第十七話「セイバーとアーチャーを取り戻す」

 封印指定の執行者。魔術協会の中でも極めて特異な立場にあり、選ばれる者は戦闘に特化した魔術師である。彼等の職務は時計塔により封印指定を受けた魔術師の捕縛、並びに事後処理。時に聖堂教会の代行者とぶつかり合う事もあり、故に執行者は例外無く極めて強力な戦闘能力を誇る。
 混迷を極める聖杯戦争に更なる狂乱を呼び込む事になるであろう、女の言葉を士郎達は承諾する他無かった。元より、彼女にはランサーというサーヴァントが居るが、士郎達には居ない。拒否する事はその場での死を意味する事に他ならない。
 バゼットの車に乗せられ、走る事一時間。彼女が士郎達を連れて来たのは衛宮邸だった。

「……私の拠点を明かすわけにもいきませんし、遠坂の屋敷やアインツベルンの城に踏み入るのは遠慮願いたい。故に結界が既にキャスターに破られているココを選びました」

 バゼットは淡々と語りながら無遠慮に衛宮邸の敷居を跨ぐ。

「お、おい、靴は脱いでくれよ!」

 土足で上がろうとするバゼットに堪らず士郎が抗議の声を上げた。
 凜とイリヤが慌てて彼の口を塞ごうとするが、バゼットはキョトンとした表情を浮かべ、頭を下げた。

「失礼しました。未だに日本の習慣に疎いもので……」
「あ、いや、分かってくれたならそれで……」

 靴を丁寧に揃えて上がるバゼットに士郎はすっかり毒気を抜かれてしまった。
 そんな彼を叱責しながら、イリヤと凜が後に続く。二人は士郎とは比べ物にならない程の強い警戒心を彼女に抱いている。
 その理由は士郎の魔術にある。士郎の投影魔術は異端そのものであり、見るものが見れば、“『一代限り』であり、『学問では習得不能』な能力”という封印指定に選ばれる条件が揃ってしまっているのだ。
 間違っても、士郎をホルマリン漬けの標本などにさせるわけにはいかない。ついさっき、己の相棒を失ったばかりのイリヤも意識を切り替えざる得ず、緊張しながら決意を固めている。

「どこか、話し合いに適した部屋はありますか?」
「えっと、居間でいい……、ですか?」
「居間……、リビングですね。ええ、案内して下さい」

 士郎が居間に案内すると、バゼットは低いテーブルの傍に腰掛け、他の面々にも座るよう促した。
 全員が着席するのを確認した後、彼女は口火を切った。

「では、最初にコレにサインをして下さい」

 バゼットが懐から出したモノに士郎は首を傾げ、凛とイリヤは殺気だった。

「えっと……、これは?」

 暢気に尋ねる士郎にイリヤが押し殺したような声で説明した。

「魔術契約の証文よ。これにサインをするという事は“特定のルール”を自らに課す事に同意するという事。破った場合、命か……、あるいはもっと別の何かを奪われる」

 凜がバゼットを睨み付ける。

「こんなモノをいきなり突きつけてくるなんて、舐めた真似をしてくれるじゃない。封印指定の執行者だからって、遠坂家の当主を舐めるんじゃないわよ」

 怒りを滲ませる凜にバゼットは冷ややかな眼差しを向ける。

「既にサーヴァントを失い、敗者となった貴女達に選択の余地があるとでも? 安心しなさい。別に貴女達の行動を闇雲に縛るものではありません。貴女達に守ってもらう制約は一つ」

