第九話「ねえ、君は何になりたい?」

 キャスターの拠点に乗り込んだ俺達を待っていたのは一人の少年だった。
 肌着すら身に着けずに、少年は虚ろな表情で俺を見つめている。

「ジャンヌ様……?」

 か細い声で少年が問う。否定する事に意味は無い。
 キャスターにとって、俺はジャンヌ・ダルクなのだ。

「そうだよ。俺がジャンヌだ。君は……」
「奥に連れて来るよう言われました。ついて来てください」

 少年は淡々と言葉を口にし、踵を返した。ライダーと顔を見合わせ、俺達は戦車に乗ったまま少年の後に続いた。
 この先に何が待ち受けているのか、大よその見当はついている。

「坊主。それに、セイバー。お前達は瞼を閉じておけ」
「……そんな事、許される筈無いだろ」

 見ないなどという選択肢は存在しない。だって、この先にあるのは俺自身の罪だ。

「……ボクだって、目を背けるつもりは無い」

 ウェイバーが声を震わせながら言った。前に見た、キャスターの工房での惨状を思い出しているのだろう。
 唇を噛み締め、前を向く。奥へ進むと、そこは地獄の再現だった。
 最初に目についたのは腹部を割かれ、中に蝋燭を立てられた少女だった。次に目に付いたのは、頭蓋骨を切り取られ、脳が露出している少年。脳にはまるで生け花のように複数の花が差してある。
 人の腕で出来た長椅子があった。その上に仲睦まじい少年少女が座っている。彼等は腹部から飛び出す腸で二人の絆を示している。複雑な結び目で、決して解ける事は無いだろう。
 足下を見た。そこには生首の絨毯が広がっていた。一体、何十人……、何百人の首だろうか? 処狭しと並べられた首は一つ残らず恐怖の表情を浮かべている。
 天井から吊り下がる無数の死体には首と手足が無い。まるで、解体されたばかりの牛や豚のようだ。
 目を背けるなど不可能。四方八方に地獄が広がっている。
 右の壁には杭で標本のように打ち付けられた子供達。
 左の壁には傘や楽器に変えられた子供達が棚の上に転がっている。
 天上には目玉を電球に変えられた人間電灯が一つ、二つ、三つ、四つ……。

 誰かが笑っている。こんな光景を見て、どうして笑っていられるんだ?
 ライダーじゃない。ウェイバーでもない。なら、俺達を案内した少年か? それとも……、

「セイバー!!」

 ウェイバーに肩を掴まれた途端、笑い声が止んだ。彼の瞳に映る俺は笑っていた。

「気を確り持て!! ここは敵地なんだぞ!!」
「……ぅぁ」

 まともに答える事が出来なかった。

「坊主。セイバーの手を握っていろ。キャスターごとき、余の力だけで十分だ」

 怒りに満ちた声。ライダーは鬼のような形相で辺りを見回している。
 ウェイバーは俺の手を握り締めた。弱々しい力。けど、振り払えない。

「……ぅぅ」

 彼等の多くはまだ生きている。体を好き勝手に弄り回された挙句、苦痛を引き伸ばされている。
 俺がキャスターを逃がしたから、彼等は今、地獄を彷徨っている。

「ぐぐ……ぅぐ、ぐ」

 歯を噛み締めながら瞼を開く。
 見なければいけない。知らなければいけない。彼等が何をされたのか、全てを記憶しなければいけない。
 何の意味も無い自己満足だけど、無知である事だけは赦されない。

「……キャスターはどこだ?」

 奴の姿が見えない。

「ジャンヌ様」

 俺達をここまで案内して来た少年が言った。

「あの壁を御覧下さい」

 少年に促され、見上げた先にあったのは地図だった。
 肉片や皮膚、骨、眼球、内臓。人を構成するあらゆる要素によって描かれた地図。
 地図を両断する黒い線。その上に舌を繋ぎ合わせて作ったハートマークが飾られている。

