第七話「なんで、俺はここに居るんだろう」

 赤い瞳が俺を見下ろしている。両手を頭の上で抑え付けられているせいで抵抗出来ない。
 シーツの感触が肌に直に伝わって来る。今の俺は裸らしい。目の前の相手も……。

『抵抗するのは構わんぞ。だが、あの小僧が――――』

 俺の口が勝手に動いた。

『やめて……、お願いします。どうか、■■■にこれ以上……』
『ならば、分かっているな?』
『……はい』

 涙が流れる。男は俺の頬に唇を落とすと、そのまま涙を舐め取った。

『■■■■、お前が望むならば何時でもお前達は自由の身となれる。にも関わらず、未だに決断出来ずにいるのか?』

 俺達の情事を見ている男が言った。

『無粋な事を言うな、■■。貴様も、今は■だけを見ていろ』

 男は俺の胸に手を触れた。脳髄が痺れるような快楽が身を包む。信じられない気持ち良さだ。
 男と肌を重ねるなんて正気の沙汰じゃない……筈なのに、男から与えられる快楽に溺れそうになる。
 男と繋がり、彼が果てた途端、俺の意識は真っ白に染まった。

 そして、目が覚めた。

「待て!」

 ふかふかなベッドの上で、俺は右手を前に突き出して叫んだ。

「待て待て待て!!」

 頭を抱えた。今のは駄目だろう。もしかして、欲求不満なのか? いや、それにしたって、駄目だろう。
 何で、男に犯されて悦んでるんだよ……。

「お、俺は女の子が好きだった筈だ。いや、今だってそうだよ。なのに、何……、今の夢」

 凄く生々しかった。そんな体験無い筈なのに、挿れられた時の感触が強く印象に残っている。まるで、本当にあった事のような生々しい夢だった。
 いや、あり得ない。幾らなんでも、男とセックスはあり得ない。

「……でも、気持ちよかったな」

 恐る恐る下腹部に手を伸ばし――――、

「セイバー様!」
「ほにゃぁ!?」

 慌てて掛け布団を被った。危ないところだった。あと少しで取り返しの付かない扉を開くところだった。
 アイリスフィールから懇願された事を別の意味で叶えそうになった……。

「セ、セーフ。セーフだ。限り無くアウトに近かったけど、まだ、セーフの筈だ」
「セイバー様? いかがなされましたか?」
「な、何でもないよ。それより、どうしたんだ?」

 布団から起き上がって尋ねると、報告に来たホムンクルスは姿勢を正した。

「つい先程、言峰教会上空に狼煙があがりました。どうやら、全マスターに対する召集命令のようです」

 来たか……。
 寝惚けてた頭が漸く冴えて来た。同時に昨日の出来事まで思い出してしまった。

「使い魔を送り、水晶に出力してくれ」
「了解」

 身支度を簡単に済ませ、城内を歩く。時計を確認すると今は正午を回ったばかりだった。
 アインツベルン城内の作戦室に入ると、既に中央に巨大な水晶が配置されていた。
 魔術特化型ホムンクルスが作業を行っている。

「A19にストックされている使い魔にアクセスしました。言峰教会へ向かわせます」

 水晶に上空から見た冬木市の映像が映った。開戦前に切嗣が用意させた各拠点の使い魔は全て同じ形で、水晶で出来た鷲だ。
 冬木市上空を高速で飛行し、瞬く間に言峰教会に到着した。中には既に別の陣営の使い魔が集合していた。

「って、おい!?」

 思わず目を丸くした。
 水晶に映っている映像の中におかしな点が一つあった。
 使い魔と呼ぶにはあまりにも大きく、荒々しい益荒男が聖堂内に佇んでいた。祭壇の前に立つ神父も目を見開いている。

『どうやら、揃ったらしいぞ?』
『あ、ああ、そのようで……』

 ライダーは堂々と腕を組み、神父を見下ろしている。強大な力を持つサーヴァントに目の前に立たれ、神父は明らかに動揺している。

『で、では、此度の召集の目的を説明させて頂きます』

 神父は予想通り、キャスター討伐の為に全陣営に一時的な休戦協定を結ばせた。その上で、キャスター討伐の功労者に対して、令呪を一画進呈すると告げた。
 ここまでは想定の範囲内だ。問題はあのアーチャーが時臣の指示に従うかどうかだが……、あまり便りには出来ないだろう。
 昨日のアーチャーとの戦闘で、奴が俺を完全に敵視している事が分かった。恐らく、キャスターに時臣の目を向けさせても、アーチャーの目は俺から動かないだろう。
 だとすれば、キャスターを放逐したのは完全な失策だった事になる。

