第十一話「凛の奇妙な冒険・Ⅰ」

 友達が行方不明になった。一人や二人じゃない。今日、いつものように登校して来た2組の生徒は私を含めて十人ちょっと。他のクラスも似た感じ。先生達が登校して来ない生徒の親に電話したけど、全て留守番電話。
 授業どころじゃなかった。先生達は慌てふためき、生徒達を体育館に集めた。何の説明も無く、私達は只管体育座りを続けた。時計の針の動きを目で追いながら、周りの囁き声を聞く。皆、不安がっていた。
 数時間後、体育館に大勢の人が流れ込んできた。生徒達の保護者が迎えに来たのだ。お母様の姿もあった。酷く狼狽えている。

「大丈夫ですか?」

 私が問うと、お母様は気丈な笑みを浮かべた。魔道に生きながら、魔術師では無い彼女は些細な異変に対しても過敏に反応する。なのに、娘の不安を払拭しようと必死に勇気を振り絞っている姿はとても健気で愛おしい。
 実のところ、生まれた時から魔術師であった私から見ると、母のそういう姿はどこか奇妙で、間に見えない壁があるように感じる事がしばしばだった。でも、最近、少しずつだけど、普通の人の感覚というものが理解出来るようになり、その壁も少しずつ薄くなっていると実感している。
 彼女の反応こそが当たり前であり、私は彼女のような普通の人が恐れる世界の住人なのだ。だからこそ、此方側の人間として責任を持たなければいけない。
 
『余裕をもって優雅たれ』

 それが私の家の家訓だ。恐れられる者であり、外れた者である事を自覚し、それでも尚、余裕を持ち優雅に振る舞えという意味。とても難しい事だけど、いずれ遠坂家の当主となるなら、この家訓を実践し続けなければならない。
 私はお母様の手を握った。

「帰りましょう、お母様」

 元気いっぱいの笑顔を作る。彼女を安心させる事。それが今の私に出来る責任の取り方だ。そして……、

第十一話「凛の奇妙な冒険・Ⅰ」

 夜の9時半過ぎ。私は寝た振りをして、コッソリと禅城の屋敷を抜け出した。人目につかないように慎重に目的地に向かって足を運ぶ。脳裏に浮かべるのは親友の笑顔。男子にしょっちゅう虐められ、その度に私は彼女を助けている。私は彼女のボディーガードとなり、彼女が授業で分からない事があると言うと、喜んで知識を分け与えた。その見返りとして、彼女は私に普通の人の在り方を教えてくれた。

「コトネ……」

 禅城の屋敷の人に聞いた事だけど、街では行方不明者が続出しているらしい。コトネの一家も行方不明者の中に名を刻んでいる。警察は正に血眼といった様子で街中を事件の手掛かりを探しているみたい。今もパトカーが走り回っている。幸い、赤いランプとけたたましいサイレンの音で位置が分かるから避けるのは容易だった。
 きっと、彼等にこの事件を解決する事は出来ない。この時期にこれほど大規模な異変を起こす者など聖杯戦争のマスターか、その関係者に決まっている。このまま放置したら、コトネと永遠に会えなくなってしまう。かと言って、戦いの真っ最中で忙しい筈のお父様を頼るわけにもいかない。
 今、コトネを助けられるのは私しかいない。上手く敵の情報を探る事が出来れば、お父様にも褒めてもらえるかもしれないし、ここは頑張りどころだ。

「絶対に助ける」

 決意を言葉にして、私は走り続けた。目指す先は山一つ向こうにある冬木の街、聖杯戦争の舞台だ。

 走り始めて三十分。正直言って、少し冬木までの道のりを舐めていた。私は山に入る前から息切れ状態だ。せめて、もう少し早く出て、バスを使えば良かったと後悔している。まあ、今は街中厳戒態勢だから、子供一人でバスに乗ろうとしたら呼び止められてしまいそうだけど……。
 
「……へ、へこたれないんだから!」

 何とか奮起して再び歩き出す。しばらくすると、妙な感覚が奔った。ポケットに仕舞ったお父様からの贈り物が荒々しく動き回っている。これは魔力を探知する魔道具。これが反応しているという事は近くに魔術の痕跡があるという事。

