第十一話「アイツの力があれば……」

 苦しい。助けを求めて伸ばした手は空を切り、足は己の意思を無視して深みへ向う。もし、老人が“ソレ”を手にしていなければ、全ては違ったかもしれない。微かな望みであろうと、己が救われる道もあったかもしれない。けれど、己は既に完成してしまっている。
 人が犯してはならないという三つの禁忌を全て犯したのが十年前。
 建前である『魔術師』としてでは無く、本来の意図であった『胎盤』としてでも無く、『魔術品』としての完成を求められたが故に人間性を剥奪された。
 道具に感情は不要である。その判断の下、精神の破壊を工程に組み入れられた。

 陰茎を模した蟲に処女を奪われた。耳穴、鼻孔、口、膣、尿道、肛門。人体におけるあらゆる『孔』が単なる蟲の出入り口となった。
 殺人を強要された。最初に殺したのはクラスメイトだった少年少女六名。その後、魔術に寄らぬ顔見知りを次々殺害した。殺害方法は当時、世間を震撼させた殺人鬼による殺害方法を参考とさせられた。
 犠牲者から怨嗟の言葉と眼差しを向けられながら、彼等の血肉を貪った。工程完了までの期間、己の食事は彼等の眼球や脳漿、肉、内臓ばかりだった。
 精神の防壁に亀裂が走り、精神操作が工程に加えられた。夢の中で犠牲者達に行った拷問や殺害方法を体験させられた。
 電流が脳漿を焼き切る感触を知った。自らの肉や骨が焼ける臭いを知った。体内の器官が溶けていく喪失感を知った。自分の血肉を喰らう恐怖を知った。
 
 最低限の生体機能と必要な魔術的機能さえ残っていれば、彼等はそれで構わなかったのだ。
 だが、不幸な事に人格が完全に消え去る事は無かった。苦しみを苦しみと捉え、美しさを美しさと捉える感覚が生き残ってしまった。
 とは言え、道具としては完成を見た。必要な機能の組込みが終了し、精神の防壁は完全に崩れ去っている。
 それ故に、残された感情を抹消してもらう事は叶わず、死への逃避も許されない。

 夕食が終わった後、士郎は凛の部屋を訪れた。ノック三回の後、中から凛の声が届く。

「士郎? ちょっと、手が放せないから勝手に入って来てもらえるかしら?」

 なにやら、作業の真っ最中だったらしい。言われた通りに部屋の中に入ると、凜は注射器で血抜きを行っていた。真紅の血を満たした注射器の先端を今度は机の上の宝石に向け、中身を垂らす。
 その宝石を彼女が握り締めた途端、眩い光が奔った。

「うーん、三割までかー。手持ちの九つだけだとさすがに不安が残るのよね……」

 落ち込んでいるらしく、溜息を零しながら凜は宝石を宝石箱に戻した。

「えっと……、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。待たせちゃって、ごめんなさいね。アーチャーが『妙な胸騒ぎがする』なんて言うから、切り札を増やそうと思ったんだけど……」

 上手くいかなかった。そう、彼女は肩を竦めて言った。

「アーチャーが?」
「ええ、真剣な顔してね……。それより、私に用事があるんだったわね?」
「あ、ああ。実は遠坂に……その、お願いがあるんだ」
「何かしら?」
「俺を……、弟子にしてくれないか?」
「いいわよ」
「ああ、いきなりこんな事言っても断られるに――――って、いいのか!?」

 驚く程あっさりと凛は士郎の申し出を受けた。思わず目を丸くする士郎に凜は言った。

「どうせ、セイバーを守りたいから力が欲しいって感じでしょ?」

 図星だった。閉口する士郎を凛はケラケラと笑った。

「なら、貴方の選択は間違ってないわ。まず、何より貴方に必要な事は中身を鍛え上げる事だもの。だから、とりあえず――――」

 そう言って、凜は机の引き出しを開いた。そこから取り出した物を見て、士郎はアッと驚いた。

「――――コレについて説明してもらいましょうか?」

 空気が凍り付いた。一瞬、士郎は凛に殺されると思った。それほど、彼女は彼に対して明確な敵意を向けている。さっきまでの笑顔が嘘だったかのように、厳しい表情を浮かべている。

