第四話「戦いの始まり」

 後悔した時、既に遠坂時臣は囚われてしまっていた。

「見てご覧なさい、坊や……。また、人が死んだそうよ」

 酷く悲しげな表情を浮かべ、女は言った。彼女が見つめる先にはテレビが置かれている。科学技術を心底から軽蔑している時臣の自室にソレを持ち込んだのは彼の弟子だった。とは言え、それも彼女に命じられたからこその行為であり、時臣も彼を責めない。
 虚ろな瞳をテレビに向け、時臣とその弟子、言峰綺礼は頷く。

「はい、母さん」

 まるで示し合わせたかのように二人の声が重なり合う。テレビの画面には連続猟奇殺人鬼・雨龍龍之介による殺人のニュースが流れている。

「これも全て私の罪……。私の子が自らの兄弟を殺す。ああ、とても悲しいわ」

 一滴の涙を零す彼女に時臣がそっとハンカチを取り出す。

「終わりにしなければ……。母として、子供達を理想郷へと導かなければ……」

 女は時臣と綺礼を優しく抱きしめる。愛する息子や娘を抱きしめる慈母のように、彼らを包み込む。その抱擁に彼らは身を任せる事しか出来ない。彼女の言葉に反抗する事など出来ない。何故なら、彼女は母なのだから――――。

「力を貸して……。この戦いを人類最後の流血とする為に……」
「はい、母さん」

 第四話「戦いの始まり」

 ウェイバー・ベルベットは悩んでいた。折角召喚したサーヴァントが己の言う事を全く聞き入れてくれないのだ。むしろ、どっちが主人で、どっちが従僕だか分からない扱いを受けている。
 召喚から既に数日。他の参加者達が動きを見せない事をいい事にライダーは好き勝手に動き回っている。最初は下半身丸出しの状態で出歩こうとして、拠点にしている民家の住人が大騒ぎをするという事件もあった。今は何とか説得してパンツとズボンを穿かせる事に成功したが前途多難過ぎる。
 とは言え、既に聖杯戦争は始まっている。日中は自由奔放に動き回るライダーの監視の為に他の事が何も出来ないが、夜になれば多少落ち着いてくれる。寝る間を惜しみ、ウェイバーは昼間の内に町中に配置しておいた使い魔と視界を同期させた。
 どんな些細な変化も見逃さない。気合を入れて順番に使い魔の視界を確認していく。公園では酔っぱらいが歌を歌い、橋ではカップルが愛を囁き合っている。至って平和だ。

「今日も空振りか……」

 落胆の色を隠せないでいるウェイバーにテレビを見ていたライダーが事も無げに言う。

「そう気を落とすな。この国では果報は寝て待てと言うらしいぞ」
「けど、もう三日目だぜ? そろそろ動きがあってもいい筈だ」
「まだ三日目とも言える。それぞれ、サーヴァントを召喚し、地盤を固め、戦の準備に勤しんでおるのだろう。むしろ、早々に動き出す者が居れば、それは余程の愚か者か、あるいは何らかの策を練っての行動である可能性が高い」
「じゃあ、今の段階で街に異変が起きていない事はむしろ自然って事か?」
「そうとも言い切れぬが、異変が起きない事が不自然と判断するにはまだ早い」
「……分かった」

 再びテレビ鑑賞に戻ったライダーの背中をボーっと見つめながら、ウェイバーは彼の言葉を頭の中で反芻した。ライダーの言うとおり、今はまだ他の参加者達も地盤固めや情報収集に奔走している最中なのだろう。

「あれ……?」

 だとすると、この三日間の自分達の行動は非常に不味いものだったのでは……、。

「お、おい、ライダー! 俺達、真っ昼間から出歩いてるけど、敵のマスターに存在を気づかれてるんじゃないか!?」
「その可能性は大いにあるな」
「ば、馬鹿! なんで、そんなのほほんとしてるんだよ! ヤバイじゃないか! この場所だって、敵に知られてるかもしれないし――――」
「落ち着け」

 ウェイバーはおでこにデコピンを受け、ひっくり返った。そんな彼をゆっくりと立ち上がったライダーが見下ろす。

「それが狙いだ」
「……え?」
「お前さんの持ち味はフットワークの軽さだ。敵が網に掛かれば、後は余が叩き潰す。下手を打っても、イザとなれば何時でもこの拠点を放棄して逃走する事も出来る」
「……お前」

 不覚にも感心してしまった。彼は先のことをキチンと考えて行動していたのだ。それを愚かな行為だと叱責し、目くじらを立てていた自分が恥ずかしい。
 俯くウェイバーの背中をライダーはバンと叩いた。体重の軽いウェイバーは吹き飛ばされそうになりながらギリギリで耐え、恨みがましい視線をライダーに向ける。