「……未遠川か」
「来いって事なのか……?」

 ウェイバーとライダーの会話が頭に入って来ない。
 この地図を作る為に如何なる惨劇があったのだろうか……。

「ジャンヌ様」

 少年は俺の前までやって来ると、言った。

「助けて下さい……」

 咄嗟に手を伸ばした。けれど、俺の手が少年に触れるより早く、少年の体は大きく膨れ上がり、弾けた。
 少年だけじゃない。部屋中の死体や生者が一斉に破裂した。そして、変わりに魔物が姿を現した。
 足下から這いずり上がって来るものと、天上から降り注ぐもの。少年に手を伸ばそうと、戦車から身を乗り出していた俺の体はあっと言う間に魔物の海に飲み込まれた。
 ライダーとウェイバーの無事を確認する暇も無い。魔力放出で吹き飛ばそうにも、量が多過ぎる。二人がどこに居るかも分からない現状、エクスカリバーを使うわけにもいかない。

「……ぅく」

 体中を這い回る触手に鳥肌が立つ。
 あの夢のせいか、こんな異常な状態にも関わらず、体が性的快楽を欲している。
 男では感じえない、突き抜けるような快感。嫌悪感に満ちた思考とは裏腹にあの快感を得たいと体が疼く。

「……ぁが」

 呑まれそうになる。このまま、与えられる快楽に身を委ねそうになる。
 怒りも憎しみも嘆きすらも、快楽の前では無に等しい。
 抗うには強靭な精神力が必要だ。だけど、俺にそんなものは無い。

「……そうか」

 今になって気が付いた。俺には何も無かったんだ。
 殺す覚悟も殺される覚悟も持っていなかった。いつだって、汚れ仕事は他人に押し付けてきた。
 マリアを殺した時も彼女の死に様が見えない遠距離から宝具を放っただけだ。
 策略だとか、かっこいい事を言って、結局俺は何の覚悟も抱いていなかったんだ。
 だから、こんなにも簡単に快楽などに屈してしまう。罪悪感すら、思考の彼方へ流して……。

「……なんて、醜い」

 マリアを殺した癖に、子供達を犠牲にした癖に、アイリスフィールを見殺しにする癖に、こんな惨状を作り上げた癖に、覚悟の一つも持ち得ない。
 クズだ。最低最悪なクズだ。こんな醜い人間を他に見た事が無い。
 笑いが込み上げて来る。
 覚悟も無く、人の人生を歪める存在。人はそれを悪魔と呼ぶ。
 キャスターなど、まだマシな方だ。俺に比べたら、自らの意思で殺戮を行う彼の方がずっとマシだ。

「……アハ」

 怖いと思ってた。アーチャーもキャスターも他のサーヴァント達やそのマスター達の事も皆、怖いと思ってた。
 けど、本当に怖いのは彼等じゃない。彼等は皆、英雄。物語の主幹を担うヒーロー達。
 怖いのは俺。醜悪この上無い、欲求ばかりを振り撒く、悪魔。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 魔力放出の仕方を変える。ただ、周囲に撒き散らすんじゃない。自らの動きを加速させる為に使う。
 やってみると、簡単だった。まるで、慣れ親しんだ動きのように、自然に出来た。
 一振りで山を築く妖魔の群を吹き飛ばし、地面を蹴る。高々と跳躍し、周囲を見渡すと、ライダー達を発見した。
 神牛が纏う雷に恐れをなしたのか、彼等の周囲に魔物は近づけずにいる。

「ライダー!!」

 魔力放出を使い、空中で方向転換した。戦車の前に降り立つと、剣を振るう。

「俺が先導する。脱出するぞ」
「あ、ああ。無事で何よりだ。頼むぞ、セイバー」

 頷き、妖魔の群を見る。動きが遅い。こんな奴等、恐れる必要は無い。

「風王鉄槌《ストライクエア》!!」

 エクスカリバーに纏わせていた風の守りを解き放つ。
 風の刃は妖魔を次々に切り刻み、道を開く。

「往くぞ!!」

 体は思い通りに動いてくれた。どう振るえば、敵を切り裂けるのかが自然と分かる。
 まるで、何度も何度も反復練習したかのように、自然に動ける。

「よし、飛ぶぞ、セイバー!!」

 ライダーの号令と共に跳躍する。御車台に乗ると同時にライダーは建造物の中から外に出て、そのまま天を目指して戦車を加速させた。

「あ、あそこはあのまま放置でいいのか!?」

 ウェイバーが俺に抱きつきながら問う。
 急な加速に腰が引けている。

「あれは一々倒していてもキリが無い。それよりも、本体であるキャスターを叩いた方が早い」
「そういう事だ。さあ、往くぞ!! キャスターめに引導を渡すのだ!!」

 戦車が急降下し始める。ウェイバーが俺にしがみつく。
 あまり、悪い気分じゃなかった……。

 戦車が地上に近づくと、そこには異常な光景が広がっていた。川の上にたくさんの子供達が浮んでいるのだ。
 川の沿岸では子供達の家族と見られる人々が悲痛な叫びを上げている。見れば、警察の姿まである。 
 神秘の漏洩など欠片も気にしていないらしい。

