第十五話「そんな事――――、オレはとうの昔から知っている」

 全てが上手くいった。戦いの日々は過去となり、俺の隣には彼が居る。元の姿には戻れなかったけど、構わない。
 驚くべき事だと思う。“幸せ”というものに小細工は不要だった。“美味しい料理”も“使いきれないお金”も“綺麗で広々とした家”も必要無い。ただ、その人の傍に居られるだけで、この世は天国に早変わりする。
 彼の顔から目が離せない。微笑むたびに目尻に寄る皺の数を数えてみる。他の誰に見せる時より、目尻の皺が多い。彼も俺の傍に居られる事を喜んでくれている事が分かる。

「手を出して」

 士郎が手を伸ばす。拒絶の選択肢など無く、自然に彼の手を握り締める。すると、彼の空いている方の手が腰に据えられた。身震いする。
 触れ合った肌が燃えるように熱くなる。最高の感覚。胸の奥が激しく疼く。いつまでもこうしていたいと思う。
 その願いは口に出す必要が無かった。彼はいつもこうして俺に触れている。傍に居る事を常に確認せずにいられないらしい。仕方の無い子だ。
 愛おしさが際限無く込み上げて来る。彼の頬に手を当てる。温かい肌の弾力が心地良い。彼と言う存在が俺に与える影響は果てしなく大きい。その事を実感し、涙が滲む。
 この感情が一方通行じゃない保証なんて無い。もしかしたら、彼が俺に向けている感情は想像と違うものかもしれない。こうして傍に居ても、彼の鼓動は速まっていないかもしれない。そう思うと、胸が引き裂かれそうになる。

「どうしたんだよ。何か、考え事か?」

 士郎が問う。俺はこの孤独な葛藤の答えを求めている。
 何て、強欲なんだろう。“生前”も含め、今までこんなに欲張りだったつもりは無い。なのに、求める気持ちが溢れ出す。
 ただ、傍に居るだけで、他の何処に居るよりも満たされるのに、彼の心を確かめたいと願ってしまう。
 想像通りの感情を向けて欲しいと求めてしまう。

「士郎……」

 嫌がられたらどうしよう……。
 そんな俺の迷いを感じ取ったのか、彼は安心させるように穏やかに微笑んだ。
 目の周りの皺が網目のようになる。最上級の笑みを浮かべた彼はこの世の如何なる存在をも凌駕するハンサムに変身する。
 
「どうした?」
「……俺」

 深呼吸をして、ありったけの勇気を振り絞る。

「俺……」

 瞳が潤む。動悸が激しくなり、頬が赤くなる。途端、彼は俺に回していた腕に力を篭めた。
 そして、抵抗する間も――するつもりも――無く唇を奪われた。
 
「士郎……」

 解き放たれた口からは蚊の鳴くような声しか出せない。

「愛してる……」

 一瞬、空白の時間が流れた。顔を上げ、彼の表情を伺いたいけど、恥ずかしくて死んでしまいそう。
 嫌がられたらどうしよう……。
 彼の表情に非難の色が浮んでいたら……、とても耐えられそうにない。

「……セイバー」

 ざらついた士郎の指先が顔に触れる。持ち上げられ、彼の視線と俺の視線が絡み合う。
 あごを押さえられ、固定されている為に、彼の熱い眼差しから逃れる事が出来ない。胸の奥がズキズキする。
 
「愛してる」

 たった五文字の言葉が世界を作り変える。光が満ち溢れ、風が歌う。
 
「……離れたくない。永遠に……」

「とりあえず、今後の方針について話しましょう」

 スープをスプーンで掬いながら、凜が切り出した。
 キャスターの襲撃から一時間が経ち、二人は今、遠坂邸のリビングルームで食事を摂っている。

「セイバーを救い出す」
「……言うと思ったけど、この期に及んで即答出来る貴方の神経の図太さには呆れるわ」

 溜息を零す凜に士郎は首を横に振った。

「――――これでも、色々と考えた末に出した結論なんだ。俺がこの戦いに参加する理由ってのを考えてみたんだ」
「それで?」
「初めは巻き込まれたから、とりあえず戦うしかないって思った。マスターになったからには、この戦いをどうにかしなきゃって、思ったんだ。けど……」