「……クソ」

 子供達を犠牲にした結果がこれだ。深く溜息を零すと、突然、水晶からライダーの大声が響いた。

『つまらん話は終わりだな? ならば、次は余から全陣営のサーヴァントに対しての提案だ!!』
「な、なんだ……?」

 首を傾げると、ライダーはとんでもない提案をして来た。

『今残っているのは暴れ回っておるキャスターを除くと、セイバー、アーチャー、アサシン、そして、ライダーたる余の四騎にまで絞られたわけだ。ここいらで、一献交し合い、宴を開こうではないか!!』

 ライダーの視線がそれぞれの陣営の使い魔を射抜く。

『よもや、余の誘いを蹴るような無粋な者は居らぬであろうな?』

 迷い所だ。この誘いを蹴るという事はつまり、昨日の戦いで築けたライダー陣営との友好的関係に水を差す事になる。しかし、これだけ大々的な宴会となると、敵陣営に居場所を晒す事となる。そうなると、遠距離攻撃の手段を持つアーチャーからの襲撃が怖い。
 
「いや、まさか……」

 小説ではライダーは宴会を開く時、個別に誘っていた筈だ。なのに、今回は目立つ事この上無い方法で大々的に……、しかも、全員に対して誘いの言葉を投げ掛けた。
 これは挑発だ。相手は恐らく、アーチャー。その目的までは分からないが、彼が呼び出そうとしているのは間違いなくアーチャーだ。
 何故なら、俺に対して挑発などする必要が無い事は向こうも分かっている筈だし、アサシンに対しても同様だ。だが、アーチャーは別。

「いかがなさいますか?」
「ライダーの誘いに乗る」

 水晶の向こうで、ライダーは言った。

『場所は郊外にある樹海の奥!! そこに良い感じの城を発見したのだ!! そこに、今から八時間後に集合だ!!』
「ここじゃないか!?」

 分かってやってるのかどうかは分からない。でも、ここからホムンクルス達を撤収させる必要が出て来た。

「総員退避だ。けど、その前に食事を用意してもらえるかな? えっと、十人前くらい」
「了解。その後はいかが致しますか?」
「しばらくは指示が出せなくなると思う。現状を切嗣さんに報告し、指示を仰いでくれ」
「了解」

 溜息が出た。正直、宴会なんてする気にはなれない。一体、奴は何が目的何だろう……。

 八時間後、ライダーは堂々と戦車で城に乗り込んで来た。その肩には大きな酒樽。

「おうおう、セイバー! 昨日振りだな!」
「そうだな……。なあ、ここを指定したのって……」
「うむ! ここがお前さんの拠点だろうと坊主が見抜いたのだ!」
「ウェイバーが?」

 ジロリと睨みつけると、ウェイバーが視線を逸らした。

「いや、お前のマスターがアインツベルンの人間なんじゃないかって思ってさ……」
「どうして?」
「……あのマリアって奴」

 ウェイバーが口にした名前に不覚にも体が震えた。

「やっぱり、アイツはアインツベルンのホムンクルスだったんだな? 変だとは思ってたんだ。生身の人間がサーヴァントと競い合うなんて変だし、身に纏う魔力の量が尋常じゃなかった。あの時はキャスターのマスターだって聞いたから納得したけど、その肝心のキャスターがアレだったから、別の可能性を模索したわけだ。あんな人外を用意出来るのはホムンクルスの鋳造で有名なアインツベルンだろうってな」

 見事な推理だ。素直に感心して言うと、ウェイバーは暗い表情で問い掛けて来た。

「最初から、マリアは使い捨てだったのか……?」
「……そうだよ。彼女にサーヴァントを足止めしてもらって、俺の宝具で諸共に吹き飛ばす計画だった」
「……やっぱりな。あそこまで周到に用意された状況で、あんた等が無関係なわけ無いよな……」

 その言葉には棘があった。マリアを使い捨てにした事を彼は責めているのだろう。
 それがあり難かった。本人には絶対に責めてもらえない。他人だろうと、彼女の死を看取った人に責められるなら……。

