その日の天気は快晴だった。けど、俺の心はどんより雨模様。大した事じゃない、と人は言うかもしれないけど、俺にとっては大事だった。
「また、振られた……」
大学でクリケットサークルに入り、そこで一目惚れした女の子に満を持して告白した。その結果、見事に玉砕した。
鏡を見る。顔は悪くない方だと思う。髪だって、毎日丹念にワックスで整えているし、眉もキッチリ整えてる。体つきも筋肉質では無いけど、それなりに鍛えてある。
「やはり……、性格の問題なのか?」
ゲームやアニメ、漫画が大好きなせいか、ついついその手の話題を振ってしまう事がある。と言っても、オタクだとばれる程、コアな話はしていないつもりだ。
けど、やっぱり滲み出てるものがあるのかもしれない。最近はオタクも市民権を得てるらしいけど、それは一部のマニアック趣味な女を捕まえられた男に限った話だ。俺が好意を抱いた女の中に俺の趣味を理解してくれる女は居なかったというわけだ。
憂鬱な気分だ。明日から絶対皆にからかわれる。それに、彼女と顔を合わせるのが辛い。こんな事になるなら、卒業ギリギリまで待てば良かった。彼女と一緒のキャンバスライフを夢見た俺が馬鹿だった。
「欲を掻くからこうなんだよな……」
今日、何度目になるか分からない溜息を零しながら、馴染みの居酒屋に向う。いつも一人で飲みたい時に利用するとっておきだ。小さな店だけど、心が落ち着く。
「いらっしゃい、サトちゃん」
店主の婆ちゃんがニコニコと俺を歓迎してくれる。家族と離れて一人暮らしをしている俺にとって、アパートよりもここの方が家って感じがする。
「ビールと枝豆ちょうだい」
「あいよ」
よく冷えたコップに注がれる黄金の液体。グビッと一杯呑むだけであら不思議、とっても気分がよくなってくる。苦味を打ち消す為に枝豆に手を伸ばし、もう一杯。
「今日はよく飲むねー」
婆ちゃんが煮込みをサービスしてくれた。ここの煮込みはとにかく美味い。七味を振って、いただきます。
好きな子に振られた愚痴をだらだら零しながら、備え付けのテレビのチャンネルを回す。理解ある女である婆ちゃんは俺がアニメにチャンネルを合わせてもとやかく言わない。
婆ちゃんがもっと若かったら、俺は迷う事無く告白していた事だろう。
「サトちゃん、このアニメ好きだねー」
別に特別好きってわけじゃないけど、たまたま俺が来る日はこのアニメの日が多い。
「……アニメが好きって、そんなに悪い事なんかなー」
三杯目を飲み干して、すっかり赤くなった俺に婆ちゃんは苦笑する。
「いつの時代も若い子はイメージを大切にするもんだからねぇ。他人から見られた時の事を想像すると、一緒に居る彼氏には色々と条件を付けたくなるもんさ」
「婆ちゃんも……?」
「この歳になっちゃうと、そんな事はどうでも良くなるものだよ。でも、若い女の子にとっては大事な事なんだ。だから、女の子に好かれたいなら、女の子が一緒に居たい、一緒に居る所を見られたいって男になる事だね」
「……難しいなー」
お勘定を済ませて店を出る。女の子ってのは本当に難しい。
男からすれば、女がオタク趣味持っていようが、他の変わった趣味を持っていようが、可愛ければ大抵オーケーなんだけど……。
「もう、いっそ男にでも走るかなー」
酔ってるせいか、そんな馬鹿な考えが浮んで来る。家に帰って、アニメのDVDを鑑賞しよう。そんで、嫌な事はさっさと忘れよう。
家賃の安さに釣られて借りたボロアパートに戻り、アニメDVDを再生する。
「アニメの女の子はいいよなー」
主人公が多少アレな性格でも好きになってくれるし、大抵裏表の無い子ばっかりだ。ちょっと嫌味なキャラクターの子でさえ、ある意味で裏表が無いと言える子ばっかりだ。
主人公に対して一途な子ばっかりだし……。
「二次元嫁……いや、でもそこに辿り着いたらさすがに……」
一人でぶつぶつ呟いてる時点で相当キテる自覚がある。
「主人公ってのはどうしてモテるのかねー。優柔不断な男がモテル時代? いや、そういう問題じゃないな……。まあ、主人公ってのはそれなりに真っ直ぐな人間ばっかりだしなー」
とりあえず、顔が好みだから告るって主人公はあんまり居ない気がする。でも、告らないと始まらないし……。