「キャスターはどこだ?」

 川の周囲を見渡すが、奴の姿が見えない。

「一体……」

 ライダーが戦車を地上に降ろすと、周囲はパニックを起こした。
 けれど、彼等を気に掛けている暇は無い。

「キャスター!! どこにいる!?」

 息を大きく吸い込み叫ぶ。すると、虚空からねっとりとした気味の悪い声が響いた。

『おお、お待ちしておりました、聖処女よ!! 皆の者、見るが良い!! 彼女こそが救世の巫女にして、勇猛なる英雄!! ジャンヌ・ダルクである!!』

 キャスターの叫びに周囲の人々の視線が集中する。
 狂人の戯言が状況の異常さによって、一種の催眠術のように人々の思考を淀ませる。
 だが、そんな事はどうでもいい。キャスターが俺をジャンヌ・ダルクだと信じ込んでいるなら、利用するまでだ。

「ジル!! 姿を見せなさい!!」

 俺が名を呼ぶと、奴はアッサリと姿を見せた。目を見開き、狂気に満ちた笑顔を浮かべている。

「おお、ジャンヌ。怒りに燃える貴女の瞳は実に美しい。ああ、戦場での貴女の活躍が鮮明に浮びます。多勢に無勢の窮地においても、決して臆せず、屈せず、ひたむきに勝利を信じて戦う貴女を私はいつも見ていた……。貴女は変わらない。その気高き闘志、尊き魂の在り方は如何なる非道をもってしても曇らない宝石のよう。ああ、愛おしき方」

 恍惚の表情を浮かべ、朗々と語るキャスター。彼に対して、俺が言うべき事は一つ。

「そんなに私が愛おしいですか? ジル……」
「ええ、勿論でございます。貴女の為に用意したのです。この愛の祭壇を!!」

 キャスターは大仰な仕草で空に浮かぶ少年少女を指し示した。

「……ならば、その愛をもって、私の願いを叶えなさい」
「貴女の願い……?」
「お、おい、セイバー?」

 ウェイバーが戸惑いに満ちた声を発する。
 ここまでだ。彼等との友好はこれで終わる。
 惜しむ気持ちがある。けど、それは単に利用し難くなる事が惜しいだけだ……。

「ジル。私はある男に命を狙われています」

 一歩、キャスターに歩み寄り、彼の手を取った。

「助けて下さい、ジル。貴方が頼りだ……」

 傷ついた女を演じる事は容易い。なんせ、あのライダーですら、俺に聖杯を捧げるなどと口にした程だ。
 この演技にだけは自信がある。

「誰ですか……? 我が愛しのジャンヌ。貴女を狙う不届き者の名を仰って下さい」
「アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュ。ジル……、貴方の私に対する愛が本物であると言うのなら、『ソレ』を使って、アーチャーを殺して下さい」
「セイバー……、お前」

 後ずさるウェイバー。俺は彼に言った。

「言った筈だよ? 勝つ為には手段を選ばないって」

 キャスターの頬を手で包む。躊躇いは無かった。
 彼の唇を啄み、言った。

「私の願いを聞いてくれますね? ジル……」
「……はい。貴女の……、仰せのままに!! アーチャー如き、この私の敵ではありません。必ずや、奴の首級を貴女に捧げて――――」
「そこまでにしておけ、雑種共」

 天上から降り注ぐ声に視線を向ける。
 アーチャーのサーヴァントは黄金の船の舳先に立ち、俺達を見下ろしている。
 周囲の人々のパニックは最高潮となった。

「黙れ」

 その一言で、群集のパニックは鎮まった。誰もがアーチャーの発する気に中てられ、恐怖している。
 呪いの如き圧倒的カリスマ性。誰も彼もが彼に平伏そうとしている。

「……ジル。よもや、恐れてなどいませんね?」
「勿論で御座います、ジャンヌ。嘗て、共に戦場を駆け抜けた友の力を御疑いになるのですか?」
「まさか……。頼りにしていますよ、今も……、昔も」
「退がっていて下さい、ジャンヌ。奴はこのジル・ド・レェめが倒します」
「お願いします……、ジル」

