宝具とは、英雄が生きた証である。その者が何を為したかは問題では無い。例え、悪竜を滅ぼした聖人であろうと、圧制者を殺した革命家であろうと、偉大な功績を残した賢者であろうと、国を支配した王であろうと、悪行を働いた罪人であろうと、その時代に“名”を轟かせたなら、その者は英雄だ。
アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュの宝具は彼が生前収集した財宝を納める蔵である。その蔵の中には古今東西の宝具の原典が納められている。
重要な事は一つ。彼の蔵に納められている宝具が『武勇を極めた勇者の武器』ばかりでは無いという事だ。
例えば、アーチャーが倉庫街でセイバーの二撃目のエクスカリバーを防げたのは、彼が咄嗟に『叫ぶオハン』と呼ばれる盾の宝具を展開したからである。アルスター伝説に名を馳せる英雄、コンホヴァル・マク・ネサが所有していたとされる黄金の盾。コンホヴァル・マク・ネサが英雄、フェルグスと戦った時、カラドボルグの一撃を受けて尚、傷一つ付かなかったとされる究極の守りの一つである。
他にも、彼の蔵には様々な種類の宝具が内包されている。
気配すら遮断する『ハデスの隠れ兜』、神を縛る『天の鎖』、天を自在に舞う『天翔る王の御座』。これらを初めとした無数の宝具が彼を最強足らしめている。
もっとも、並みの英霊を相手に……否、彼が認める程の大英雄であろうと、彼の蔵の真価を拝む事は稀だろう。
理由は単純明快。ただ、剣や槍を雨のように降らせる。ただ、それだけで如何なる英雄も為す術無く倒れる事になるからだ。問題なのは、その蔵に収められた財宝の量。そして、万物を見通す英雄王の眼。
アーチャーはその類稀な眼力をもって、敵の正体を看破し、その弱点までもを見通す。そして、その相手が最も苦手とする宝具を選択して放つ事が出来るのだ。
加えて、彼の逆鱗に触れてしまった相手はアーチャーの蔵に収められし、究極の一の下に敗北を余儀なくされる。ライダーの宝具である『王の軍勢』と呼ばれる固有結界を一撃で滅ぼした最強の剣、『乖離剣・エア』。防ぐ事も回避する事も不可能な滅びの力を持つ剣である。
さて、何が言いたいかと言うと、彼が本気を出した場合、如何なる存在も相手にならないという事だ。戦いにすら至らない。
セイバーとて、例外では無い。如何に究極宝具の一つ、『全て遠き理想郷』を持っていようと、蔵の真価を発揮させたアーチャーの相手にはならないのだ。
もし、アーチャーがセイバーを殺すつもりだったなら、話は違ったかもしれない。彼が彼女を殺すつもりなら、初手から乖離剣を使っていた事だろう。そうなれば、彼女の宝具はその真価を発揮し、アーチャーを返り討ちにする事も出来たかもしれない。
けれど、彼の目的は彼女を殺す事では無かった。言ってみれば、悪戯心。気を違えたとは言え、清廉なる王であった筈の女。屈服させてみるのも一興かと思ったに過ぎない。
戦闘が始まると同時に彼がした事は一つ。
「動くな」
という命令。それで勝負は決した。
英雄の持つ宝具とは千差万別。その中には空間を支配する結界宝具というカテゴリーのものまで存在する。
強力な対魔力を持つセイバーに対して、殆ど無意味と思われる宝具だが、それでも一瞬、動きを鈍らせる事は可能。
その一瞬が命取りとなる。四方八方から飛び掛る拘束宝具を打ち払う事は出来ず、捕縛され、そこに魔力を封じる矢が突き刺さる。
ものの数秒。指一本すら動かせなくなったセイバーに対して、アーチャーは囁いた。
「感謝するが良い。この我に抱かれる栄誉を賜るのだからな」
乱暴に担がれても、抵抗一つ出来ないセイバー。そのあまりにも圧倒的過ぎる戦力差に納得出来なかった者が一人。
