉にセイバーはキョトンとした表情を浮かべる。

「強化って……?」

 セイバーが問う。士郎はキャスターにされた説明をそのまま一同に伝えた。
 
「ま、待ってよ! し、士郎の人格が塗り潰されるかもしれないなんて、そんな事――――」
「もう、決めた事だ。それに、俺は何があっても俺のままで居続ける。言っただろ? 俺はセイバーが嫌がる事を絶対にしないって」

 だからさ、と士郎は言った。

「俺を信じてくれ」
「……士郎。でも、幾ら何でも……」
「頼むよ、悟。俺はお前を守りたい。それに、大切な家族を救いたい」
「それは……、正義の味方として?」

 セイバーが思わず呟いた言葉に士郎は首を振る。

「正義の味方としてじゃない……、衛宮士郎として、恋人と家族を助ける。その為に俺は力が欲しい」
「士郎……」

 その瞳に宿る決意の大きさにセイバーは慄き、涙を零す。

「ぜ、絶対……、帰って来てよ?」
「当たり前だ。俺が死んだら、セイバーが悲しむって分かってるからな」
「士郎……」

 二人のやり取りにすっかり置いてけぼりを喰らった凜とイリヤは溜息を零した。

「なんか、こいつ等を心配するのが馬鹿らしくなって来たわ」

 額を手で抑えながら呟く凜にイリヤが頷く。

「こういうのを日本だとバカップルって言うのよね。お爺様が教えてくれたわ」
「……お爺様って、まさか……、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンの事じゃないわよね……?」

 イリヤは応えずにお茶を啜る。

「……なんか、頭が痛くなって来たわ」
「確りしなさい、凜。貴女にはこの後重要な役割があるんだから」
「重要な役割……? なによ、それ? 初耳だけど……」

 イリヤは勿体振るような笑みを浮かべてゆっくりと言った。

「――――貴女にちょっと至って貰おうと思うの」
「至るって……?」
「決まってるでしょ? 遠坂家が至るべき到達点。第二魔法――――、キシュア・ゼルレッチよ」

第三十三話「第二魔法――――、キシュア・ゼルレッチ」」への2件のフィードバック

  1. ちょっと秘密の暴露が話し手も聞き手もあっさりしすぎてないかな?
    魔法学校の時は丸々1話使ってたけど。

    元々サトちゃんが隠してたのは正直に話しても信憑性が低すぎて信じて貰えないこと。
    凛曰く「嘘くさくてしょうがない」でしたし。
    それと自分でも何が何だか整理しきれない胡蝶の夢のような状態だからでは?
    目の前の人物に対して「貴方をゲームの画面の向こうで知っていた」なんて言えませんし。

    • この辺はちょっと悩みました(;・∀・)
      実を言うと、プロット段階ではもう一パターン用意はしていたのです。
      ただ、既にキャスターがセイバーの事を把握していて、凜達もその事を察しているのです。
      なので、彼女が特に反応を示さない=真実なのだと受け取るしかない。なので、凜とイリヤはそれを一つ情報として受け取った感じです。
      士郎に関しては……(;∩´∀`)∩実は好感度がカンストしているのが理由です。
      最初の円蔵山でのアーチャーVSアルトリア前に暴露話が来た場合はもう一つのパターンだったのですが、実際に執筆しているとそんな暇が無かったといいますか@w@;;

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