第四話「決意」

第四話「決意」

 妙だ。ここ最近、ユーリィの様子がおかしい。妙によそよそしいというか、俺を避けている気がする。
 起こしに来る時も部屋に入って来ないでノックをするだけ。話し掛けても空返事ばかりで、向こうからは全然話し掛けて来ない。こんな事、初めてだ。俺の方から無視を決め込んだり、意地悪をする事はあっても、ユーリィが俺を無視するなんて今まで一度も無かった。凄く苛々する。
 ベッドから起き上がり、部屋を飛び出した。こうなったら、アイツの真意を問い質してやる。階段を駆け降りると、母さんが居た。ソーニャとお喋りをしている真っ最中らしい。ソーニャが先に俺に気付いて声を掛けて来た。丁度良い。ユーリィがどこに居るか確認しておこう。俺の予想では部屋に居る筈だ。訓練の時間以外、アイツはあんまり外に出ない。本を読んだり、勉強するのが好きなんだ。また、ジャンからマグルの本を借りてアイツに貸してやろうかな。ま、その前に今の【微妙な関係】をどうにかする必要があるんだが……。

「おばさん。ユーリィは部屋?」

 案の定、ユーリィは部屋に居るらしい。外に出るとハリーとハーマイオニーが居た。二人の世界に入り込んでやがる。人の家の庭をデートスポット扱いしやがって、腹が立つ。せめて、奴らが部屋で盛んない事を祈るばかりだ。そうなったら、さすがにハリーをここに置いておけなくなる。尤も、今の所は二人共健全な付き合い方をしているらしいがな。
 それにしても、恋人か……。俺だって、女と付き合いたい気持ちはある。この前、パーバティに久しぶりに会ったが、アイツは良い女だ。褐色の肌に大粒の瞳が印象的で、【学年一の美女】の看板に偽り無しだ。腕に押し付けられた時に感じた胸の感触が忘れられない。何となくだが、脈があるんじゃないかと睨んでいる。パーバティを彼女にすれば、ディーン達はきっと羨ましがる事間違い無しだ。
 だって言うのに、俺は結局、彼女をダンスパーティーに誘わなかった。アイツのせいだ。ユーリィが妙に険しい顔をするもんだから、そっちに気がいって、彼女をダンスパーティーに誘い損ねたんだ。アイツがあんな顔をするなんて初めてだったし……。

「ったく、何だってんだ」
 
 ユーリィの部屋の前に到着すると、何だか少し緊張した。思えば、アイツが俺の部屋に来る事は日常茶飯事だったけど、俺の方からアイツの部屋に行く事は滅多に無かった。昔から俺は部屋の中でジッとしてるのが嫌いな性質だったし、朝はいつもユーリィが先に起きるから俺が起こしに行く事は殆ど無い。
 アホらしい。確かに久しぶりではあるけど、部屋に入るくらいで緊張するなんてどうかしてる。ノックもせずに俺はドラノブを捻った。中に入ると、ユーリィはベッドで横になっていた。寝るにはまだ早い時間だけど、どうやら本を読んでる間に睡魔に襲われたらしい。顔の横に開いたままの本が置いてある。題名は【Wuthering Heights】。ずっと、昔、ユーリィの口から聞いた事がある名前だ。確か、【嵐が丘】という屋敷を舞台にヒースクリフというイカレた男の復習劇だ。何が面白いのか俺にはサッパリ分からないが、ユーリィはこの小説が好きらしい。

――――俺はキャサリンのヒースクリフに抱く想いを語った【言葉】が好きなんだ。

 どんな言葉なのか聞こうとすると、ユーリィは教えてくれなかった。あの時はそこまで気にしてなかったから深くは聞かなかったけど、今は無性に気になる。
 ユーリィはこの本のどんな文章に心を惹かれたんだろう。本を取ろうとして、ベッドに近づくと、思わず息を呑んだ。ユーリィは年々、母親のソーニャに似てきている。スリザリンの【おかま野郎】という悪口はユーリィの性格ではなく、容姿に対するものだ。幼さが成りを顰めて尚、性別が不明瞭の顔立ちをしている。初対面で性別を偽られたら、真実を看破するのは難しいだろう。
 不思議だ。ジャスパーに人格が交代した時のユーリィの顔つきは紛れも無い男の顔になる。劇的という程の変化は無い筈なのに、ジャスパーに入れ替わった時、俺が直ぐに察する事が出来る理由はそこにある。あいつの性格の女々しさが顔つきまで女々しくしているのかもしれない。