 バゼットは証文を開いて三人に見せた。

「――――“聖杯の解体に全面的な協力を惜しまない事”。これだけです」
「せ、聖杯を解体ですって!? 冗談じゃないわ!! 何で、そんな事を――――」

 バゼットの暴挙とも言える発言に凜が食って掛かる。対するバゼットは冷静そのもの。

「……理由について、私よりも詳しい方がそこに居ますよ」

 バゼットの視線の先を追うと、イリヤが舌を打った。

「――――そう、気付いちゃったんだ。じゃあ、もう聖杯戦争は今回で終了ってわけね」

 イリヤは深々と溜息を零しながら言った。

「どういう事……?」

 凜が問う。

「――――まあ、この期に及んで凜と士郎だけが知らないなんて、不公平だものね。恐らく、キャスターとマキリは勘付いてるだろうし……」

 そう前置きをして、イリヤは聖杯に纏わるアインツベルンの秘め事を語り始めた。

「発端は七十年近く前に行われた第三次聖杯戦争。聖杯戦争史上、最も混迷を極めた戦いよ。ナチスや帝国陸軍の介入もあって、聖杯戦争は始まる前から熾烈を極めたわ。未だ、サーヴァントが揃わない内から帝都で争いが始まっちゃって……、その激戦にお爺様も肝を冷やしたみたい。当時、彼は二つの選択肢の間で揺れていた。圧倒的なアドバンテージを得られる“裁定者”を喚ぶか、殺す事に特化した“魔王”を喚ぶかでね。そして、彼が選んだのは“魔王”だった」
「魔王……?」
「“この世全ての悪”の名で知られるゾロアスター教の悪神よ」
「ば、馬鹿を言わないでよ。神霊を呼び出す事なんて――――」

 イリヤの言葉に凜が声を荒げた。出来る筈が無い――――、と。
 対して、イリヤは自らの恥部を晒すかのような苦悶の表情を浮かべて言った。

「ええ、そんな事は不可能。だから、呼び出されたのは“災厄の魔王”では無く、何の力も持たない脆弱なサーヴァントだった」
「どういう事……?」

 凜が問う。

「神霊を召喚する事は不可能。だけど、お爺様は無理矢理ソレを呼び出そうとした。その結果、ただ“『この世全ての悪』という役割を一身に背負わされた憐れな人間”が召喚に応じる結果となった」
「アンリ・マユを背負わされたって……?」

 士郎の問いにイリヤは淡々とした口調で答える。

「文明から隔絶された小さな村によくある因習よ。生贄を見繕い、あらゆる災禍の根源を押し付け、延々と蔑み、疎み、傷つける。その結果、平凡な村人だった筈の彼、あるいは彼女は『そういうモノ』になってしまった。――――とは言っても、神になったわけじゃない。ただ、そういう役割を押し付けられた人間というだけ」
「それって……」

 何故か、士郎の脳裏に大切な相棒の顔がチラついた。

「“この世全ての悪”という役割を持つとは言え、彼は脆弱な人間でしかなかった。だから、初戦であっさりと敵のサーヴァントに討伐されてしまった。問題はその後――――」

 イリヤは自分の髪を弄りながら続ける。

「彼は確かに脆弱な人間だった。特別な異能も宝具も持たないただの人間。だけど、彼は周りから身勝手な願いで“この世全ての悪であれ”という“祈り”を背負わされていた。敗北し、“力の一端”として聖杯に取り込まれた時、聖杯の“願望機”としての機能が働き、彼が背負わされた“祈り”を叶えてしまったの」
「叶えてしまったって……、まさか!!」

 士郎と凜は一気にイリヤの語る真実の恐ろしさを理解した。

「――――そう、彼は偽物から本物に変わった。とは言え、既に聖杯に取り込まれている状態だから、外に災厄を撒き散らすような事は無かったわ。けど、そのせいで聖杯自体が穢れてしまった」

 イリヤは語る。

「本来、“聖杯”は根源へ至る為の架け橋よ。七体の生贄を捧げ、『 』へと至る道を繋ぐ為の杯。“願望機”としての機能なんて、その副産物に過ぎない。けれど、その両方ともが歪められてしまった。今の聖杯は“この世全ての悪であれ”という彼、あるいは彼女の背負う“祈り”のみを叶える為の胎盤でしか無い」
「そ、そんな……」

 凜は言葉を失っている。当然だろう。遠坂家の悲願であった聖杯がとうの昔に壊れていたなど、彼女にとっては悪夢でしかない。

「……なら、どうしてアインツベルンは聖杯戦争を続けたんだ?」

 対して、士郎はどこか冷淡な口調で問う。

「確かに、機能は歪められている。けど、失われたわけじゃないのよ。此度のキャスタークラスの魔術師なら、聖杯の破損を修復する事も可能かもしれないし、私でも『 』へ至る為の道を作る事くらいは出来る。だから、アインツベルンは聖杯を求め続ける」
「で、でも――――」
「シロウの言いたい事は分かるわ。聖杯の完成は即ち、災厄の魔王の顕現を意味するんだもの。だけど、それがアインツベルンなのよ。数千年に及ぶ妄執は“60億の人間を呪う災禍”を目覚めさせる事も些事として切り捨てる」
「そんな……」