「と、遠坂……?」
「コレはアーチャーの双剣の片割れよね? でも、アーチャーはコレを貴方に渡した覚えなんて無いって言ってた。貴方、コレをどうしたの?」
「いや、それは――――」

 士郎は矢継ぎ早にライダーとの一戦について凜に語った。とにかく、彼女に真実を告げなければと焦りを覚えた。
 敵意が殺意に変化しようとしているのを感じたからだ。

「……アーチャーの――――、英霊の宝具を投影ですって? そんな事、あり得ないわ……」
「いや、あり得ないって言われても……、それは確かに俺が投影したものなんだけど……」

 疑われているように感じて、士郎は言葉を重ねた。すると、凜は首を横に振った。

「疑ってるわけじゃない。貴方が嘘を吐いてるなんて思ってないもの。ただ、貴方の投影魔術があり得ないものだって話よ」
「ど、どういう意味だよ……?」
「投影魔術って言うのはオリジナルの鏡像を魔力で物質化した一時的な物に過ぎないの。通常、投影によって作られたものは数分程度で消滅する。なのに、貴方が投影した“莫耶”は丸一日が経過した今も実体化し続けている。これは明らかに異常な事なの。そもそも、英霊の宝具を投影するなんて、無茶苦茶にも程がある。本当なら、廃人になっていてもおかしくない蛮行よ。貴方が仕出かした事は……」
「つまり……、俺の魔術はおかしいって話なのか?」
「そういう事。本来、何処にもないモノにカタチを与えるなんて、現実を侵食する想念に他ならないわ。世界に対して、喧嘩を売ってる。きっと、貴方の本来の“力”はそういうモノなんだと思う。この投影もその“力”の一部に過ぎない筈」
「力って……?」
「現実を侵食する類の異能には幾つか心当たりがあるけど、どれにも共通して言える事がある」
「な、何だよ……」

 凜は酷く険しい表情で言った。

「それは人間の限界を超える業。五つの魔法やそれに匹敵する奥義」

 その声には怒りが滲んでいる。

「馬鹿にしてるとしか思えないわ。アンタみたいな未熟者が……、あまねく魔術師達が羨む高みに既に至っている可能性があるだなんて――――」

 あまりにも理不尽な物言いだが、士郎は彼女の気持ちをある程度察する事が出来た。
 五つの魔法。それは魔術師にとっての到達点の一つだ。その時代で如何なる技術や金、時間を費やしても実現不可能な奇跡を可能とする業。
 魔術に関する知識も碌に持っていない未熟者がソレに匹敵する力を持っているかもしれない。生粋の魔術師である凜からすれば、苛立って当然だろう。

「……この力があれば、セイバーを守れるか?」
 
 けど、彼女の感傷を気に掛けている余裕など無い。重要なのは“力”が有用であるか否かだ。

「……英霊の宝具を投影出来る。そんな反則染みた能力、使いこなすなんて無茶も良い所よ。でも、使いこなす事が出来れば、大きな武器になる事は間違い無い」
「なら――――」
「ただ、勘違いはしないで」

 凜は深く息を吸い、冷静さを取り戻しながら言った。

「宝具を作る事は出来ても、担い手になれなければ無意味よ。相手は百戦錬磨の英雄達なんだから――――」
「じゃあ……」
「過信はしないで、って言ってるの。宝具の投影を使いこなせるようになったとしても、サーヴァント相手に勝てるだなんて思わないで」

 でも、勝てなきゃ、セイバーを守れない。セイバーを守るという事はあまねく全てのサーヴァントを殺し尽くす事と同義なのだから……。

「……思い詰めてるみたいだから、忠告。自分一人で抱え込んだって、出来る事は限られてる。もっと、周りを頼りなさい。例え、貴方が敵を倒せなくても構わない。一瞬でも、時間を稼ぐ事が出来れば私やアーチャーが敵を殺す事も出来る。セイバーだって、アーチャーとの稽古のおかげで少しずつマシになって来てるわけだし――――」
「セイバーにはもう戦わせない……」
「……は?」

