「ア、アーチャー……」
最悪だ。何も、こんな時に現れなくてもいいじゃないか……。
最強の敵が牙を剥いた。
「王の威光を怖れぬ愚者よ。その罪、自らの命をもって、償うが良い!}
アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュの宝具、『王の財宝《ゲート・オブ・バビロン》』が展開される。彼の背後に水面の如く広がる波紋。顔を出す宝具の数はざっと数えて百を越える。
エクスカリバーを構えるが、発動する暇など無い。防げる筈も無い。幾ら、セイバーさんの体を持っていても、その力を発揮出来ても、俺は剣なんて握った事が無い。無数に降り注ぐ宝具を捌き切るなど不可能だ。
終わりだ。勝つか負けるか以前の話だ。彼と戦闘状態になった時点で詰んでいる。逃げる事すら不可能だ。
「……ぁ、ああ」
体の震えが止まらない。絶対的な死を前にして、俺は目の前が真っ暗になった。
イリヤの顔が浮ぶ。
アイリスフィールの顔が浮ぶ。
切嗣さんの顔が浮ぶ。
知らない少年の顔が浮ぶ……。
「ァ――――」
声が響いた。雷を纏う神牛の疾走。ライダーが戦車を傾け、俺の服を掴む。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALAie!!」
何が起きたのか分からなかった。気が付くと、俺はライダーの宝具の御車台に乗せられていて、天上へと舞い上がっていた。
「ったく、何やってんだボク達は!!」
「ハッハッハ!! 坊主!! 余はお前さんの判断を支持するぞ!! こやつがあのような輩に摘まれるのはあまりにも惜しい!! それに、今のこやつは英霊ではなく、単なる小娘に過ぎぬ!! あれほどの強力無比な宝具を持つこやつがその真価を見せずして脱落するなど、我慢ならん!!」
困惑する俺を尻目にライダーとウェイバーはギャーギャーと叫び続ける。
分かる事は俺の窮地を彼等が救ったという事実のみ……。
「なんで……?」
「……聞くなよ。ボクだって、馬鹿な事したって思ってるんだ」
「ッハッハッハ!! 弱り切っとる女を見捨てて置けぬだけだ!!」
溜息混じりに言うウェイバーとは対照的にライダーは豪快に笑って言った。
「お前さんと別れて直ぐに坊主が魔力の流れを感じ取ったのだ。救援に向かうと決めたのも坊主だ。故、礼を言うなら坊主に言え」
信じられない気持ちでいっぱいだった。
なんて……、なんて……、馬鹿な男だろう。
「……ありがとうございます、ウェイバー」
ウェイバーの手を取り、頭を下げると、彼は顔を真っ赤にして「べ、別に!」と言った。
俺も男だったからこそ、彼の感情が手に取るように分かる。英霊という人外である以前にこの身は端正な顔立ちの少女だ。その弱り切った状態を見て、彼は情を持った。
惚れたかどうかは分からない。だが、これは使える。上手く、惚れさせる事が出来れば、彼を今後、都合の良い手駒として利用出来る。
「優しくて、勇敢だ……。本当に……、ありがとう」
涙を流すのは簡単だった。男が魅力的に感じる女の顔を作る。上手くいったかどうかは分からないけれど、ウェイバーは顔を真っ赤にしてあたふたしている。
ああ、本当に馬鹿な男だ。そして、使える男だ。彼を何とかして、アーチャーと敵対するよう差し向けたい。そうすれば、万全な状態のライダーなら倒せないまでも、ある程度は拮抗出来る筈。
「ボ、ボクは別に……って、あれは!!」
突然、ウェイバーが戦車の後方を見て叫んだ。
釣られて顔を向けると、死神が追って来ていた。黄金の船に乗り、アーチャーが追って来る。
「ライダー!」
「わかっておる!」
ライダーが戦車を加速させる。それに呼応するように、アーチャーはゲート・オブ・バビロンを展開した。撃ち出される宝具の数は百を越え、戦車はそれらを紙一重で交わし切る。
だが、即座に第二波が撃ち出される。加えて、第一波で撃ち出された宝具の内、殆どが空中で方向転換し、再び襲い掛かって来る。
「遙かなる蹂躙制覇《ヴィア・エクスプグナティオ》!!」
