第三十四話「――――同盟の再結成だ」

 衛宮と初めて会話を交わしたのは中学の文化祭の時だった。アイツはどんな頼み事にも“はい”と応えてしまう生粋のイエスマンだった。あの時も周りから看板作りを押し付けられていて、夕暮れの教室で一人黙々と作業を行っていた。
 最初、僕は衛宮が“自分の意思というものを持っていないんじゃないか?”と思った。他人に言われるがままに生きている。それが何だかとても気に障った。何だか、妹の姿と重なってしまい、凄く気に障った。
 まあ、それは完全な僕の思い違いだったわけで――――、
 
『お前……、どうして、そうホイホイ他人の仕事を引き受けちまうんだ?』
『……ん? だって、俺が仕事を引き受ければ、その分、他の人が楽になるだろ?』
『……は?』

 試しに理由を聞くと、アイツはそう答えた。
 嘘だと思った。単に自分を卑下したくなくて、そんな事を言っているのだと思った。だけど、違った。
 アイツは正真正銘の馬鹿だった。

『――――って、他人が楽になっても仕方無いだろ……。お前はそれでいいのか?』
『ああ、構わない』

 そうハッキリと言い切ったアイツに僕は只管苛々した。だって、あまりにも愚かだ。他人の為に自分の時間や手間を掛けるなんて、どうかしてる。
 せめて、それでアイツに何か褒賞が出るなら話は別だけど、アイツに仕事を押し付けた周りの奴等は絶対に労ったりしない。それをアイツ自身も分かっている。分かっている癖に……。

『お前、馬鹿だよ』
『ひ、酷いな……。別に付き合う必要は無いぞ?』
『別に……、僕がどこに居ようが勝手だろ』

 時々、どうしても我慢出来ずに僕は衛宮に悪態を吐いた。
 馬鹿だ。間違ってる。腹を立てろ。周りを糾弾しろ。
 そんな僕の悪態をアイツはただ笑って受け流す。それが余計に苛々した。
 だけど、アイツが完成させた看板を見て、僕は素直に感嘆した。

『……お前、馬鹿だけどいい仕事するじゃん』

 その看板の出来栄えは実に見事だった。ただ、押し付けられて嫌々やったなら、こんな見事な看板は作れない。
 
『お褒めに預かり恐悦至極に御座います、間桐殿』
『……ふん。まあ、お前が馬鹿なのは撤回しないけどな」
『なんだそりゃ』

 もう、外は真っ暗になっていた。だけど、僕達は笑い合っていた。
 その時、確かに僕らは友人となった。何より得難い、“何があっても信じられる”友人を得られた。
 桜の事を知ったのはそれからしばらくしての事だった。
 

「……自分の価値観が全て壊れてしまったように思った。妹は怪物になっていて、僕は魔術師にはなれなくて、人間ってのはどこまでも醜い。青臭い事を言うようだけど、あの時は本当に何もかもが信じられなくなってたんだ」

 慎二は近所の公園のベンチに座り込みながら、傍らに佇むライダーに自分と士郎の馴れ初めを語っていた。

「――――だけど、アイツだけは変わらなかった。アイツは馬鹿だけど、芯が通っていた。何があっても他人の為にあろうとする。その結果、自分が損をする事になっても構わない。だから、アイツの事だけは信じる事が出来た」

 慎二は楽しそうに語る。彼がこんな風に笑う所をライダーは今まで見た事が無かった。いつもどこか壊れた感じのある歪な笑みばかりを浮かべていた。
 
「他の何が変わっても、アイツだけは変わらない。こんな戦いに巻き込まれても尚、アイツは変わらない。僕はこんなに変わっちまったのに……」
「シンジ……」

 寂しそうに地面を見つめる主をライダーは心配そうに見つめた。

「……シンジ。貴方はいつでも逃げ出せる。何でしたら、今直ぐに衛宮士郎に助命を請いましょう。きっと、受け入れてくれる筈です」
「ああ、アイツは受け入れてくれるかもな。でも、僕が助かったとしても……、桜はどうなる? アイツはもう何があっても救えない。仮に記憶を消して、体を綺麗にしても、今のアイツが救われるわけじゃない」
「ですが……」
「僕はとっくに決めてたんだ。アイツのデザートになるって決めた時からずっと、最後まであの馬鹿な妹の味方で居てやろうってな」