「ったく、俺は何を馬鹿な事を考えてんだ……」

 頭を振って、考えを散らす。何だか、思考が恐ろしい方向に進んでしまいそうで怖くなった。
 俺は大きく深呼吸をして、部屋の中を見回した。ユーリィの部屋はかなり綺麗に片付いている。本棚には教科書とお気に入りらしい小説がズラリ。机の上には羽ペンとインク瓶。洋服箪笥の上には俺がホグワーツ入学前にプレゼントしたウサギのぬいぐるみがある。もう十五歳なんだし、ぬいぐるみなんてとっくに捨ててるものだと思ってた。
 ユーリィはこの部屋で普段どんな事をしてるんだろう。勉強道具以外にあるものと言えば、本棚の小説くらいしか目に付かない。俺の部屋にあるような娯楽雑誌や玩具は見当たらない。

「どんな本読んでんだ?」

 本棚の背表紙を流し見すると、とても面白そうに思えない本ばかりが並んでいた。【Jane Eyre】、【Romeo and Juliet】、【Pride and Prejudice】、【Tess of the d’Urbervilles】……。
 どれもマグルの作家が書いた物らしい。まあ、ロミオとジュリエット程度なら魔法使いの俺でも知ってるけどな。タイトルだけだとさすがにどんなジャンルの小説なのかすら分からない。

「……読んで見るかな」

 ベッドを背もたれにして、嵐が丘のページを開いた。
 スラッシュクロスにロックウッドが引っ越してくる所から、物語は始まる。読み進めるのは俺にとって苦行に近い行為だった。元々、読書する時間があったら体を動かしていたい派の俺だが、それとは関係無く、登場人物が一人残らず腹の立つ性格をしているせいで読んでてイライラして仕方が無い。主人公のヒースクリフもヒロインのキャサリンも頭がおかしいとしか思えない。どいつもこいつもあまりにも身勝手だ。
 分からない。ユーリィはこの本のどこに魅力を感じたんだ? いい加減、本を閉じようと思い始めると、不意に背後から物音がした。

「ん……はれ? あぇ……」

 どうやら、この部屋の主が目を覚ましたらしい。

「アゥが居る……? あれぇ? ううん……? んん」

 寝惚けているのか、舌足らずで何を言ってるのか分からない。

「邪魔してるぞ」
「……え?」

 俺の声を聞いて、漸く我に返ったらしい。目を白黒させて、ユーリィは飛び起きた。

「え? え? な、なんでアルが居るの?」

 こっちが吃驚する程、ユーリィはうろたえている。つい、からかいたくなってしまう。

「お前の部屋に俺が居るのが不思議か?」
「え? だって! あれ? え?」
「なんだ? 俺がここに居たら困るのか? ……俺に傍に居られるのが嫌だってのか?」
「そ、そんな事無い!!」

 俺は言葉が出なかった。俺の言葉を否定するユーリィはあまりに必死で、茶化す事も出来なかった。
 ただ、少し安心している自分が居る。少なくとも、嫌われたわけじゃないらしい。

「じゃあ、どうして俺を避けるんだ?」

 今なら、聞けるかもしれない。まだ、ユーリィは目を覚ましきっていない。いつも、本音を隠そうとするコイツの真意を聞き出すには今をおいて無い。
 
「……アル」

 だけど、俺の目論見は失敗に終わった。俺の質問によって、ユーリィは完全に目を覚ましてしまったらしい。
 哀しそうに瞳を揺らし、俺の顔色を伺うような表情を浮かべている。
 頭に来る。俺の顔色なんて伺う必要は無い筈だ。ユーリィは俺に嫌われるのを病的に恐れている。俺を避けるようになったのは、その癖が治ったからだと思った。だけど、違ったらしい。
 自分の言葉が俺にどう捉えられるかを必死に考えている。嫌われないような言い方を必死に考えている。本当に頭に来る。