急激に速度を増した。纏う魔力の凌駕桁違いに跳ね上がっている。
ライダーの宝具、神威の車輪《ゴルディアスホイール》の真価が発揮された。神牛の疾走は襲い来る宝具を悉く弾き返す。音速を超え、疾走する戦車にアーチャーは一気に引き離されて――――、
「……え?」
頭上からあり得ない大きさの剣が降って来た。翠色の刃を持つ巨大な剣。こんなもの、幾ら何でも弾き返せる筈が無い。
ライダーが強引に進路を変更させる。けれど、宝具の発動中に無理な挙動を強要した為に神牛の動きが鈍った。そこに細長い鎖が伸びる。
それが何だか直ぐに分かった。アーチャーが誇る究極の対神宝具、『天の鎖《エルキドゥ》』。神性スキルのランクが高ければ高い程、強靭に対象を捕縛する拘束宝具だ。
ライダーも神性スキルを保有しているが、神獣である『飛蹄雷牛《ゴッドブル》』は彼以上の神性を持っている筈。
動きを阻害されたせいで、アーチャーとの距離が一気に縮まっていく。迷っている暇は無い。
御車台と神牛を繋ぐ部品の上に乗り上げ、鎖を破壊しようと刃を振り上げる。すると、寸前で鎖が消滅した。
代わりに不吉な声が響いた。
「また一つ、罪を重ねたな、女」
死が広がっている。視界いっぱいを覆う無数の宝具。如何にライダーの宝具が素早く緻密に動けようと、これでは逃げられない。
「こ、こうなったら令呪で――――」
「無駄だ。如何なる速度をもってしても、逃れられん……」
歯軋りするライダーにウェイバーは「そんな……」と絶望の表情を浮かべた。
決断の時だ。もう、正体を隠すだなんだと言ってはいられない。
「風よ……」
風王結界を解き放つ。
「セ、セイバー?」
「ウェイバー。ライダーの傍に……。ライダー、ウェイバーを頼みます」
「……ああ、わかっておる」
光り輝く聖剣が夜空を明るく照らす。
「その輝きは……」
ライダーが息を呑んだ。そして、言った。
「お前さんがその気なら、余も切り札を使おう」
「ライダー?」
「お前さんは宝具をいつでも発動出来るようにしておけ。余がサポートする!!」
何をするつもりなのか、直ぐに分かった。
「ああ、頼む!!」
ライダーは神牛に命令を下した。
ウェイバーが絶叫する。アーチャーすら、瞠目した。
ライダーは戦車を後退させたのだ。アーチャーへ、自分から近づくという無謀な行為に俺は何も言わず、聖剣を振り上げた。
「いさ、集え!!」
「約束された《エクス》――――」
「我が軍勢よ!!」
ライダーを中心に突風が吹き荒れる。そして、周囲の景色が一変した。
驚天動地の事態にされど、俺の心は揺らがない。何故なら、こうなる事を知っていたから――――、だから、何の迷いも無く、聖剣を振り下ろす事が出来た。
「――――勝利の剣《カリバー》!!」
ライダーの意思によって、俺の眼前に放り出されたアーチャーにエクスカリバーの光刃が直撃した。
「エクス!!」
「に、二撃目!?」
ウェイバーが絶句する。
今の俺は三発までならノーリスクで宝具を連発出来る。
「カリバー!!」
この好機を逃すわけにはいかない。何としても殺す。こいつだけは絶対にここで殺す。
「ッハアアアアアアアアアア!!」
三度目。魔力を聖剣へと注ぎ込む。
その刹那、全身に鳥肌が立った。この身に宿る直感スキルが告げる。ついに、獅子がその本性を顕にした。
視界に映るのは黄金の盾。高らかに雄叫びを上げる不気味な盾。そして、その向こうに身を隠すアーチャーが握っているのは――――、
「目覚めよ、乖離剣《エア》!! 身の程を弁えぬ愚者共に真理を刻むのだ!!」
高速回転する三つの円柱。
「ライダー!! 全力で逃げろ!!」
ウェイバーの叫びに神牛が走り出す。令呪のバックアップを受け、信じられない速度でアーチャーから離れて行く。
けれど、無意味だ。アレを前にして、逃げるなどという選択肢は端から存在していない。
「己が愚劣さを呪うが良い!! 天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!!」