 士郎の発言に凜は思わず口をポカンと開けた。

「た、戦わせないって、サーヴァントを戦わせずにどうやって生き残る気なのよ!?」
「セイバーは一般人なんだ。ただ、事故に合って、こんな場所に居るだけで、本当なら戦う理由なんて無いんだ。だから、セイバーにはもう戦わせない。敵は俺が――――」
「馬鹿言わないで」

 凜は怒りを滾らせて言った。

「貴方如きがどんなに命を削っても、出来る事は限られている。サーヴァントを倒せるのはサーヴァントだけって言うのが聖杯戦争の基本。中には例外があるでしょうし、条件が揃えば私も幾つか手段を持ってる。でも、それはあくまで例外なのよ。宝具の投影くらいで思い上がってるなら、待っているのは死よ」
「でも、俺は……」

 士郎が思い出しているのはライダーを殺す事に恐怖し、涙を流すセイバーの顔だった。
 あんな顔は二度と見たくない。

「……まったく、最初と逆ね。今度は貴方がセイバーの意志を無視して暴走してる。付き合いきれないわ……」
「お、俺は――――」
「頭を冷やしなさい。貴方が考えを改めない限り、私は何も貴方に教えない。今の貴方に何を教えても、早死にのリスクを上げる事にしかならないもの……」
「と、遠坂……、俺は……」
「セイバーともう一度話し合いなさい。お互いの気持ちをちゃんと理解し合う事。貴方達はどっちも一方的過ぎるわ」
「……ごめん。勝手な事ばっかり言って……」
「――――本当よ。いい加減、愛想が尽きて来てる。これ以上、失望させないでちょうだいね」
「ああ、ちゃんと話し合うよ。アーチャーにも言われたのに、俺はまた、独り善がりになってた……」

 肩を落として立ち去る士郎に凜は深く溜息を零した。

「本当なら、アイツを鍛えて、さっさと戦力の一部に組み込んだ方が効率的だって言うのに……」

 士郎が宝具を投影出来るようになれば、戦略の幅が広がるし、勝率も上がる。自滅する可能性が高まろうと、巻き込まれないように注意を払えば、別に問題無い筈なのに、あの二人を見ていると、ついお節介が焼きたくなってしまう。

「……心の贅肉だわ」

 あの似たもの同士め、凜は愚痴を零した。
 どちらも気付いていないようだが、セイバーと士郎は非常に似通った気質の持ち主だ。セイバーの異常に対し、まだ明確な推論は立っていないが、恐らく、日野悟という男の精神を呼び出す要因の一つは士郎の気質にあるのだろう。
 
 士郎はセイバーと話をする為に道場に向った。竹刀を打ち鳴らす音。彼はアーチャーとの稽古の真っ最中だ。
 中を覗き込むと、アーチャーは以前通り、アーサー王の剣技をセイバーに仕込んでいる。

「……アイツみたいに」

 見た所、アーチャーは所謂天才型じゃない。どちらかと言えば、凡才の類だろう。
 あの優れた剣捌きの裏に彼の並外れた努力が見える。血反吐を吐きながら、至れぬ筈の高みに至った彼の剣技。
 それが胸を掻き毟りたくなる程羨ましい。自分にも時間があれば……、努力する時間さえあれば……、そう思わずには居られない。

「……出直そう」

 セイバーはアーチャーとの稽古に熱中している。全ては士郎を護る為の技術を磨く為。
 戦わせたくないのに、邪魔をするのが躊躇われる。彼の真剣さに横槍を入れる事が出来ない。
 部屋に戻り、布団を敷く。早く寝て、早く起きよう。そして、セイバーと話をしよう。
 