 慎二は立ち上がり、瞼を閉ざした。次に瞼を開いた時、彼から笑みは消えていた。
 代わりに暗い光を瞳に宿し、ライダーを見つめる。

「――――さあ、ライダー。最後の聖杯戦争の開幕ベルを鳴らしに行こう」

 慎二は大きなボストンバックを肩に下げ、歩き出す。
 今度こそ、最後の一線を越える為に目指した先は――――、藤村邸。

「はいはーい! あら、間桐君じゃない! どうしたの!?」

 チャイムを鳴らし、出て来たのは慎二の担任教師。名前は藤村大河。
 衛宮士郎にとって、特別な人間。他の誰よりも彼は彼女を優先する。何故なら、彼女は彼にとって唯一無二の家族だからだ。
 母であり、姉である彼女に手を出せば、今度こそ後戻りが出来なくなる。
 
「えっと……、どうしたの?」

 心配そうな表情を浮かべる大河。

「……アンタには人質になってもらう」
「へ?」
「ライダー、眠らせろ。いいか? 絶対に傷つけるな」
「了解です」

 ライダーが暗示を掛けると、大河はアッサリと意識を手放した。
 彼女の体をライダーは丁重に持ち上げる。二人がその場を離れると、中から暴力団関係者らしき人物達がぞろぞろと外に出て来た。
 藤村組の連中だ。

「……ったく、後で返してやるっつーの」

 影に潜み、ライダーに結界を張らせる。

「やるべき事は分かっているな?」
「――――ええ、ですが……」
「アサシンは信用ならない。まあ、裏切ったりはしないだろうけど……。アイツは心中に一物を抱え込んでやがるからな」

 アサシンの忠義を疑っているわけじゃない。ただ、アイツは元々臓硯のサーヴァントだ。サーヴァントとは、召喚者の内面と似通う者が召喚される。
 加えて、主である臓硯を殺した慎二達に素直に付き従っている今の状態が既に異常であり、腹に何かを抱えている事は間違い無い。

「だから、お前に全てを託した。いいか? 僕が生きていようと、死んでいようと、計画を完遂しろ。桜にもお前の指示に従うように言い含めてある。分かったな?」
「……了解です、シンジ」

 慎二は「頼むよ」と軽い口調で言うと共に結界を出た。向う先は――――、衛宮邸。

 アーチャーの記憶は恐ろしく強烈かつ明瞭で、築いた防壁がアッサリと崩れ去った。これが単なる記憶の追体験であるという認識が崩れ、距離感が零となる。
 アイツの怒り、哀しみ、苦しみが流れ込み、呑み込まれ、一つになる。
 分かったつもりになっていた。アイツがセイバーを失って、どれほど嘆き悲しんだかを分かったつもりになっていた。でも、実際には全然分かっていなかった。
 猛烈な憎悪に身を焦がされ、息が詰まりそうになる。

“I am the bone of my sword.”

 失ってはならないものを失った。
 その時点でオレは道を踏み外していた。踏み外したまま、歩き続けてしまった。
 理想は上辺だけのものとなり、只管、多くを救う事だけに執着した。

“Steel is my body,and fire is my blood.”

 闘争を煽る者が居れば、その者の部下を拷問し、その者の愛する者に暗示を掛け、爆弾を抱かせた。
 世間から隔絶された小さな村で病が蔓延した時は発生源となっている者達を生きたまま焼き殺した。

“I have created over a thousand blades.”

 裏切られる事など日常茶飯事だった。瞳に映る世界は詭弁や詐称、姦計、自己愛に満ちていた。
 救えば救う程、人の醜悪さを目の当たりにする。
 人を殺す技術ばかりを磨く日々。狙撃銃のスコープから敵の脳や心臓が破裂する光景を見た。毒がどうやって人体を蝕むのかを見た。
 その度に心は小さな罅割れだらけになっていく。

“Unknown to Death.Nor known to Life.”

 愛した人を殺した。
 愛する家族を殺した。
 だから、立ち止まる事なんて許されない。
 哀しみを憤怒で癒し、苦しみを憎悪で和らげる。

“Embraced regret to create many weapons.”