世界そのものが捩れていく。天と地の境が曖昧となり、この世の始まりが再現される。
滅びの光に呑み込まれる寸前、俺達は現実の世界に戻された。ライダーが固有結界を解除したらしい。アーチャーは黄金の船とは離れた場所に排出され、乖離剣を握ったまま落下して行く。
「終わりだ!! エクスカリバー!!」
幸い、真下は海だった。エクスカリバーの光刃はアーチャーを呑み込み――――、
「ックソ!!」
直撃する寸前、膨大な魔力がアーチャーを包んだ。手応えも無い。
「令呪で離脱された……」
拳を握り締め、悔しさに打ち震えた。最大の好機を逃した。
「ギルガメッシュ……」
心の奥底から暗い感情が沸き立ってくる。
「セ、セイバー?」
アレが生きている事が許せない。
「おい、セイバー」
いや、これはこれで良い。アッサリ死なせるなんてつまらない。
――――苦しみを与えてやる。
「おい、セイバー!!」
「……はえ?」
肩を掴まれて、目を白黒させる俺にウェイバーが詰め寄った。
「お前、一体――――って、だああああ!!」
いきなり頭を掻き毟りだすウェイバーにちょっと引いた。
「ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃない!! ああ、ったく、言いたい事が多過ぎて、言葉が見つからないんだよ!!」
「えっと……」
助けを求めるようにライダーを見ると、彼も彼で考え事をしていた。
「ライダー?」
「……お前さん、アーサー王だったんだな」
「え? あ、うん」
頷くと、ライダーは悲しげな目をして言った。
「そうか……。お前さんがな……」
「ライダー?」
「いや、今は良い。それより、降りたい場所を教えろ」
「……えっと、深山町の郊外に頼む」
「うむ」
ライダーはそれ以降、無言のまま地上に向かって、戦車を走らせた。
戦車を降りる時、彼は言った。
「また会おう、騎士王よ。戦場になるか、それとも、違う形になるかは分からんがな」
意味深な言葉を言い残して彼は去って行った。
俺は彼等の姿が見えなくなると、よろよろと尻餅をついた。
疲れた。とても、疲れた……。
「……お迎えにあがりました、聖処女よ」
「死ね」
意識が朦朧としている。それでも、立ち上がり、振り下ろした聖剣にキャスターはたじろいだ。
「おお、何をなさるのですか? よもや、この顔をお忘れになったと? 私です! 貴女の忠実なる僕、ジル・ド・レェにて御座います。貴女の復活だけを祈願し、今一度、貴女と巡り合う軌跡だけを待ち望み、こうして時の果てにまで馳せ参じたのですぞ、ジャンヌ!!」
「……どうして、俺がここに居ると?」
「私共はあの場に居たので御座います」
「あの場……、あの工房にか!?」
言葉を失った。あの場にまさか、キャスターが残っていたとは予想外にも程がある。
「貴女の流した美しき涙が、これが夢ではなく現実なのだと教えてくれた!! ああ、ジャンヌ!! 貴女と再会出来た悦びは筆舌に難し!!」
不気味な笑みを浮かべるキャスター。
「再会を祝する為に余興を用意致しました」
「……ぁぁ」
そこに少女が居た。少年が居た。
「離せ……」
「存分にお楽しみ下さいませ、ジャンヌ」
「その子達を離せ!!」
「おおお、ジャンヌ。なんと雄雄しい。ああ、聖処女よ。貴女の前には神すらも霞む……」
「何を言って……」
硬骨な笑みを浮べるキャスターに今度はこっちがたじろぐ番だった。
「我が愛をお受け下さい」
ソレは突然現れた。まるで蛸か烏賊のような触手を持つ不気味な生き物が体に絡みついて来る。
「ヒィ……」
肌に絡み付き、鎧の隙間から内側に入り込んで来る。
「や、やめろ!!」
魔力を放出し、魔物を退ける。しかし、いつの間にか周囲は同様ないでたちの魔物に覆われていた。
「ック――――」
「さあさあ、始めるとしましょうか」
キャスターの言葉と共に子供達がびっくりした顔をして、周囲を見回し始めた。暗示が解けたのだ。
「こ、ここはどこ!?」
