第十四話「君こそ、まさに正義の味方と呼ぶに相応しい男かもしれない」

「いいのかよ、これで!?」

 ライダーが立ち去った後、ウェイバーは誰にともなく怒鳴った。

「いいも何も無い。ライダーの判断は適切だ……」
「本気で言ってるのかよ!?」

 俯く切嗣にウェイバーが詰め寄る。
 納得がいかない。彼の瞳はそう訴えている。
 けれど、切嗣はそんな彼の瞳を冷たく見下ろすばかりだった。

「今のセイバーは正気を失っている。もし、彼女が聖杯を使えば、恐ろしい事が起こる。多くの人が死ぬんだ」
「でも……、だけどさ……」

 感情を持て余すウェイバーに切嗣は溜息を零した。若さ故の感情を優先した言動。普段であれば一蹴していたであろう、彼に切嗣は何となしに口を開いた。
 それはついさっき視た、彼女の夢の内容。語った理由は少年に理解を促す為。どうにもならない現実を教える為。
 アーサー王伝説に始まる、英霊・アルトリアという少女の生きた軌跡。

「……ソレがセイバーの過去なのか?」

 彼女の過去を聞き終えた彼の胸に去来する感情が如何なるものか、切嗣には容易に想像出来た。
 憐れな境遇に対する同情。理不尽な運命に対する怒り。そして、恋した少女が既に男を知っているという現実に対するやるせなさ。
 これで話は終わりだ。自分がこの国に来た意味は一つも無かった。ただ、悪戯にこの街の住人の運命を翻弄し、愛する妻を死なせてしまった。
 後はやるべき事をやるだけだ。セイバーが死に、聖杯が破壊された後、娘の救出に向かう。それが如何に無謀な事かは理解している。けれど、衛宮切嗣に残された選択肢は一つしか無かった。
 結局、正義の味方になれなかった愚者は娘を助ける事すら出来ずに野垂れ死ぬだろう。

「ああ、それが僕の知る彼女の全てだ……。僕は間違えたんだ。彼女に戦いを任せるべきじゃなかった。アイリスフィールと離すべきじゃなかった」

 国の為に自らを犠牲にしようとした少女。戦いの果てに手に入れた小さな幸福さえ踏み躙られ、最期には自らの存在の抹消を願った少女。
 そんな少女を使い潰し、結果、壊してしまったのは他ならぬ自分だ。
 何て様だ、衛宮切嗣……。これが、正義の味方を志した人間の結末だというのか……。

「……なあ、その話って、ちょっとおかしくないか?」

 顔に暗い影を落とす切嗣に対して、ウェイバーは言った。

「おかしい……?」

 顔を上げる切嗣にウェイバーは頷いた。

「だって、セイバーが自らの抹消を願ったのなら、今、ここに居るセイバーは何者なんだ? それに、どうして、彼女の記憶をアンタは見る事が出来たんだ?」

 それはあまりにも単純な見落とし。冷静さを欠かなければ、切嗣自身が気付いた筈の事実。
 もし、セイバーが自らの存在を抹消したのなら、ここに彼女は居ない筈なのだ。なのに、彼女はここに存在する。その矛盾にウェイバーが切り込む。

「そもそも、セイバーの祈りは過去の改竄だ。そんなもの、五つの魔法に匹敵する奇跡に違いない。いや……、アーサー王ほどの有名な英雄の存在を抹消したりしたら、魔法どころの騒ぎじゃない。そんな事が出来るとしたら、それはもう……、神の領域だ」

 ウェイバーは顎に手を置きながら呟く。

「いくら何でも、そんな奇跡を起こせる程、この地の聖杯が凄い物だなんて思えない。だって、この地にある聖杯は所詮、人間が作り出した紛い物だ」
「……ああ、確かにそうだ。元々、冬木の聖杯は根源へ至る為の架け橋だ。アインツベルンと遠坂、マキリがそれぞれの抱く悲願を達成する為に作り上げたシステムだ」

 彼等が目指したのは根源への到達。その先にある五つの魔法の取得だ。
 
「聖杯は元々、万能の願望機じゃない。それは聖杯にくべる生贄《サーヴァント》を召喚する為の協力者を呼び込む為の触れ込みだ。そんな物にアーサー王の抹消などという規格外の奇跡を叶える力など無い」
「それに、アンタの話が確かなら、聖杯はこの世全ての悪《アンリ・マユ》によって汚染されている筈だよ。そんな異常をきたしてる物がまともに機能するとは思えない」
「なら、聖杯は彼女に何をした?」

