第十話「蠢動」

 ウェイバー・ベルベットは悩んでいた。右を見れば、肩肘を衝いて横になりながらゲームに興じる赤毛の巨漢。左を見れば、動物図鑑に興味津々な褐色肌の少女。二人共、勝手気ままに過ごしている。別にそれを責めているわけじゃない。ただ、もう少し、事態に真剣に取り組んで欲しいと願っているだけだ。
 聖杯戦争が始まって、既に数日が経過している。この短い間に倉庫街が壊滅し、新都のホテルが爆破され、昨夜はついにアサシンが脱落した。参加者達の動きも徐々に活発化し始め、戦いはいよいよ激化の一途を辿っている。手をこまねいている暇など無い。少しでも実りある行動に出るべきだ。
 ウェイバーは昨夜、使い魔越しに見た光景を脳裏に浮かべた。遠坂邸に集結した無数のアサシン達。そして、そのアサシン達を一方的に虐殺した赤い男。
 左を見る。幼い少女の背中を見ながら、彼女を殺そうとしていた男の姿を思い出す。

「……違う」
「ん?」

 ウェイバーの呟きにライダーが体を起こし、顔を向ける。

「どうした?」
「……昨夜、アサシンを皆殺しにした男とコイツを殺そうとしていた男。両方共、赤い服を着てたから、同一人物だと思い込んでたんだけど、よく考えてみると違う気がするんだ」
「して、その心は?」

 ウェイバーはムッツリ顔で腕を組む。

「倉庫街で狙撃された時の事。お前はあの時に使われた弾丸が刀剣を矢の形に加工したものだったと言ったよな?」
「ああ、言ったとも。それも、かなりの名剣と見た」
「だけど、アサシンを殺した男が使っていた獲物は銃だった」
「それで?」
「倉庫街に現れた狙撃手の獲物は刀剣をわざわざ矢の形に加工した以上、恐らく弓である筈だ。銃と弓を同時に使う英霊なんて聞いた事が無い。用途によって使い分けるにしても、銃を持ってる奴が弓を使うとは思えない。きっと、この二人は別人だ」

 ウェイバーは脳内に散らばっている情報の断片を必死に繋ぎ合わせていく。彼はチラリと少女を見た。

「コイツを襲った男の獲物は黒い中華風の短剣だった。でも、セイバーは他に居る。つまり、アイツはセイバー以外のクラスで現界していながら、剣を使うタイプの英霊なんだ。しかも、クラスはアーチャーだった」
「……では」
「ああ、そうだ。刀剣を矢として使う狙撃手と剣を握るアーチャー。きっと、こいつらこそが同一人物なんだ」
「なら、アサシンを殺した男は……」
「奴こそ別人だ。アーチャー以外のクラスで現界しておきながら、銃による狙撃でアサシンを皆殺しにした男……」

 ウェイバーは相棒がプレイしているゲームのパッケージを見た。男が使っていた獲物はここ数十年以内に生まれたフルオートの拳銃。恐らく、それが奴の宝具なのだろう。あり得ない話じゃない。現代では英霊となるような偉業を為す人間など滅多に居ないが皆無というわけでも無い。

「……ライダー。お前の本、ちょっと借りるぞ」
「おう、好きにしろ」

 ライダーは黙々と本のページに目を通すウェイバーを満足そうに見つめている。
 彼に渡した本は軍人名鑑。恐らく、そこに答えがあると思っているのだろう。

「フィンランドの英雄、シモ・ヘイヘか……。けど、奴は赤い装いだった。白い死神と称された彼なら白い装束を身に付けて現界する筈……。ソビエト連邦の英雄、ヴァシリ・ザイツェフは赤旗勲章ってのを貰ってるけど……。そもそも、狙撃手が赤い服って……。もしかしたら、実在しない狙撃手とか? なら、エルヴィン・ケーニッヒなんか……」

 ぶつぶつと呟きながら候補を上げていくウェイバー。付箋だらけとなった軍人名鑑を片手に立ち上がり、彼はライダーに言った。

「出掛けるぞ、ライダー」
「分かったのか?」
「全然……。候補は幾つか見つかったけど、決め手に欠ける。今ある情報だけだと真名の看破は不可能だ。それより、気になる事があるんだ」
「気になる事?」
「昨日、新都にある冬木ハイアットホテルって所で爆破事件が起きたらしい。どうも、テロの予告があったらしいんだけど……」
「十中八九、聖杯戦争絡みだな」

