第四話「ユーリィの秘密」
さて、非常に困った。というか、もう泣きたい。
「ユーリィ……、君。ああ、ここが空きコンパートメントで良かった。いや、逃げ出したのか」
周りには散らかった荷物やお菓子がいっぱい。今は独特な臭いが充満している。恥ずかしくて死にそう。
「頼む、バジリスク。聞こえてるか分からないけど、ハリーに言わないでやってくれ」
アルは少し気まずそう。死喰い人の恐怖やその正体がキングズリーだった事への衝撃も自分のしでかした事に比べたら些細な事。
幸いというか、ハリーの杖から飛び出したバジリスクの巨大な体のおかげでこのコンパートメントの入り口は完全に塞がってしまっている。アルは無理矢理体を捻じ込んできたけど、少しは時間を稼げる筈。
「あっと……、まあ、なんて言うかさ……。と、とにかく、無事で良かった。あんまり無茶しないでくれよ」
心なしか口調が柔らかい気がする。どうしよう、顔をまともに見れない。とにかく、服を乾かして、臭いを取らないと。
「ちょっと、待ってな。アクシオ、ユーリィの制服!」
「え?」
当たり前のように呼び寄せ呪文を使うアルに俺は狐に抓まれたような気分。確か、あの呪文はハリーが四年生の時に凄く苦労した呪文の筈。
「丁度良いし、着替えちゃいなよ。下着は……、さすがに無しはキツイか……。つっても、さすがにトランクの中身は呼び寄せられないだろうしな……。一応、アクシオ、下着」
アルが小声で杖を振ると同時に窓からスーッと俺の制服が一式飛んで来た。アルが受け取ると、しばらくして窓の外から下着が飛んで来た。誰のか分からない下着。
「まさか、来るとは……」
まさか、それを俺に身に着けろなんて言う気じゃ……。
「あ、安心しなよ。さすがに、これをそのままなんて言わないさ。ジェミニオ!」
アルが杖を振るうと、下着はまるで分裂するみたいに二つに分かれた。確か、ダミーを作り出す呪文だったと思う。いつの間にか、こんな呪文まで覚えていたんだ。知らないうちにアルはどんどん成長している。そんな場合じゃないのに、少し寂しくなった。
それにしても、ダミーとはいえ、他人の……それも、これは……。
「早く着替えてよ。いい加減、誰かが入って来ちゃうかもしれない」
アルの言葉に渋々頷いた。ぐっしょり濡れてしまって気持ち悪い服を脱ぐ。緑豊かな車窓を眺めながら、汽車の中で全裸になるとは思わなかった。しかも、狭い室内には俺の他にアルとノックアウトしたままのキングズリーが居るまま。さすがに恥ずかしい。アルの目線はバジリスクの鱗に夢中になってるみたい。今の内にさっさと着替えよう。
着替えが終わると、漸く心が落ち着いた。元々着ていた服は消しておいた。
「忘れてね……」
「……さて、キングズリーをどうするか」
「……せめて、内緒にしてね」
「……うん」
忘れてもらうのは無理みたい。まあ、逆の立場だったらそうそう忘れられる光景じゃない。
憂鬱な気分を払拭する為に頭を切り替える。今、一番に考えるべきはキングズリーの事。彼がどうして死喰い人のような格好で現れたのか。そして、どうして俺を探していたのか。考える事は山積み。
今は意識を失っているけど、彼がどういう行動に出るか分からない以上、放置しているわけにもいかない。アルが麻痺呪文で意識を昏倒させているけど、それだけだといつ目を覚ますか分からない。石化の呪文を重ね掛けして、更にロープでグルグル巻きにしておく。これで万が一目を覚ましても大丈夫。
「この杖はどうする?」
キングズリーの杖を取り上げて、アルに頭を向けるとアルは椅子に座りこんでいた。疲れてしまったみたい。いきなり死喰い人が現れたのだから仕方が無い。
「大丈夫?」
声を掛けると、アルは小さく頷くばかりでやっぱり元気が無さそう。カボチャジュースでも取って来て上げたいけど、入り口は相変わらずバジリスクに塞がれている。というか、バジリスクは今どういう状態なんだろう。コンパートメントの入り口から窓の外へ向かって突き抜けてしまっている。
「ハリー!! 聞こえる?」
「聞こえるよ!! アルがもう大丈夫だって言ってたけど、平気かい?」
「うん!! 死喰い人はバジリスクの体当たりでノックアウトしちゃった!! でも、この子どうするの?」
「戻す方法が分からないんだ!! とりあえず、汽車に体を巻きつかせて、このまま学校に戻るように命じてある!!」
「分かった!!」
それにしても、バジリスクを召喚するなんて大胆。学校の敷地外に出しちゃって大丈夫なのかな。
「ユーリィ」
現実逃避はここまでらしい。アルの密やかな低い声に渋々顔を向ける。恥ずかしがってる場合じゃない。
アルは酷く真剣そうな表情を浮かべている。