 その在り方は既に人では無かった。さりとて、己が抱いた理想の姿とも程遠い。
 人はこの身を悪魔と呼ぶ。だけど、止まれない。
 “正義”という名の“悪意”を振り撒き続けなければ、唯一残った約束までもが失われてしまう。
 後悔と絶望に塗れた心の唯一の光。パンドラの箱に残された唯一の希望。

『君は立派な人間になるんだよ』

 その約束を守る事だけが己の全て――――故に……、

「――――そこまでよ、衛宮士郎!!」

 急に世界が闇に閉ざされた。暗黒が全てを呑み込み、俺をオレから解放した。
 途端、眩い閃光に目が眩んだ。瞼を無理矢理開かれたのだ。

「何をする――――!!」
「危ない!!」

 気がつくと、オレは使い慣れた双剣を投影していた。呼吸をするように自然に――――、

「……あっ」

 気がついた。目の前に女の子が居る事に今更気がついた。腕から血を流している。
 知らない少女だ。黒い髪の少女……、

「――――ッ!」

 違う。知っている。彼女はセイバーだ。俺が知っているセイバーだ。

「せ、セイバー!! すまない、俺……」

 ああ、何と言う事だ。悟を傷つけてしまうなんて最悪だ。哀しみと怒りが溢れ出して来る。
 また、悟を殺してしまう所だった。もう、二度と間違いを犯さないと心に決めたのに……。

「お、オレは……俺は……、すまない。本当にごめん、セイバー」

 心を絶望が蝕む。叫びだしたい。頭を掻き毟り、脳をグチャグチャにしてしまいたい。

「し、士郎。俺なら全然大丈夫だよ。だから、落ち着いてよ。ね?」
「本当か!? 無理をしてるんじゃないだろうな!? 君はいつも無理ばかりをするから……。ああ、直ぐに消毒が必要だ」
「だ、大丈夫だってば! それより、君こそ大丈夫なのか!? なんか、変だよ!?」

 変と言われた。心臓が収縮し、呼吸が荒くなる。見損なわれてしまった。
 漸く、再び会えたのにオレはどうして……。

「士郎!!」

 セイバーが肩を掴んで来た。相変わらず小さな手だ。記憶通りの小さな手だ。
 愛らしい手だ。行為の時、いつも悟は手を繋ぎたがった。そうする事で安心出来ると言っていた。

「退がりなさい、セイバー。ちょっと、しくじったみたい……」
「しくじったって、どういう事だよ!?」

 悟が離れて行く。駄目だ、離れたくない。漸く、再会出来たんだ。
 これが死の間際の夢だろうと構わない。言いたい事が山程――――、

「ちょっと、荒療治だけど……」

 突然、悟とオレの間に割り込んできた女が奇妙な言葉を呟いた。
 言葉として認識が出来ない奇妙な声。直後、頭の中に奇妙な映像が流れ込んできた。
 それは悟とオレの出会いから今に至るまでの――――、

「……ちがう」

 これは俺とセイバーの記憶だ。セイバーと交わした俺だけの言葉が俺の意識を引き戻した。
 立ち眩みを覚えながら、改めてセイバーを見つめる。
 大丈夫だ。俺は俺だ。危なかったけど、何とか戻ってこれた。

「悪い……。ちょっと、アーチャーの記憶に圧倒されてた」
「だ、大丈夫なの?」

 心配そうにセイバーが見つめて来る。まだ、アーチャーの意識の名残があるのか以前にも増して愛おしさが込み上げて来る。
 なんだか癪に感じる。俺よりアイツの方がセイバーを愛していたみたいで腹が立つ。
 顔をパンッと叩いて、アイツの意識を追い出す。俺は俺として、アイツ以上にセイバーを愛してみせる。そう意気込んでセイバーを見つめる。

「……って、それ所じゃなかった!! ご、ごめん、セイバー。俺、いきなり切りかかったりして……」

 セイバーの腕からは血が流れ続けている。

「だ、大丈夫だよ、このくらい」
「大丈夫じゃないだろ!? キャスター、治せるか?」

 懇願するように視線を向けると、キャスターは深く息を吐いてから頷き、セイバーの腕に治癒魔術を施した。
 
「……大丈夫か?」
「うん、大丈夫よ。これでも俺は男だったんだぜ? このくらいの傷、へっちゃらさ」

 思わず溜息が出た。こういう所が不安になる。

「痛いなら痛いって言ってくれ。セイバーに我慢される方が……苦しい」
「……うん。ちょっと、痛かった……」
「ごめんな……」

 セイバーの血塗れの腕を摩りながら謝る。よりによって、俺自身の手で傷つけてしまった。
 
「……アーチャーの事を分かった気でいた」
「士郎……?」
「アイツの憎悪や憤怒を理解しているつもりになってた。だけど……、全然甘かったよ」

 首を横に振りながら俺は吐き出すように呟いた。

「当然だよな……。セイバーを……、愛する人を殺してしまった奴の気持ちなんて、実際に経験した本人以外が理解出来る筈無いんだ」
「……でも、理解出来たでしょ?」
「ちょっとだけだ……。それに今の俺とアイツの在り方は違い過ぎる。ただ――――」