「反応が大きくなってる……?」

 ゴクリと唾を呑み込む。立ち止まっているにも関わらず、魔道具の反応が徐々に大きくなっているのだ。それはつまり、魔力の発生源が私の下に近づきつつあるという事。
 身が竦む。腹立たしい程に私は恐怖を感じている。恐れられる側に立っている癖に恐れるなんて情け無いにも程がある。震える足を力の限り叩き、無理矢理動かす。今はとにかく隠れよう。近くの民家の敷地に入り込み、息を潜める。
 魔道具の震えがどんどん大きくなり、やがて、一人の少女が現れた。月明かりに濡れた銀髪に思わず見惚れる。少女は酷く怯えた様子だった。まるで、何かから逃げているみたい。後ろを何度も確認しながらこそこそと動き回っている。
 ここに来て、魔道具の動きが大きくなった。ガサガサと音が立ち、少女が慄いた表情を浮かべ、私の潜んでいる暗がりを見つめる。私は静かに魔術回路に火を入れて暗がりから出た。

「……この家の子?」

 少女は凜の姿にどこかホッとした様子を見せる。けど、直ぐに表情を引き締めた。

「逃げて!」

 血相を変えて叫ぶ少女。その直後、曲がり角から一人の青年が姿を現した。

「逃げないでよ」

 困ったように微笑みながら、青年が近づいて来る。少女は青年をキッと睨みつけ、私を庇うように立ちはだかる。

「逃げて」

 少女が私にだけ聞こえるように呟く。私は本能に従う事にした。さっきから脳裏で警鐘が鳴り響いているのだ。あの男は危険だと、私の直感が告げている。

「来て!」

 少女の手を取り、私は走り始めた。お父様から習った基礎魔術の一つ、強化を自らの身体に施し、風のように走る。少女は慌てたように叫ぶ。

「ちょ、ちょっと!?」
「いいから、走って!」

 こんな夜更けに幼い少女を追いかける男。それだけ聞くと、ただの犯罪者っぽいけど、今、この街で起きている事件の事を考えると、あの男が事件の犯人であり、聖杯戦争のマスターの一人である可能性が浮上してくる。多分、魔道具が反応した相手もこの少女ではなく、あの男なのだろう。
 チラリと横目で彼女を見る。外国人が珍しくない冬木であっても、ここまで見事な銀髪をお目に掛る機会は滅多に無い。

「ねえ、あなた、名前は?」
「え? えっと、イリヤだけど、あなたこそ、誰?」
「私は凛。ねえ、あの男は何者なの?」
「分からない。いきなり、赤い服を着た別の男と入って来て、お母様を連れ去ったの」

 走りながらイリヤは途切れ途切れ語った。

「わたしは、お母様が逃がしてくれたの。早く、切嗣に知らせなきゃと、思って、冬木に向ってたんだけど、あの男に、見つかっちゃって」
「切嗣って?」
「お父様よ。早く、知らせないと、いけないの!」

 大体の事を彼女から聞き終えた頃、私達は手近な民家の敷地内に入った。壁をよじ登り、別の民家の敷地に移動する。あの男を撒く為に同じ行動を何度も繰り返した。
 しばらくして、再び舗装された道路を走り始める。魔力で強化しているとはいえ、そろそろ限界だ。振り向くと、イリヤもへとへとみたい。どうにか休める場所を探さないとまずい。
 辺りを見渡していると、ポケットの中で再び魔道具が動きを活発化させた。あの男が近づいている。焦燥に駆られながら、イリヤの手を取る。その小さな手が、手放してしまった妹の手と重なって見えて、涙が出そうになった。

「また、走るわよ。あの男が来る」
「う、うん」

 必死に足を動かす。肺がズキズキと痛み、足が震える。必死に走ろうとしているのに、進むスピードは歩くのとほぼ変わらない。このままじゃ、あの男に捕まってしまう。

「……イリヤ。私が何とか足止めするから、なんとか逃げて」
「な、何を言ってるの!?」
「いいから、早く行って!」

 魔道具の動きが更に大きくなった。もう、直ぐ近くに居る。私は手前の曲がり角に向かって駆け出した。拳を握り締め、振り被る。
 逃げ回るばかりだなんて性に合わない。魔術師として、遠坂の次期当主として、一矢報いてみせる。
 私は力の限り拳を――――、

「じゃーん! 桜ちゃん参上! 久しぶりだね、おねぇギャンッ!?」
 
 顔を出した見覚えのあり過ぎる少女の顔に叩き込んでしまった。

「……え?」

 呆気に取られる私を尻目に私が殴り飛ばしてしまった少女は地面に横たわり悶絶している。

「……嘘」

 血の気が引いた。あり得ない。どうして、ここにいるのよ。
 
「さ、桜……?」
「イ、イエスだよ、お姉ちゃん。っていうか、痛い……。いや、登場の仕方が悪かったのかもしれないけど、ここまで強烈なツッコミはちょっと……。やばい、鼻血出て来た……」
「え、ええ、えええええええええええ!?」