 愕然とした表情を浮かべる士郎にイリヤは顔を背ける。

「シロウには理解出来ないだろうし、する必要も無いわ。ただ、これは事実なのよ。あるがままに受け入れるしかない事実なの……」
「イリヤ……」

 まるで、今にも泣きそうな声で呟くイリヤに士郎はただ頭を撫でてやる事しか出来なかった。
 けれど、それで少し安心したのか、イリヤの肩がストンと落ちた。

「……とりあえず、理解してもらえましたね? 私も伝手を頼り、真相に行き着いた時は愕然としました。とにかく、聖杯は解体しなければならない。この事に異論は無い筈です」

 バゼットが凜、士郎、イリヤの順に視線を向ける。
 三人がゆっくりと頷くのを確認すると、バゼットは言った。

「――――とは言え、貴方達は一度聖杯を求め、戦いに参加する事を決意したマスターだ。途中で心変わりされるような事態は避けたい。申し訳ありませんが、証文にサインをお願いします」

 もはや、拒絶の意思を見せられる者は居なかった。三人はゆっくりと証文にサインを行う。
 
「これで契約は受理されました。これより、私達はチームです。まずは情報交換から始めましょう」

 バゼットはそう切り出すと、懐から一枚の紙を取り出した。一瞬、身構えそうになる凜とイリヤの前に彼女が広げたのは冬木市の地図だった。

「現在、この冬木の地には三つの勢力が出来上がっています」

 バゼットは柳洞寺を指差した。

「まず、キャスターを頭とした陣営」

 次に彼女が指差したのは間桐邸。

「次は間桐臓硯を頭とした陣営」

 最期に彼女は衛宮邸を指差した。

「最後が私達です」
「待ってよ。キャスターは臓硯の陣営でしょ? 臓硯がキャスターのマスターなわけだし……」
「違うわ、リン」

 否定の声はイリヤのものだった。

「マキリはキャスターのマスターじゃない」
「……じゃあ、同盟を結んでいるって事?」
「そうじゃない。貴女がそう判断したのはセイバーとアサシンの存在が原因ね?」

 頷きながら、凜はイリヤの言葉の不可解さに眉を顰めた。

「何が言いたいの……?」

 凜の問いにイリヤは答えた。

「まず、アサシンは本来、キャスターが反則を行い召喚した“佐々木小次郎”という侍だったわ」
「まさか――――」
「嘘じゃないぜ。俺が証人だ。一回、奴とは手合わせしたからな」

 音も無く実体化してイリヤの言葉を肯定したランサーにバゼットを除く三人が身構える。

「おっと、別に暴れたりしねーから、そう警戒すんなよ」

 軽口を叩きながら壁を背凭れにして座り込むランサーをイリヤは無視する事にしたらしく、話を再開させた。

「あの森に居たアサシンはマキリが反則に反則を重ねて召喚したイレギュラーなのよ。彼は元々、キャスターが召喚した佐々木小次郎を寄り代にハサン・サッバーハを召喚するという暴挙を行ったの」
「……なら、あのセイバーは何なの?」

 既にバゼットによって倒されたアサシンの事など正直どうでも良かった。
 反則に反則を重ねる暴挙への怒りや呆れも一瞬で頭の中から飛んで行った。
 重要なのは臓硯と共に居た黒い鎧を纏うセイバー。

「……アレはセイバーよ」

 その言葉に口を開きかけた士郎と凛を制止して、イリヤは言った。

「ただし、前回の聖杯戦争で召喚された方のセイバーよ」
「な、なんだって……?」

 目を瞠る二人にイリヤが頷く。

「前回――――、第四次聖杯戦争において、衛宮切嗣はお爺様より託された騎士王の鞘を寄り代にアーサー王を召喚した。私もまさか、前回の聖杯戦争の後、消えずに存命し続けていたなんて思わなかったけど、直接見た瞬間に理解出来たわ」
「どういう事だ?」

 士郎が問う。

「アイツは聖杯の力で受肉したのよ。けど、“この世全ての悪”によって汚染された聖杯を使ったせいで反転してしまった。何がどうなって、マキリと手を組むに至ったのかは分からないけれど……。とにかく、あのセイバーとシロウのセイバーは別物よ」
「……そうか」

 士郎は安堵の溜息を零した。別物だとは思っていたが、確証が無かった。
 だが、そうなると湧き出す疑問がある。

「……アイツはアーサー王なのか?」

 内におぞましいナニカを飼う黒衣の剣士。あれが本来のアーサー王だとしたらイメージと違う。
 清廉潔白なる王。騎士の理想の体現者。常勝無敗の覇者。
 アレはそんなアーサー王に対して士郎が抱くイメージとあまりに掛け離れている。