 それでも、道標にはなる。さっきの投影がその証拠だ。自分の投影魔術の本質は理解出来た気がする。
 真価を発揮するには魔力が全く足りていないけど、理解出来ていないのと理解出来ているのとでは大違いだ。

「――――これで、少しは戦力になれたと思う」
「なら、良かったわ」

 深く息を吐くキャスター。

「正直、失敗したかと思ったわ……」
「……アレ以上は深入り出来ないな。二度と戻って来れなくなる気がする……」
「士郎……」

 何はともあれ、戻って来れた事は行幸だ。
 セイバーにかっこつけた手前、口には出せないが、本当に危なかった。
 俺はあの時、確かにアーチャーになっていたんだ。俺がセイバーに向ける愛とアイツがアイツのセイバーに向ける愛は少し違う気がする。
 もっと深くて、もっと……、

「……やめよう」

 アイツの過去は本来アイツだけのものだ。深く考える事は避けた方が良い。
 いくら同一の存在であっても、そこは礼儀というものだ。今更な感じはするが……。

「とりあえず、ちょっと疲れたな……」
「お疲れ様。夕食の準備は出来てるから、いつでも食べられるよ?」
「え!? もう、そんな時間なのか!?」
「うん」

 慌てて外を見ると、既に空は暗くなっていた。
 
「お風呂の準備もしてあるよ? どっちにする?」
「それじゃあ、とりあえず飯にしよう。あんまり皆を待たせるのも悪いし」
「ああ、それは大丈夫よ。セイバー以外はみんなとっくに食べちゃったから」
「……そうですか」

 しれっと言うキャスターになんだか凄く微妙な気分になった。
 
「いや、ほら、あれだよ。みんなも忙しく動いてたからお腹空いてたんだよ」
「いや、いいんだ。待ってくれてると思い込んでた俺が馬鹿だったんだ……」

 寂しいとか思ってはいけない。セイバーだけは待っていてくれたんだから、十分だ。
 
「……やっぱり、風呂に入ってこようかな」

 そう、十分だ……。薄情だとか思っちゃいけない。

「士郎……」

 ちょっと前までは一人での食事も全然へっちゃらだったと言うのに、最近は大所帯で食べる事が多かったせいか、少し寂しいと思ってしまう……。

「えっと……、そ、そうだ! 背中を流そうか?」
「だ、大丈夫だ!!」

 セイバーの大胆過ぎる発言に慌ててストップを掛けた。
 多分、深い意味は無いのだろうけど、俺の方はかなりヤバイ。アーチャーの過去を追体験したせいか、正直、ふとした切欠で止まれなくなりそうだ。
 出来れば、セイバーとは健全な関係を築いていきたいと思っている。とりあえず、厄介事が全部片付いたらバイトを増やそう。結婚資金やその他諸々でお金が大量に必要になって来る。
 
