第十三話「略奪」

 言峰教会。新都の高台はほぼ全てがこの教会の敷地だ。建物自体も実に豪勢で、観光名所になっていてもおかしくない規模だ。それでも、ここに好んでやって来る者は稀だ。建物が醸し出す威圧的な空気が人を遠ざけているのかもしれない。
「……行くぞ、セイバー」
「はい」
 間桐雁夜は扉を開いた。荘厳な礼拝堂には先客がいた。以前の戦いでランサーとセイバーの戦いを妨害したライダーのサーヴァントが椅子に腰掛けている。隣に座っている男が彼のマスターだろう。少し遅れて、紅い外套のサーヴァントが白い髪の女性をエスコートしながら入って来た。その見た目から察するにアインツベルンのホムンクルスだろう。キャスターは最後だった。隣に見知らぬ人物を引き連れている。揃いの仮面と外套を被り、体格はおろか性別すら分からない。事前の取り決め通り、雁夜はキャスターを仲間ではなく、敵の一人として距離を置いた。
 それから一時間。何の音沙汰もないまま時が流れた。
「……どうやら、監督役の権威に敬意を払うつもりがある者は君達だけのようだな」
 いい加減、各々が痺れを切らし始めたところで奥から老神父が姿を見せた。
「それも致し方のない事か……」
 言峰教会の司祭にして、聖杯戦争の監督役を勤めている言峰璃正は深く息を吸い込んだ。
「まずは君達に知らせておかねばならぬ事がある。現在、一騎のサーヴァントがマスターの制御を外れ暴走している。被害は一晩の内に百人を超えた。その殆どが十歳未満の幼児ばかり。神秘の漏洩を防ぐ素振りも見せず、このままでは我々の隠蔽工作にも限界がくる。そこで、諸君にこのサーヴァントの討伐を依頼する」
 璃正神父はそれぞれのマスターに分厚い資料を手渡した。
「今渡した物は件のサーヴァントに纏わる情報を可能な限り記したものだ。それを参考にして頂きたい。また、此度の討伐依頼に貢献して下さった方には報奨として令呪を一画進呈する」
 その言葉に参加者達の眼の色が変わった。令呪は聖杯戦争の鍵を握る重要なファクターだ。サーヴァントを律する為にも使えるが、なによりもサーヴァントの一時的な強化を可能とする点が大きい。
 資料を捲る音が響き渡る。読み終えた者は眉間に皺を寄せた。

 ファニーヴァンプというイレギュラーなクラスで召喚された女の英霊。
 召喚の際に使用された触媒は《この世で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石》。
 成人の男を産み落とすという機会な能力。あまねく人を指して《子》と呼ぶ異様な言動。
 産み落とされた男の持つ、《死の概念》を相手に与える能力。