 ライダーの言葉にウェイバーはうんと頷く。

「テロ組織がこんな都市部から離れた辺鄙な街のホテルを爆破する理由なんて無いだろうし、こんな日をピンポイントで狙うなんて、偶然とも思えない。恐らく、いずれかのマスターによる襲撃だ。多分、狙われたのは……」

 ウェイバーの脳裏に嫌味な教師の顔が浮かぶ。必死になって書き上げた論文をこき下ろし、挙句、晒し者にした憎むべき相手。彼の性格を考えると、あのホテルに滞在していた可能性が高い。

「あの人がそう簡単に殺されるとは思えない。けど、一度現場に向かい、何らかの痕跡が無いか、確かめる必要があると思う」
「……うむ。余はマスターの指示に従おう」

 第十話「蠢動」

 私の生前の人生は割りと悲惨な部類に入ると思う。少なくとも、日本人に生まれた女としてはだけどね。それでも、最悪って程酷かったわけでもない。だって、私にはある程度の自由があったし、止めようと思えば止められた。止めなかったのはあくまで私の意思が理由であり、それもまた、私の自由の一つだった。
 本当に不幸な女の子を何人か知っている。例えば、池袋で働いていた時に知り合ったナツメちゃん。彼女は親の奴隷だった。それは単なる言葉遊びやプレイの一環としての呼称じゃなくて、本当の意味での奴隷。彼女の体は隅から隅まで親の為にあり、自由は一切無かった。
 彼女の出演しているビデオの数は私が出演した数の十倍。部屋での私生活は常にネットを介して世界中の人々に覗かれている。口にする事すら憚られるような汚物の味もよく知ってるらしい。当然のように病気になり、病気の人相手に商売したり、どんどん特殊な企画に参加したりして身を削り続けた挙句、いつの間にか消息が分からなくなった。全ては親の豊かな生活の為。
 人道に反している。彼女の境遇を聞いた人は口々にそう言う。けど、そんな彼女のビデオやネット配信、サービスを買っている人が大勢居る事も事実。死ぬまで大人のビデオやネットのそういう動画を一度も見ない人生を送る男の人って、一体何人居るんだろう。結局、商売というものには必ず客がいるのだ。だからこそ、成り立つのだ。どんなに人道に反していようが求める人が居る限り潰える事など無い。
 何が言いたいかと言うと、どんなに自分がどん底に居るように見えても、下には下が居るという事。その事実が強さをくれる。あの子よりはマシだ。そう思うだけで、心はずっと楽になる。醜い考え方だと罵倒する人が居たら、その人は自分の事を鏡で見た事が無いに違いない。少なくとも、私はナツメちゃんや他の悲惨な人生を送っている女の子達のおかげで生きていられた。

「もう……」

 だからこそ、そんな目で見ないで欲しい。私はあの子達よりもずっとマシな人生を歩んでいる。糞尿の味など知らずにすんでいるし、全身がピアスだらけになっているわけでもない。ただ、蟲に全身を舐め尽くされただけだ。痛い時もあったけど、殆ど許容範囲。大抵、あの子達は私に素晴らしい快楽を与えてくれた。

「おじさん……」

 おじさんを悲しませたくない。だから、娼婦であった事を忘れて、普通の女の子として振る舞おうと頑張った。けど、おじさんやセイバーの態度が私を普通の女の子にしてくれない。どんなに演技をしても、哀れな存在に戻されてしまう。
 料理を作ってあげても、私の料理に対する感想より先に私への気遣いの言葉が飛び出してくる。何かちょっとでも頑張っている姿を見せると、痛々しいものを見るような眼差しを向けられる。
 彼らに悪気なんて一切無い事は分かってる。むしろ、私の捉え方がひねくれ過ぎているのだという事も理解してる。でも、このままだと堪忍袋の緒が切れてしまう。頑張る事が面倒になってしまう。でも、そうなるとおじさんが悲しむ。何という負の連鎖だろう。
 正直言うと、私は娼婦としての自分で居る方が楽。今更清く正しい心を育むなんて、どうあっても不可能だから、結局、演技を磨いているだけだもの。

「いっそ、愛の告白でもしてみようかな?」

 悪くない考えだと思う。別に恋愛感情なんて持ってないけど、彼をヒーローにする一番手っ取り早い方法だと思う。加えて、告白するくらい今の生活を幸せに感じているアピールも出来る。
 まあ、おじさんの事だから、必死に説得して来るだろうけど、適当に相槌を打って済ませてしまえばいい。それで今の状況が改善されるなら悪くない。万が一にもおじさんがロリコンへと覚醒し、私の告白を受けても、それはそれで構わない。ストーカー思考があるとは言え、悪辣な性格をしているわけでもないし、容姿もキャスターの治療によってゾンビから優男へ戻っている。恋人ごっこをする相手としては悪くない。