「アーチャー!!」
遠坂凛がアーチャーを睨んだ。
「どうした、凛?」
「あ、貴方は……、それほどの力がありながら、どうして!?」
涙を溢れさせながら、凛は叫ぶ。
何が『どうして!?』なのかは本人すら理解出来ていない。
ただ、沸き立つ感情が収まらない。
「簡単な話だ。奴より貴様を気に入った。ただ、それだけの話だ」
凜は何かを叫ぼうとして、止めた。
必死に感情を殺そうとしている。
「セイバーはどうするの?」
「この女は既に敗者だ。勝者が敗者をどう扱おうが、どうでも良かろう?」
「で、でも――――」
その時、凛が脳裏に浮かべたのは深夜の森での光景。
涙を流し、自分達の命乞いをするセイバーの姿。
「間違えるなよ、凛」
アーチャーは言った。
「この女は貴様の敵だ。情を抱く必要など無い」
「……分かってるわ。でも、敗者だからって、尊厳を踏み躙って良い事にはならない」
キッと睨む凛にアーチャーは嘲笑った。
「生憎だが、その命令は聞けんな。貴様に聖杯をくれてやるとは言ったが、従順な僕になるとまでは言っておらん」
「なっ――――、アーチャー!!」
それでは、約束が違う。父が何の為に死んだのかを思い、りんは声を荒げた。
けれど、アーチャーはセイバーを抱えたまま歩き出す。
「全てのサーヴァントとマスターは我が殺す。そして、聖杯は貴様にくれてやる。時臣との約定もそこまでだ。敗者の使い方は我が決める。文句は言わせん」
さっさと先を行くアーチャーに凛は再び口を開きかけ、その前にアーチャーが言った。
「貴様は既にマスターだ。早々に殺し、殺される側に立った事を自覚しておけ。ついて来るなら早くしろ。さもなければ置いて行くぞ」
凜は怒りで下唇を噛み締めながら、アーチャーの後に続いた。
魔術師としての冷静な思考が彼について行かなければ、自分が死ぬという単純明快な図式を彼女自身に理解させた。
辿り着いたのは言峰教会だった。
内部に堂々と侵入するアーチャーを璃正神父が止めようとするが、彼に一睨みされると黙り込んだ。
そのまま、奥へと進むと、そこに脱落したアサシンのマスターであり、遠坂凛の兄弟子である言峰綺礼の姿があった。
「アーチャー……お前が抱えているのはセイバーか? それに、凛まで一緒とは……。一体、何があったのだ?」
事情説明を求める綺礼にアーチャーは事も無げに言った。
「時臣には自害を命じた。そして、今は凛をマスターにしている。セイバーはその過程で捕らえただけだ」
「師父に……、自害だと? 貴様、どういうつもりだ!?」
アーチャーに詰め寄る綺礼に凜は目を丸くした。
常に冷静沈着で、父親からも期待されているいけ好かない男。それが凛の綺礼に対する評価だった。
けれど、父の死に憤慨する今の彼に凜は評価を改め、感極まった表情を浮かべた。
「落ち着け、綺礼。わけは後で話してやる。それより、我はセイバーに用があるのでな。貴様は凛の相手でもしていろ」
「待て、話は終わっていないぞ!!」
尚も詰め寄る綺礼にアーチャーが凛に聞こえぬよう小声で囁いた。
「貴様の本命は時臣ではあるまい。奴は奴なりに価値を示したが故、慈悲をくれてやっただけの事。弟子に裏切られて殺されるなどという結末はあまりにも憐れだったからな」
愉快気に笑うアーチャーに綺礼は顔を歪めた。
「案ずるな。奴よりも娘の方が貴様も愉しめる筈だ。既にお前好みのシチュエーションが整っているからな」
そう呟くと、アーチャーはセイバーを抱えたまま、部屋の更に奥へと向かった。
綺礼は深く息を吐くと、凛を見下ろした。何故か、感極まった表情を浮かべる彼女にわけを聞くと、自然と頬が緩んだ。
なるほど、これは愉しめそうだ。抱いた希望が絶望に変わる時、彼女はどんな表情を浮かべるのだろうか?
