第六話「桜とおじさん・Ⅰ」

 部屋の中が暗い。夜だけど灯りはちゃんと点いている。でも、雰囲気がとても暗い。その原因であるおじさんは一人項垂れている。

「おじさん。謝るから機嫌を直してよ」

 ついさっきまで勇ましくそそり立っていたモノも今はスッカリ萎んでしまっている。溜息を零しながら、部屋の隅に佇むキャスターを見る。相変わらず、仮面とローブで素肌を完全に覆い隠している。正直言って、ちょっと不気味。
 キャスターは私の視線に気付き、小さく頷いた。

「ラインは問題無く繋がった、これでセイバーの宝具が発動可能になったわけだが……。お前はどうしてそんな風に平然としていられるのだ?」
「なにが?」
「なにがって……、お前」

 ティッシュで行為の後始末をしながら欠伸をする。

「セックスの一回や二回がどうしたって言うの……? まあ、殆ど強姦に近かったから、多少の罪悪感はあるけど、必要だと言ったのはキャスターじゃない」

 いい歳して童貞――風俗も未経験――だったらしいピュアボーイでチェリーボーイなおじさんはともかく、キャスターにまでとやかく言われる筋合いは無いと思う。そもそも、この話を最初に持ち出したのは彼女だ。
 彼女曰く、元々、おじさんがセイバーを召喚出来たのは体内の刻印虫が魔術回路の代わりを担ってくれていたからであり、それを取り除き、治療してしまった以上、おじさんに魔力を生成する力は無いとの事。
 その為、セイバーは魔力の不足という問題を抱えていた。宝具を一度使ったら消滅してしまうと言うのだから致命的だ。その問題を解決する為に彼女が提案したのが潤沢な魔力を持つ私とおじさんの間にラインを繋ぐというもの。方法は幾つかあったけど、一番リスクが少なく、加えて簡単だった事から私はセックスによるラインの接続を選んだ。
 おじさんは断固として反対を唱えたけど、他の方法はそれなりのリスクや面倒な手順があるからキャスターにお願いして体を拘束してもらい、その間に行為を済ませた。なにしろ、二人が同時にエクスタシーに達しなければならないらしく、童貞のおじさんに勝手に動かれたら逆に面倒だったから、その意味でも拘束したのは大正解だった。
 唯一の問題点はおじさんが不貞腐れてしまった事。テクニックには自信があったし、精一杯楽しませてあげたのに、実に頑固な人だ。合計三回射精したから賢者タイムとやらかもしれない。ちょっと、時間をあげよう。

「……しかし、その歳で――――」
「私はずっと蟲とセックス三昧だったんだよ?」
「だが、男とのセックスなど未体験の筈だろう」

 キャスターは私に十分な配慮をしてくれている。その一つが記憶を勝手に盗み見ない事。別に私は構わないんだけど、幼い心をこれ以上傷つけるわけにはいかないと言われ、無理に見せたいわけでも無かったから彼女の好きにしてもらっている。
 だから、彼女にとって私はあくまで悪い大人の邪悪な野望の為に蟲に犯される日々を送っていた可哀想な女の子なのだ。

「おじさんの事は嫌いじゃないもの。むしろ、行為の最中のおじさんはとってもキュートだったわ。只管貪ってくるばっかりな蟲の相手よりずっと充実感もあったし……。それと、人間の相手が初めてだったわけじゃない。おじいちゃんのパートナーをしてた鶴野さんって人。蟲の出入りした穴を使うのは嫌だったみたいだけど、口はセーフだったみたい。匙加減が良く分からなかったけど、毎日、彼の精液を飲まされてたし――――」
「……アイツ、見つけ出してぶっ殺そう」

 おじさんが漸く口を開いたと思ったら、物凄く物騒な言葉が飛び出して来た。
 鶴野さんはおじさんのお兄さん。いつの間にか屋敷から姿を眩ませていた。おじいちゃんと一緒に何かを企んでいる可能性もあるけど、結構小心者っぽかったし、一人でどこかに逃げたのかもしれない。
 
「落ち着いてよ、おじさん。精液も慣れると平気になるものだよ? たまに尿の匂いがキツイ時があったけど、刻印虫が吸収してくれたから病気になる心配も無かったし――――」
「……桜ちゃん」