 ああ、本当に馬鹿な生き物だ。別人である事にも気付かずに、愛を証明する為に叶う筈の無い相手に挑む。
 こんな滑稽な生き物もそうは居ない。

「切嗣。作戦は成功しました。自分でも驚くくらい、呆気無く……」
『それは重畳。こっちも準備完了だ。合流地点はB8に変更する。直ぐに来れるかい?』
「ええ、大丈夫です」

 無線を仕舞い、キャスターを見る。人の皮で作った魔術書を手に、彼は言う。

「我が愛を示す為、貴様は死ね」
「……醜悪の極みだな」

 川の水面が光る。真紅の極光が宙に浮ぶ子供達を呑み込む。アーチャーは嘲笑と共にキャスターを串刺しにするが、ソレは単なる影に過ぎなかった。
 俺は踵を返し、走り出す。ウェイバーはあたふたとしているが、ライダーは静かに視線を向けるだけ……。
 この世界で初めて、俺を助けようとしてくれた人。彼はもう、二度と俺の手を取ってはくれないだろう……。

「勝つんだ……、俺は」

 大回りして、川を走って渡り、合流地点に到着すると、そこには一台の車が止まっていた。

「遠坂邸へ向かえ」
「了解」

 指示を出すと同時に運転手のホムンクルスが車を静かに加速させ、住宅街を駆け抜ける。起きている人間は皆、川の方へ向かっていて、俺達はノンストップで辿り着く事が出来た。

「来たな……」

 あと一歩の所でアサシンの集団が現れた。数は三十。最低限の監視網を残し、俺を迎撃する為に呼び集めたらしい。
 無駄な事だ。

「お前は離脱しろ」

 天井を切り、車外へ飛び出す。
 アサシンによる出迎えは想定の範囲内だ。こうして、真正面から襲い掛かれば、アーチャーがキャスターに足止めを喰らってる今、奴等が迎撃に出るしかない。

「ッハ――――」

 一人目を殺す。
 初めて、人を斬り殺した。
 二人目を殺す。
 肉を斬る感触は妙な懐かしさを覚える。
 三人目を殺す。四人目を殺す。五人目を殺す。
 アサシンは弱かった。人間を遥かに越えた存在な筈なのに、剣なんて一度も握った事が無い俺にアッサリと殺された。

「ッハハ……、アハハハハハハハハハハ!!」

 笑いが込み上げて来る。殺す事が怖い事などと、どうして思ったんだろう。
 だって、人を斬るのはこんなにも楽しい……。

「逃げるなよ」

 撤退しようとするアサシンの一体の首を掴み、魔力放出を利用してへし折る。
 楽しい。

「逃がさない。お前達をただの一人も逃がさない」

 逃げ惑うアサシンを一人一人狩って行く。
 時間が無いから迅速に首を切り落とす。女も男も小さな子供も関係無い。
 奴等はアサシン。サーヴァント。殺しても良い存在。

「ハハハハハハハハハハハハ!! 死ね、死ね、死ね!!」

 血の美しさに感動する。
 肉を斬る感触に打ち震える。
 命を奪う事に歓喜する。

「……もう、終わりか」

 もしかしたら、何体か逃がしてしまったかもしれない。
 でも、構わない。

「守り手が居ないなら、君達の事を殺しちゃうぞ?」

 遠坂邸の玄関を吹き飛ばす。中に入ると同時にアサシンに囲まれた。今度は逃げる素振りを見せない。

「よしよし、良い子達だ」

 今度はしっかり、令呪を使ってくれたらしい。これで、邪魔物は居なくなる。
 アーチャーを殺す。その為に必要な第一歩だ。

「楽しいなー。楽しいなー。楽しいなー」

 襲い掛かって来るアサシンを殺す。次々殺す。その度に血飛沫が舞う。
 キャスターの気持ちが分かったかもしれない。
 人を殺すのって、凄く楽しい事なんだ。だから、その行為をより楽しくする為に彼等は探求していたんだ。

「俺もやってみたいなー」

 一体のアサシンの頭を掴む。心臓を避けて胸を貫き、一気に股まで裂く。

「人間コンパスー、なんちゃってー。アハハハハハハ!!」

 さて、次は何を作ろうかな?
 襲い掛かってきたアサシンに聞いてみる事にした。

「ねえ、君は何になりたい?」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。