「やはり、問題は出会いか?」
アニメでも映画でも大抵、主人公とヒロインの出会いは劇的だ。そうじゃなくても、実は過去に因縁があったりって展開が後から出現したりもする。
つっても、坂道で自己暗示してる子にあったり、魔法陣から現れる女の子と遭遇したり、いきなりよく分からない戦いに巻き込まれたりなんて事、現実では起こり得ない。
「うう……、頭痛くなってきたな……」
ちょっと、飲み過ぎたかもしれない。冷蔵庫を漁ると、飲み物は何も無かった。
「やっべー、買い置き無いじゃん……」
溜息混じりに財布をポッケに押し込んで、部屋を出る。近くにコンビニがあった筈だ。
「ウコンの力飲んで、さっさと寝よ」
ふらふらしながら歩いていると、突然目の前で大きな音が響いた。
酔い過ぎて、意識が朦朧としていたらしい、ハッとした瞬間、俺の目の前には大型のトレーラーが迫って来ていた。運転手がブレーキを踏んでいるみたいだけど、ちょっと間に合わないっぽい。
跳ね飛ばされた時、驚く程痛みが無かった。恐らく、衝撃が強過ぎて、感覚がマヒしているんだろう。感覚を取り戻した時の激痛を思い、背筋が寒くなる。
このまま死ぬのかなー、俺。悲しくて、涙が出て来る。だって、結局彼女居ない暦イコール歳の数のまま生涯を終えるのだ。こんな事なら風俗でもいいから童貞を卒業しておけば良かった。
幸か不幸か、痛みが来る前に眠くなって来た。目を閉じたらきっと……、俺は――――。
「もしやとは思うが……、お前が最後の一人だったのかもな。だとしても、これで終わりなわけだが―――――」
目覚める筈の無い眠りから覚めた。耳に届いた声はどこか聞き覚えがある気がする。
瞼をゆっくりと開く。そこには……、
「ふざけるな、俺は――――ッ」
などと叫ぶ少年と少年に赤い長物を向ける青タイツの変質者。
ちょっと、待って欲しい。目覚めるにしても、この状況は無いと思う。
普通、白いベッドで目を覚まして、腕に差された点滴の針や呼吸器に驚く筈だ。
なのに、こんな薄暗い上に埃っぽい所で男の子が変質者に襲われてる現場に出くわすとはどういうわけだろう……。
「って、そんな事言ってる場合じゃない!!」
間一髪、変質者が槍を振り下ろす前に少年を抱え上げて変質者から距離を取る事が出来た。
「だ、大丈夫!? っていうか、何があったの!? あんな変質者に襲われ……っていうか、まずは警察に!! って、アレ!?」
携帯電話を取り出そうとしたら、ポケットが無かった。
というか、よく見ると今の俺の服装は尋常じゃなかった。まずなにより、スカートだった。青い生地のスカートだった。
その上、手には銀色の篭手。ポケットのあるべき位置には同じく銀色のプレート。
「……コスプレ?」
電流が走った。何が起きたのかを漸く理解出来た。
つまり、俺もこの少年と同じくあの変質者によってここに連れ込まれたのだ。しかも、こんなコスプレを寝ている間に……。
全身に鳥肌が立った。俺の顔は決して悪く無い方だと思う。けど、女と間違われる事は無い筈だ。
チラリと少年を見る。ちょっと、童顔ではあるが、男らしさも見える。
間違い無い。相手はゲイだ。
「ちょっと待てよ……」
俺は既にコスプレしていた。寝ている間に他の事もされていない保証がどこにある?
尻に違和感は特に無いが……、それでも不安でいっぱいになった。
「に、逃げよう」
少年を抱き抱えたまま、俺は決意を固めた。
変質者から逃げるのだ。ここがどこだか分からないが、警察に逃げ込みさえすれば大丈夫な筈だ。
「君、ここの地理は分かる?」
踵を返し、走りながら少年に問う。
「え? あ、ああ、分かるけど……っていうか、アンタは」
「ごめんね。とにかく、まずは逃げないと……」
まずはこの広々とした屋敷から出よう。
犯人はきっと、あのぶつかって来たトレーラーの運転手に違いない。衝突した後、証拠隠滅の為にここに連れ込んだのだろう。
そこで……、クッソー、童貞の前に処女を失ってたりしたら本気で泣くぞ。
「あそこが出口か!!」
それにしても、少年は驚く程軽い。ちゃんと、栄養は取っているのだろうか?