 どうしたんだろう。おじさんは泣きそうな顔をしている。
 生前も間桐の屋敷に連れて来られてからも、基本的に私の周囲はサディストだらけだったからこういう反応をされると返し辛い。
 今までの経験上、こういう話をすると、大抵汚物を見るような目を向けられた。もしくは、惨めな女として嘲笑われるか、蔑まされるか、興奮されるかのいずれかだ。ああいう業界の男は女の不幸が飯の種であり、毎夜のオカズなのだ。同情してしまうような輩は元からこういう世界に足を踏み入れたりしない。迷い込む人もたまには居るみたいだけど、私は未遭遇。
 
「桜ちゃんはもう……、あんな事をしなくてもいいんだ。普通の女の子として生きていいんだ。そもそも、あんな生活を送らされた事が間違いだったんだ」
「おじさん……」

 ここでネガティブな事を言うと、おじさんがマジ泣きしちゃいそう。それは非常に困る。私はおじさんの泣き顔をあまり見たいと思わない。私はサディストじゃなくて、マソヒストなのだ。SMクラブの三大メッカの一つ、池袋でそれなりに慣らした時期があったけど、攻める側より攻められる側に身を置き続けたくらいだ。まあ、過激過ぎるのはNGだけどね。痣や蚯蚓腫れ、軽い火傷が耐えない生活というのも過激と言えば過激だけど……。
 とりあえず、おじさんに認識を改めてもらう必要がある。私は不幸な少女じゃない。

「大丈夫だよ!」
「桜ちゃん……?」
「私ってば、結構セックスが好きみたいなの。テクニックも中々だったでしょ? この道で稼げるかもしれないよ! あの生活もその糧になったと思えば――――」
「止めてくれ!!」

 肩を掴まれてマジ泣きされてしまった。ジーザス。どうして、上手くいかないんだろう。やさしい男の相手は酷い男の相手の何倍も難しい。ちょっとの事で同情してくるし、使命感を燃やされてしまう。
 結局、私に出来た事はおじさんの肩をポンポンと優しく叩いてあげる事だけだった。いつしか二人揃って眠ってしまい、気がついた時にはベッドの上だった。

第六話「桜とおじさん・Ⅰ」

 ちなみに、現在の私達の拠点は間桐邸じゃない。山を一つ越えた先にある街の民家だ。住人には一ヶ月の海外旅行をプレゼントしてある。キャスターの暗示が解けて、彼等がここに帰って来る時には全てが終わっている筈。他人の家をラブホテル代わりに使うというのも中々乙なものだね。

「……おじさん」

 現実逃避は止めておこう。朝になってもおじさんの機嫌は直らなかった。これで怒鳴り散らすなりしてくれればまだマシなんだけど、彼の怒りの矛先は自身に向いている。強姦紛いを行ったのは私なわけで、私を責めるのが道理な筈なのに、私相手に勃起した事や射精した事に酷く自己嫌悪している。私のテクニックがハイレベル過ぎたせいなのに仕方の無い人だ。
 
「大丈夫だよ、おじさん。おじさんはロリコンじゃないよ」
「……そういう問題じゃない」

 折角の慰めの言葉を一蹴されてしまった。

「キャスター! こういう時、どうすればいいのかな?」

 困った時のサーヴァント頼み。私はなにやら作業中のキャスターの下に向った。すると、彼女は重苦しいため息を零した。

「……セイバーに聞け」
「え?」

 同じ部屋で地図と睨めっこしていたセイバーがギョッとした表情を浮かべた。

「セイバー!」
「す、すまない、桜様。私はちょっと用事が――――」
「無いだろ」

 逃げ出そうとするセイバーにキャスターが無慈悲な一言を叩きつける。私もこれが如何に応え難い質問かは理解している。でも、私には分からないのだ。どうしたら、おじさんが元気になってくれるか教えて欲しいのだ。

「セイバー。おじさんにどうしたら元気を出してもらえるかな?」
「……桜様」

 セイバーが困ったような表情を浮かべながら、考え込むように腕を組んだ。
 やがて、深く息を吐くと、私に傍に座るように言い、自分も胡坐をかいた。

「先に申し上げておきますが、私はあまり、人に誇れるような人生を送っておりません」
 そう言って、彼は話し始めた。

「失敗ばかりの人生でした。愛した人の心は得られず、忠誠を誓った王には刃を向けてしまった。だけど、そんな私だからこそ、言える事もあります」

 セイバーは言った。

「まず、自らの過ちを認めましょう。どうして、マスターが消沈なされているのか……、その理由に向き合う事から始めて見てください」
「……別に目を逸らしてなんかないよ? おじさんに無理矢理迫ったからいけないんでしょ?」
「違います」

