金属同士がぶつかる音で私は目を覚ました。気分がすこぶる悪い。まるで初めての二日酔いを彷彿とさせる。
瞼を開くとキャスターと目が合った。
「……おはよう、キャスター」
「もう少し寝ておけ、マスター。肉体の修復は完了したが、まだ万全ではなかろう」
彼女の言葉通り、失われた筈の眼球や歯が元に戻っている。いや、むしろ前よりも視界がクリアになった気さえする。
手足も確かに存在している。
「ありがとう、キャスター。でも、もう大丈夫。それより、この音はなに?」
「……セイバーの馬鹿が暴れておる。今、モードレッドに鎮圧を命じてあるが、長引いているな」
「セイバーが……?」
彼が暴れている姿なんて想像も出来ない。体をゆっくりと起こす。
金属音の鳴り響く方角に視線を向けると、そこではセイバーとモードレッドが戦っていた。
「セイバーはどうして暴れているの?」
「分からん……」
キャスターは不可解そうに表情を歪めながら、私が眠っている間に起きた事を手短に教えてくれた。
刃を構えて、愛している……。ヤンデレかな?
私の周りにも似たような事をした子がいる。奥さんの居る人に本気になってしまった彼女は無理心中を図って失敗し、警察に逮捕された。
キャスターは不思議そうにしているけど、私はやっと納得出来た。どうして、あんなストーカー気質のおじさんの下にアコロンみたいな純朴な好青年が現れたのか、ずっと不思議だったもの。
やはりマスターとサーヴァントは似たもの同士という事だ。
「キャスター」
「なんだ?」
「アコロンの事、実は大好きでしょ」
「は?」
凍りついた表情を浮かべるキャスター。だけど、間違いない。
私とおじさんは同じ触媒を使ってサーヴァントの召喚を行った。円卓の欠片だ。
円卓に纏わる英霊は数多く存在する。その中から彼女達が選ばれた理由は明白だ。
「私とキャスターって、結構似てると思うの。おじさんとセイバーも」
孤独に生きてきた。愛情に飢えていた。だけど、手を伸ばす方法を知らなかった。
一人は街の娼婦。もう一人は傾国の魔女。規模の大きさは比べ物にならないけれど、共通点が驚く程に多い。
どちらも妹を|憎んでいた《あいしていた》。どちらも世界を|憎んでいた《あいしていた》。
「私はおじさんの事が大好きなの」
彼女もアコロンに手を差し伸べられた時、嬉しかった筈だ。
それが騎士としての献身という歪んだものだったとしても、初めて救いの手を伸ばしてくれた相手を憎める筈がない。
愛情は抱かなかったかもしれない。だけど、好意は抱いた筈だ。だから、彼の死体が城に届けられた時、彼女は幾日も泣き続けた。
「あなたも彼の事が大好き。違う?」
キャスターは困ったように溜息を零した。
「……マスター。妾は少しお前の事が怖くなったよ」
キャスターは私を抱き上げた。
「良かったね」
「なにが?」
「彼が召喚された時、仮面を被った本当の理由。それって、彼に敵意を向けられると思ったからでしょ?」
「……なんの事やら」
「乙女だね、キャスター!」
「うるさいわ!」
そっとおじさんの下に向かい、キャスターは治癒魔術を掛けた。
呻き声を上げて体を起こすおじさん。
「おはよう、おじさん!」
「さ、桜ちゃん!?」
とりあえず抱きついてみる。このぬくもりは癖になる。
「……もう、痛くない?」
残念な事に可愛い反応を見せてはくれなかった。ひたすら心配された。
「うん。もう、大丈夫だよ」
笑顔を見せると、おじさんは私を抱き締めた。若干痛いけど、無粋な事は言わない。
私は彼の背中に手を回して、ポンポンとやさしく叩いて上げた。
「……軽いな、桜ちゃんは」
悲しそうに言われた。
「軽いことは良いことなんだよ?」
「軽過ぎるよ……。もっと、美味しい物をたくさん食べにいかなきゃ……」
おじさんは立ち上がった。
「セイバー!! 止まれ!!」
おじさんが令呪を発動する。すると、セイバーの動きは不自然に鈍り、やがて動けなくなった。
「マス、ター……」
狂気を孕んだ瞳。なんだか、嬉しくなる。そこまで彼女を愛してくれていた事に感謝したくなる。
「おい、アコロン」
キャスターは袖を捲り、動けなくなったアコロンの前に立つ。
モードレッドは若干表情を引き攣らせながら一歩下がった。
そして、キャスターの拳がアコロンに襲いかかる。
「この甲斐性無しが」
一発、二発、三発、四発、五発……。
モルガンはやれやれと困ったような表情を浮かべ、何度も彼の顔面を殴りつけた。
「貴様は極端過ぎる」
もう、何度殴ったか分からない。魔力を纏わせていないせいか、キャスターの拳の方が赤く染まって痛そうだ。
「モ、モルガン。君の手が……」
「黙れ! いいから殴られろ」
魔力を纏わせていない拳など、アコロンには痛くも痒くもない筈だ。
だけど、彼は殴られる度に痛そうに顔を歪める。
「このバカ者が……。バカ者が……」
キャスターは何度も何度も殴った。
泣きながら、殴り続けた。
「……モルガン、もうやめて下さい!!」
