幕間(Ⅰ)

「お前は一体何をしているんだ!?」
 上空三千フィートを航行するライダーの|騎乗宝具《ゴルディアス・ホイール》。その上でウェイバーは己のサーヴァントに掴み掛かった。
 チャリオットの上には空間を圧迫する巨大な樽が乗っている。つい先程、街の酒屋から盗み出してきたものだ。
「何を怒っておるんだ?」
「あの意気込みはどうしたんだよ!? なんで、カインを倒しに行く筈が、酒屋に忍び込んで酒樽を盗んでいるんだ!!」
「そんなもの、決まっておるだろ。これより、生き残っている参加者達と酒を酌み交わす為だ!」
「意味が分からないよ!!」
 喚き立てるウェイバーのおでこにライダーは強烈なデコピンをくらわせて黙らせる。
「カインと戦えば、余は消滅する事になる」
「それは……」
 ウェイバーはおでこを押さえながら表情を曇らせた。喚き立ててしまったのも、直ぐにカインと戦闘に入らず、彼の消滅が先延ばしになった事を内心で喜んでいたからだ。
 ライダーの考えは変わっていない。やはり、少し先延ばしになっただけで、いずれ決着をつける腹積もりだ。
「その前にこの戦いで巡り合う事が出来た益荒男達と語り合っておきたいのだ」
「…………勝手にしろ、バカ」

 ◆

 まるで映画のワンシーンだ。時代は中世辺り。場所は外国のどこかにある立派なお城。
 女の子が泣いている。父親を殺され、母親や姉妹と離され、見知らぬ男と婚姻を結ばされたのだ。
 彼女の全てを奪った男は一国の王だった。覇王と呼ばれた益荒男は絶世の美女と謳われた彼女の母親に惚れ込み、欲望を満たす為に奸計を巡らせた。
 
 その王は確かに偉大な男だった。
 若き日にドラゴンを打ち倒し、《巨人の腕輪》なる秘宝を手に入れ、兄や相棒の魔術師と共に数多の冒険を乗り越えて来た生粋の勇者であり、同時に内紛耐えぬ貧国であったブリテンをその手腕で纏め上げた類まれな指導者でもあった。
 大陸からはサクソン人やアングロ人が絶えず流れ込み、|北の蛮族《ピクト人》や|西方の海賊《アイルランド人》に付け狙われながら、ブリテンが後のアーサーの代まで存続出来たのも彼の力あってこそだ。
 もし、彼が自らの欲望を律する事が出来ていればブリテンの未来は大きく変わっていた筈だ。それだけの力を持っていた。

 女の子は王を恨んだ。
『この報い、必ずや貴様に……』
 蝶よ花よと育てられて来た彼女の人生は坂道を転げ落ちるように悲惨なものへ変わっていく。
 悲痛な嘆きの声はやがて怨嗟の呪言に変わり、憎悪は際限なく膨れ上がり、やがて彼女は|妖妃《ル・フェイ》と呼ばれるようになる。
 やがて、王は失墜し命を落とす。それでも彼女は恨み、憎み、怒り、その矛先を王の息子に向けた。 

 それは夢。既に終わった物語。
 分かっていて尚、私は手を伸ばし続けた。
 助ける事なんて出来ない。慰めの言葉も思いつかない。それでも、手を伸ばし続けた。
『一人にならないで……』
 彼女が抱いたもの。それを私は知っている。比べる事すらおこがましいかもしれないけれど、私も彼女と同じ思いを抱いていた。
 寂しい。彼女の心の深層にあるものはそれだけだ。
 孤独ほど恐ろしいものは無い。《死》も《拷問》も《孤独》が齎す苦痛に比べたら些細なものだ。
 