 セイバーは私の言葉を両断した。

「マスターが消沈しておられる理由はもっと根本的なものです」
「……分かんないよ。おじさんの意思を無視したり、無理矢理セックスした事が問題なんじゃないの? 他に理由があるなんて言われても、分かんないよ……」

 やばい、泣きそうだ。本当に分からないのだ。一般的な視点から見たら、これが正解の筈なのに……。
 セイバーは私を辛そうな表情で見つめている。

「……桜様が悪いわけじゃない。でも、桜様にとって、あまりにも残酷で酷い事を言います」

 そう、暗い表情で前置きをして、セイバーは言った。

「桜様が性行為を日常的なものとしてしまっている事。それが問題なのです」
「……えっと、どういう事?」

 サッパリ、話が見えない。

「今の桜様の思考は娼婦のソレだ。幼い少女がそんな思考を抱いている。その事がマスターを苦しめている元凶なのです」
「……あ」

 馬鹿だ。救いようの無い馬鹿だ。ちょっと考えれば分かった事。
 行為に及んだ事も問題だけど、なにより、その行為に及ぶに至る思考そのものが問題だったのだ。私は性行為を当たり前のものとして受け入れ過ぎていた。だって、それが生きる糧であり、日常だったから……。
 でも、普通の人からしたら、そんな思考はおかしいのだ。私が平然としている事それ自体がおじさんを傷つけていたのだ。
 おじさんからすれば、自分が家出した為に私が養子になり、こんな思考を抱くに至ったのだと思っている筈。その罪悪感に対して私は配慮出来ていなかった。
 娼婦だったのは過去の話だ。今の私は悲劇のヒロインであり、そういう風に思考するべき立場に居るのだ。そうしないと、おじさんがヒーローになれない。惨めさや罪悪感に押し潰されてしまう。私の強姦行為がそれを増長させてしまった。今までは単なる加害者の縁者でしかなかったのに、自らが加害者になってしまった。そのせいで、もう自分を許す事が出来なくなってしまっているのだ。
 
「……駄目」

 恐怖に身が竦んだ。

「桜様……?」

 頭が割れそう。私の軽はずみな行いのせいでおじさんが心に取り返しのつかない傷を負わせてしまった。
 おじさんを不幸にしたいなんて気持ちは一欠けらだって持ってない。ママは上げられないけど、人並みの幸せくらい、満喫して欲しいと願ってる。だって、彼は世界で唯一、私を助ける為に動いてくれた人なのだから……。
 実際は『桜ちゃん』を助ける為だけど、それでも、『私』を助ける為に動いてくれた人なんて、おじさんが初めてだった。

「……おじさんが不幸になるのは駄目なの」

 涙が止まらない。こんなに哀しい気持ちはなっちゃんに縁を切られた日以来だ。
 私は泣きべそをかき、セイバーを困らせた。キャスターもうろたえている。申し訳なく思うのに、泣くのを止める事が出来ない。この未熟な体は大き過ぎる感情の波を留め切る事が出来ない。
 
「ちゃんと心を入れ替えるから! だから……、ごめんなさい」

 泣きじゃくりながら、私は必死になって訴えかけた。誰に対しての訴えなのか、私自身分かってない。けど、必死に訴えた。

「……桜ちゃん」

 ギュッと、誰かに抱き締められた。匂いで誰かが分かってしまう。けど、分かっちゃいけない。それはおじさんを傷つける行為だから……。

「ごめん……」

 おじさんは何度も何度も謝った。謝って欲しい事なんて一つも無いけど、私は黙って聞き続けた。おじさんの気が済むまで、何度も何度も謝られた。
 正直、簡単に心を入れ替える事は出来そうにない。でも、今の自分はもう娼婦では無いのだと確りと自覚を持つ事にした。
 だって、私はおじさんが大好きなのだ。もちろん、恋愛的な意味じゃないけど、おじさんが望む女の子になってあげたい。

「おじさん。ごめんね」

 もう一度だけ謝って、私達は仲直りをした。

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