 士郎は言った。

「俺は正義の味方になりたいんだ。だから、みんなを守りたい。マスターとか、関係無く、この戦いで犠牲になる人を守りたい」

 凜は士郎の言葉をただ黙って聞いている。

「セイバーもその一人なんだ」
「……ふーん。セイバーもあくまで正義の味方が守るべき犠牲者の一人に過ぎないってわけ?」
「……って、思ってた」

 力無く、士郎は笑みを浮かべる。

「今は違うって事?」

 スプーンを置き、両手を組んで、その上に顎を乗せる凜。 
 微笑ましげな彼女の笑みに士郎は渋い表情を浮かべる。

「……ああ、違う。セイバーを助けるのは……、俺が助けたいからだ。正義の味方も関係無い」
「うん、合格。正義の味方として――――、とかふざけた事を言い出したら、ふん縛って、大師父の資料室にでも閉じ込めてやる所よ」

 真っ直ぐな眼差し。彼女は士郎の決断を心から認めてくれている。
 それが――――、他の誰に認められるよりも嬉しかった。
 
「私だって、アーチャーを助けたい。今頃、キャスターに何をされてるか分かったもんじゃないわ。調教なんて……」
「……いや、何を想像してんだよ」

 ちょっと、顔を赤くしている凜に士郎は思わず突っ込みを入れた。
 ふん、と顔を背けながら、ぶつぶつと「鞭で……、蝋燭とか……」などと物騒な単語を呟いている。
 何故か、自分の尊厳まで傷つけられている気がして、士郎はゲンナリした。

「それより、キャスターから二人を奪い返すって方針はいいとして、具体的にどうするんだ? 正直、俺には何をどうしていいかサッパリだ」
「まあ、今の私達に出来る事なんて、限られているしね……。そうだ!」

 凜はポンと手を叩き、己の閃きを口にした。

「士郎、本格的に投影魔術をやってみない?」
「本格的にって?」

 首を傾げる士郎に凜は言った。

「ほら、士郎に色々と投影してもらったでしょ? それを一通り見てみて分かった事が幾つかあるの」
「一通りって、いつの間に見たんだよ?」
「士郎が寝てる間。他に出来る事も無かったからね。とにかく、肝心なのは、貴方の魔術属性が“剣”だと言う事」
「魔術属性?」
「要するに、どんな魔術がその者に適しているかって指標よ。貴方の投影魔術は剣に特化している。まあ、槍とか鎧とか盾とかもそれなりの物が出来てたから、出来ないって事は無いと思うけど、一番適しているのは刀剣の類よ」
「刀剣……。だから、アーチャーの剣は今までに無い手応えがあったのか……」
「そういう事。とにかく、まずは手札を増やす事が最優先。食事が終わったら、色々と教えてあげるわ」

 その言葉通り、食事の後片付けを終えた後、凜は熱心に投影に関する知識を士郎に語り聞かせた。

「――――つまり、投影っていう魔術にも色々と制約があるのよ。一番分かり易いのは存在強度っていう奴」
「存在強度?」
「分かり易く言うと、幻想たる投影品が現実に如何に耐えられるかを示す強度の事。投影は術者のイメージによってオリジナルを複製する魔術だから、その物理的、概念的な強度もイメージによって左右される。その術者のイメージと現実のギャップが大きければ大きい程、存在強度は脆くなる」

 今一よく分からない。首を傾げる士郎に凜は一つの例えを口にした。

「例えばだけど、士郎が『絶対に折れない名剣』を投影したとするわ。けど、絶対に折れない剣なんてものは無い。その剣の表現方法や伝承、売り文句なんかに『絶対に折れない』っていう、パーソナリティがあるだけで、実際はソレを上回る神秘を持つモノとぶつかれば、刃こぼれくらいはするし、折れる事もある」