「ドシッと構えておけ、男ならな」
「……お、おう」

 だははと笑うライダーにウェイバーは溜息を零した。

 翌日、ウェイバーは率先してライダーを連れ、街の散策に出た。今まではライダーに連れ回されるばかりだったが、今回はキチンと目的をもって行動している。
 地形の把握に努めながら、敵に自分の存在をアピールしているのだ。彼の宝具なら、どんな敵に対しても遅れを取らないと確信しているし、万が一の場合があっても確実に逃走出来る。

「……とは言え、さすがに昼間から仕掛けては来ないか」
「まあ、どいつもこいつも人目を避けるだけの分別はあるらしいな」

 そう言うと、ライダーは近場にあるゲームショップに向かって駆けて行った。本当は単に遊びたいだけで、昨夜の言葉はただの言い訳なんじゃなかろうかと疑念が募る。
 空が茜色に染まった頃、ウェイバーは軽くなった財布の中身を見て溜息を零した。結局、今日も空振りだった。ライダーの買い物に付き合わされ、散財しただけ……。

「さすがに四日目に入っても動きが無いなんて、ちょっと変じゃないか?」
「焦るなと言っただろう。まだ、夜も更けておらん。動き出すとしたら――――」

 途中で言葉を切ったライダーに首を傾げるウェイバー。ライダーは海の方を見据えて言う。

「どうやら、動き出したらしい」

 その言葉に心臓が跳び跳ねた。望んでいた事とは言え、実際にその時が来ると萎縮してしまう。そんな自分を腹立たしく思いながらも、体の震えが止まらない。

「シャキッとせんか!」

 ライダーは腰に携えた短剣を掲げつつ、ウェイバーを一喝した。ライダーの声に驚き、顔を上げると、雷鳴と共に神牛が牽くチャリオットが現れた。
 それこそがライダーの宝具。神威の車輪――――、ゴルディアス・ホイール。
 ライダーはウェイバーの首根っこを捕まえると、乱暴に御者台に乗せ、自身もチャリオットに乗り込んだ。ライダーが手綱を引くと、神牛は雷霆を迸らせ、驚くべき速度で疾走を開始する。
 僅か数秒で地上が彼方へ消え去り、チャリオットは雲を抜け、月下に踊り出た。

「まずは様子見だ」
「え? 戦いに行かないのか?」

 目を丸くするウェイバーにライダーは頷く。

「奴は我等と同じく、敵を誘い出そうとしておるのだ。しかも、臨戦態勢を整え、殺気を撒き散らせながら……。あの誘いに乗る者の有無によって、この聖杯戦争における参加者達の毛色を見極める事が出来る」

 徐々にチャリオットを降下させ、雲の下に出る。ウェイバーは荷物から双眼鏡を取り出した。

「あれは……、ランサーか?」

 双眼鏡のレンズの先には呪符によって覆われた双槍を構える美丈夫の姿。
 何かを叫んでいる様子だが、さすがに声は届かない。恐らくは挑発の類を口にしているのだろう。

「あっ……!」

 三十分くらい経って、漸く、ランサーの誘いに乗る者が現れた。黄金色の髪に銀の鎧。手にしている獲物は西洋の長剣。間違いない、セイバーだ。

「どうやら、腰抜けばかりでは無かったようだな」

 ライダーが実に楽しそうな声で言った。

「良かったな……」

 適当に相槌を打ちながら、眼下で繰り広げられている戦いにウェイバーは見入った。
 セイバーとランサーの戦いは拮抗している。互いに化け物染みた挙動で海岸に隣接している倉庫街を蹂躙している。

「あれが……、サーヴァント同士の戦い……」

 人を超えた者達の戦いはウェイバーの理解を遥かに超えていた。
 一体、如何なる経験を積めば、あんな凄まじい戦いを繰り広げられるようになるのだろう。チラリと横目で自らの相棒を見る。彼もまた、眼下の英雄達のように剣を手に立ち回るのだろうか……。

「……技量はランサーが上だな」
「え?」

 双眼鏡も使わずにライダーは両者の力量を見極め、眉間に皺を寄せる。

「でも、拮抗してるように見えるけど?」
「ああ、それが妙なところだ」

 ライダーは頬を掻きながら唸った。

「セイバーの技量も相当なものだが、ランサーに比べると明らかに見劣りする。なのに、拮抗している。これは一体……」
「えっと……」

 ステータスを透視しようにも距離が離れ過ぎている。ライダー曰く、技量に開きのあるランサーに対して、セイバーが拮抗状態に持ち込めている理由は恐らくスキルか宝具に秘密がある筈。宝具だとしたら看破出来ないだろうけど、それでも”そういう宝具を持っている英霊”という情報を得られる。
 どうにかして、透視可能な距離まで近づけないだろうか……。
 ウェイバーが思案していると、ライダーが舌を打った。