「坊や……、ニヤけ過ぎてて、ちょっと危ない顔になってるわよ」
「……とりあえず、風呂に入って来る」

 キャスターの引き攣った表情を見て、顔を引き締める。
 その時だった――――、
 
「なんだ!?」

 突然、屋敷の明かりが消え、地面に光が走った。

「……どうやら、お客さんのようね」

 キャスターがいち早く動き、外に飛び出す。俺とセイバーも後を追った。
 外に出ると、空に羽ばたく天馬の姿があった。

「ライダーか!?」
「いや、違う!!」

 セイバーの否定の言葉に改めて天馬の背中に目を凝らす。
 そこに居たのは――――、

「慎二!?」

 ライダーの姿は無く、慎二だけがその背に跨っていた。

「やあ、衛宮」

 慎二はまるで聖杯戦争が起こる前に戻ったかのように、爽やかに手を振り挨拶をして来た。

「……何の用だ?」

 額から汗が滲み出る。今の慎二は俺の知る慎二とは違う。
 アーチャーの過去を見ても、今のアイツはあまりにも得体が知れないままだ。
 
「……嫌だな。いつから、お前はそんな目で僕を見るようになったんだ?」
「――――ッ」

 辛そうな表情を浮かべる慎二に思わず張っていた気が緩んだ。

「し、慎二、お前は――――」
「いや、悪かったな。今のはフェアじゃなかった」

 慎二は俺の言葉を遮るように謝ってきた。
 一体、どういうつもりなのかサッパリ分からない。

「慎二……」
「衛宮……。大聖杯の下に来い。そこで、決着をつけよう」
「……なあ、戦わないって選択肢は無いのか?」

 俺は縋るように尋ねた。
 今になっても、俺は慎二が敵だとはどうしても思えなかった。確かに、非道な真似をしたけど、それは聖杯戦争なんて異常な事態に巻き込まれたせいだ。
 本当のアイツはちょっと嫌味で……だけど、本当は良い奴な筈なんだ。
 
「無理だな。お前が戦いを降りる事でしか、戦いを回避する事は出来ないんだよ。僕にも聖杯が必要なんでね」
「慎二!! 聖杯は穢れているんだ!! お前が勝っても願いは――――」
「おいおい、衛宮。お前、僕を馬鹿にしてるのか? 聖杯が穢れている事なんて百も承知さ。その上で必要だと言ってるんだよ」
「ど、どうしてだよ!? 願いは叶わないんだぞ!?」

 俺の言葉にどういうわけか、慎二は突然嗤い始めた。

「叶わないのは真っ当な願いだけだ。そこがズレてるんだよ、お前は」

 何の事だか分からない。だって、今の聖杯で叶う願いなど、それは――――、

「……慎二。お前は一体、聖杯に何を願うつもりなんだ?」
「全人類を桜の餌にする。まあ、要するに皆殺しだ」

 言葉が出なかった。慎二が何を言っているのか理解出来なかった。

「……え? は? え? ど、どういう……え?」
「この際だから、教えておいてやるよ。桜はもう救えない。遠坂の家から間桐に引き取られて、その日の内からアイツは拷問に掛けられ続けた。聖杯の欠片とアルトリアを手に入れた臓硯は桜から人格を剥奪する為に徹底的にアイツを苦しめたんだ」
「……な、何を言って……――――」
「言葉の通りさ。心を壊す目的で只管拷問を繰り返されたんだ。まだ、中学にも上がってない幼少の頃にアイツは壊されたんだよ」
「そ、そんな筈あるか!! だって、桜は俺と――――」
「壊されても、言語を操る事は出来るし、ある程度なら演技も出来るんだよ。アイツは臓硯に命じられてお前の事をずっと監視してたんだ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。アイツの行動は全てが演技だったんだよ。影では人間の血肉を文字通り喰らっていた。今もだよ。アイツはもう人間じゃない」
「嘘だ!!」

 俺は歯を食い縛りながら慎二の言葉を必死に振り払おうとした。
 桜との日々を明瞭に思い出す事が出来る。最初は確かに暗い表情が多かった。だけど、藤ねえや俺と一緒に過ごす内に――――、

「本当なんだよ……、衛宮。だけど、お前には感謝してる。確かに演技だったけど、アイツは少なくとも表面上だけは人間として生きられた。短い間だったけど、そういう経験をさせてやれた事を嬉しく思ってる」

 その言葉があまりにも真摯で……、俺は息が出来なくなった。

「……嘘だろ?」
「……本当だよ」

 足下がふらつく。今までの価値観が全て崩壊するような……、世界そのものが崩れていくような錯覚を覚えた。

「士郎!!」

 倒れそうになる俺の体をセイバーが支えた。

「桜はもう、何をしても救えない。聖杯で記憶を消したり、体を清めたりしても、苦しみ抜いた桜を救う事にはならないし、どっちにしても、アイツの十年間は完全に失われてしまう。そんなの……、残酷過ぎるだろ?」

 慎二は言う。

「僕がアイツの為にしてやれるのは……、せめて、少しでも美味しいものを食べさせてやる事だけなんだ……。だから……、僕は……その為に、この世界の人間全てを皆殺しにするって決めたんだ」
「……慎二」

 身体が震える。慎二はもう止まらない。分かってしまう。
 アイツはアーチャーと同じだ。ただ一つの妄執の為に全てを投げ打とうとしている。その先に待つものが破滅であると分かっていても、立ち止まれなくなっている。

