第三話「俺達の勝利の為に死んでくれ」

 出発の日がやって来た。
 城の前で切嗣さんがイリヤを抱き上げている。
 本音を言えば、イリヤを無理矢理にでも連れて行きたい。結末がどう転んでも、イリヤは二度とアイリスフィールや切嗣さんと会えなくなるから……。
 でも、連れ出した所でどうにもならない。
 今ここで、宝具を発動して全てを消し飛ばせるなら話は別だけど、冬木市から遠く離れたこの地では宝具の発動は死を意味するし、発動も中途半端に終わるだろう。
 この状況でイリヤを連れ出した場合、確実にアインツベルンは追っ手を放つ。
 サーヴァントに比肩する身体能力を持つ戦闘型のホムンクルスに取り囲まれたら、俺はともかく、切嗣さん達が殺される。彼らが殺されれば、俺も魔力切れを起こして運命を共にする事になる。
 幾ら、セイバーさんの能力を使えても、彼らを守りながら逃げ切れるとは到底思えない。

「セイバー」

 イリヤが切嗣さんの肩ごしに声を掛けて来た。近寄ると、彼女は瞳を潤ませて言った。

「帰って来てね。キリツグとお母様と一緒に……」

 不可能だ。例え、幸運が重なり、奇跡が起きたとしても、帰って来れるのは切嗣さん一人。俺とアイリスフィールは彼女とは二度と会えない。

「勿論! また、一緒に遊びましょう!」

 嘘八百を並べ立てる。子供に嘘を吐くなんて最低だけど、謝罪の言葉は切嗣さんに任せる。彼だけは何としても生き残らせよう。そして、彼にイリヤを迎えに行ってもらおう。『Fate/staynight』の切嗣さんは聖杯の泥に汚染されたせいでイリヤさんを助け出せなかったみたいだけど、万全な状態なら可能性があるかもしれない。もしかしたら、その果てに追っ手に殺される事になるかもしれないけど、そこは切嗣さんの頑張り次第だ。
 俺は頬にイリヤからキスを貰い、「行って来ます」と言った。彼女は「いってらっしゃい」と言って泣いた。改めて思う、絶対に切嗣さんだけは生かさないといけないな、と。その為なら手段を問うつもりは無い。
 俺達は連れ立って、日本への飛行機に乗り込む為、空港へ向かった。その道中、切嗣さんが言った。

「セイバー。君と僕達は便をずらして日本に向かう。到着後はターミナルの出入り口に『僕』と『アイリ』に偽装したホムンクルスが待っている。彼らと共に冬木へ入ってくれ。僕達は変装してから冬木市から少し離れた場所を拠点とするつもりだ」

 実に合理的な判断だと思う。

「なら、俺は出来る限り目立つ行動をした方が?」
「いや、その必要は無い。むしろ、身を隠し、序盤は情報収集に専念してもらいたい。意思の疎通に関してはコレを利用する」

 渡されたのはインカム。

「最新型の無線だ。これでやり取りをする」
「了解です」

 受け取り、早速試用してみる。『どうだ?』と切嗣さんの声が聞こえて、「バッチリです」と答えておいた。

「必要なのは情報だ。何しろ、サーヴァントの力は未知数だからね。如何に最強の矛と無敵の盾を持っていても、確実とは言えない。積極的に動くのは必勝を核心した時だ」

 安堵した。まだ、他人に刃を向ける覚悟が決まっていない。下手に戦闘になり、刃を交える事になったら、何も出来ずに殺される可能性もある。

「だが、君が必要だと判断した時は迷わず行動してくれて構わない」
「と言いますと?」
「君の戦略眼に対して、僕は疑っていない。君が必要だと思ったなら、宝具の使用にも許可は要らない。神秘の隠匿に関しても、聖杯さえ手に入れば問題無いからね」
「了解です」

 とは言え、可能な限り、神秘の隠匿は徹底しておこうと思う。何故なら、聖杯は願いを叶えないし、切嗣さんは聖杯戦争後も生き残る。生き残らせてみせる。だから、彼の今後の人生に余計な足枷を作らないよう、努力するつもりだ。
 歩きながら、今後の展開を考える。小説通りに事が進むとすれば、それは開幕戦までだろう。けど、その開幕戦が肝心だ。そこにはアサシンとキャスターを除く、全陣営が揃っている。何より厄介なアーチャーをそこで殺せれば行幸。
 神秘の隠匿は徹底するつもりだが、アーチャーを殺せる可能性があるなら躊躇う理由は無い。何故なら、彼は唯一にして絶対の天敵だからだ。
 今の俺の手には『全て遠き理想郷《アヴァロン》』がある。五つの魔法すら寄せ付けない無敵の盾だが、欠点が一つある。それは相手から如何なる干渉もされない代わりに此方からも外部の敵に干渉する事が出来ないという事。それに、アーチャーは乖離剣という破格の力を誇る宝具を所有している。対界宝具という出鱈目な強さを持つ最強宝具。アレが最大の力を発揮した時、そこに世界の終わりと始まりが具現化する。世界を壊し、作り変える原初の剣。下手をすれば、遮断した筈の世界の壁すら壊し、侵略される怖れがある。油断は出来ない。
 最優先で倒すべきはアーチャーだ。次点で言峰綺礼。他は後回しにして構わないだろう。