「そうだよ。俺が殺したんだ。マリアをこの手でね……」
「……悪い。余計な事を言った」

 バツの悪そうな表情を浮かべてウェイバーは言った。

「まあ、坊主も坊主なりにお前さんの事を知ろうとしたんだ」
「俺を……?」
「お、おい、ライダー!」

 慌てたように掴み掛かるウェイバーを放り投げて、ライダーは高らかと笑った。

「騎士王よ。お前さんの正体がアーサー王だと聞いて、余は正直驚いた。坊主もだ。あまりに……、イメージに食い違いがあったからな」
「……はは、よく言われるよ」

 当たり前の話だ。だって、俺はアーサー王本人じゃないんだから……。

「まあ、坊主が知りたがった理由はそればかりじゃないようだがな」
「もう、黙れよ、ライダー!!」

 半泣きになって、ライダーの胸板をポカポカ殴るウェイバーに和んだ。

「……さて、宴の用意は出来ておるのか?」
「一応、料理は用意してある」
「まことか!? 用意が良いではないか! うんうん、宴会の主役は酒だが、酒を引き立てる為の食事も重要だ。分かっておるではないか、さすがは騎士王だ」

 よく分からない事を言うライダーを連れて、料理を並べた中庭に案内した。

「中々、風情があるな」
「だろう? ああ、ウェイバー、これを着ておけ」
「なんだよ、これ?」

 俺が渡したのは単なるコートだった。

「ここはかなり冷えるからな。サーヴァントはともかく、人の身で長時間居るなら上着が必要だと思って用意した」
「……小僧に対しては随分と甲斐甲斐しいではないか、セイバー」
「まあ、昨日は窮地を救ってもらったからな」

 鏡で練習したとびっきりの笑顔を向けると、ウェイバーは顔を真っ赤にしてコートを羽織った。

「うん。似合っているよ、ウェイバー」
「そ、そうかな……」
「ハッハッハ! やるではないか、小僧! 騎士王にここまでさせた男は恐らくお前さんが初めてに違いない!」
「だ、黙れよ、ライダー」
 
 わいわいと叫ぶライダーとウェイバーを見て、思わず笑ってしまった。
 すると、二人も釣られたように笑い出した。

「さて……、揃ったようだな」

 ライダーの言葉に頷く。
 辺りを見回すと、中庭を取り囲むようにアサシンが姿を現した。そして、アーチャーの姿もある。

「では、これより宴会を――――」

 ライダーの言葉を遮るようにアサシン達が一斉にウェイバー目掛けてナイフを投げた。咄嗟に俺とライダーがウェイバーを守るよう陣営を組む。

「余は宴会だと言った筈だが?」

 思わず竦み上がりそうなライダーの低い声。
 けれど、アサシン達は攻撃の手を緩めない。

「貴様もか、アーチャー」

 アーチャーが片手を上げ、ゲート・オブ・バビロンを展開する。無数の刃が顔を出し、俺は片手でウェイバーを抱き締めると、エクスカリバーに魔力を篭めた。
 ところが、放たれた刃の矛先は全て、アサシン達に向けられていた。

「無粋な真似は止せ」

 アーチャーの言葉に何故か、今朝の夢を思い出した。

――――『無粋な事を言うな、■■。貴様も、今は■だけを見ていろ』

 思わず赤くなる俺にウェイバーが首を傾げる。ゴホンと咳払いをすると、アーチャーが言った。

「くどいぞ。これ以上、我を苛立たせるな」

 それで決着はついたらしい。アサシン達は姿を消した。

「なんだ、結局あいつらは来ないのか」

 ライダーはつまらなそうに鼻を鳴らすと俺達に顔を向けた。

「まあ、良いか。では、宴会を始めよう」

 そう言うと、肩に担いでいた酒樽を降ろした。

「奇妙な形だが、この国の由緒正しき酒器らしい」
「違うぞ、ライダー。それは酒を器に移す為の道具だ」
「……そうなのか?」
「そうなんだ」

 俺が間違いを指摘すると、ライダーはあからさまにしょんぼりしながら、テーブルにのっているコップを掴んだ。

「なら、これで良いか……」
「ふざけるなよ、ライダー」

 そのコップをアーチャーが叩き落した。

「よもやこんな鬱陶しい場所で、しかもそんな物で『王の宴』を開くつもりか?」
「とは言っても、余はアレを酒器と思い込んでおったもんでな……」

 ライダーが言い訳染みた事を言うと、アーチャーは鼻を鳴らし、ゲート・オブ・バビロンを展開した。 
 慌てて俺の後ろに隠れるウェイバー。君はライダーの後ろに隠れるべきだと思うんだが……。
 彼が取り出したのは武器では無く、酒器だった。 