「……だから、僕達は戦うしかないんだよ」
「慎二……俺は――――」

 叫ぼうとする俺の目の前に慎二はおもむろにボストンバッグを投げつけた。

「……これは?」
「開けてみろよ」

 重い音を立てて落下したボストンバッグ。
 嫌な予感がする。とても……、嫌な予感がする。

「触らないで、坊や……」

 恐る恐る手を伸ばそうとする俺をキャスターが止めた。
 彼女はそっと人差し指をボストンバッグに向ける。すると、バッグのチャックが勝手に動き出した。
 するすると開いたバッグの中にあったのは――――、

「――――――――――――――――――――――――――――――――あ」

 吐いた。胃の中身を全て吐き出した。
 血など見慣れている。死などとうの昔に容認している。
 けれど、そこにあったソレは俺の覚悟を嘲笑うように心を揺さぶった。
 ボストンバッグの中には俺が所属していた弓道部の主将であり、友人でもある美綴綾子の生首が入っていた。
 相当な苦痛を味わったのだろう。彼女の顔は禍々しい程に歪んでいた。

「そいつは単なる見せしめだ。日の出までに大聖杯の下へ来い。さもなければ、お前にとって誰よりも大切な人間が死ぬ」
「…………まさか」

 誰よりも大切な人間と聞いて、思い浮かんだのはセイバーの顔。だけど、セイバーはここに居る。
 だとすれば……、ここに居なくて、衛宮士郎にとって何よりも掛け替えの無い存在といえば……それは――――、

「お、お前、藤ねえに何をした!?」

 怒りが一瞬で臨界を突破した。

「人質に取った。既に円蔵山にはライダーがブラッドフォート・アンドロメダを張っている。一応、お守りを持たせてあるが、夜明けと同時に自壊するようにしてある。愚鈍なお前でも分かるよな? 藤村を助けたかったら、夜明けまでに大聖杯の下に来る他無い」
「お……、お前……」
「……ふん。お喋りが過ぎるわよ」

 怒りのあまり、目の前が真っ白になり掛けた時、キャスターの声が響いた。

「……ああ、そう来ると思ったよ」
「――――ッチ。そういう事……」

 キャスターの動きが不自然に停止した。

「分かっていると思うが、僕が死ねば藤村は即死亡だ。そうなれば、衛宮は戦力にならなくなる。衛宮にとって、あの女は特別だからな」

 キャスターは慎二を忌々しそうに睨んだ。

「ど、どうしたんだ?」

 セイバーが問う。

「……どうやら、体内に毒を仕込んでいるらしいわ。何らかの魔術干渉を受けた場合、即座に死ねるように……」
「そんな!?」

 俺は慌てて慎二を見た。

「……衛宮。大聖杯の前で待ってるよ」

 そう言って、慎二は天馬と共に彼方へと消え去った。
 
「……慎二」

 俺は動けなかった。あまりの事に頭がついていけていないのだ。
 そんな俺を更なる混乱に陥れる存在が突如現れた。

「……ったく、面倒な事になってんな」

 青き槍兵が真紅の槍を肩に担ぎ、堂々と俺達の眼前に現れた。

「――――行くんだろ?」

 その問いが何を意味しているのか、その程度なら分かった。

「……当たり前だ。藤ねえを助ける」
「……オーケー。お前が行くってんなら、他の連中も動かざる得ない。最終決戦の幕開けってわけだ。なら――――」

 ランサーは頭上に向って高らかに叫んだ。

「俺達も行くしかないだろ!! なあ、バゼット!!」

 叫んだ後、しばらく虚空を睨んでいたランサーが獰猛な笑みを浮かべた。

「サンキュー」

 顔を俺達に向け、ランサーは言った。

「ってわけだ」
「……いや、何が『ってわけだ』なんだ?」

 あまりにも意味不明過ぎる行動に途惑う俺達。
 対して、ランサーは呆れたように言う。

「決まってるだろ」

 ランサーはニヤリと笑みを浮かべる。

「――――同盟の再結成だ」

第三十四話「――――同盟の再結成だ」」への1件のフィードバック

  1. これは酷い。ここまで美綴が酷い目にあったSSはこれが初めて?
    もしや3人娘も…。
    ギルガメッシュと言峰でなく慎二がラスボスか…。どうなるのかな?

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