「君には多大な負担を掛ける事になる。だから、これだけは約束する」

 切嗣さんは真っ直ぐに俺の目を見て言った。

「戦いが終わったら、僕は君が幸せに生きられるよう、全力を尽くす」
「……ありがとうございます」

 素直に嬉しかった。少し、自暴自棄になっていたから尚更、嬉しかった。
 絶対に生き延びられないと分かっているから、イリヤとの約束に縋って、自分を奮い立たせていたけど、切嗣さんの言葉に涙腺が緩んだ。

「でも、最優先はイリヤですからね?」

 泣きながら、念を押すように言うと、切嗣さんは目を僅かに見開き、頷いた。

「旅費は十二分に用意してある。寄り道は好きにして良い。冬木に着くまでの間、僅かだけど……その、現世を楽しむと良い。お勧めは……、えっと、観光情報誌を持って行くと良い。空港の売店で売っていると思う」
「は、はい。ありがとうございます」

 お勧め出来る程、日本について知らなかったらしい……。思わず苦笑すると、切嗣さんも相好を崩した。

「いい場所が見つかったら、後で教えてくれ。全てに決着がついたら、皆で行こう。イリヤも連れて……」
「……はい。とっておきの場所を見つけ出してみせます」
「ああ、期待している」

 切嗣さんはそう言うと同時に車が静止した。どうやら、空港に到着したらしい。

「ここから別行動だ。しばしの別れになる」
「……必ずや、勝利を貴方達に」
「……期待してる」

 切嗣さんはそう言うと、踵を返した。代わりにアイリスフィールが俺の手を取った。

「セイバー。……やだ、えっと、言いたい事がたくさんあった筈なのに、言葉が出て来ない」

 うろたえるアイリスフィールに苦笑した。

「アイリスフィール」

 俺は彼女の手を持ち上げて言った。

「戦いは俺に任せて、アイリスフィールは切嗣さんの傍で彼を支えて上げて下さい。ああ見えて、心は繊細な人のようですから」

 元々、彼がガラスのハートの持ち主である事は知っていた。けど、一緒に過ごした四日間でより確信を持った。彼は本当に優しい心の持ち主で、とても繊細な心の持ち主でもある。だからこそ、心を乱したりしないように、自分に厳しくあろうとする。
 そんな彼の心を唯一癒し、支えられるのはアイリスフィールを置いて他に居ない。

「……セイバー」
「なんです?」
「……どうか、生き残って」
「勿論ですよ! 絶対に勝って、貴女達に――――」
「そうじゃない!」

 アイリスフィールの叫び声に切嗣さんまで目を丸くして振り向いた。
 こんな風に声を荒げるアイリスフィールを見るのは初めてだ。

「貴女が死ぬのが嫌なのよ……。セイバー。貴女に秘密にしていた事がある。私は……私の中には聖杯があるの」
「ア、アイリスフィール?」
「いいから、聞いてちょうだい」

 俺の両肩を掴んで、震えながら彼女は言った。

「聖杯にサーヴァントの魂が注がれる度、私から人間としての機能が失われていく。きっと、最後には私自身の人格や記憶も消えてしまう」
「アイリスフィール……」

 泣きじゃくる彼女に何も言えなかった。知っていた事だけど、本人の口から語られると重みが段違いだ。
 戦いが終われば、彼女の人生も終わる。その意味がじわじわとリアリティーを帯びる。仕方の無い事だと諦める事が出来なくなっていく……。

「もう、私はイリヤと会えない! 切嗣とも、一緒に居られなくなる!」
「アイリスフィール……」

 俺の声まで震えている。頬を伝う涙の感触に自分が泣いている事を自覚する。

「だから、貴女が支えて!」

 アイリスフィールの悲痛な懇願に俺は息が出来なくなった。
 だって、不可能だって知ってる。でも、嘘を吐く気になれなかった。今の彼女に対して、どんなに優しいものだろうと、嘘を吐く気になれない。

「私が居なくなった後、貴女が支えて! イリヤを助けて、守ってあげて! お願い、セイバー!」

 頭を下げるアイリスフィールに俺は震えた。
 何も言えない。嘘を吐く事も、真実を告げる事も出来ない。真実を口にしても、信じてもらえないだろうし、信じてもらえたとしても、彼らに絶望を与える結果にしかならない。