「おうおう、良い者を持っておるではないか! さすがだな!」

 アーチャーが投げ渡した黄金の酒器をキャッチしながらライダーは感心したように言った。
 俺も慌ててキャッチする。ウェイバーの分は無かった。というより、俺の分があった事に驚きだ。
 あんだけ怒ってたのに……。

「それじゃあ、駆けつけ一杯」

 豪快に笑うと、ライダーは柄杓で樽のワインをアーチャーの酒器に注ぎこんだ。
 アーチャーは鼻を鳴らし、酒を舐めると直ぐに酒器を逆さまにした。

「なんだ、この安酒は! こんなモノで、本当に英雄の格が量れるとても思っているのか?」

 吐き捨てるように言うと、アーチャーは再びゲート・オブ・バビロンを展開し、今度は酒瓶を取り出した。

「本物の酒の味を知らぬ蒙昧め」

 嘲るように鼻を鳴らし、アーチャーは酒瓶をライダーに投げ渡した。危うげなくキャッチしたライダーは香りを嗅ぐと頬を緩ませた。

「何と芳醇な……」
「それが本物の香りというものだ」

 ライダーは嬉々として三つの酒器に酒瓶の酒を注いだ。
 試しに一口。凄く……、美味い。

「凄いな、オイ! こんなもの、人間が醸造出来る味では無いぞ! 神代の代物なのではないか!?」

 惜しみない称賛を送るライダーに当然だとばかりに微笑を浮かべるアーチャー。
 どうでもいいけど、本当に美味しい。

「ライダー」
「ん?」
「お代わり」
「お、おう」

 新たに注がれる酒に頬が緩む。

「美味しい」

 幸せな気持ちでいっぱいになった。

「……ッハ、貧乏小国の王らしい惨めな姿だな」
「まあまあ、美味い酒と料理が揃った今、我等が為すべき事は一つ! 真に聖杯を掴むべきは誰か? その正当さを問う聖杯問答といこうではないか」

 ライダーは言った。

「まずは貴様からどうだ? どれほどの大望を聖杯に託しているのか、それを聞かせてもらわねば始まらん。一角の王として、我等二人を魅せる程の大言が吐けるか?」

 何が目的なのかと思えば、まさか、小説通りに聖杯問答をし出すとは思わなかった。アーチャーもそのつもりらしい。
 まあ、この状況を利用しない手は無い。アーチャーを此処に引き留めている間、外では切嗣さんが動き出している。
 アーチャー討伐の為の作戦は既に始動している。今度こそ、必ず息の根を止めてやるぞ、アーチャー。

「――――それで、セイバー。そろそろ、お前の胸の内も聞かせてもらえんか?」

 ライダーが問う。さっきまで、受肉を願うと言ったライダーに掴み掛かっていたウェイバーも耳を傍立てている。
 まあ、隠す必要も無いだろうから答えるとしよう。

「生きたいんだ」
「生きたい? つまり、お前さんの願いも受肉というわけか? それで、受肉して何をするんだ?」
「普通に生きたいんだ」
「……は?」

 アーチャーですら凍り付いた。そこまで変な事を言っただろうか?

「美味しい御飯を食べて、遊んで、学んで、働いて、恋人でも作って、子を為して、そして、静かに眠る。それが俺の叶えたい望みだ」
「……それがお前さんの願いなのか?」
「まあ、王の願いとしてはアホらしいって思われるかもしれないけど、これが俺の願いだよ」

 俺の言葉に対する反応は誰も彼も薄いものだった。ライダーとウェイバーは痛ましそうに見てくるばかりだし、アーチャーはつまらなそうに酒を飲んでいる。

「たんなる小娘が紛れ込んでいたというわけだな」

 酒器を空にすると、アーチャーは侮蔑の表情を浮かべて言った。
 だから、こう言った。

「そうだよ。俺は単なる……まあ、小娘だ」

 アーチャーは舌を打つと踵を返した。

「宴は終わりらしいな」
「みたいだな。さっさと残っている料理を始末しよう」

 料理を食べながら、溜息を零した。

「そうだよ……、俺は単なる……。なんで、俺はここに居るんだろう……」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。