 それらの情報はファニーヴァンプと唯一戦ったアサシンのサーヴァントが今際の際に遺したものらしい。判断材料は十分に揃っている筈だ。
 各々が思考を巡らせていると、ウェイバー・ベルベットが声をあげた。
「どうした?」
 ライダーは素っ頓狂な声を上げるマスターに声を掛ける。
 すると、ウェイバーは真っ青な顔で言った。
「……多分、こいつの正体が分かった」
 ガタガタと震えている。
「なに? それはまことか! それで、何者なんだ? こやつの正体は!」
 全員が耳を傾ける中、ウェイバーは戦慄の表情を浮かべて呟いた。
「原初の女……」
 その言葉で全員の脳裏に漂っていた靄が晴れた。
 女であり、原始の蛇と関係のある英霊であり、あまねく人類の母であり、産み落とされた子が《死》に纏わる逸話を持つ者。
 一人、該当者がいた。
「……イヴ」
 天地創造の折に神が創り出した始まりの女。
 蛇に唆され、禁断の果実を口にした罪人。
 アダムに罪を犯させた毒婦。
「では、あの赤い男の正体はカインか」
 アダムとイヴの長男にして、神に愛された|弟《アベル》を殺害した人類最古の殺人者。その罪から神に呪いを受け、同時に神の加護を受けた人物。
 実に厄介な存在だ。伝承通りの人物なら、彼を殺してはいけない。神の加護が彼を殺す者に七倍の《死》を撥ね返すからだ。
「サーヴァントに《死の概念》を与える者。殺されても、確実に相手を仕留める加護の持ち主。これを相手に戦うのは骨が折れるぞ」
 ライダーの言葉に各々が沈黙する。倒せない事は無いだろう。だが、誰も進んで貧乏くじなど引きたくない。
 カインを殺せば、強制的に相打ちとなる以上、後は誰が生贄になるのかだ。
「それでも尚、挑もうという気骨ある勇者はおるか?」
 誰も名乗り上げない。
「情けない。それでも貴様等は英雄か?」
 溜息を零すライダー。それでも尚、誰も反応を返さない。
 ウェイバーは嫌な予感がした。
「ならば、仕方あるまい」
 ニンマリと笑みを浮かべ、ライダーは言った。
「ヤツは余が討伐する」
 あっさりと言った。
「いやいやいやいや」
 ウェイバーは慌てふためいた。カインを討伐するという事はライダーが消滅するという事。
「お前はバカか!? アイツに挑んだら、勝っても負けても死ぬんだぞ!? お前には願いがあるんだろ!?」
 喚き立てる彼のおでこにライダーはデコピンをした。吹っ飛ぶウェイバーにライダーは優しく語りかける。
「己の願望を優先し、ヤツ等にこれ以上の蛮行を許す事は出来ぬ」
 ライダーは立ち上がり、ウェイバーは抱き起こした。
「勝利して、尚滅ぼさぬ。制覇して、尚辱めぬ。それこそが真の《征服》だ。無垢な民草を刈り取る者が居るのなら、余は征服王として捨て置けぬ。蹂躙せねば、気が済まぬ!」
「……バカだよ、お前」
 呆れたように、羨むように、ウェイバーは呟いた。
「バカで結構! 己が正しいと思える事に全力を尽くす。その果てにこそ、オケアノスはあるのだ!」
 主を降ろすと、颯爽と教会から出て行くライダー。その後をウェイバーも慌てて追いかける。
「……ッハ、まさしく英雄様だな」
 キャスターは忌々しげに呟いた。

ーーーーその時だった。
 彼等は呑み込まれた。取り囲む紅蓮の壁、荒廃した大地、鮮血の川、暗黒の空、聳え立つ巨木。その中心に一人の女が立っている。