 彼女の願いを聖杯は何らかの形で叶えようとした筈だ。だが、実際に何をしたのかが分からない。

「……駄目だ。ヒントが足りない。なあ、もっと情報は無いのかよ!?」

 切嗣に詰め寄るウェイバー。彼は静かに語った。彼女を召喚したその日から、今日に至るまでの彼女の残した軌跡を語った。
 無意味などとはもう思わなかった。目の前の少年は諦めていない。だからこそ、諦めてしまっていた切嗣に見えなかった真実を彼は捉えようとしている。
 彼ならば……、そう期待してしまう何かが少年にはあった。もしかすると、衛宮士郎という自身の未来の義子を彼に重ねているのかもしれない。
 
「……何かある筈だ。セイバーを救う為の鍵が何か……」

 ウェイバーは大きな紙に切嗣が語った情報を書き出し、思考をフル回転させた。
 多過ぎる情報量。けれど、その中に必ずヒントはある筈だ。そう、彼は信じた。信じたかっただけかもしれないが、彼は諦めなかった。
 彼の背中を押すものは多かった。
 一つ目は救うべき少女の姿。初めて会ったのはキャスターの工房前だった。結局、彼女の考えは真っ黒だったけど、それでも……、キャスターに弄ばれた子供達に対して見せた彼女の涙は本物だった。
 そして、その時既にウェイバーの胸には彼女の姿が焼きついて離れなくなった。それを恋と呼べるかどうかはウェイバー自身にも分からない。けれど、彼女を救いたいと思う心は確かにあった。
 二つ目は己の相棒の姿。奔放な性格でウェイバーを終始振り回し続けた大男。けれど、彼はウェイバーの力を認めてくれた。誰にも認めて貰えなかったウェイバーの力を歴史に名を残す程の大英雄である彼が認めてくれた。
 それが如何に嬉しかったか、きっと彼には分からない。なのに、その彼が諦めを口にし、自らの決め事を破ろうとしている。それがどうしても納得いかなかった。

「諦めないぞ……。僕は絶対……、諦めないぞ!!」

 そして、彼は見つけ出した。決定的な情報《ヒント》を見つけ出した。

「これだ!!」

 ウェイバーは白紙の紙に時系列順に彼女の行動を書き込んだ。そして、脱落したサーヴァントのクラスを書き込んでいく。

「これは……」

 ウェイバーが示そうとしている真実に切嗣も漸く辿り着こうとしている。

「召喚当時のセイバーはまるで子供みたいだった。そう、アンタは言ったよな?」

 ウェイバーの問いに切嗣が頷く。

「ホムンクルスからの報告でも、彼女は最初の倉庫街での戦闘までは犠牲を出す事に躊躇いを見せていた。マリアを囮にする作戦を立案しても、立候補者が出ない事を願っていた節があると……」
「ああ、そう聞いている。彼女は『見つからなかったらそれでも構わない別の策を練る』と言っていたそうだ。本当なら実行したくなんて無かったんだろう」
「マリアを殺す事に対して、セイバーは最後まで苦悩していたらしい。けど、倉庫街でランサーとバーサーカーが倒れた後、彼女は子供達を贄とする作戦を考案し、実行した」
「ああ、状況から見て、彼女がキャスターの蛮行を知っていた可能性が高い。その上で奴等を泳がせたと考えられる」

 互いに表情を歪めながら、話を進める。

「ホムンクルスを殺す事に対してですら躊躇っていたセイバーがここに来て、冷酷さを一気に増したように思う。それに、思えば最初にキャスターの根城へ足を踏み入れた時も正気を失い掛けていた。あれは惨たらしい惨状を見たせいだと思っていたけど……」

 いや、それは早計だろう。

「キャスターの拠点で見た惨状や公開処刑を見た事が彼女の心に少なからず影響を与えた事は確かだと思う」
「……だよな。でも、決定的なのはキャスターが脱落する前後だ」

 キャスターはアーチャーと戦闘状態になって、ものの数分で肉塊に変えられた。
 むしろ、あの戦力差でそこまで耐えられた事に驚きだ。

「確かに、キャスターが倒される前もセイバーの様子はおかしかった。けど、キャスターを嗾けた後、彼女はライダーを後ろめたそうに見つめていた。あの時まではまだ正気を保っていたんだ」