もしかしたら、長い間監禁されていたのかもしれない。
許せない、あの男。
「――――どこに行くつもりだ?」
ゾッとした。後ろからでは無く、なんと、上から声が降ってきた。
青いタイツの変質者の顔が月明かりによって顕となる。顔立ちは際立って良い。驚くべき事に彼は外人だった。しかも、髪を青に染めて、瞳には赤のカラーレンズという徹底したコスプレイヤー。
モデルはきっと、あのキャラクターだ。『Fate/stay night』というゲームのランサーというキャラクター。実に様になっているが、やっている事が拉致監禁と性的暴力である以上、褒めてやるわけにはいかない。
「……くっそ」
少年を降ろして、手近にあった木の棒を構える。
見れば、少年はまだ中学生か高校生くらいだ。そんな子をこんな変質者の魔の手に晒すわけにはいかない。
きっと、正当防衛になる筈だ。
「……おい、何の冗談だ?」
「黙れ、変質者!! この子には手を出させないぞ!!」
「ハァ? 誰が変質者だ!! ったく、漸くお出ましかと思えば、とんだ――――」
「セイヤー!!」
舐めるなよ! これでも中高は剣道部に所属していたんだ。
頭部がガラ空きだぜ!
「……おいおい」
「……え?」
呆気無く、木の棒を掴まれ、俺の体は宙を浮いた。
腹を蹴られたのだ。人間の体がこんな風に宙を浮くなんて、まるでアニメの世界みたいだ。
地面を転がり、何とか体勢を立て直す。思ったより、痛みが無い。このコスプレ衣装は予想以上に頑丈らしい。
寝ている間に着替えさせられたらしい衣装に感謝するのも何だかおかしな気がするが、とにかくあの男、凄く鍛えてる。
「うぁ」
「お、おい、何してんだ!?」
何と言う鬼畜。男は少年まで蹴り飛ばした。あんな子供を蹴り飛ばす神経が信じられない。
慌てて抱き止めると、少年は痛そうに顔を歪めて体を丸めた。
「こ、子供相手に何をするんだ!!」
「子供? 馬鹿言うな。マスターになった以上、子供だろうが関係ねーだろ」
「マ、マスターって……」
本当にヤバイ、この男。ゲームのキャラクターになりきってる。
日本語がお上手ですね、とか褒めてる場合じゃない。このままだと、二人揃って犯られるか、下手をすると殺される。
冗談じゃない……。
「だ、誰か……」
少年を体で庇いながら、俺は助けを求めた。
誰も来る筈が無い。そう思っていた……。
「っと、追って来たか」
助けが来た。
「って……、あれ?」
と思ったけど、違った。変質者と俺達の間に立ちはだかった浅黒い肌の男もまた、コスプレ野郎だった。
変質者が変質者仲間とチャンバラごっこを始めた。
「なにこれ……」
変質者同士のバトルに呆気に取られていると、女の子の声が響いた。
「衛宮君!!」
振り返ると、黒髪の女の子が走って来た。自分が抱え込んでいる少年と同い年くらいだろうか?
随分と可愛い女の子だ。ツインテールが良く似合っている。
それにしても……、その格好は完全にゲームキャラクターのコスプレだった。しかも、『衛宮君』って……。
「とお……、さか?」
思わず少年から距離を取った。
やばい。この子達もあの変質者の仲間の可能性が浮上して来た。
「……驚いたわ。まさか、貴方が最後のマスターだったなんてね」
「マス、ター?」
はい、決定。仲間でした。何かのサークルなのだろうか? 人を寝ている間にコスプレさせて、訳の分からない演劇に巻き込むこの方々は一体……。
「それで、貴女が衛宮君のサーヴァントって訳ね?」
「……えっと、その」
外人二人に歳若い男女が二人。こんな広い敷地を持つ屋敷で……。
まさか、これってあれだろうか? ゲームをモチーフにしたAV撮影……。
色々と考え事をしていると、不意に屋敷の窓が視界に映った。そこに信じられないものが映り込んでいた。
「……誰、この人」
そこには金髪の少女が映っていた。
「……もしかして、貴女も記憶に不具合がある感じ?」
黒髪の少女が問う。嫌な予感で背中に嫌な汗が流れ出した。
「えっと、その……、ここはどこですか? そして……、私は誰ですか?」