アコロンは彼女の手を掴み、その赤くなった手に涙を浮かべた。
「ええい、この程度で取り乱すな! 妾を殺す腹積もりだったのだろう!?」
「ち、違います! 私はただ……」
独り占めにしたかった。抵抗されても、無理矢理自分のものにしたかった。愛を手に入れる事が出来ないのなら、せめてその身体を……。
実に野蛮な欲望。だけど、キャスターは嬉しそうだ。嫌そうな顔を作っているけど、私には分かる。絶対に喜んでいる。
「仕方のないヤツめ……」
そこから先はおじさんに背中を向けさせられたせいで見る事が出来なかった。
近づいてきたモードレッドは不貞腐れた顔をしている。
「なんか、すげームカつく」
後ろでついにイチャイチャし始めた母親と愛人を睨みつけている。
「納得いかねぇ……」
私は笑うしかなかった。
「キャスターも若いね―」
「|最年少《おまえ》にそう言われたら母上も形無しだぜ」
モードレッドは溜息を零した。
◇
アイリスフィールが連れ去られた。目を覚ましたイリヤからその事を聞き出す事が出来たのは丸一日が経過した後の事だった。
手遅れかもしれない。それでも切嗣は彼女の捜索に全力を傾けた。
アーチャーも街中を奔走している。
誘拐犯の正体は間違いなくカインだ。だが、彼は既にキャスターによって討ち取られている。
「アイリ……」
完全に己の失態だ。彼女達が狙われる可能性は十分にあった。だが、共に行動した場合のリスクと天秤に掛け、遠くに置いてしまった。
「しかし、アイリを確保していたのなら、何故ファニーヴァンプはあの場に現れたんだ……?」
疑問は山積している。
「分からないが……、やはり」
アイリスフィールはファニーヴァンプの手の内にある。そう考えて間違いない筈だ。
どうにかして、ヤツを見つけ出し、アイリスフィールを奪い返さなければならない。
『切嗣』
アーチャーから念話が届いた。
「どうした?」
『アイリスフィールらしき存在を確認した』
「なんだって!?」
『どうする……?』
どうやら、街中を彼女が歩いていたらしい。
普通に考えれば罠の可能性が高い。
「周りに不審な者は?」
『見当たらない。だが……』
索敵を得意とするアーチャーが見つけられないとすると、罠の可能性は低いか……?
切嗣は思考する。
そもそも、ファニーヴァンプは策略を練るタイプには見えなかった。
教会で神父は《マスターが彼女を制御出来ず、暴走を許している》と言っていた事から、マスターが策を巡らせた可能性も低い。
単純にアイリスフィールが敵の本拠地から逃げ出してきた可能性が高いのかもしれない。
「……アーチャー。アイリスフィールと接触してみてくれ。くれぐれも慎重に」
『了解した』
結果として、罠は無かった。アーチャーは無事にアイリスフィールを確保して、拠点に戻って来た。
どうやら、アーチャーを見た途端に安心して意識を失ってしまったようで、今はベッドに横になっている。
「これで憂いが一つ減ったな」
アーチャーの言葉に頷きながら、切嗣は次の行動について考えを巡らせた。
やはり、一番の難敵はキャスターだ。セイバーやライダー、ファニーヴァンプに対してはある程度策を練る事が出来たが、アヴァロンを持つ彼女を攻略する方法が中々思いつかない。
奸計に優れ、絶対的な防衛宝具を持ち、絶大な魔力と卓越した魔術を行使する傾国の魔女。おまけに白兵戦に長けたセイバーとモードレッドがいる。
今回の一件で唯一にして最大の弱点であったマスターの保護を更に厳重にする事だろう。
やはり、あの時に始末してしまえば良かった。
「少し休んだほうがいい」
アーチャーが言った。
「根を詰めすぎた。戦いは未だ序盤だぞ。体を壊しては元も子もない」
「……ああ」
眠ったとしても、あの夢を見る事になる。
「アイリ……。イリヤ……」
愛すべき家族が眠るベッドに背を預け、切嗣は瞼を閉じた。
その直後、彼は《あの世界》に招かれた。
いつも見る炎に包まれた荒野ではない。荒れ果てた理想郷に取り込まれた。
考えるよりもはやく、共に呑み込まれたアイリスフィールの服に手を掛ける。そこには赤く点滅する機械が忍ばせられていた。
「発信機……」
耄碌していた。敵を見誤り、油断した。
「私の可愛い子。あなたの力を私に貸してちょうだい」
「……はい、母さん」
隣でアーチャーも彼女に傅いている。固有結界が解けた後、彼の目の前にはファニーヴァンプと言峰綺礼が立っていた。
綺礼の手には発信機の位置を特定する端末が握られている。
「衛宮切嗣。よもや、貴様の十八番を逆手に取られるとは考えていなかったようだな」
「これでいいのね?」
「ああ、これで完璧ですよ、母さん」
これで残る厄介者はキャスターのみ。だが、彼女を攻略する為には後一手必要になる。
「次はライダーを手中に収める」
瞳を閉じると、そこには一人生き残った少女型のアサシンが優しい老夫婦に構われている。
「さあ、最後の仕事だ、アサシン」
綺礼は一同を引き連れ、マッケンジー邸へ向かった。