「ランサーが宝具を開放した。必殺を確信したか、あるいは痺れを切らしたか……、どちらにしても、このままでは勝敗が決してしまうな」
「なんで、不満気なんだよ? どっちかが脱落してくれるなら良い事じゃないか」

 ウェイバーが双眼鏡から目を話して言うと、ライダーがおでこにデコピンを食らわせた。

「バカモン! それではつまらんだろう。折角、異なる時代の英傑共と矛を交える機会を得られたのだぞ。それが六人もおるのだ! 一人たりとも逃す手は無い!」

 そう豪語するライダーにウェイバーは目を丸くしている。彼が口にしている言葉の意味が全く分からないのだ。どう考えても、潰し合って、敵の数が減る事こそ歓迎するべき事であって、わざわざ全員と戦うなど効率が悪いにも程がある。
 だが、そんな彼を尻目にライダーは熱く語る。

「元にセイバーとランサー! あの二人にしてからが共に胸が熱くなるような益荒男共だ。死なすには惜しい!」
「死なさないでどうすんのさ!」

 さすがに頭に来て、ウェイバーはライダーに掴み掛かった。聖杯戦争は殺し合いなのだ。マスターはともかく、サーヴァントは一人残らず皆殺しにしなければならない。でないと、決着がつかず、聖杯も得られない。
 至極当然の事を口にした筈なのに、ライダーはまたしてもウェイバーのおでこにデコピンを食らわせた。あまりの痛さに涙目になるウェイバーにライダーは呆れたような表情で言う。

「勝負して尚、滅ぼさぬ。制覇して尚、辱めぬ。それこそが真の征服なのだ。では、往くぞ!」
「……お前、もう言ってる事無茶苦茶じゃないか」

 頭を抱えるウェイバーにニッと笑いかけ、ライダーは神牛の手綱を引いた。

「AAAALaLaLaLaLaie!!」

 音速を超えた急降下に悲鳴すら上げられず涙目になるウェイバーとは対照的に心底楽しそうな笑みを浮かべ、ライダーは吼える。
 地上では、今まさに決着をつけんと必殺の構えを取っていた二騎の英霊が頭上を見上げ瞠目した。ランクAを越える破壊の結晶が真っ直ぐに落ちて来るのだ。目の前の敵と雌雄を決する所では無い。

「ラ、ライダーか!?」

 驚愕しながらも二騎は同時に大地を蹴った。如何に破壊力が高く、速度が速くとも真っ直ぐに向って来るだけならば避けられる。並の人間ならば絶対に不可能な挙動。それを可能とするのが英霊と呼ばれる存在。
 大地に巨大な穴が空くと共に舞い上がった土煙が三者の姿を隠す。それを海からの一陣の風が吹き飛ばした。

「そこまでだ。両者、共に矛を納めよ。王の御前であるぞ」

 甲高い金属音が鳴り響く。ライダーはセイバーの剣を自らの剣で受け止めていた。
 あわあわとうろたえるウェイバーに構わず、ライダーは嗤う。

「血気盛ん。大いに結構! だが、余は矛を納めよと申した筈だぞ、セイバー」

 迸る圧力。ライダーの持つカリスマというスキルが故なのか、ウェイバーは目の前の男が自分の知る豪放ながらも気のいい男と同一人物であるとは思えなかった。

「生憎、私の王は天上天下に唯一人。貴方では無い」

 恐れ戦くウェイバーとは裏腹にセイバーは殺気を強め、ライダーに対して苛烈な攻撃を仕掛けた。ライダーは舌を打ち、チャリオットを走らせる。雷霆がセイバーの身を焦がし、追撃を許さなかった。
 だが、その雷霆を突き抜けてくる影が反対方向から現れた。