 幸福とは《孤独ではない事》だ。家族でも、友人でも、恋人でも、誰かと一緒にいる事が出来れば、人は幸福になれる。
 だから、私は――――……。

 ◇

 彼の心は荒れていた。嘗て、切り捨てた命があり、その罪が目の前に現れた。
『幸せになりたいの』
 彼女は確かにそう言った。
 誰もが当然のように思う事。なのに、彼女がその言葉を紡いだ時、彼は計り知れない衝撃を覚えた。
「……桜」
 正義の味方として、彼は嘗て、彼女を殺した。
 殺さなければ、世界を滅ぼす可能性があった。だから、切り捨てた。
 頭の中で言い訳を並べ立て、これが正しい事なのだと自分に言い聞かせ、自らのエゴを押し通した。
「ふざけるな……」
 愚か者。彼は自らをそう蔑んだ。
 一度切り捨てた者を見て、後悔した事に底知れない怒りを感じた。
「後悔など、許される筈が無いだろう」
 涙を流し、己が振り下ろした剣を受け入れた彼女も幸福を望んでいた筈だ。
 その未来を摘み取っておいて、今更……。
「誰だって……」
 悪魔と言われた。
 人殺しと言われた。
 罪人と言われた。
 それが理想を追い求めた果てに辿り着いた場所。
「幸福を望んでいるんだ」
 そんな人々から未来を刈り取った。
 とっくの昔に分かっていた事。いやというほど自問自答を繰り返した。
「……まったく、懐かしい顔触れを見て気が緩んだか」
 これでは青臭い理想論を信じていた若い頃と何も変わらない。
 アーチャーは溜息を零すと、切嗣との合流地点へ急いだ。

 ◇

 セイバーのサーヴァントは治療に励むキャスターの姿を見つめ、荒れ狂いそうになる感情の波を必死に抑えている。
 嘗て、彼は彼女と出会っている。それどころか、彼は彼女に恋をしていた。
 
 彼は純真で、献身的で、相手が誰であろうと、その心に善を見出そうと努力する人物だった。
 キャメロットにおいて、彼は取り立てて優れた騎士ではなかった。だが、王への忠誠と、騎士としての気高さは皆の認めるところであった。
 その彼がゴアの国の王であるユリエンスの妻、モルガンの密かな愛人であるという噂を聞いた者は皆一様に首を傾げた。
 彼は初めからモルガンを愛していたわけではない。彼は彼女の境遇に同情し、哀れんでいたのだ。
『誰も愛さないのなら、私の愛を捧げよう』
 それは誰からも忌み嫌われている魔女に対する騎士としての献身。
 それはどこまでも清く正しく、そして、決定的に間違っていた。
 モルガンは強い女だった。彼女にとって、彼の|同情《おもい》は侮辱以外の何者でもなかった。
 もっとも、彼女もアコロンの気持ちを完全に憎く思っていたわけではない。孤独の闇に彼の愛は一筋の光を与えた。だからこそ、彼の死に際に彼女は涙を流したのだ。
 
 彼女の愛は決して己のものにならない。死の間際、彼はようやく己の誤りに気がついた。全てが手遅れになった状況で、本当の愛を知った。
 彼は彼女を愛している。偽りの感情ではない。その笑顔の為なら、例え血塗られた道を歩く事になっても構わない。そう思う程の愛が彼をこの|聖杯戦争《たたかい》に誘った。
「モルガン……」
 愛しい女性が目の前にいる。聖杯に託す筈だった望みが叶ってしまった。
 その色白な肌に吸い込まれそうになる。
 この聖杯戦争の最中、彼女は生前誰にも見せる事の無かった穏やかで優しい表情を見せてくれた。
 それが彼の中の彼女に対する愛情を更に燃え上がらせた。
 その腰に提げた剣を彼は抜いた。
「おい、何のつもりだ?」
 キャスターの宝具として現れた騎士が彼の前に立ちはだかる。
「どいてくれ、モードレッド」
 その表情は狂気に満ちていた。
 何の躊躇いも無く、アコロンは刃を振り下ろす。その刃を当然のように弾きながら、モードレッドは不機嫌な表情を浮かべた。
「もう一度だけ聞くぞ。何のつもりだ?」
 アコロンは言った。
「彼女を私のものにする」
「よ、よせ、セイバー!!」
 慌てて止めようとする雁夜を彼は蹴り飛ばした。
 その凶行に目を見開き、モードレッドは宝剣を構える。
「……本気みたいだな」
 キャスターは桜の治療に専念している為に動く事が出来ない。
 それほど、彼女の負傷は甚大なのだ。
「テメェの事は……、結構認めていたんだけどな」
「モルガン……。私の愛しい人。私はその視線を独り占めにしたいのだ!!」
「……見苦しい男だな」
 襲いかかるセイバーにモードレッドは軽蔑の眼差しを向けた。
「がっかりだ」

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