「言ったでしょ、反転しているって――――。アレはアーサー王であって、アーサー王じゃない。恐らく、受肉の際に“この世の全ての悪”の呪いを受けてしまったんでしょうね」
「……じゃあ、本来のアーサー王はむしろ、セイバーに近いって事か?」
「まあ、あんなおちゃらけた性格では無かったでしょうけど、在り方としては彼の方がまだ本物に近いと思う。今のアーサー王はアーサー王でもありながら、同時にアンリ・マユでもある状態なんだと思う」

 イリヤはスーッと息を吸った。

「そして、ここからが本題。マキリがどうやって、アレを制御しているのかは不明だけど、一つ判明した事実がある」
「判明した事実……?」

 バゼットが問う。

「最後に会った日の事を覚えてる?」

 イリヤは士郎を見て問い掛けた。

「あ、ああ……」
「あの時、シロウがライダーを倒したと聞いて、私は心から驚いたわ。未熟者のシロウがサーヴァントを討伐したからってわけじゃない。それより、問題は深刻だった」

 イリヤは語る。

「私は今回の聖杯戦争における聖杯なのよ」
「聖杯……、イリヤがって、どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。私という人格やこの手足は聖杯という核に外付けされたパーツでしかないの。ただ、サーヴァントが脱落する度に彼等の魂を受け入れ、聖杯として完成する。それが私の役割」
「それって……」

 イリヤの衝撃的な告白に言葉を失う士郎。
 対して、イリヤは儚げに微笑む。

「その為だけに生まれ、その為だけに生きて来た。サーヴァントの魂を受け入れる度、私という外装は壊れていく。それも運命だと受け入れていた。なのに――――」

 イリヤは唇を噛み締め、怒気を篭めて言った。

「ライダーの魂を横取りされた」
「どういう事ですか?」

 バゼットが鋭い視線をイリヤに投げ掛ける。

「マキリはアーサー王だけでなく、何らかの方法で別個の聖杯を手にしたのよ。それもマキリ風のアレンジを加えたものを……。アンリ・マユの一部を現出させるなんて、あんな物を制御出来るつもりなのかしら」

 敵意を篭めて吐き捨てるイリヤにバゼットが暗い表情を浮かべる。

「では、現状、最も危険度が高いのはマキリの陣営という事になりますか」
「……そういう事か」

 凜が悔しげに呟く。

「遠坂?」

 士郎が声を掛けると、凜は言った。

「つまり、アイツが言っていた徘徊するモノってのは、マキリの聖杯の事だったわけよ。その危険性も承知の上だったんでしょうね。だから、キャスターをわざと逃がしたりした……。ちゃんと話してくれれば……」

 ぶつぶつと呟く彼女の瞳には怒りの他に哀しみの感情が宿っている。

「とにかく、そういう事なら方針は決まりました」

 バゼットが手を叩き言った。
 全員の視線が彼女に集まる。

「私が貴方達に協力を要請した理由は御三家の知識とマキリのセイバーに関する情報が欲しかったからですが……、路線を変える事にします」

 バゼットはランサーに視線を向ける。 
 彼は薄く微笑み、頷いた。

「少なくとも、その小僧は大丈夫だ。それに、小僧が大丈夫なら、後の二人も大丈夫になる」

 ニヒヒと笑うランサーに首を傾げる士郎。
 そんな彼にバゼットは言った。

「ランサーには今まで、各陣営に対する情報収集を行ってもらっていました。そして、全マスター中、もっとも協力者に適した者は貴方だと、ランサーは判断した」
「……えっと」

 突然の言葉に士郎は面くらい、ランサーを見た。

「お前さんのお人好し振りとか、色々覗き見させてもらったぜ。その上での判断だ」
「……衛宮士郎。これより、貴方のセイバーを取り戻しに向います」

 ランサーのストーカー発言に憮然とした表情を浮かべる士郎にバゼットが言った。

「セ、セイバーを!?」
「貴方ならば裏切らない。そう、ランサーが判断した。故に貴方の戦力を取り戻します。マキリの陣営はあまりにも危険過ぎますから、戦力は多いに越した事は無い」
「ほ、本当に……、セイバーを?」
「ついでにアーチャーも可能ならば取り戻しましょう。三騎士の英霊が揃えば、もはや恐れるものは無い」

 バゼットは言った。

「明朝、キャスターの拠点を攻めます。そして、セイバーとアーチャーを取り戻す」

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