「ここには誰も居ない。だから、俺にだけは話してくれないか?」
「話すって?」
「分かってるんだろ?」
怖い顔をして詰め寄って来るアルに体が震えた。
「どうして、そんな顔をするの?」
「どうしてか分からないのか?」
分からないから聞いているのに、アルは苛立たしげに舌を打った。
「お前、僕に隠し事をするなって、何度言わせる気だ?」
「って、言われても……」
「僕がお前の事をどれだけ見てきたか分かってるのか? とっくに気付いてる。お前がいつも何か隠してるって事を」
喉がカラカラに渇く。俺も本当は分かってたのかもしれない。アルがいつも俺の秘密を気にする理由。スクリムジョールの言葉の真意。
俺が抱えている最大級にして絶対の秘密。それは俺が一度死んで、生まれ変わったという事。その秘密をアルは実際それが何なのかを想像する事は出来なくても察っしていたのだろう。
どうしてか分からないけど、スクリムジョールもその事に気付いているのかもしれない。あの質問の意図はそこにある気がしてならない。確証があるわけでは無いようだったけど。
「俺の秘密を話したら、アルは俺の事を嫌いになるよ」
確信を持って言う。俺の秘密はそういう類のものだ。例え、どんなに心構えがあっても意味が無い。生理的嫌悪感を感じる事は間違い無い。
「……話せよ」
「……嫌いになりたいの?」
声が震える。言いたくない。言ったら嫌われるのが分かっているのに言える筈が無い。なのに、アルはより一層詰め寄って来た。直ぐ近くにあるの瞳があって、思わず吸い込まれそうになる。目尻に涙が浮かぶ。こんなのってあんまりだ。俺はただ少しでも自分に出来る事をしようとしただけだ。なのに、事態は悪い方にばかり転がり、墓まで抱えていく筈の秘密をこうして追求されう羽目になっている。
「どうして、僕が嫌いになるんだ?」
「だって……、嫌いになるんだよ。薄気味悪くて……、許せないに決まってる」
まるで自分が駄々を捏ねてるみたい。
「それを決めるのはお前じゃない。お前の話を聞いて、嫌いになるかどうかを決めるのはお前じゃない」
「嫌いになるんだよ!! だって、俺が嫌いなんだ!!」
「……あ?」
苦しい。アルが俺の襟首を掴んで持ち上げた。足が床から離れて、息が詰まる。あまりの苦しさにもがくと、アルはハッとした表情を浮かべて俺を離した。
上手く着地出来なくて、床に倒れこむ俺にアルは動揺した様子でたじろいでいる。
「ご、ごめん。僕……、僕は」
卑怯者。俺はこの状況を好都合だと思ってる。アルは優しいから、俺に痛い思いをさせた事に動揺している。このまま、彼の動揺に付け込めば誤魔化せる。
そんな事を考えている自分に吐き気がする。俺は誰よりも俺の事が嫌い。卑怯で臆病で視野が狭くて、あまりに醜い。
でも、話せない。自分の事がどんどん嫌いになっていく。なのに、どうしても話せない。アルに嫌われるのが恐ろしくて堪らない。
「……お願いだ。話してくれ」
なのに、アルは尚もそう口にする。どうして分かってくれないんだろう。
「僕を信じてくれよ」
心臓が鷲掴みにされた気分。止めてよ。そんなのずるい。他の誰より信頼している人にそんな事を言われたら……。
「僕の事をそんなに信じられないのか?」
「……そんな事、あるわけない」
「なら……」
「……じゃあ、本当に嫌いにならないって約束してくれる?」
もう……、言うしかない。だけど、勇気が足りない。一押しが欲しい。例え、仮初でも良い。後で反故にしたって構わない。だけど、今だけは心から頷いて欲しい。
「もちろん。嫌いになるなんて、あり得ない」
「……本当?」
「本当だよ。だから、頼む。話してくれ。きっと、その秘密にユーリィが狙われる理由がある筈なんだ。それを僕は知る必要がある」
もう、いいかもしれない。こんなに思ってもらえて、これ以上を望むのが間違っているのかもしれない。例え、嫌われる事になっても……今、この時、俺に向けられたアルの親愛の情に嘘は無い。なら、もう全て話してしまおう。それで嫌われるなら、もう未練も無い。もう、死んだっていい。
「俺は――――」
口を開きかけた丁度その時、ホグワーツ特急は停車した。それに乗じてバジリスクも動き出して塞がっていた扉が開かれた。扉の向こうからハリー達が顔を出して来る。
折角、勇気を出したのにな……。
「今日はさすがに疲れてるだろ。今度、また二人で話をしよう。その時に話してくれ……」
「……うん」
まずは未だに横たわるキングズリーをどうにかしないといけない。ハリー達もキングズリーの姿に驚きを隠せないでいる。もっとも、他の生徒達は外でハリーを待つバジリスクに驚いているだろうけれど。