 私は絶叫した。だって、こんな所に妹の桜が居るなんて思ってなかったんだもの。しかも、久しぶりの再開だというのに、出会い頭に鉄拳をお見舞いしてしまった。
 あまりの事に放心状態になる私をイリヤが突く。

「し、知り合い?」
「……妹」
「うわぁ……」

 その反応止めて欲しい。私はあなたを守るために命を賭けたわけだし。結果は可愛い妹の顔面に拳をぶちこんでしまったけど……。

「だ、大丈夫?」

 イリヤが悶絶したままの桜に声を掛ける。

「だ、大丈夫だよ。うん、鼻血止まんない……。誰か、ティッシュ下さい……」

 話し掛けづらい……。ただでさえ、この子が養子に出された時、何も出来なかった罪悪感があったのに、この上、顔面を殴打してしまうなんて最悪だ。
 とりあえず、ポケットに仕舞っておいたティッシュを取り出して、小さく丸める。

「桜、これ使って」

 口調が硬くなってしまう。

「ありがと、お姉ちゃん」

 桜は私が手渡したティッシュを鼻に詰めると、漸く落ち着いた表情となり、私とイリヤを交互に見比べて口を開いた。

「それにしても、どうしてここに?」
「そ、それはこっちのセリフよ! あなたこそ、どうしてこんな所にいるの!」

 思わず強い口調で詰問してしまった。幸い、桜は気にした様子も見せずに一件の民家を指差した。

「今はあそこに住んでるの。お姉ちゃんが居たから出て来ちゃった。後で怒られるかな?」
「あそこって……。あなた、間桐の屋敷に居る筈じゃ……」
「いやー、色々と事情があってね。雁夜おじさんの事、覚えてる?」

 もちろん、覚えている。いつもお土産を持って来てくれる優しいおじさんだ。前はアクセサリーをプレゼントしてくれた。

「今はあの人と暮らしてるんだよ。今は留守にしてるけどね。あがってく? なんだか、凄く疲れてるみたいだし……。シャワーもあるよ?」
「……ううん。私達はもう行くわ」

 つい、誘いに乗ってしまいそうになった自分に腹が立つ。別に親同士が決めた不可侵条約を気にしたわけじゃない。ただ、私達が今、危険人物との鬼ごっこの真っ最中である事を思い出しただけだ。
 もっと、色々と話がしたい。会えなかった時間、彼女が何を思い、何をしていたのかを知りたい。でも、今は駄目だ。彼女を危険に晒すなんて絶対に駄目だ。

「ごめんね。落ち着いたらまた、こっそり会いに来るわ」
「そっか……」

 あんまり寂しそうな顔をしないで欲しい。つい、離れたくなくなってしまう。一緒に遊んだり、お風呂に入ったり、お喋りしたり、また姉妹としての時間を過ごしたくなってしまう。

「……ごめんね、桜。また、今度ね」
「うん……――――っと、何か用ですか?」

 いきなり、桜の表情が強張った。さっきから延々と震え続けている魔道具がポケットから飛び出した。地面の上でカチャカチャと音を立てる。
 私はゆっくりと魔道具から視線を外し、桜の見ている方向へ向けた。そこには赤い男が立っていた。

「……誰よ、あなた」

 肌が粟立っている。目の前の男はさっきイリヤを追い回していた男と違う。あの男よりも更に危険な感じがする。

「ついて来てもらおう」

 男が近づいて来る。私は叫んだ。

「二人共逃げて!」

 走り出す。大事な妹を守るんだ。拳を固く握り締め、顎を引く。
 そして、私は目を見開いた。

「ちょっと!?」

 私が駆け出すのと同じタイミングで左右から二つの影が飛び出していた。
 横並びになる私と桜とイリヤ。二人も私と同じ表情を浮かべている。どうやら、全く同じ事を考えていたらしい。二人共、他の二人を逃がす為に飛び出したのだ。
 驚きのあまり思考が停止し、突然吹き付けられたガスを私は思いっきり吸い込んでしまった。平衡感覚が失われ、酷い眩暈に襲われる。
 シュッという音と共に再びガスが噴出され、私はそれを吸い込み意識を手放してしまった。そして、次に目が覚めた時、私は地獄に居た――――。

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