「一々、俺に媚を売るような真似はやめろ」

 嫌われないように媚を売る。そんな真似が必要な関係だとでも言いたいのか。

「媚なんて……」
「なら、俺の顔色なんて一々伺ったりするな」
「でも……」
「なんだ?」
「……ううん」

 はっきりしない物言い。ユーリィは昔からそうだ。言いたい事がある癖に言葉を濁す。俺はいつもソレに苛々して、ユーリィを怒鳴ってしまう。 
 秘密なんて持つな。言いたい事があるなら全部言え。何度も言ってきた。子供の頃から何度もだ。
 生前の記憶が何だって言うんだ。確かに、生前、こいつは周囲から酷い扱いを受けてきた。一々、他人の顔色を伺って媚を売らないと生きていけなかったのだろう事も理解している。だけど、俺に対してまでそんな態度を取らないで欲しい。
 いい加減、ウンザリだ。

「マコト」

 ユーリィの胸元を掴んで引き寄せた。顔を逸らさせたりしない。こいつは直ぐに逃げるからな。

「なあ、俺は生前にお前を虐めて来たクズ共と同じという事なのか?」

 ユーリィは目をいっぱいに見開いた。驚いている。何に対して驚いているんだ? 俺の言葉は全く意に反した頓珍漢な言葉だったのか、それとも、図星だったのか。
 
「どうなんだ?」
「違う!!」

 ユーリィは叫ぶように言った。

「違う。俺は……」
「なら、どうして俺に本音を教えないようにするんだ?」
「だって、俺は……」
「俺がお前を嫌うと思ってるのか?」

 口を噤んだ。今度は分かる。図星だったらしい。
 呆れて溜息が出た。

「そんなに俺は信用出来ないのかよ」
「信用してる!!」
「してるなら、俺がお前を嫌うなんて事、在り得ないって分かるよな」
「……え?」

 呆気に取られたような表情。

「お前が何を言ったって、何をしたって、俺はお前を嫌ったりなんてしない。そのくらい、いい加減、わかれよ」

 信じられない。ユーリィの顔にはそう書いてある。どうして、そんな顔をするんだ。

「他の誰に本音を隠したって構わない。だがな、俺にだけは全部吐き出せ。だんまりは無しだ」
「……分かった。話すよ」

 漸く、ユーリィは決意を固めたらしい。
 
「……アル」

 ユーリィは真っ直ぐに俺を見た。

「……もう、俺を護ろうとしないで」
「……は?」

 何を言われたのか、直ぐには分からなかった。
 護ろうとしないでって、どういう意味だ。

「俺はもう、アルに危ない目にあって欲しくない」
「……何を言ってるんだ」
「俺は!! 俺のせいでアルが危険な目に合うのが耐えられないんだ」
「何言ってんだ!! 俺は――――」
「もっと早く言わなきゃいけない事だったのに、アルに護って貰える事が嬉しくて仕方無かった……」
「ユーリィ……」

 思わず、ユーリィの胸元を掴んでいた手を緩めた。

「誰かに護ってもらえるのが嬉しかった。傍に居て欲しいって思った。どこにも行かないで、俺だけを見ていて欲しかった」

 ユーリィは止め処なく涙を零した。

「去年、アルは俺を護る為に死に掛けたっていうのに、それでも俺はアルに縋っていたんだ」
「いいじゃねぇか」
「駄目だよ」
「いいんだよ!! 俺はお前を護るって決めたんだ。その為に鍛えてるんだぞ!!」
「アルにはアルの幸せを掴んで欲しいんだ!!」

 何を言ってるんだ。俺の幸せだと? そんなものの為にみすみすユーリィが危険な目に合うのを見逃せというのか?