師父をこの手で殺す事が出来なかったのは残念でならないが、我慢するとしよう。
「凛。君も疲れているだろう? 部屋を用意するから、今日は休むと良い」
「……ええ、分かったわ」
部屋に案内すると、凜は恥ずかしそうに頬を赤らめながら綺礼を見上げた。
「さ、さっきはありがとう……。お父様の事で怒ってくれて……」
「……弟子として、当然の事だよ」
「そ、そうよね……。お、おやすみ、綺礼」
「ああ、おやすみ、凛」
部屋の扉を閉ざすと、綺礼は早足で自室へと戻った。そして、抑え切れぬ感情を破裂させた。
魔術で防音にした部屋に彼の笑い声が響く。
「……父母を失い、奪った相手と共に戦う最中、頼れるのは兄弟子一人。その男の本性を知った時、凛はどんな表情を浮かべるのだろうか」
愉しみでならない。これが愉悦というものか……。
アーチャーに乱暴にベッドへ放り出された俺の顔が近くの鏡に映り込んでいる。酷く、虚ろな表情だ。
魔力封じの矢によって、常日頃から感じていた強大な力が喪われ、その喪失感に感情の昂ぶりも一気に醒めてしまった。
やった事は無いけど、きっと、ダウナー系のドラッグを決めたらこんな感じになるのだろう。
これから、何が行われるのかも理解している。自分が逃げられない事も……。
別に構わない。朦朧とした意識の中、溜息混じりに思った。
犯されて、穢されて、殺される。それが俺には相応しい死に様だと思った。
死は恐ろしいものだと思っていたけど、この悪夢から解放されるなら、むしろ歓迎すべきものだ。
「なんだ? 随分としおらしいな。さっきまでの威勢はどうした?」
アーチャーがベッドに腰掛けて俺を見下ろす。まるで、少し前に見た夢のようだ。
漸く分かった。あの時の男はアーチャーだったのだ。真紅の瞳に見つめられ、体の奥が疼いた。
「まさか、期待しているのか? まったく、狂人かと思えば、淫売の類であったか……。騎士王はその清廉潔白さによって、円卓を取り纏めていたと聞いていたが、よもや、その身を使い、騎士共に忠誠を誓わせていたのか? まったく、とんだ堕落国家よな、貴様の統べたブリテンという国は」
吐き捨てるようにアーチャーが言った。
それが不思議と苛立った。俺自身はアーサー王本人じゃないし、何を言われても関係無い筈なのに、怒りが込み上げた。
「訂正しろ……」
無意識に言葉が口を衝いて出た。
「ほう、いい表情をするではないか」
「訂正しろと言ってるんだ……」
「何を訂正しろと? 淫売が統べた国を堕落国家と呼んで何が悪いのだ? 貴様に傅いた騎士共も、夜灯に群がる羽虫同然だな。所詮、淫売にうつつを抜かす愚者共よ」
「違う!!」
目の前が真っ白になった。激しい怒りが理性を吹き飛ばし、体に動けと指示を出す。
「“私”の事は良い!! だが、騎士達を侮辱する事は許さない!!」
「ほう? 許さない? 許さなければ、どうするのだ? 貴様に何が出来る? そもそも、貴様の存在が己の騎士達を貶めている事実から目を逸らし、他者に責任を押し付けるとは……、ますますもって、度し難い女よな」
口元を歪めて笑うアーチャーに果てしない怒りが湧いた。
――――■■■を傷つけたばかりか、騎士達の事まで愚弄するか!!
