第二十一話「聖杯」

 アサシンに教えてもらった情報によれば、アーチャーはマスター不在の状態でイリヤちゃんを連れ逃走しているらしい。
 幼子を連れて潜伏出来る場所となると限られてくる筈だ。まず、住宅街や新都のホテルは論外。
 人の気配が少なく、それでいて休息を取れる場所……。
「――――ビンゴ」
 街中に放った|使い魔《むし》の包囲網に獲物が掛かった。場所は郊外にある洋館。
『嘗て、エーデルフェルトの魔術師が使っていた所だな』
 おじいちゃんの知識が教えてくれた情報を下に作戦を練る。
 こちらの手駒はアサシンのみ。彼ではアーチャーと一騎打ちをしても勝てない。彼が居なければ、聖杯を手にする事が出来なくなる。
 勝利条件はアサシンを生存させたまま、アーチャーを討伐する事。そして、もう一つ。
 私は虚数空間から黄金に輝く杯を取り出した。これはおじいちゃんがアイリスフィール・フォン・アインツベルンを殺害した時に手に入れた本物の聖杯。だけど、この街には今、もう一つの聖杯がある。
『ファニーヴァンプの創り出した偽りの聖杯。それもまた、本物と同じ力を持っている。現在、双方の杯に半数ずつサーヴァントの魂が保管されている状況だ。故に残り二体となった今も聖杯は起動していない。聖杯完成の為にはアーチャーが保有している方の聖杯を破壊しなければならない』
「……まあ、そっちはアサシンにアーチャーの心臓を食べさせれば解決するわ」
「して、どうなさるおつもりで?」
 おじいちゃんとアサシンを警戒して、アーチャーは身動きが取れない筈。なら、追い出すまでよ。
「まさか……、アレを使うのですか?」
「教えてくれたのはアナタじゃない」
 アサシンが衛宮切嗣の心臓を取り込んだ事で得た知識の中にはアーチャーが衛宮士郎である事の他にも使えるものが山ほどあった。
 中には遠隔操作が可能な爆薬満載のタンクローリーなんてものもある。
「隣町のガレージに隠してあるのよね?」
「そのようで」
「取りに行くわよ。夜が明ける前に済ませなきゃ」
 アサシンの背中に飛び乗る。
「はいよー、ハサン!」
「……ヒ、ヒヒーン?」
 意外にもノッてくれたハサンが走り出す。敏捷Aの彼の背中で風を感じていると、瞬く間に山を超え、隣町に到達する事が出来た。
 アサシンが衛宮切嗣の記憶を便りに目的のガレージを発見すると、私は少し驚いた。そこは民家だったのだ。人が住んでいる気配は無いものの、住宅街にこんな危険物を放置しておくとは……。
「使い方はわかる?」
「無論」
 ハサンがタンクローリーの遠隔操作を行う為の準備を進めている間、私はガレージ内に積まれている銃火器をポイポイと虚数空間の中に沈めていく。必要になるか分からないけど、折角だから頂いておく。
「使い方分かる?」
『銃火器については専門外だが……、簡単な作りのモノならアドバイスくらいは出来るかな』
「ありがとう。蟲に使わせる事は出来るかな?」
『……難しいな。既存の蟲では不可能だ。銃火器の操作をインプット出来ても、狙いが定まらん。その為に一から蟲を作った方が現実的だが、そんな時間も無かろう?』
「残念」
『そもそも、サーヴァントの相手はサーヴァントにしか務まらん。お前に出来る事はアサシンがアーチャーを打倒出来る状況を作り出す事だけだ』
「……分かってるよ」
 脳内でおじいちゃんとの会話を済ませると、丁度アサシンが作業を終えて戻って来た。
「これで準備は万端かと」
「それじゃあ、操作方法を教えてもらえる?」
「承知。……しかし、どうなさるおつもりで? 確かに破壊力はあるでしょうが、サーヴァントには通じませぬぞ」
「通じなくていいの。これは単に隙を作るための囮だもの。相手は武勇に優れた英霊よ。二重三重の罠を仕掛けて、確実にあなたの宝具を当てなきゃ勝てないわ」
 ハサンはそれ以上何も言わず、私にリモコンを渡した。まるでラジコンみたい。
 真ん中のボタンを押すとエンジンが掛かり、十字キーで操作が出来る。赤いボタンがブレーキで、青いボタンがアクセル。
「……ちょっとワクワクするね」
「あの、目的地までは私が操作致しますよ?」
「何を言ってるの? このくらいお茶の子さいさいよ!」
「……あの、火薬を積んでいる事をお忘れなきよう。あと、ここは住宅街ですので……」
 凄く常識的に諭された。なんというか、頭の中にいるおじいちゃん……もとい、若き日のマキリ・ゾォルケンと似ている気がする。
「……アサシンの癖に」
「勘違いをなさるな。暗殺者とは確かに人の道から外れし者。特に私は非道極まる暗殺集団の棟梁。しかし、別に無意味な殺戮を楽しむ快楽殺人鬼ではないのです。無垢なる民に無用な犠牲を強いるような真似は英霊の端くれとして看過出来ませぬ」
「……ご、ごめんなさい」
「いえ、差し出がましい事を申しました」
 私はタンクローリーの助手席に座り、運転席に座るハサンを見つめた。
 死神みたいな格好。暗殺者の肩書。悪魔のような所業。どう見ても悪人なのに、その内側に一度光を見てしまうとおじさんを殺した相手なのに憎みきれなくなる。
「ねえ、ハサン」
「なんですか?」
「あなたは聖杯に何を祈るの?」
「私ですか? ……私は名を残したいのです。ハサン・サッバーハとは暗殺集団の棟梁を示す記号。私自身の名ではない。私は私の存在を歴史に証明したいのです」
「ふーん」
 思っていたよりもずっと無欲な願いだと思った。
 要は彼が彼として生きた証が欲しいという事。 
「なら、頑張って聖杯を手に入れないといけないわね」
「……そうですね」
 見えて来た。郊外の洋館に続く道だ。
「それじゃあ、ここからは手筈通りにね」
「承知致し――――、危ない!!」
 突然、ハサンが私を抱きかかえ、タンクローリーから飛び出した。
 一瞬遅れて、空から降り注いだ光がタンクローリーに直撃する。
 巻き起こる爆発に目が眩む。
「なにが……」
「――――この街一体全て、私の射程範囲内だ。おまけにこれほど派手な動きを見せれば気付かぬ筈がない」
 アーチャーのサーヴァントが現れる。白と黒の双剣を握り、私達に殺気を向ける。
「マキリ・ゾォルケン。貴様のやり口は識っている。間桐桜の肉体を乗っ取ったな?」
 思いっきり勘違いされている。おじいちゃんの嘘吐き。全然弱点になってないよ。私の姿を見て、逆にヒートアップしている。
「マスター。ここでお待ち下さい」
 ハサンは静かに私を降ろす。
「ハサン……?」
「この身は暗殺者のサーヴァント。他のクラスの者とは違い、汚れ仕事こそ本領の身なれど……」
 短剣を取り出す。
「ここに至り逃げる臆病者ではございません」
 暗殺教団とは十字軍と戦う為、自己犠牲を良しとした戦士の集団。
 確かに他の英霊達と比べれば貧弱に見られるかもしれない。その在り方に疑問を持たれるかもしれない。
「舐めるなよ、英雄。闇に潜むは我等が得手なり。貴様等鈍間に見切れるか?」
 ハサンの姿が闇に溶けていく。最高ランクの気配遮断は弓兵の持つ鷹の目を持ってしても見切る事など不可能。
「|暗殺教団棟梁《アサシン》の技、侮らない事だ」
 闇の中から繰り出される必殺の一撃。その悉くを打ち倒しながら、弓兵は舌を打つ。
「侮るものか……。貴様の実力は重々承知しているさ」
 その光景は驚きに満ちていた。
 真っ向勝負では勝てる筈がないと思っていたハサンがアーチャーと拮抗している。
「……勝って、ハサン」
 この状況になってしまった時点で私に出来る事など何もない。
 後は任せる事しか出来ない。
「負けないで、ハサン!! 私は全部取り戻すの!! また、みんなと一緒に暮らしたいの!!」
 最後の令呪が光を失う。私の祈りを聞き届けたハサンが更なる猛攻をアーチャーに加える。
「……まさか、本物か?」
 アーチャーの表情が歪む。
「だが、私は負けられない。何があろうとも!!」
 詠唱が響き渡る。

