第十話「マッド-アイ・ムーディ」

第十話「マッド-アイ・ムーディ」

 さっきまでは誰も居なかった筈だ。部屋に入った時、中には誰も居ない事を確認した。それに、僕は扉に背を向けていたけど、対面に座っているハーマイオニーの位置からは扉が見えている。もし、誰かが入って来たなら直ぐに分かった筈だ。確認の為にハーマイオニーを一瞥するけど彼女もわけが分からないと首を振っている。
 まさに煙のように現れたマッドアイに僕達はうろたえた。

「い、いつから!? それに、どうしてここが――――ッ!?」

 アルの声は動揺で震えている。不味い事になった。僕らは本来、この時間は寮に居なければならない。寮を抜け出し、誰も知らない隠し部屋で盗んだ材料を使って怪しげな魔法薬を調合している。そんな状況を見れば誰でも僕らを怪しむだろう。逆の立場なら間違いなく疑う立場になる。
 継承者を追い詰める筈が、このままでは僕らが継承者にされてしまう。

「ワシの目は全てを見通す。例え、透明マントであっても例外では無い」

 そう言って、クルクルと義眼を回転させるマッドアイが手に持っていたのは透明マントだった。咄嗟にポケットを確認するが、ポケットには確かに僕の透明マントが入っている。去年のクリスマスに贈られて来た父の遺品であるという透明マントが如何に貴重な品物かをロンに聞いた。だけど、貴重であるだけで他に無いわけでは無い事を完全に失念していた。
 あの透明マントはマッドアイ自身の物だ。
 
「さて、お前達――――」
 
 不味い。このままだと、僕らは継承者として拘束され尋問を受ける事になる。せめて、被害は最小限に抑えないといけない。
 僕は意を決して口を開いた。

「ぼ、僕が――――」
「俺が二人を唆しました」

 僕の言葉を遮るようにアルが言った。呆気に取られる僕を尻目にアルはマッドアイに出鱈目な事を言い出した。
 アルは自分を徹底的に悪者であると主張した。僕とハーマイオニーは無理矢理連れ込んだのだと言って。
 僕が反論しようとすると、アルは素早く僕の口を手で塞ぎ、そのまま僕の体を締め上げた。痛みはないけど身動きがまったく取れない。

「こいつら、こうやってここに呼び出して虐めてたんですよ。学生生活ってのは案外ストレスが溜まるんでね」

 へらへらとした様子で喋り続けるアルをマッドアイはジッと見つめている。止めないと。このままではアルが拘束されてしまう。下手をすれば、そのまま継承者扱いをされるかもしれない。
 僕は必死にアルの手を振り解こうとした。だけど、アルの力は思った以上に強くてまったく拘束が緩まない。そう言えば、ユーリィがアルは勇者になりたくて体を鍛え続けてるって言ってた。幼い頃からずっと休まずに。どうして、そんなに勇者に憧れているのかを聞くと、ユーリィもよく知らないらしい。ただ、いつの頃からか勇者に憧れを持ったそうだ。
 その話を聞いた時、それはきっと、ユーリィを守りたかったからなんだろうな、と思った。
 僕から見て、ユーリィは凄く優しい人だ。僕の為にわざわざ一人で300キロ近く離れたプリペッド通りまで迎えに来てくれたし、去年は箒から落ちたネビルを助ける為に下敷きになったり、虐められているネビルをクラップとゴイルから守る為に無抵抗で殴られたり蹴られたりした。
 それを少し異常だとも思った。幾ら何でも、落下してくる人間の下敷きになったり、殴ってくる相手に無抵抗で居たりするのは普通じゃない。僕はそんなユーリィに危うさを感じていた。きっと、僕よりずっとユーリィの傍に居たアルも感じていた事だろう。それを放っておけなかったんだと思う。ユーリィを守る為にアルは勇者を目指したんだ。
 なのに、このままだとアルはスリザリンの継承者にされてしまう。ユーリィのために必死に頑張ったアルがよりにもよって、ユーリィを傷つけた犯人にされる。それだけは許せない。

