第十二話「雨龍龍之介」

 子供とは見た目の愛らしさとは裏腹に残酷な生き物だ。時に嬉々として蟻の頭と胴体を切り離したり、時に笑顔でダンゴ虫を踏み潰したり、時に大人以上に残忍なやり口で他人を傷つける。純粋故に狂気的で、無垢故に猟奇的、彼らは時にどこまでも残酷になれる。だけど、目の前で繰り広げられている光景は幾ら何でも異常だ。
 子供が子供を殺している。子供が子供を食べている。子供が子供を犯している。

「……なに、これ」

 吐き気を堪えていると、隣で声が響いた。
 顔を向けた先に二人の少女が居た。意識を失う寸前に再会を果たしたお姉ちゃんと見覚えの無い白い髪の少女。二人は呆然と目の前の惨劇を見つめている。

「み、見ちゃ駄目!」

 手遅れと思いつつも咄嗟に彼女達の視界を塞ごうと手を伸ばしかけ、腕が全く動かない状態にある事を知った。よく見ると私の手足には手錠が取り付けられている。どうやら、意識を失っている間に取り付けられたらしい。
 ちょっと懐かしい感触だ。以前、池袋でサディストなお客さんに手錠を使われた事がある。初めてのSMは行為に至る前準備の段階で想像を絶する恐怖を感じ、泣き叫んだ覚えがある。幸い、そのお客さんは私の涙や声に愉悦を感じる生粋の変態だったから、むしろ喜んでもらえたけど、手錠を始めとした身体の拘束というものは傍から見る以上に恐ろしい。
 懐かしさと共に湧き出す恐怖を私は必死に鎮める。何度も深呼吸を繰り返し、パニックを抑える。やがて、襲い掛かるパニックの波をやり過ごす事に成功した私の耳にコツコツという足音が入り込んで来た。

「あ! 目が覚めたんだね」

 心臓を鷲掴みにされた気分。こんな異常な場所に居ながら、その声はとても優しく、とても穏やかだった。視線を向けると、そこには一人の青年が居た。溌剌とした笑顔がこの状況とあまりにも噛み合っていない。

「……貴方は誰?」
「雨龍龍之介。この素敵なカーニバルの主催者だよ」
「素敵な……、カーニバル?」

 私は再び惨劇の舞台へ視線を戻した。そこには多種多様な地獄が広がっている。広々とした部屋の中央では、まるでレストランのようにテーブルクロスを敷いた円形テーブルの上に幼い少女が指一本動かせないように拘束されていて、その少女の腕を別の少女がバーナーで炙り、別の少女が包丁で薄くスライスし、席に座っている少年がフォークで口に運んでいる。そんな悪魔の晩餐会のような光景から目を逸らしても、壁を見れば、杭で全身を打ち抜かれ、絵画のように壁に磔にされている少年少女の姿がある。天井には幾つもの生首が吊り下げられていて、繰り抜かれた眼孔や口から人工的な光を発している。床にはカーペットのように敷かれた人間の肌が一面に広がっている。

「これが……、お祭り?」
「おー、偉いね。英語、分かるんだ」

 頭を撫でられて、私は恐怖に顔を引き攣らせた。彼の名前を私は知っている。Fate/ZEROに登場するマスターの一人にして、猟奇殺人鬼。彼は物語の中で子供を材料に使ったアートを作っていた。部屋の彼方此方に散らばっている弄り尽くされた死体の数々がソレなのだろう。
 文章として読む限り、気色悪いとは思っても、恐怖は感じなかった。けど、目の前に広がる現実は私に恐怖以外の感情を持たせない。死体を気持ち悪いと思う感情も、拷問されている子供達に対する同情心も湧いて来ない。ただ只管怖い。