 凜は言った。

「問題なのは、ソレを投影した時、士郎はソレを絶対に折れない剣だと思い込んでいる事。なのに、ソレが現実で折れちゃった場合、イメージと現実との間にギャップが発生する。そのギャップが投影した剣のイメージを否定する事に繋がってしまう。術者にすら否定された幻想はもはや現実に残る事が出来なくなり、消えてしまう。それが存在強度という制約」

 士郎の表情に不可解さが消えた事に満足しながら凜は続けた。

「だから、投影魔術において重要なのは、そのギャップを如何に無くすかに掛かっている。だから、投影魔術を行う際はまず、オリジナルを理解する事から始めるのよ。材料とか、性質、歴史なんかも考慮した方が良い。基盤をしっかりと固めれば、それだけ現実と幻想の食い違いは小さくなる」
「……なるほど」

 士郎は幾度も見たアーチャーの剣を脳裏に浮かべた。
 一度見て、解析した“干将・莫耶”への理解を更に深める。
 
「――――投影開始」

 凜に言われた事を念頭に入れ、アーチャーの双剣の投影を行う。
 どのような意図で、何を目指し、何を使い、何を思い、何を重ねたか……。
 弓道における射法八節を真似て、投影の工程を幾つかに分けてみよう。
 第一に創造の理念を鑑定し、第二に基本となる骨子を想定し、第三に構成された材質を複製し、第四に製作に及ぶ技術を模倣し、第五に成長に至る経験に共感し、最後に蓄積された年月を再現する。
 投影六拍とでも呼ぼうか……、キチンと工程を踏んで投影したソレは以前とは比べ物にならない程、真に迫る出来だった。

「……凄いな。遠坂の言う通りだ! 前より全然――――」
「アホかー!!」

 耳がキーンとなった。凜は硬く握った拳を士郎の頭目掛けて振り下ろす。

「いきなり、宝具を投影するなんて、何考えてるのよ!! 物事には順序ってのがあるの!! 最初は包丁とかから始めるつもりだったのに!!」

 ガミガミ叱られ、しゅんとなる士郎。
 凜は呆れたように溜息を零し、士郎が投影した干将・莫耶に視線を向けた。

「まあ、出来たんだから、文句ばっかり言っててもしょうがないわね。まさか、こんな助言でここまで真に迫る物が作れるなんて……。ほんと、頭に来るわね」
「理不尽過ぎないか、それ……」

 文句を言う士郎を拳をチラつかせて黙らせる。

「とにかく、これで士郎の投影がある程度使い物になったと思う事にする。とすると、次は――――」
「他のマスターを頼るしかないんじゃないか? 現状、キャスターの陣営は他のマスター達にとっても容認し得ない状態の筈だ。だから、今回限りって事でなら、手を組めると思う」

 士郎の言葉に凜は素直に頷いた。

「そうね。士郎の投影はかなり有用だと思うけど、そればかりを当てにも出来ない。そもそも、相手はサーヴァントが三体。しかも、その内訳は近接最強のセイバーと遠距離攻撃の専門家であるアーチャー。そして、中距離と支援能力に長けたキャスター。セイバーとアーチャーは既にキャスターの手駒になっていると仮定して動かないと痛い目に合うだろうから、その三体を相手取ると考えた場合、協力者は必要不可欠。問題は誰を協力者にするかだけど――――」
「ライダーとアサシンは既にリタイアしているから、残るはランサーとバーサーカーのマスターって事になるな」
「……ランサーのマスターは正体不明のままだから、交渉のしようもないけど、バーサーカーのマスターであるイリヤスフィールなら可能性はあるかもしれない」
「イリヤか……。確かに、あの娘なら話せばちゃんと聞いてくれる筈だ」