「ふざけるな!!」

 僕は必死にもがいて思いの丈を吐き出した。

「てめぇ!!」
「僕らをかばう必要なんてない!!」

 ここで黙っていたら取り返しのつかない事になる。

「アルはただユーリィの為に頑張っただけなんだ!! それなのに!!」
「黙ってろ!!」
「黙るもんか!! ユーリィもアルも馬鹿野郎だ!!」
「な、何だと!?」
 
 アルは呆気に取られた表情で凍り付いた。これ以上は言わないほうがいいのだろうか? いいや、僕もいい加減怒っているんだ。
 僕のせいだから、とか関係ない。僕の友達のユーリィを傷つけた継承者が許せない。悩みがあったくせに誰にも相談しないユーリィが許せない。僕達を庇って、泥を被ろうとするアルが許せない。

「皆、馬鹿だ!! 馬鹿ばっかりだ!! 僕達は友達なんだぞ!? 相談したり、頼ったりしろよ!! 庇う必要なんてないんだ!! 一人で背負い込もうとするな!!」

 僕にとって、アルやユーリィやハーマイオニーやロンやネビルはみんな大切な友達なんだ。
 ダドリーの取り巻きに虐められる毎日で友達なんて今まで一人も居なかった。ホグワーツに来て、ロンやハーマイオニーと出会って、アルとユーリィと出会って、僕がどれだけ嬉しかったのか分かってない。僕がどれほど幸せを感じていたか分かっていない。

――――僕の家まで乗り込んで来て、家に招待してくれた時、どれだけ嬉しかったか分かっているのか!? 
――――僕が君達と一緒に谷で遊んだ時間がどれだけ幸せな時間だったか分かっているのか!?
――――休みの間、皆に会える日だけを楽しみにして、耐える日々を送った僕の気持ちを分かっているのか!?

「友達なのに!!」

 僕は吐き出すように叫んだ。マッドアイなんて関係なく、ただアルへの不満をぶちまけた。
 アルはポカンとした表情を浮かべ、僕を呆然と見つめている。

「……ああ、そうだな」

 アルは肩を落とし、視線を彷徨わせた。

「友達……なんだ。俺は……、俺達には友達が出来たんだ……」

 まるで吐き出すようにアルは言った。

「こんなに友達が出来たんだ」

 アルはマッドアイに向き直った。

「お、俺は……ユーリィをあんな目に合わせた奴をぶっ殺さなきゃいけないんだ。あんな、酷い目に合わせやがって!! あんな……あんな……俺の……あんな目に……」

 アルは涙を零した。怒りや悲しみや寂しさが混在してる。もう、自分でも自分の気持ちが分からなくなっているみたいだ。
 マッドアイはそんなアルの心の叫びを黙って聞いている。ここに入って来てから最初の一言以外、何も口にしていない。何を考えているのだろう?
 困惑する僕を尻目にそれまで黙っていたハーマイオニーが前に出た。

「ミスター・ムーディ」
「なんだ?」

 マッドアイは義眼を回転させ、ハーマイオニーを睨み付けた。

「私達は私達の友人の敵を討つ為にここに居ます」

 あまりにも大胆な発言に泣いていたアルも目を丸くした。
 マッドアイも予想外だったのだろう。ギョッとしたような表情を浮かべている。

「私達の考えなんて、子供の浅知恵でしかないのかもしれません。でも、私達はどうしても突き止めたいんです。ユーリィに酷い事をした継承者を!! その為に行動を起こしました。だから……、罰すると言うなら私達の考えを聞いて下さい!! ただの子供の浅知恵だと切り捨てないで、頭の片隅にでもいいから刻み込んで下さい!!」

 ハーマイオニーは黙したまま自身を見つめ続けるマッドアイに僕らが話し合った事を懸命に説明した。それは同時に僕達の継承者に対する小さな叛逆が終わりを告げる事を意味する。
 虚しさが胸を過ぎり、涙が溢れた。ハーマイオニーも説明をしながら泣いている。
 きっと、これが正しいんだ。優秀な闇祓いや先生達がきっと継承者を見つけてくれる。なのに、涙が止まらない。
 悔しいんだ。ユーリィを傷つけた継承者は僕達が僕達の手で捕まえたかった。
 ハーマイオニーが全てを話し終えると、僕らは観念してマッドアイの裁定を待った。
 