 ウェイバーはキャスター消滅の前後を記述した部分を指差す。

「キャスターが消滅した直後にセイバーはアサシンと戦闘になった。その時、明らかにおかしくなっていた。ホムンクルスの報告によれば、彼女はアサシンを殺す事に悦びを得ていたという。この前後の違いはあまりにも異常だ。そして、アサシンが倒れた後……、セイバーは今の状態に陥った」

 サーヴァントが倒れる度にセイバーから正気が失われていく。その事実に切嗣は戦慄した。

「つまり……、セイバーは……」
「聖杯が力を増すごとに正気を失っていく。……いや、違うな。正確には本来の在り方に戻っていくんだと思う」
「……この世全ての悪」

 切嗣が口にした言葉にウェイバーが頷く。
 それが彼の下した結論だ。

「自らの抹消を願ったセイバー。この世の全ての悪によって汚染された聖杯はそんな彼女の祈りを叶える為に彼女を穢したんだ。要は、彼女を彼女で無くしてしまえばいいと考えたんだと思う。その結果、彼女はアンタが召喚した直後の性格に変わった。加えて、汚染によって聖杯とも繋がりが出来たセイバーは聖杯戦争が続くに連れて汚染の度合いを増していく」

 それがあのセイバーの豹変振りの正体。

「……だが、それが分かったところでどうなる?」

 問題はここからだ。原因が分かっても、彼女を救う手立てが見つからない事に変わりは無い。

「あるじゃないか、方法が!!」

 そんなウェイバーの言葉に切嗣は瞠目した。
 まさか、見つけ出したと言うのか? この少年はセイバーを救う方法を……。

「全て遠き理想郷《アヴァロン》だ。五つの魔法すら寄せ付けない究極の守りであり、あらゆる傷や呪いを癒す宝具。アレをセイバーに使わせるんだ」
「ま、待て、そんな単純な話では無いだろ。そんな事でどうにかなるのなら……」
「ああ、普通ならとっくにどうにかなっていた筈だ。何せ、そんな究極宝具を所有しているならとっくに戦闘で使っている筈だからな」

 けど、とウェイバーはセイバーの行動を記した紙を指差す。

「彼女は使ってないんだ。これは明らかにおかしい……」
「……そういう事か」

 確かに、彼女は鞘を使う必要に迫られた事は無かった。けれど、それでも一切使わなかったというのはおかしい。

「あれほど、策謀に長けたセイバーが絶対防御なんていう反則染みた宝具を何故使わないんだ? どんな状況であれ、行動する度に発動させておけば、彼女は如何なる干渉も受けずに戦いを制していた筈だ」
「魔力を温存……というのはあり得ない。彼女にはマスターである僕とは別個に大容量の魔力タンクと繋がっているからな……」
「なのに、使わなかった。その挙句、アーチャーに一度は捕縛された。最初から使っていれば、そんな事にはならなかった筈だ」

 そこに答えはある筈だ。ウェイバーと切嗣の見解は一致していた。

「彼女が聖杯を求めた理由もきっと、『人類全てを玩具にしたい』なんてもんじゃない。彼女自身、気付かない内に聖杯の中のこの世の全ての悪に操られているんだ。だから、正気を失いながら、あんな風に“ある意味で正しい行動”が出来たんだ。聖杯を抜き取り、巧みに逃走する事が出来たんだ!!」

 決まりだった。彼女を救う手立てがある。なら、ここにこうして居る理由はもはや存在しない。
 衛宮切嗣はウェイバー・ベルベットに手を伸ばす。

「感謝する、ウェイバー・ベルベット。正直言って、君を侮っていた」
「……べ、別に僕は……、セイバーを助けたかっただけだ」

 手を取りながら、自分より明らかに格上である魔術師に褒められ、ウェイバーは頬を赤らめた。
 そんな彼に苦笑しながら、切嗣は言う。

「君のおかげで一人の少女を救いだせるかもしれない。それに、もしかすると、より多くの人命を救えるかもしれない」

 切嗣は言った。

「君こそ、まさに正義の味方と呼ぶに相応しい男かもしれない」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。