 渡りに船と言うべきか、イリヤの事も正直、放っておけなかった。
 最後に会った時、彼女の様子は少し変だった。それに、彼女のメイドも意味深な事を言っていた。

「――――馬鹿。士郎にとってはアイツが一番やばいのよ……って、言っても意味無いか」
「な、なんだよ……、引っ掛かる言い方だな」
「だって、セイバーと仲良くデートしながら、もう何度もあの娘と外で会ってるんでしょ? 私がどんなに忠告したって、貴方の中ではイリヤスフィールが無害な少女ってイメージで固まっちゃってる。だから、出たとこ勝負しかない。まあ、イリヤスフィールと協力関係を結べれば、それが最善。アーチャーの言葉から察するに、あの魔女の正体は恐らく、コルギス王の娘であるメディア。なら、バーサーカーは彼女の天敵である筈。腹立たしい事だけど、アーチャーとセイバーの二人掛かりでも、バーサーカーを相手に易々と仕留められるとも思えない。きっと、活路を見出す事が出来る筈」
「――――じゃあ、決まりだな。イリヤの居場所は分かるのか?」
「ええ、大体の見当はついてる。昔、父さんから聞いた話だけど、アインツベルンは郊外の森に別荘を構えているそうなの」
「なら、早速出発するか――――」
「待ちなさい」

 凜はいきり立つ士郎を制止した。

「夜の内は不味いわ。あの森はイリヤスフィールにとって、全域が庭も同然なの。問答無用で襲い掛かられたら、夜で視界が効かない状況はあまりにも危険よ。せめて、朝を待ちましょう」
「……ああ」

 本当なら直ぐにでも行動したい。だけど、凜の言葉は己と違い、常に冷静で思慮深い。どちらの判断を優先すべきか、迷う余地すら無い。
 歯痒い思いを抱きながら、夜が更けていく――――。

「貴方達は大きな勘違いをしている」

 キャスターは虚ろな表情を浮かべて横たわるセイバーの頬を指でなぞりながら呟く。

「そもそも、精神と霊魂の関係はとても密接なもの。他人同士のそれらをくっつけ合わせるなんて、不可能なのよ」

 キャスターの掌に赤と青の光球が浮かび上がる。

「仮に力ずくでくっつけた所で、馴染む事は無い」

 赤と青の光が一瞬の間一つとなり、直ぐに分かれてしまった。

「なら、このセイバーは一体何者なのか? その答えを探るヒントはアーサー王という英霊の異質な在り方にあるわ」

 キャスターは語る。

「――――セイバーが自ら語った事を思い出してみなさい。アーサー王は聖杯を求め、世界と契約を交わした。聖杯を手にする日まで、彼女は終焉の間際を生き続けている。つまり、彼女は英霊であって、英霊では無い。本来、英霊本体の触覚であるサーヴァントをクラスという肉体に押し込めて使役するのが冬木のシステムだけど、彼女の場合は本体そのものが召喚される。それ故に彼女は霊体化が出来ないし、召喚される度に記憶が継続する」

 彼女の手がセイバーの唇に触れる。

「だけど……、だからこそ、他の英霊であったなら起こり得たかもしれない事が彼女には適応されない。なのに、衛宮士郎は“彼女限定”の起こり得ない事を強制した。まあ、あの坊やがそうしようと思って、やったわけでは無いのだろうけど……」

 キャスターはクスリと微笑んだ。

「それが今回の異常事態を呼び寄せた。日野悟の魂が呼び寄せられたのは恐らく、単なる偶然。“異常”を無理矢理、“正常”にする為、起きたイレギュラー」

 魔女の目が怒りの形相を浮かべるアーチャーに向けられる。

「ここまで言えば、貴方なら、もう分かるのでは無くて?」

 もったいぶった言い方をするキャスターにアーチャーは嘲笑うかのような声で応えた。

「貴様にわざわざ解説されるまでも無い。そんな事――――、オレはとうの昔から知っている」

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