 田舎娘のような素朴な顔立ち。どこにでもいるような、普通の女が彼等を見つめている。
「御機嫌よう」
 突然の事態にも焦る事なく、キャスターのサーヴァントは現状を分析する。この空間はあの女の固有結界であり、己を除くほぼ全員が精神を支配されてしまった。
 全人類の母である彼女に《純粋な人類種》は決して抗う事を許されない。《混ざりモノ》だけが自由意志を維持している。
「……おい、どうするんだ?」
 キャスターのマスターとして教会を訪れた仮面の者が問う。
「決まっている。あの女を始末するぞ」
 それ以外の選択肢など存在しない。この結界を取り巻く紅蓮の壁は空間に対する干渉を阻んでいる。
「うふふ、ダメよ? かわいい我が子。おイタをしてはいけません」
 優しい声だ。悪意など微塵も感じさせない。愛する我が子に向ける母親の愛情がそこにある。
 ああ、なんとも忌々しい。
「人類最古の毒婦よ。貴様のような者が私は大嫌いだ」
 それは同族嫌悪だ。キャスターもまた、毒婦と呼ばれるに相応しい女。
 彼女のマスターを名乗っていた仮面の者はあまりにも滑稽な光景に笑った。仮面を取り払い、外套を脱ぎ捨て、現れた美貌は実に晴れやかな笑み。
「ッハ、心底笑わせてもらったぜ。その礼だ。痛みを感じさせずに殺してやる」
 露出の多い真紅の礼装を身に纏う少女。その手には見る者を惹き付けて止まない輝きを秘めた剣が握られている。
 闇の中で尚冴え冴えと輝く金沙の髪をかきあげ、挑発的な翡翠の眼差しを女に向ける。
「抵抗すんなよ?」
 瞬く間に距離を詰める。その宝剣が女の首を刎ねる直前、彼女の剣に優るとも劣らぬ聖剣が割り込んだ。
「……アコロン。テメェ、邪魔すんなよ」
 虚ろな表情を浮かべるセイバーを蹴り飛ばす。すると、無数の刀剣が飛来した。その悉くを打ち落とし、彼女は吠えた。
「テメェ等も英雄の端くれなら、こんな女にいいように操られてんじゃねーよ!!」
 荒々しく剣を振り、二騎のサーヴァントを相手取る少女。その勇ましい姿を見つめながら、この失楽園の主は言った。
「ダメよ、ダメダメ。ここは楽園。みんな、楽しく過ごしましょう」
 その瞬間、戦いは停止した。戦闘を繰り広げていた三人の体が空間ごと凍結されている。その尋常ならざる光景にキャスターは言葉を失った。
 この固有結界の能力を理解したのだ。精霊が持つ《|空想具現化《マーブル・ファンタズム》》に匹敵する強大な力を。
 本来、固有結界は術者の内面の一部を具現化するものであり、術者本人であっても自由に手を加える事は出来ない。だが、この世界はファニーヴァンプの意思によって自在に姿を変える。
 狂おしい程の望郷。嘗て追放された楽園への思慕。この禍々しき園は彼女のそうした|心《しゅうねん》を具現化したものだ。
「あなたも大人しくしていてね」
 キャスターはその一言で縛られた。嘗て、国一つを傾けた魔女があまりにも呆気なく無力化された。
 その彼女にもはや目もくれず、ファニーヴァンプはアーチャーのマスターとして教会に出頭したホムンクルスの下へ歩み寄る。
「今日はあなたに用があったの」
 微笑み、その手を彼女の胸に押し当てる。すると、異様な光景が広がった。人間の形をしていたものが見る間に無機物である杯へ変化していく。
 聖杯を掲げ、女は言った。
「これで私の悲願が叶う。嬉しいわ……。ようやく、帰れるのね」
 涙を零し、喜色を浮かべる。
 