怒りが己の深遠に眠る竜を呼び起こす。瞬時に魔力が矢へ向かい逃げていくが、一瞬だけ十分な魔力が全身に行き渡った。
咄嗟に矢を掴み、引き抜く。その途端、体の重みが消えた。
「アーチャー!!」
「貴様――――」
風王結界を解き放つ。完全に無力化したと思い込んでいたらしく、鎧すら脱ぎ去った状態のアーチャーに対して、風王結界の風が直撃する。
そのまま、エクスカリバーを振り上げた。
「約束された《エクス》――――」
アーチャーが咄嗟に蔵から何かを取り出すのが見えたが、躊躇い無く剣を振り下ろした。
「――――勝利の剣《カリバー》!!」
光がアーチャーを呑み込む。光はそのまま窓と壁を粉砕し、夜天に浮ぶ雲を裂いた。
けれど、アーチャーは健在だった。彼が咄嗟に展開したのは盾だった。
怒りに満ちた頭に僅かな冷静さが戻る。このままでは、さっきの状態の焼き直しだ。
「クソッ!!」
選んだのは撤退だった。彼の体勢が整う前に離脱しろ。
本能や理性を超えた何かが叫んでいる。
外に出ると、そこには一台のトラックがあった。その荷台には見覚えのあるバイクがある。
迷う暇は無かった。バイクに跨ると、既にエンジンが掛かっていた。ハンドルには一枚の紙が貼り付けてある。
「拠点C1……」
それは切嗣さん達と合流する為の場所だった。
本来なら、聖杯戦争の終盤、殆どのサーヴァントを駆逐した後、聖杯降臨の儀式上を占拠した後に合流を果たす為の拠点だ。
いや、既にランサー、アサシン、バーサーカーが脱落している。それに、恐らくキャスターも……。キャスターが存命であったなら、時臣があんなにも堂々としていられる筈が無い。
つまり、残るサーヴァントは三騎にまで絞られた事になる。
合流するタイミングとしてはまずまずだ。だけど、本当に合流していいのだろうか? 今のアーチャーに狙われている状況で……。
迷っている間にもバイクを走らせる。風王結界を纏わせ、限界を超えた速度で疾走する。
アーチャーが追って来る気配は無い。何か意図があるのかもしれないが、今は全速力で逃げる事に集中しなければ……。
海浜公園までやって来たところで漸くエンジンを切った。合流地点に向かうべきかどうかを考える為だ。
だが、いざ考えを纏めようと思った時、頭上から雷鳴が轟いた。
何事かと顔を上げると、ライダーの戦車が降って来た。
「のわあああああ!?」
慌てて避ける。
バイクが粉砕。
「お、俺のビートチェイサーがあああああ!?」
初めて見た時、いつか絶対、『金のゴウラム合体ビートチェイサーボディアタック』をやろうと心に決めて密かにつけていた名前を叫んだ。
「……えっと、すまん」
涙を流して部品を持ち上げる俺にライダーがバツの悪そうな顔で謝って来た。
「お、俺のビートチェイサー……。俺の……」
「お、おい、凄いショック受けてるぞ」
「いや、まだ感情が昂ぶっとるかもしれんから、牽制した方が良いと申したのは貴様ではないか!!」
「そ、そうだけど、あんなギリギリまで近づく事無かっただろ!!」
「いや、だって、セイバーなら対魔力があるし……」
「バイクには無いんだよ!!」
「バイク……があるとは思わんかったし……」
後ろで怒鳴りあう二人に呆然となった。
「……俺を殺しに来たの?」
俺が問うと、ライダーはバッと戦車から降りて来て、俺のおでこにデコピンをした。
凄く痛い。火花が出た。
「にゃ、にゃにをする!?」
「馬鹿もん!! 殺しに来たのなら、さっき既に殺しておるわ!!」
「俺のビートチェイサー壊したじゃん……」
「……いや、それは……うむ、すまんかった。だが、余も坊主も貴様に危害を加えるつもりは無い」
「……じゃあ、何をしに来たの?」
俺が問うと、予想外の方向から答えが返って来た。
「そこから先は僕が説明するよ、セイバー」
そこに立っていたのは切嗣さんだった。
驚き、目を瞠る俺に切嗣さんは言った。
「まずは拠点C1に向かおう。そこでアイリが待っている」
「ま、待って!! どうして、切嗣さんがライダー達と一緒に居るの!?」
「その理由も後で話す。まずは君をアイリと会わせる」
「だ、駄目だ!! 今はアーチャーといつ交戦状態になってもおかしくないんだ!! だから、アイリスフィールに会うわけには……」
「それが……、アイリの最期の願いなんだよ、セイバー」
「……え?」
途惑う俺に切嗣さんは言った。
「……アイリはもう、声を発する事も難しくなってる。それでも、君に会いたがってる。君の為に出来る事をしたいと願っている」
「ア、アイリスフィールが……?」
「君はアイリに会わなければいけない。君自身の為にもだ……」
「アイリスフィール……」
アイリスフィールの事を思った途端、涙が出た。
「……会いたい。アイリスフィールに……」