「なんで……」

 お姉ちゃんが震えた声を零す。

「なんで……、こんな事……」

 それが限界だった。お姉ちゃんは堪え切れなくなり、床に胃の中身を吐き出した。吐瀉物に塗れたお姉ちゃんを雨龍は微笑ましげに見つめる。

「――――スランプだったんだ」
「スランプ……?」

 私が首を傾げると、雨龍は爽やかに微笑んだ。

「一通り、試し終えちゃったんだよねー」
「試し終えたって……」
「殺人方法」

 雨龍が吐き出す言葉に私は鳥肌が立った。

「全身をトンカチで叩き潰したり、野犬に喰わせたり、地面に埋めてみたり、色々と試してきたんだけど、アイディアが浮かばなくなっちゃったんだよ」

 まるで世間話をするかのように殺人行為を語る雨龍。

「本やテレビ、漫画、ゲームからも色々とアイディアを貰ったりしたんだけど、割りとパターンが決まってて、直ぐに底をついちゃった。残酷描写を謳い文句にしているなら、もっと過激でオリジナリティーに溢れるアイディアを教えて欲しいもんだよ」

 そう言って、彼は視線を壁の隅に向ける。そこには一台のテレビと積み重なった本の山。テレビには首を切り落とされた女性の映像が映っている。

「肉体の損壊って、見た目のインパクトが凄いから皆こぞって使うんだ。残酷な描写がありますって映画の大半は肉体の損壊ばっかりさ。まあ、中にはぶっ飛んだものもあるけど……」

 雨龍は嬉々としながらテレビのリモコンを操作した。次に映った映像はまるでムカデだった。人間の上半身が背骨の一部だけ残して切り離されている。そして、残った背骨を肛門に差し込み、下半身同士を連結させている。

「これは作業途中の映像だね。まあ、所詮は映画だから、これはトリックを使った偽物だよ。だから、実際に作ってみたんだ。ほら、アレ」

 見るな。そう、本能が叫んでいるのに、私は釣られて彼が指差す先を見てしまった。そこにはテレビに映っているムカデの実物が置いてあった。映像と違う点は先頭に生きたままの男性が連結されている事。

「ちなみに材料は彼の家族だよ。順番に息子の下半身、娘の下半身、父親の下半身、母親の下半身、姉の下半身、甥の下半身、弟の下半身、姪の下半身、従兄弟の下半身、叔父の下半身って感じに繋げてある。いやー、彼の誕生日だったみたいだよ。家族総出で祝うなんて、実に仲の良い家族だよね。だから、繋げてあげたんだ」

 耳を塞ぎたい。聞かせないで欲しい。あまりにも異常過ぎて彼の言葉一つ一つが濃硫酸のように私の心を焼いていく。

「人間を虫に見立てる。中々良い趣向だと思ったんだけどねー。ほら、アレとか」

 私は目を塞いだ。見てはいけない。コレ以上は絶対に……。

「……ぁ、いや……」

 お姉ちゃんの鳴き声。彼女は見てしまったらしい。

「頭に腕をくっつけて、クワガタ虫にしてみたり、腸を尻の上の方から抜き取ってネズミにしてみたり、色々やったんだけど、これもワンパターンっぽくなっちゃってね」

 頭がおかしい。理解出来ない。理解したくもない。

「お姉ちゃん、目を閉じて! コレ以上、見ちゃ駄目!」

 私は必死に叫んだ。こんな異常な光景を見続けていたら、本当に心が壊れてしまう。

「子供って凄いよね」

 雨龍は敬意の篭った声で言った。

「なにを……」

 お姉ちゃんが震えた声で聞く。

「アイディアに煮詰まっていた時に閃いたんだよ。以前、家族同士で殺し合いをさせた事があって――――」

 サラッと恐ろしい言葉を吐きながら、雨龍は言った。

「思い切って、子供達に相談を持ち掛けたんだ。どうやって殺したらいいかってね」
「な……っ」

 言葉が出ない。あまりにも異常な思考回路に私は目眩を覚えた。

「子供って純粋だよね。法律や常識、倫理っていう余計な知識が少ない分、自由な発想が出来る。あの壁のアートは子供達が考えたんだよ。人間の杭を打ち込んで壁に飾るなんて残酷な発想が自然と湧いてくるなんて、本当に凄いよね」