「……俺が戦いが終わっても、生きていたなら……、必ず」

 そんなあり得ない仮定を口にするのが精一杯だった。

「ありがとう、セイバー。ありがとう……」

 なのに、彼女は何度も「ありがとう」と言う。

「……アイリスフィール。絶対、勝ちます」
「うん」

 泣きながら、天使のような微笑を浮かべるアイリスフィールに俺は顔を背けた。
 俺に出来る事は限られている。でも、絶対に切嗣さんだけは生き残らせる。それしか出来ないんだから、何があろうと、それだけは絶対に成し遂げてみせる。

 切嗣さん達と別れ、俺は途中売店に寄りながら飛行機に騎乗した。ドイツから日本への長い道のり。備え付けのゲームをしたり、機内食に舌鼓を打ったり、窓から景色を見たりしている間もアイリスフィールの懇願が頭から離れなかった。
 小説で彼女がセイバーさんにあんな風に懇願するシーンは無かった筈。なのに、どうして俺なんかにあんな風に……。
 また、泣きそうになった。不可能な事なのに、あんな風に懇願されても困る。

「切嗣さんだけは守るから……、だから……」

 添乗員さんに借りた毛布を頭から被りながら、俺は声を殺して泣き続けた。

 日本に到着すると、入り口に彼らは待っていた。切嗣さんとアイリスフィールにそっくりなホムンクルス。

「待たせたね」
「いえ、時間通りです。切嗣氏から冬木までの道程中、好きな場所で立ち止まるよう指示を受けています。赴きたい場所はありますか?」
「無いよ」

 俺は即答した。アイリスフィールの懇願が未だに脳裏に焼きついている。今はどんな楽しい娯楽も楽しめそうに無い。どうせ、切嗣さんとの約束は果たせない。なら、戦いだけに集中しよう。
 直ぐ近くに停車している自動車を見て、少しびっくりした。シルバーのポルシェ959だ。水冷・空冷併用式水平対抗型6気筒のDOHC4バルブ2848ccツインターボ付き電子制御燃料噴射エンジンを搭載し、3.7秒で時速百キロまで加速するモンスターマシン。開発したドイツのポルシェ社は最先端の技術と新素材を惜しみなく、このマシンに使用した。元々、実験的に開発された背景もあり、生産台数は僅か300台に満たなかったと言う。
 思わず見惚れていると、切嗣似のホムンクルスが扉を開けた。車好きの俺としてはもう少し外見を拝見していたかったけど、我慢するとしよう。それにしても、このマシンの最高速度は317km/hだった筈。今の俺ならセイバーさんの騎乗スキルを発揮して、その性能の全てを発揮させる事が出来る筈。
 とは言え、緊急時でも無い限り、このマシンの性能をフルに発揮したら豚箱に一直線だ。ここは自重しよう……。
 深く深呼吸をして、冷静さを取り戻してから運転席の切嗣――便宜上、こう呼ぶ事にした――に声を掛けた。

「直ぐに冬木に入いる。既に先行しているホムンクルス達にもスタンバイするよう伝えてくれるかな? 多分、戦いは直ぐにでも始まると思うから」
「かしこまりました。総指揮は切嗣氏が取るとの事ですが……」
「有事の際は俺からも指示を出す手筈になっている、だよな?」
「その通りです。その為の無線機が此方に」

 アイリスフィール似のホムンクルス、アイリがメタリックケースを差し出した。中から無線機を取り出すと、周波数表も同梱されていた。

「二時間程度で冬木に到着します。御用がありましたら、何なりと」
「うん。ありがとう……」

 彼らは本物と違って感情が全く感じられない。人の形をした置物と一緒に居るみたいで息が詰まりそうだ。窓から車外を覗き、時間を潰していると、風景は繁華街から田園風景に変わり、山林地帯へ入り、再び住宅街に戻った。
 渋滞に巻き込まれる事も無く、ジャスト二時間で到着した。

「如何致しますか?」
「まず、拠点B6に向かう。そこで夜を待ち、他の陣営の動きを見る」
「かしこまりました」

 拠点Bは海浜公園に一番近い拠点だった。古いアパートの一室に『クリアウォーター』名義の部屋がある。中に入ると、駐屯していたホムンクルス達が出迎えてくれた。
 正直言って、赤の他人に取り囲まれるのは落ち着かないけれど、この状況を提案したのは俺自身だから文句も言えない。

「新着情報なんかはある?」
「十時間程前、アサシンのサーヴァントが遠坂邸を襲撃しましたが、アーチャーと目されるサーヴァントに撃退され消滅しました」
「……アサシンのマスターは?」
「言峰綺礼は脱落し、教会に保護を求めた模様です」