「俺は……」

 思い浮かべるのは火災の現場で己を救った時に見せた切嗣の笑顔。
 あの笑顔に憧れて、彼の夢を受け継いだ。
 正義の味方になりたい。その為に道標も無く、闇雲に走り続けて来た。
 だけど、今になって道を見失いそうになっている。

『正義の味方は心に常に愛を持っているものなのだよ』
『貴方がセイバーの意志を無視して暴走してる』

 セイバーの言葉と凜の言葉。
 二つに共通しているモノは救うべき対象にキチンと目を向けるべきという点だ。
 ただ、救えばいい、というモノじゃない。彼女達はそう言っていた。

「……正義の味方に――――」

 意識が微睡む……。
 
『おいで』

 ……これは、夢?
 体は眠っている。自分の意思では指一本、折り曲げる事が出来ない。
 なのに、足だけが勝手に動いている。おかしな耳鳴りが響き続ける。

『おいで』

 寒い。
 まるで、北国に居るかのような寒さを感じる。
 身を切るかのような悪寒が走る。

『おいで』

 誰も居ない。普段なら、真夜中であろうとそれなりに人の気配がある通りにも誰も居ない。
 無人となった街を足が勝手に歩き続ける。

『おいで』

 喋る事さえ儘なら無い。
 衛宮士郎の意思を無視して、衛宮士郎の体は動く。

『おいで』

 辿り着いたのはクラスメイトの自宅近く。
 街のシンボルとも呼べる山。
 円蔵山の麓にある柳洞寺へ通じる石段を一歩、また一歩と足が登る。
 
『さあ、ここまでいらっしゃい、坊や』

 耳鳴りが確かな声に変化した。
 否、変化したのでは無く、意識が声を声であると漸く認識したに過ぎない。
 初めから、耳鳴りは同じ文句を繰り返す女の声だった。
 頭蓋を埋め尽くす、魔力を伴いし、魔女の声。
 山門が見える。その奥に寺が見える。そこに何かが居る。
 駄目だ。あの山門を超えたら、もう、戻れない。生きて帰る事は出来ない。
 
――――セイバーを守る事が出来ない。

「ッ――――」

 意識が一気に覚醒に向う。
 起きろ、そして、逃げろと叫ぶ。
 けれど、手足は士郎の意思を無視して山門を潜った。

「――――ぁ」

 寺の境内の中心に陽炎のように揺らめく影が居た。
 影から現われたるは御伽噺の魔法使い。人ならざる気を放ちし、魔女。

「――――止まりなさい、坊や」

 女の命令に対し、士郎の体は従順に従った。
 まるで、自らの主が士郎の意思では無く、目の前の女の意思であるかのように――――。

「――――ゥ」

 サーヴァント。恐らく、クラスはキャスター。魔術師の英霊。
 
「ええ、そうよ。私はキャスター。ようこそ、我が神殿へ」

 涼しげな声。
 必死に体を動かそうと力を篭めるが、身動き一つ取れない。
 セイバーを守ると言った矢先にこんな醜態を晒してしまうなんて、士郎は屈辱のあまり顔を歪めた。

「――――める、な」

 意識を研ぎ澄ます。どんなカラクリであろうと関係無い。
 キャスターの呪縛から逃れる為には奴の魔力を体内から排除する必要が――――。

「可愛い抵抗だ事。でも、無駄よ。まだ、気付かないの? 貴方を縛っているのは私の魔力ではなく、魔術そのもの。一度成立した魔術を魔力で洗い流す事は不可能」

 馬鹿な……。
 奴の言葉が真実だとすると、己は眠っている間にキャスターに呪われたという事になる。
 けれど、魔術回路には抗魔力という特性がある為、魔術師が容易に精神操作の魔術を受ける事は無い筈だ。
 よほど、接近されて呪いを打ち込まれでもしない限り、あり得ない状況。

「それを可能とするのが私。理解出来たかしら、私と貴方の次元違いの力量の差が――――」
「……だま、れ」

 キャスターは嘲笑した。士郎の抗魔力の低さを嗤った。

「ああ、安心なさい。この町の人間は皆、私の物。魔力を吸い上げる為に容易には殺さないわ。最後の一滴まで搾り取らないといけないから」
「な、んだ……と?」

 聞き逃せない言葉があった。
 今、この女は冬木の街の住人達から魔力を吸い上げると言ったのか……?