 雨龍は子供達を愛おしそうに見つめる。

「だから、彼らに実際に殺しを手伝ってもらう事にした。まあ、最初は嫌がったけど、見せしめに五人くらい拷問して殺したら素直になったよ。ついでに自分達の両親や兄弟姉妹を最初の材料にさせたら後はご覧の通りさ」

 自慢気に微笑む雨龍。

「一日の終わりに品評会を行うんだ。そこで最優秀賞に選ばれた子だけが解放される。そして、一番の駄作を作った子は俺の手で拷問に掛ける。すると、みんな必死に良い作品を作ろうと頑張ってくれるんだ」

 私は恐怖のあまり泣いていた。鼻水も止まらない。隣を見ると、お姉ちゃんや一緒に連れ去られた白髪の少女も泣いている。彼女達も分かっているんだ、彼らの姿が私達の未来なのだと……。

「特にあそこの三人は優秀なんだ」

 龍之介は誇らしげに言った。まるで、自分の息子や娘を自慢するように三人の少年少女を指さす。彼らはまるで指導者のように子供達の作業を見守っている。

「例えば、あそこに居る由美子ちゃん。彼女は冷凍庫で人を凍らせて、かき氷器で削って、材料だった人間の家族に食べさせるっていうクールな殺人を見せてくれたんだ」

 そんなゾッとするような殺人を行った由美子ちゃんは髪を金髪に染めた可愛い女の子だった。

「あっちの遼太郎くんは犬の糞だけを食べさせ続けて殺すっていう、子供らしい殺人を見せてくれた」

 そう、雨龍は活発そうな少年を指差した。

「賢一くんは特に逸材だよ。最初に彼が殺した母親はリアルな人体模型になった。次に殺した父親はマリオネットになった。アレだよ」

 雨龍が指差した先。メガネを掛けた利発的な少年の後ろには学校にある人体模型そっくりな死体とマリオネットが置いてある。

「凄いよね、アレ。首と胴体を切り離した時は何をするつもりなのかと思ったよ。指も関節ごとに切り落として、それぞれに糸を通していく姿は正に職人のそれだったよ。俺も一度遊ばせてもらったけど、操り糸でどんな動きも自由自在だった」

 私はもう意識を失う一歩手前だった。子供が自分の親を玩具にしている。どんな恨みがあればそんな事が出来るのか想像も出来ない。だって、親に捨てられた過去を持つ私でさえ、母親を殺したいなんて思った事は一度も無い。ただ、一発殴って謝らせようと思ったくらいだ。
 殺した上で死体を弄ぶなんて、理解が出来ない。

「最初は君達みたいに泣いたり震えたりしてたんだ。だけど、今ではほら、由美子ちゃんは人の肉をより美味しく食べる方法の探求に専念してるし、遼太郎くんは実に楽しそうに人を殺してる。賢一くんもより残酷な死の研究に余念が無い。それを見て思ったんだ」
「……なに、を」
「人間って、こういう生き物なんだなーってさ」

 実に嬉しそうに雨龍は言った。

「人を殺しちゃ駄目ってルールを考えた奴らこそが異常なんだって、ここで彼らを見てると良く分かるよ」

 気狂いだ。こんな環境下で精神がおかしくなった子供達を見て、それが人間の本質なのだと謳う男に私は戦慄を覚えた。この男は根本から狂っている。同じ物を見ても、私と彼は違う感情を抱く。見た目は同じでも、私と彼は別の生き物なのだ。
 どんな言葉を弄そうと、虫や動物に生き方を変えさせる事など出来ない。止めてと懇願しても、この男は自分の思うがままに私達を殺し、弄ぶ。