 ここまでは知識通りだ。とすると、夜になればランサーが動き出す筈。

「言峰綺礼と遠坂時臣は水面下で協定を結んでいた筈だ。加えて、アサシンで三騎士クラスを相手に真正面から挑む暴挙。十中八九、芝居だろう。何らかのトリックを使った可能性がある。アサシンは存命しているものとして扱ってくれ。それと、アーチャーに関する情報を可能な限り集めてくれ。戦闘があったなら、それなりに情報はある筈だよね? それと、戦闘用のホムンクルスの中で特に接近戦に特化した者を一人選別してくれ」

 矢継ぎ早に指示を出すと、ホムンクルス達はすぐさま行動に移った。彼らは生まれた瞬間に人生の使い方を決定される。それ故に、与えられた役目を忠実かつ迅速にこなす。戦力として、これ以上無く心強い。
 戦略ゲームやTRPGで鍛えた程度だけど、手駒が有能な以上、失敗の言い訳は立たない。何としても、作戦を成功させないと……。

「遠坂時臣は言峰綺礼と師弟関係にある。それはつまり、監督役とも繋がりがある可能性があるという事だ。その時臣が芝居を打ったという事は状況が整った事を意味する」
「つまり、サーヴァントは既に出揃っていると?」

 切嗣が問う。

「その可能性が高い。つまり、今夜中にも動きがある筈だ。全ホムンクルスは警戒態勢を取ってくれ。ただし、決して自己判断で動かないようにして欲しい。それと、宝具を使う事になる可能性も考慮する必要がある。宝具の発動前に無線を入れるから射程圏内に居た場合は即座に退去してくれ」

 部屋に居る全員と無線から同時に「了解」の返事が返って来る。

「戦闘型のホムンクルスの選別が終わったら教えてくれ。後、その者には高確率で……、死んでもらう事になる。だから……、その……。覚悟があるかどうかも査定基準に入れてくれ。もし、見つからなかったらそれでも構わない別の策を練る」

 取り繕っていた仮面が外れ掛けた。彼らから顔を背けて唇を噛み締め、必死に迷いを振り払おうとしていると、後ろから声を掛けられた。

「終わりました」
「もう!?」

 思わず素が出てしまった。

「私がやります」

 そう言ったのは金髪の……、今の俺と良く似たホムンクルスだった。

「いざという時の為に切嗣氏は各拠点に一体ずつ、セイバー様の影武者用ホムンクルスを用意されました。剣の扱いに関してはそれなりであると自負しております」

 凛とした表情で告げる彼女に俺の方がうろたえた。まさか、こんなに早く決まるとは思っていなかった。そもそも、立案しておきながら、誰も立候補したりしない事を望んでいた。
 でも、彼女の瞳に迷いは見えない。

「……君には敵サーヴァントとの交戦を頼む。場合によっては……、君に敵サーヴァントを捕獲してもらい……、君諸共、敵サーヴァントを宝具で葬るつもりだ」
「かしこまりました」

 俺自身の手で殺す事になる。そう告げても、彼女は怯える素振りすら見せずに頷いた。
 それがホムンクルスという存在なのだ。生まれてから自分の役割を自覚する人間とは真逆の存在。初めに役割があって、次ぎに生まれるという工程を経る異常な存在。
 彼らは役割を果たす以外の目的意識も感情も持ち合わせない。
 いや、そんな筈は無い。だって、小説やゲームの中には感情を持つホムンクルス達が数多く存在したし、何より、アインツベルンの城の玄関で掃除をしていたホムンクルスは俺にアイリスフィールを頼むと言った。
 このホムンクルス達には確かな感情がある。だけど、それを無視する事が出来るというだけだ。

「……ごめん。頼む……」
「……謝る必要はありません。気に病む必要もありません。我等は貴女方の勝利の為、全身全霊を尽くす所存です故」

 少女は言った。その瞳に揺らぎは無い。だから、今度は謝らなかった。

「ありがとう」

 そして、少女は微笑んだ。とても、可愛く微笑んだ。そして、俺はその夜、彼女を死地へと送った。二度と帰って来れない戦場へ送り出した。
 遠く離れた安全地帯から望遠鏡を使って様子を見ながら、俺はいつでも宝具を発動出来るように準備した。彼女ごと、アーチャーを含めたサーヴァント達を始末する為にだ。

「……ありがとう。君を殺したら、俺も今度こそ覚悟が決まるよ」

 俺は彼女に名前を付けた。はにかむ笑顔を浮かべた彼女の名を俺は胸に刻んだ。

「マリア。俺達の勝利の為に死んでくれ」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。