「キャ、スター。お前、無関係な人間にまで手を――――」
「あら、知らなかったの? あの小娘と手を組んでいるのだから、当然承知していると思ってたのだけど……」

 口元に手を当て、わざとらしく言うキャスターに怒りが湧いた。

「キャスターのクラスには陣地形成のスキルが与えられる。魔術師が拠点に工房を設置するのと同じ事。違うのは工房の格。私クラスの魔術師が作るソレはもはや神殿と名乗るに相応しいもの。特に、ここはサーヴァントにとっての鬼門だから、拠点としても優れているし、魔力も集め易い。漂う街の人間達の欠片が分かるかしら?」

 目を凝らせば分かってしまう。そこに漂う魔力が人の輝きによって出来ているという事が――――。

「キャスター!!」

 怒りを声に乗せて叫ぶ。だが、体はやはり動かぬまま……。

「さあ、そろそろ話もお仕舞いにしましょう。貴方の事を見ていたわ。面白い能力があるみたいじゃない。まずは令呪を引き剥がしから、適当に刈り込んで、投影用の魔杖にでも仕立て上げてあげるわ」

 何を言っているのか理解出来ないが、このままでは不味いという事だけは分かる。
 手足が千切れようと構わない。それだけの意思を篭めて暴れようとしているのに、手足がピクリとも動かない。

「あらあら、この期に及んでまだ抵抗する気力があるなんて……。ふふ、中々面白い坊やだわ。街中をうろついているアレの始末にセイバーを使うつもりで招いたのだけど……、貴方も立派な武器として使ってあげる」

 セイバーを使う。その一言に何かがガチリと音を立てて嵌った。
 キャスターが禍々しい魔力光を放つ指を向けて来るが、無視する。
 
「さあ、己の運命を受け入れなさい、坊や」
「――――ざける、な」
「あら……」

 投影する。アイツの剣を投影して、この女の首を切り落とす。
 躊躇いは無い。この女を今ここで確実に――――、

「可愛いわ。本当に、可愛いわ。まだ、そんな抵抗をしようだなんて……、ますます、気に入ったわ」

 愕然となった。投影をしようと回路に魔力を流した瞬間、それを何かに塞き止められた。流れを歪められた魔力が全身を突き刺す刃となる。
 堪え切れず、吐き出されたのは赤い塊。

「でも、そろそろいい加減にしないと――――」

 その時だった。突然、背後にある山門が吹き飛ばされた。天に昇るは黄金の軌跡。
 その直後に何十という矢が襲い掛かって来た。キャスターが咄嗟に後退すると、矢は直前まで彼女が居た場所に突き刺さった。

「ア、アーチャー?」

 瓦礫の向こうから姿を現したのは赤い騎士。

「……まんまと敵の術中に嵌り、こんな場所まで連れて来られるとは、間抜けにも程がある」

 アーチャーはキャスターを阻むように士郎の前に降り立ち、言った。

「な、なんで……」
「呆けている暇など無いぞ。今ので、あの女が貴様に付けた糸は断った」
「あっ……」

 言われて、手足を確認する。
 動く。自分の意思に体が応えてくれる感覚に打ち震えそうになった。

「――――しばらくはジッとしておけ。好き勝手に動き回られては面倒を見切れん」
「ア、アーチャーですって……? アサシンはどうしたの……?」
「見て分からんか? 寄り代である山門ごと吹き飛ばしてやった。剣の腕は確からしいが、宝具も持たない侍風情を門番に置いた貴様の愚だ」
「……所詮、アサシンは捨て駒でしかないわ。それを殺したくらいでいい気にならないでちょうだい!」
「なら、試してみるか? 生憎、時間が無いのでね。速攻で片を付けさせてもらう。あんまりゆっくりしていると、“待て”が出来ない馬鹿弟子がここまで来てしまうのでね」