 ◇◆◇

 けたたましい程の笑い声が聞こえる。うるさいな。静かにしてほしい。折角、なっちゃんが遊びに来てくれたんだ。
『お姉ちゃん。どうしたの?』
「な、なんでもないよ」
 隣の部屋の人かな。このアパートは壁が薄過ぎる。なっちゃんは気にしていないみたいだけど、後で文句を言ってやろう。それにしても、なっちゃんは凄く綺麗になった。子供の頃から可愛らしかったけれど、今は美しいという言葉がよく似合う。内も外も汚れきった私とは雲泥の差。まるで太陽のように眩しく感じる。
 艶やかな髪、張りのある白い肌、知性に満ちた瞳。とても素敵な女性になった。
『それより聞いてよ! 庄吾さんってば酷いんだよ!』
 なっちゃんは唇を可愛く尖らせて、旦那さんの話を聞かせてくれる。怒っている口振りだけど、その表情はとても幸せそう。
 彼女が幸せなら、これほど嬉しい事はない。
「嘘を吐くな、桜」
 幸福な光景が一変してしまった。暗闇が広がる空間に見知らぬ男が立っている。青い髪を逆立てた男前が私を見つめている。
 その瞳を見つめていると、頭がクラクラしてくる。
 妙な映像がチラつく。
『我らの宿願を叶える為、そなたの力を借りるぞ』
 寒気を感じる程の美貌を湛えた銀髪の女性が手を伸ばしてくる。
『この地に神の座を築く』
 時代錯誤な服を来た男の人が大きな紙を広げている。
 知らない筈の光景。分かる筈のない知識。
 それは記憶。私ではない、誰かの記憶だ。
「……お爺ちゃん?」
 他に思い当たらない。試しに声を掛けてみると、男の人は薄っすらと微笑んだ。どうやら、正解だったようだ。
 時の流れはなんて残酷なんだろう。こんな色男があんな妖怪になってしまうとは……。
「でも、どうしてお爺ちゃんがここに? 凄く若返ってるし……」
「私はマキリ・ゾォルケン。もっとも、その残滓に過ぎんがな」
「残滓って……?」
「お前の中に潜ませてあった刻印蟲の中に本体のバックアップとしてメモリーを内包したものも居たのだ。それが起動し、結果として私がお前の精神世界に投影された」
「……ごめん。ちょっと、よく分からない」
 鈍い反応を示す私にマキリは溜息を零した。精神世界の筈なのに器用な男だ。その仕草も実に決まっていてカッコイイ。
「順番に説明してやろう。まず、貴様は現在進行形で命の危機に瀕している」
「命の危機……?」
「私が現れた理由がそれだ。お前は苛烈を極める拷問から生き延びる術を本能的に探り、結果として|刻印蟲《バックアップメモリー》にアクセスした。幸か不幸か、キャスターの身に異変が起こり、奴との繋がりが切れた事で支配権がお前に移ったからこその芸当だ」
「……えっと、とりあえずお爺ちゃんは私の味方って事でオーケー?」
「私はあくまでお前が支配した刻印蟲のバックアップメモリーだ。こうして会話をしているように見えても、実際にはお前が刻印蟲から情報を引き出しているだけだ。この私も引き出した情報を元に構成したイメージに過ぎない」
 とりあえず、目の前のお爺ちゃんは本物のお爺ちゃんではなく、私の妄想の産物らしい。
「お爺ちゃん。外の私って、今どうなってるの?」
「手足の骨を一本ずつ折られた後に切断され、眼球と歯を全て抉られている。胸部にはナイフで妙な落書きをされ、今は腹部から取り出した臓器を愛撫されているな」
 ジーザス。どうして生きているんだ、私……。
「っていうか、もうそこまで壊されているなら死んだ方がいい気が……」
 ああ、折角手に入れた二度目の人生が儚く散っていく。
「心にも無い事を言うな。お前は死にたくない。だから、私を求めた。聞こえるだろう? この喧しい程の笑い声。これはお前のものだ」
「え……?」
 闇に響き渡る悍ましい笑い声。とても私の発している声とは思えない。
「偽る必要など無いぞ、■■■■よ。ここにはお前とお前の創り出したイメージしか存在しない」
 偽る……? 意味がわからない。
「お前は死にたくなどない。不幸になどなりたくない。ならば、奪え」
 マキリは言った。
「《略奪》こそが我が血族に許された魔術の真髄だ。幸福になりたいのだろう? ならば、奪うが良い。元より、この世界はそういうシステムだ。幸福の席は一定であり、座る資格を持つ者は初めから決まっている。それに異議を唱えたければ、席を奪う他ない」
 それは悪魔の囁きだ。その手を掴めば、私は彼と同じものになる。
 奪われるばかりの人生。それで満足していた筈だ。なっちゃんの為に全てを捧げ、その果てに彼女の幸福があるのなら、十分に報われている。
 私の死は|遠坂凛《おねえちゃん》の未来に繋がる筈。だったら……、
「偽る必要など無いと言ったぞ?」
 マキリは言った。
「お前は妹を愛してなどいなかった」
「何を言って……」
「羨んでいた。憎んでいた。《何故、私はこんなにも惨めな人生を歩んでいるのに、お前は幸福を甘受しているのか》と考えていた」
「違う……、そんなわけない」
「嘘など吐くな。それがお前の本心だ。幸福になりたい? それは不幸だと自覚している者の言葉だ」
「違う……。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!!」
 なっちゃんの事を愛している。彼女の為なら何だって出来た。彼女の幸せこそが私の幸せだ。
 彼女が高校に進学して、大学に入学して、サークルに入って、彼氏を作って、結婚して、幸せになって、それが何より嬉しかった。
「その人生をお前は羨んでいた。お前は憎みながら、自分と彼女を重ね合わせ、幸福な人生を生きている気分に浸った」
 うるさい。聞きたくない。どこかに行け。私の視界に映るな。
「お前には力が無かった。高校にも行かず、知識や知能も無かった。だから、諦めるしかなかった。ただ、それだけだ」
 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
「だが、今のお前には力がある。求めれば、幸福になる資格を得られる」
 私は幸福になりたいだけだ。他人の不幸など望んでいない。
「そうやって、己の弱さに目を背けた結果が生前の末路だ。再び、あの惨めな終わりを再現したいのか?」
 そんなの嫌に決まっている。だけど、他にどうしたらいいの? 
「受け入れればいい。ありのままの自分を」
 受け入れる……。私は幸福になりたい。
「誰かを蹴落としてでも……」
 マキリの姿が光に変わる。その光を私は胸の内に引き寄せた。
 それはマキリ・ゾォルケンという魔術師が持つ膨大な魔術知識。引き裂かれた体内に残されている魔術回路と刻印蟲が最適化されていく。

 痛覚を完全に遮断し、意識を浮上させる。男が私の体内から取り出した臓器を舐めているようだが、眼球が無い為に見ることも、睨むことも出来ない。
 喉を潰され、歯も全て抜き取られ、舌もハサミで乱雑に切られた。そのせいで呪文を唱える事さえ厳しい状況。
 それでも、頭の中はとても静かで冴え渡っている。冷静に状況を分析し、必要な知識を寄せ集め、一つの魔術に集約していく。
「ああ、なんて綺麗なんだ。見てみなよ、君の肝臓は言葉に出来ないくらい美しいよ。あ、目はさっきくり抜いちゃったんだっけ」
 陽気に笑う男に私は笑い掛けた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。