「ヨシ! これで行こう!」

 後はなんて告白するかだけど、変にロマンチックな言葉を使うと寒いだけだ。ここは単刀直入に……。

「おじさん! 愛してるよ!」

 私は自室を飛び出し、おじさん達が詰めている居間に飛び込み言った。

「……桜ちゃん」

 ジーザス。何がいけなかったんだろう。おじさんが顔を両手で覆って泣き始めた。わけがわからない。救いを求めてセイバーに顔を向ける。

「……桜様。気をしっかりとお持ち下さい」

 凄く真剣な表情で言われた。どうやら、いきなりトチ狂った事を言い出して、ついに頭がおかしくなったんじゃないかと思われているらしい。

「……大丈夫だよ。私は正気だから、そんな目で見ないで下さい」

 せめて呆れて欲しい。本気で哀れまれると、自分が本当に正気なのか自信が無くなってしまう。
 くっそー。愛の告白なんてしたこと無いし、ドラマとかアニメの告白シーンで使うようなセリフは寒すぎて勘弁だし、シンプルにいこうと思った結果がこれだよ。

「……あれ? キャスターは?」

 気を取り直して部屋の中を見渡すと、いつもソファーで寛いでいるキャスターの姿が無い。仮面にローブという怪しすぎる格好でソファーに寛ぐ彼女の存在が無くなると、この部屋にも普通という形容詞が戻ってくる。

「キャスターは予てから調査していた小規模な霊地の神殿化に取り組むそうです。しばらく、ここを留守にするとの事です」
「……私、マスターなのに何も聞いてないんだけど」
「お土産にケーキを買ってくると言ってましたよ」

 前から思ってたけど、キャスターは私をマスターとして扱ってくれてない気がする。まるで親戚の子供扱いだ。扱いに困ってる感が何とも……。

「……もういいや、面倒くさい。セイバー、オセロやろ」
「いいですよ」

 逆にセイバーは私の扱いが上手い。実のところ、おじさんと居るよりも気が楽になる。時々、こっちを哀れんだりしなければ完璧なんだけど、さすがに望み薄かな。この人も中々のお人好しだからね。
 結局、夕方まで延々とセイバーに遊んでもらった。オセロやポーカー、チェスに将棋。私と遊ぶためにわざわざルールを覚えてくれた辺り、本当に人が良い。
 おじさんはと言うと、使い魔を通して街の監視をしている。刻印虫は取り除かれたけど、私が逆レイプして繋げたラインのおかげである程度魔術を使えるみたい。

「これは……」

 突然、おじさんが口を開いた。

「どうしました?」
「教会に煙が上がってる。これは……、狼煙か?」

 おじさんは教会の近くに飛ばしてある使い魔にチャンネルを変えた。しばらくすると、おじさんは困惑の表情を浮かべた。

「どうしたの?」

 私が聞くと、おじさんは肩を竦めた。

「聖杯戦争が一時中断だってさ」
「……へ?」

 意味が分からない。聖杯戦争に一時中断なんてあるんだ……。

「何でも、重大な問題が発生したみたいで、全マスターとサーヴァントに出頭命令が出た。行かないと手痛いペナルティーを課されるらしい」
「え? じゃあ、私も行かないと……」
「いや、キャスターから連絡があった。桜ちゃんは来なくても大丈夫だってさ」
「ほんとに大丈夫なの?」
「多分だけど、キャスターなら下手を打ったりしないさ」
「うん……」
「とりあえず、俺とセイバーは出頭しないといけないみたいだ。何かあるとまずいから、絶対に外には出ないようにしてくれ。ここならキャスターの術のおかげで安全だからね」
「うん」

 おじさんとセイバーは地下に作った通路から出て行った。出口は別の民家になっていて、そこに移動用の乗用車がある。通路はランダムで幾つかある出口の一つと繋がり、一度使った出口とは一切繋がらないらしい。ハリー・ポッターに出てくるホグワーツの仕掛けみたいでワクワクする。

「中断か……」

 いきなり過ぎてよく分からない。今、冬木では何が起きているんだろう。おじさんもキャスターも全然教えてくれないから私には状況がサッパリだ。
 みんなは夜になっても帰って来なかった。一人寂しくカップラーメンを食べ、窓から外を眺めていると、奇妙な二人組が歩いているのが見えた。
 アンビリーバボー。そこで何をしているんですか、お姉さま。

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