 そう呟くと同時にアーチャーはキャスターへと疾走した。いつの間にか、奴の手には陰陽剣が握られている。
 キャスターは呪文を詠唱する暇も与えられなかった。片腕を突き出すより早く、アーチャーが間合いを詰め、キャスターの体を両断した。

「――――ッチ」

 あっと言う間に斬り倒した相手の亡骸を前に、アーチャーは不満そうに舌を打った。どうやら、大口を叩いておいて、アッサリ倒れたキャスターに苛立っているらしい。
 だが、士郎にその事を気に掛けている余裕は無かった。士郎はその時、彼が握る剣に夢中になっていた。美しい二振りの剣。己が投影した剣が如何に不出来だったかを実感させてくる。
 他者を倒す事を目的とする戦意も、後世に名を残そうとする我欲も、誰かが作り上げた武器を越えようとする競争心も、絶対的な偉業を為そうとする信仰も……、その剣には何も無い。
 あるのはただ、作りたいから作っただけ、という鍛冶師の心のみ。
 無骨なその在り方が美しく、目を離せない。

「――――ぁ」

 キャスターの亡骸が消えていく。
 それを見届け、アーチャーが剣を納めようとした瞬間――――、

「……不合格よ、アーチャー。その程度で勝ったつもりになるなんて、ガッカリだわ」

 魔女の声が響き渡る。
 同時に光弾が降り注ぎ、アーチャーは双剣で弾いた。
 空を見上げると、そこにキャスターは君臨していた。

「……空間転移か固有時制御といったところか? なるほど、随分と魔力を溜め込んだものだ。この空間内なら、魔法の真似事すら可能らしい。ッハ、大口を叩くだけはある」
「そう……。私は逆よ。見下げ果てたわ、アーチャー。中々の実力者だと思って、試してみたけど、この程度なら要らないわ」
「耳が痛いな。まあ、次があるなら善処するよ」
「――――愚かね、二度目なんて無いわ。ここで、死になさい、アーチャー」
「……ック」

 空に舞うキャスター。彼女の広げる外套に光の陣が現れ、そこから無数に魔弾が降り注ぐ。
 そこから先、展開は一方的なものとなった。何しろ、降り注ぐ光弾は一つ一つが冗談染みた魔力を含有している。一度でも喰らえば、英霊であろうと唯では済まない。
 通常魔術を超える大魔術をシングルアクションで矢継ぎ早に発動する。その凄まじさは未熟者である士郎ですら分かる。

「――――ランクAの魔術をここまで連続で使うとは……」

 逃げに徹し、境内から離脱しようと走るアーチャー。
 ところが、途中で何かに気付いたかのように此方に向って走って来た。

「戯け! 何を暢気に突っ立っているんだ、貴様は!」

 血相を変え、士郎を抱え上げ走り始めるアーチャー。

「え?」

 それで漸く、士郎も現状認識が追いついた。ここが超危険地帯であるという現状を認識するに至った。

「――――クソ、なんだって、こんな手間を!」
「ま、お、降ろせ、自分で走れる!」
「馬鹿を言うな! 貴様など、瞬時に蒸発させられるぞ! とにかく、ジッとしていろ! さっさと離脱を――――」
「士郎君!!」