「マ、ママ!? パパ!?」
「うえーん、怖いよー」
泣き叫ぶ子供達。その中には遠坂凛の姿もあった。彼女は懸命に恐怖に耐え、現状を把握しようと努めている。
「さぁさぁ、それじゃあ、一人ずつ自己紹介をしようか」
キャスターの言葉に子供達は顔を恐怖で引き攣らせた。
「まずは君だ。君の名前は?」
「……す、すずき……、たいち」
「スズキ・タイチ!! 良い名前ですねぇ。では、タイチ。貴方は蟻を捕まえた事はありますか?」
「う、うん」
「では、その蟻をどうしました? 潰しましたか? 頭と胴体を切り離しましたか? それとも……」
「ぼ、僕、お家に帰りたい……」
涙を流し、恐怖に震える少年をキャスターは片手で易々と持ち上げた。
「やめろ……、やめろ、キャスター!!」
「ああ、ジャンヌ。やはり、貴女は怒りに燃えた眼こそが美しい」
「黙れ!! いいから、その子を離せ!!」
近づこうとするが、幾ら斬ろうとも次々に復活し、数を増していく魔物を相手に俺は完全に立ち往生していた。
そんな俺をキャスターは微笑みながら見つめた。そして、少年の頭に空いた手を伸ばした。
「や、やめろ!!」
少年の悲鳴が木霊する。目の前で少年の頭と胴体が分離した。頭からは細く長い背骨がくっ付いている。
「面白いでしょう? こうして、背骨を抜き取るにはコツが要るのです。ほら、坊や、お友達だよ?」
キャスターは少年の頭を別の少年に持たせた。遠坂凛もそれで限界を迎えた。子供達の絶叫が周囲に響く。
「キャスター!!」
「フフフ、分かります。私が憎いのでしょう? 神の愛に背いた私を断じて赦せない筈だ。嘗て、誰よりも神を讃えていた貴女ですものね」
そう言って、キャスターは手近な少女を手に取った。
「貴女の臓物の味、知りたくはありませんか?」
そう言って、少女の腹部を何の躊躇いも無く手で抉った。声すら上げられずに痛みに喘ぐ少女を見て、膝がガクガクと揺れた。
「やめて……」
剣を捨てた。
「お願いだから、やめてくれ……。お願いだから……」
地面に頭を擦り付ける。もう、自分が何をしているのかすら分からない。
「ああ、何と言う事を! 頭など下げる必要はありません、ジャンヌ!!」
「な、なら……」
顔を上げると、少女の腹部から取り出した腸をキャスターは少女自身の口に宛がっていた。
「貴女はただ、見ていればいいのです」
ニッコリと微笑むキャスター。触手が絡み付いてきても、俺にはもはや抵抗する気力が無かった。
服の中に触手が入り込んで来る。胸を弄られ、触手の先が股間に触れる。電流が走ったかのような快感に俺は身を委ねようと思った。
こんな地獄を見ているより、与えられた快楽に溺れた方が楽に違いない……。
「セイバー様!!」
意識が闇に沈む間際、武器を手に取ったホムンクルス達が現れた。
「な、何だ貴様等は!?」
思い余って、少女の首を握り折ったキャスターが激昂する。その隙をついて、闇から影が走ってきた。
「アサ……、シン?」
六人のアサシンが少年少女を捕縛し、そのまま戦場から離脱した。
「……ああ、これでもう」
ホムンクルス達のおかげで魔物の触手から解放された俺はそのままエクスカリバーに魔力を篭めた。
「貴様はここで死ね、キャスター」
策略など頭から飛んだ。今はただ、目の前の存在が気に喰わない。
俺の罪もまざまざと見せ付けたキャスターの存在が気に喰わない。
「エクスカリバー!!」
光が奔る。魔物達は悉く消滅した。けれど、キャスターは俺の目の前に立ち、健在である事を示した。
「……なんで」
「愛しております、ジャンヌ。今宵はここまでと致しましょう。次はより御満足頂ける余興を用意致します」
斬りかかろうとした瞬間、キャスターの姿は霞の如く消えた。
「初めから……、影だけだったのか」
あまりの忌々しさに舌を打ち、そのまま倒れこんだ。もはや、鎧を編む魔力も残っていない。
「……城へ頼む。俺は……少し、休む」
そのまま、俺は意識を手放した。その刹那、あの声が再び響いた。
「愛しております、永遠に」