「騎士の戦いの邪魔をするとは、とんだ礼儀知らずだな、ライダー!」

 吐き気を催すような濃密な殺気を受け、ウェイバーは一瞬で意識を刈り取られた。そんな彼を傍に引き寄せ、ライダーはランサーの槍を受け止める。

「……なるほど、聞く耳持たぬというわけか、困った者達だな」

 どの口がそれを言うのか、ランサーは怒気を強め、黄色の槍をライダーの腹部目掛けて振るう。その槍を銀の刃が阻んだ。

「……相変わらずですね」

 クスリと微笑み、見目麗しい青年がライダーを庇うように剣を構えている。
 一体、どこから現れたのだ。ランサーは驚愕に目を剥いた。決して、周囲への警戒を怠っていたわけでは無い。一瞬前まで、そこには誰も居なかった。なのに、今は見知らぬサーヴァントがそこに居る。

「何者だ……、貴様!」

 ランサーが吠える。すると、青年は見惚れるほど美しい笑みを浮かべて呟く。

「すまない、異国の英雄よ。名乗れば彼に迷惑が掛かる。故、名乗れぬ。許されよ」
「いや、秘する必要は無いぞ。自らの名を隠すなど、余も我慢ならん! 聞くが良い! そして、刻むが良い! 余はイスカンダル。此度はライダーのクラスを得て現界した!」

 彼のマスターが起きていたら、それこそ涙目で喚き立てた事だろう。聖杯戦争のセオリーから言えばあり得ない行為をライダーは行ったのだ。
 自らの名を明かす。それは自らの弱点や切り札を明かす事に繋がる愚かな行為。されど、彼の顔に後悔の色は無く、むしろ、誇らしげですらある。

「セイバー! そして、ランサー! 実に見事な攻防であった! 余はうぬ等の武勇を称え、ここに提案する!」

 あまりにも常識外な行動に出たライダーに対して、呆気にとられているセイバーとランサー。そんな彼らにライダーは言う。

「我が軍門に下れ! さすれば、余はそなた等を朋友として遇し、勝利の栄光と征服の悦びを共に分かち合う所存である!」

 その言葉にセイバーとランサーは表情を歪めた。あまりにも高慢な物言いであり、その内容はあまりにも彼らの誇りを軽視したものだった。
 主への忠誠。それは彼らにとって何より重い誓い。それを歪め、自らの配下となれと言われたのだ。その屈辱たるや、並ではない。

「なるほど、言いたいことは分かった」

 ランサーはセイバーに視線を向ける。

「セイバー。お前との決着は後だ。まずはこの不心得者を始末するとしよう」
「ああ、その意見に賛成だ。私には唯一無二の王が居ると先刻告げた筈。にも関わらず、その忠誠を曲げろなどと、騎士として、許し難い侮辱だ」

 それは先程までの彼らの戦いとは赴きを異としていた。自らの武勇を競い合うという血湧き肉踊る戦いでは無く、自らを侮辱した者への誅伐だった。
 怒りと共に振るわれる剣と槍。それを銀の月光が弾き返す。セイバーとランサーの同時攻撃を事も無げに阻んだ後、青年は歌うように呟いた。

「私の名はヘファイスティオン。彼に手を出す事は私が許しません」

 英雄神・ヘファイスティオン。その名を聞き、セイバーとランサーは共に意識を切り替えた。既に両者はその存在が聖杯戦争においてイレギュラーな存在であるとマスターから注意を促されている。彼にはクラスが存在しないのだ。それでも、同時に掛かれば倒すのは容易と侮った。
 クラスの存在しないイレギュラーなサーヴァントという時点で得体が知れない上にその正体が英雄神となれば、そのような不遜な考えは捨てねばならない。

「どんな反則技を使ったか知らんが……」

 ランサーは大地を蹴った。

「その首級、貰い受けるぞ、英雄神!」
「……王よ」
「うむ」

 ランサーの槍がヘファイスティオンの胸元に突き刺さる寸前、神牛が嘶き、雷霆が迸った。ランサーの放った槍撃は雷霆を貫いたが、ヘファイスティオンの胸を突き刺すこと叶わず、彼の片腕を引き裂くに終わった。
 神牛は宙空を蹴り、上昇していく。

「逃げる気か、ライダー!」
「ハッハッハ! 今宵は巡り合わせが悪かったようだ。また、別の機会に会おう。それまでさらばだ! セイバー! そして、ラ――――」

 ライダーの言葉が途切れた。その理由は遥か遠方から差し迫る魔力の塊を感じたが故だった。視線を向けた時には既に寸前まで迫って来ていた。

「疾走せよ!」

 ライダーは瞬時に魔力を神牛へと注ぎ、チャリオットの宝具の真の力を発動させた。
 同時にヘファイスティオンは迫り来る脅威に対して自らの刃を放った。
 それは螺旋の刃を持つ一振りの剣だった。ヘファイスティオンの刃を弾き返し、剣は空間を捩じ切りながら目前まで迫り、そして――――、破裂した。

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