――――I am the bone of my sword.

 それは駄目だ。夜の闇こそハサンの真価が発揮される。
 この状況を崩されるわけにはいかない。
「ハサン!! 詠唱を止めて!!」
 ハサンの投擲した短剣がアーチャーの首を目掛けて飛来する。
 それを軽々と防ぎ、アーチャーは口を動かす。

――――Unknown to Death.Nor known to Life.

 虚数空間からありったけの銃火器を取り出す。
『……間に合わん』
 そのどれかを使おうと脳内おじいちゃんを頼ったが、帰って来た答えは私を絶望にたたき落とした。

――――unlimited blade works.

 炎が走る。荒野が広がり、そこに無限の剣が突き刺さる。
 無限の剣製。それがこの世界の名前だ。
 英霊エミヤが持つ|宝具《とっておき》。
 浮かび上がる無限の剣群。アレに貫かれたら、ハサンが死んでしまう。
「ダメよ!! そんな事、させない!!」
 虚数空間を広げる。
「私は幸せになるの!! おじさんとキャスターとセイバーとモードレッドとお姉ちゃんと……ハサンと一緒に生きるの!!」
 アーチャーに向かって駆け出す。その前に黒い影が現れた。
「さがれ、小娘!!」
 突き飛ばされた。手を伸ばしたその先でハサンの体が無数の剣に貫かれる。
「ヤダ!! あなたには願いがあるんでしょ!? 消えないで!!」
「名前を残す事は確かに宿願。されど、今優先すべきは汝の命と悟った」
 ハサンはアーチャーに向けて吠える。
「アーチャーのサーヴァントよ!! この娘は正真正銘の間桐桜だ!! この者の命だけは奪ってくれるな!!」
 その言葉を最後にハサンは消滅した。
 そして、私は今度こそ本当に|孤独《ひとり》になった。
 もう、聖杯を手に入れる事も出来なくなった。
 絶望で目の前が暗くなっていく。
「いかん、|聖杯《ソレ》に呑み込まれては――――ッ!」
 そして……、

『おかえりなさい、お姉ちゃん』

 闇に呑み込まれた私の目の前に懐かしい女の子が立っていた。

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