「冗談じゃないぞ!! お前が危ない目に合うって時に俺の事なんて考えてられるか!!」
「俺の事はもう放っておいて!!」

 どうして、そんな事を言うんだ。だって、俺はお前を護りたくてずっと訓練を続けてるんだぞ。もう、お前があんな目に合わされないようにって、子供の頃から。
 俺の代わりに虐められて、酷い怪我をしたユーリィを見たくなくて、俺はずっと……。

「放ってなんて……出来る筈が無いだろ。第一、俺の幸せって何だよ……」
「パーバティと付き合って」
「……は?」

 何で、ここでパーバティの名前が出て来るんだ。

「きっと、彼女はアルの事が好きなんだ」
「何言って……」
「分かるんだ。どうしてか分からないけど、彼女の気持ちが分かる。彼女は恋してるんだ。君に……」
「……だとしても、どうして付き合ってなんて」

 パーバティの気持ちなら俺だって少しは察してる。俺だって、満更じゃない。
 だけど、俺は……。

「アルは自分を犠牲にし過ぎてる。俺が犠牲にさせてしまってるんだ。幼馴染としての義理ならもう十分過ぎる程貰ってる。返しきれない程たくさん……。だから、もう俺に構う必要なんて無い。俺なんて、居ないものと思ってくれたって良い。可愛い女の子と付き合って、命の危険なんて考えずに幸せに生きてよ!!」

 犠牲。ふざけるな。何が犠牲だ。俺はやりたい事をやっているだけだ。返す必要なんて無い。

「……ダリウス達はアルに三大魔法学校対抗試合の選手にしようと目論んでる」
「望む所だ」
「命の危険があるんだよ!?」
「分かってる。だから、どうしたってんだ!! 死ぬのなんて怖くねぇよ!!」
「俺が怖いんだよ!!」

 言葉が出ない。どうして、そんな事を言うんだ。俺はお前の為なら死んだって構わない。
 
「俺は……お前を護る」
「俺は護られたくない」
「護るって言ってんだ!!」

 いつもなら、こうして怒鳴ってやればユーリィは自分の意思を引っ込める。
 なのに、ユーリィの目は真っ直ぐに俺の目を射抜いたままだ。

「三大魔法学校対抗試合の選手は選抜試験で選ばれるみたい。俺は勝ちに行く」
「何を言って……」

 今、自分で命の危険があると言った筈だ。
 選抜試験を勝ち抜くっていうのは、その危険に自ら飛び込むと宣言しているようなものだ。

「俺はアルにも負けない。俺は三大魔法学校対抗試合に出る」
「ふざけるな!! お前が俺に勝てると思ってるのかよ。舐めてんじゃねぇぞ」
「舐めてなんだかない。それでも、俺は勝つんだ。絶対にアルを三大魔法学校対抗試合に出させたりしない」

 俺はユーリィの胸元を掴んだ。

「お前じゃ俺には勝てねぇよ」
「勝つ。絶対に……」
「勝てねぇよ。お前じゃ、俺には絶対に勝てない。お前が選抜試験に参加するってんなら止めたりしない。だがな、格の違いを教えてやるよ」

 乱暴にユーリィの体を解放し、俺は立ち上がった。

「お前を三大魔法学校対抗試合になんざ参加させねぇ」
「……俺はアルを三大魔法学校対抗試合に参加させない」

 怒りで頭がどうにかなっちまいそうだ。
 別にいいさ。ユーリィがどう意気込んでようが関係ない。勝つのは俺だ。命の危険なんざ、本当なら一生味合わせたくなんか無い。
 予言だとか、ヴォルデモートだとか、絶望だとか、そんなもんの為にアイツを危険な目に合わせたりするもんか。俺が全部排除してやる。去年、俺は死喰い人に敗北した。それは事実だ。だが、もうあんな失態は繰り返さない。もう、俺は負けない。誰にも、絶対に負けない。例え、相手がユーリィであろうと、蹴散らしてやるよ。
 
「誰にも負けない……。勝つのは俺だ!!」

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