 その声と同時にアーチャーは溜息を零した。

「来るなと言っただろ、戯け!」
「だ、だって、士郎君が――――」
「だったら、大事に抱えていろ!!」

 のこのこ現れたセイバー目掛け、アーチャーは士郎の体を投げ飛ばした。同時に上空に向け、手を挙げる。

「熾天覆う七つの円環!!」

 眩い光を放つ七つの花弁がキャスターの魔弾を防ぐ防壁となって立ちはだかる。

「アイアスですって!? まさか、これは――――」

 驚愕に声を張るキャスター。彼女目掛け、左右から同時に白と黒の軌跡が迫る。
 
「なっ――――!?」

 キャスターのローブが裂ける。アーチャーの仕出かした事に対する驚愕が彼女の反応を一瞬遅らせたのだ。
 責める事は出来ない。アーチャーが展開したのは嘗て、トロイア戦争で活躍した英雄の盾。そんなものがいきなり現れて、狼狽するなという方が無茶な話だ。
 盾の展開と同時に放たれた白と黒の双剣に襲われたキャスター。
 対して、アーチャーは詰めの一手の準備に入っていた。
 地面に膝を立て、弓を上空のキャスター目掛け、構えている。弦に宛がわれているのは奇妙な剣。
 捻じ曲げられた黄金の剣。その剣を彼が持っている理由が分からない。だって、あの剣は――――、

「――――I am the bone of my sword.」

 切迫したキャスターの声が轟く。
 一節の詠唱によって紡がれる大魔術に対し、アーチャーは“矢”を放った。

「――――ッ」

 矢はキャスターが生み出した大魔術を真っ向から打ち破り、キャスターの守りをも貫通して雲の向こうへ消え去った。
 
「あ……がぁ――――」

 上空からキャスターの喘ぐ声が響く。空間をも捻じ曲げる破壊の軌跡はキャスターの体の一部を捻り切っていた。
 それでも尚、生き永らえているキャスターに驚愕を覚える。

「……ほう。今の一撃を受けて生きているとは、思った以上にやるな、キャスター」
「……く……ぁぁ」

 ゆっくりと地に降り立ち、苦しげに喘ぐキャスター。彼女に対し、アーチャーは止めを差すべく、双剣を取り出し――――、

「……待ちなさい」

 キャスターの一声に手を止めた。

「アーチャー。貴方も今、街を徘徊している存在には気付いているのでしょ?」

 その言葉にアーチャーの表情が変化した。

「貴様……」
「アレに対処出来るのは私だけよ? 力自慢の英雄が何人居ようと、アレには勝てない。だから――――、私と手を組まない?」

 キャスターの言葉に士郎とセイバーは目を丸くした。

「貴方の力量と私の魔術が合わされば、アレを片付け、聖杯戦争を正常に戻す事が出来る。どうかしら?」
「……断る。別に君の力を借りる必要は無い」
「――――自分の力だけで対処出来るとでも?」
「……さてな。まあ、君がアレに対処するつもりなら、君を倒すのは後回しにしよう」

 その言葉に士郎は声を荒げた。
 二人が何の話をしているのかは分からない。ただ、キャスターが多くの人の命を脅かしている事だけは分かる。
 なのに、そんな奴をアーチャーを見逃そうとしている。

「待て、アーチャー! そいつを見逃すなんて――――」
 
 セイバーから離れ、アーチャーに詰め寄ろうとした瞬間、キャスターの姿が闇に溶けるように消えた。

「ま、待て、キャスター!」
「馬鹿か、貴様。追った所で、殺されるだけだぞ」

 慌てて追いかけようとする士郎の襟首を掴み、アーチャーは彼をセイバーに向って放り投げた。

「な、なんで、見逃すんだよ、アイツを!」
「どうせ、奴はここで斬り伏せても逃げおおせた。それに地上を徘徊している厄介者を排除してくれるなら、今は倒さず、自由にさせた方が賢明だ。奴ほどの魔術師なら、あるいは……」
「何の話だよ!? 自由にって……、アイツにまた、人を襲わせるのか!?」
「私が襲わせているわけじゃない。とにかく、私は戻る。貴様等も早々に引き上げるがいい」
「お、おい、待て!」

 伸ばした手は空を切った。

「し、士郎君、落ち着いて……」
「落ち着けるか! キャスターは街中の人間を襲っていたんだぞ! なのに、アイツ――――」
「何か理由があったんだよ! じゃなきゃ――――」
「じゃなきゃ、キャスターが人を襲う事を黙認する筈が無いって言うのか? 人が大勢苦しむのを許容する理由って何だよ!?」
「落ち着いてくれ、士郎君!」
「――――アイツは……、アイツなら、止められたのに……」

 士郎は拳を硬く握り締めた。

「アイツの力があれば……」

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