「……私達はどっち?」

 殺す方なのか、殺される方なのか、どちらに選ばれても絶望しかない問いを投げ掛ける。

「君達は食材だよ。旦那の為に思う存分、嘆き、悲しみ、恐怖し、苦しんでくれ」
「旦那……?」
「君達をここに連れて来た人だよ」

 脳裏に赤い男の姿が浮かぶ。

「君達も魔術師の子供なら魔力って単語を知ってるだろ? 魔力ってのは、人の魂や記憶、感情によって生み出されるものらしい。だから、君達――――」

 雨龍は私達に優しく微笑みかけながら言った。

「いっぱい泣き叫んで、旦那の美味しい御飯になってよ」

 思わず笑ってしまいそうになった。こんなに理不尽な事も早々無いだろう。
 父が死に、母に捨てられ、娼婦として人生を無駄遣いし、妹に縁を切られ、性病に掛かって孤独死した前の人生だって、ここまで理不尽では無かった。
 こんな風に誰かの悪意でいきなり命を奪われるなんて、これこそが不幸というものだ。そして、この不幸は世界の至る所に発生している。

「……はは」

 ああ、やっぱり私は不幸なんかじゃなかった。本当の不幸を知らない無知な馬鹿娘だった。

「どうしたの?」

 この状況で笑う私が余程予想外だったと見える。雨龍は驚いた表情を浮かべて私を見る。私は彼に構わず、隣でショックのあまり意識を失っている二人の女の子を見た。
 そして、深く深呼吸をする。冷静になって考えてみると、別にこの状況は絶体絶命のピンチってわけじゃない。

「ああ、サーヴァントを召喚して助けてもらうつもり?」

 顔が引き攣る。今まさに実行しようとしていた事を言い当てられ、私は大きく息を呑んだ。

「別にいいよ? 呼んでごらん」
「……え?」

 分からない。辺りを見回しても、あるのは子供の子供による地獄だけだ。あの赤い男の姿は無い。霊体化しているだけかもしれないけど、それでもわざわざサーヴァントを呼ばせる理由なんて……。

「むしろ――――」

 雨龍は私の頬を撫でて言った。

「呼んで欲しいな」

 手に汗が滲む。この状況をひっくり返すにはキャスターを呼ぶしかない。でも、呼んだら取り返しのつかない事が起こる。そんな予感がする。

「……あ」

 その時になって、私は漸くこの状況のおかしさに気付いた。子供が子供を殺している状況もおかしいが、そもそも、私がここに連れて来られている事自体がおかしい。
 キャスターなら私が拠点を出た時点で私の身に起きた異変を感じ取った筈なのだ。気を失っている間にどれほどの時間が経過したのかは分からないけど、今に至るまで、彼女が私を助けていないという事はつまり、私を助けられない状況にあるという事。

「どうしたの? 呼ばないの?」

 私は歯を食いしばりながら、キャスターに助けを求めそうになる口を必死に閉ざした。声に出さなければ、令呪は発動しないと聞いたからだ。

「まあいいや。じゃあ、最初は誰にしようかな」
「……私にして」
「え?」

 怖い。今直ぐ、自分の口を縫い止めてしまいたい。自分から生贄に立候補するなどあまりにも馬鹿げている。でも、私が立候補してでも生贄にならないと、その対象がお姉ちゃんになってしまう可能性もある。それだけは嫌だ。
 大丈夫だ。今は無理でも、いつか必ず、キャスターが助けに来てくれる。キャスターだけじゃない。おじさんとセイバーもきっと……、だから……、

「私が食材になるわ。私はちょっとだけど耐性があるの。普通の子供みたいに直ぐに壊れたりしないから、彼女たちよりずっと食材に適している筈よ」
「……ふーん」

 怖くて怖くて仕方が無い。涙が溢れ、体の震えが止まらない。だけど、私は言った。

「だから、私を食材にして」
「いいよ。そんなに言うなら、君から調理してあげるよ」

 ニッコリとほほ笑み、雨龍は私を摘み上げた。硬いテーブルの上に押さえつけられ、雨龍はいきなり私の掌に釘打ち機で釘を打った。
 あまりの痛みに頭が真っ白になる。何度も何度も釘を打たれた。指一本につき二本、その他の部分にもたくさん打たれ、私はテーブルに磔にされた。
 こんなに痛くて怖いのに、彼は恐ろしい言葉を口にする。

「さあ、始めようか」

 まだ、始まってすらいないのだ。助けて欲しい。私は必死に心の中で叫び続けた。
 キャスター。おじさん。セイバー。私を助けて……。

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