「見事だ」
「……え?」
「見事だと言ったのだ。ただ、泣いて許しを乞うだけならば無断外出としてマクゴナガルの所へでもしょっ引くつもりだったが、たった三人で友の為にここまでやるとはな」

 マッドアイは大口を開けて笑い出した。何が何だか分からなくて、僕らはただ呆然とマッドアイを見つめた。

「気に入った。気に入ったぞ!!」

 マッドアイの義眼がクルクルと回転し、僕とアル、ハーマイオニーを順番に見つめた。

「僅かな情報を頼りに吟味し、お前達は真実を解き明かそうとしておる。そして、真実の先にある戦いに対しても臆する事無く挑もうとしている。その意気や良し!!」

 マッドアイの豹変振りに僕らはついていけなかった。ただただ圧倒されるばかりで涙も引っ込んでいた。
 マッドアイはそんな僕らを気にした風も無く話を進める。

「たいていのボンクラ共は真実に怯え、逃げ出そうとする。だが、お前達は戦う道を選んだ!! だが、お前達は若い!! 蛮勇だけでは戦う事は出来ようが生き残る事は出来ぬ!! 油断大敵!! 思慮を持つのだ!!」
「でも、俺はユーリィをあんな目に合わせた奴を許せない!!」

 アルの叫びは僕の叫びで、ハーマイオニーの叫びでもあった。
 僕らは子供だ。そんなの分かってる。それでもジッとなんてしていられなかった。

「お前達の顔をよく知っておる。怒りや憎しみに満ちた顔だ。十数年前は世界中にお前達のような者が溢れ、死んでいった!! 思慮深くあれ!! 油断大敵!! それに勘違いをするでないぞ」
「勘違い……?」
「お前達を拘束する気など初めから無い」
「……え?」
「そもそも、狙われる立場のハリーポッターを疑ってどうする? それに、アルフォンス・ウォーロック。貴様の父親を知っている。エドワード・ヴァン・ライリーの息子が闇の魔法使いの側に立つ筈が無い」
「父さんを……?」

 マッドアイは頷いた。

「お前の父親のエドワード・ヴァン・ライリーはその姓の通り勇敢な男であり、その名の通り善なる者の守護者であった。あまりに苛烈な性格故に孤立気味ではあったが、敵対する闇の魔法使いからは死神と恐れられた強力な闇祓いだ」
「父さん……、そんなに有名だったのか……」
「有名とはちょっと違うな。奴は恐れられた。嫁を娶ってからは丸くなったと聞くが、嘗て闇の帝王の居た時代では奴の名は不吉の代名詞として敵味方問わず恐れられたものだ。憎むべき敵であろうと、親愛なる味方であろうと闇の帝王に手を貸す者には一切の情けを掛けず、確実な死を与える死神よ。わしやスクリムジョールの奴もあの時代を生き抜いた者だが、奴ほど冷酷かつ厳格な男を他に知らん」
 
 マッドアイの口から飛び出すあまりにも物騒な言葉に僕は直ぐにあの夏休みに箒をプレゼントしてくれたエドワードおじさんとマッドアイの話すエドワード・ヴァン・ライリーを結びつける事が出来なかった。

「わしはお前達の邪魔はせん。いや、むしろ手伝ってやろう」
「……え?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。手伝う? 誰が? 誰を? 何を?
 溢れる疑問に僕もアルも困惑した。そんな中、ハーマイオニーだけが冷静に口を開いた。

「私達は校則を幾つも破っています」
「そのようだな」
「私達は闇祓いの方々の頑張りを無碍にしようとしています」
「そのようだな」
「私達の推論には何の確証もありません」
「そのようだな」

 ハーマイオニーはマッドアイの真意を計りかねているらしい。

「どうして、私達を手伝おうなんて……」
「お前達がもっとも真実に近いと感じたからだ」
「真実に……?」
「然様。スクリムジョールの若造は昔から頭が固くてな。優秀ではあるが、柔軟性に掛けておる。事、このような事態では何よりも柔軟な思考が必要なのだ。だが、奴が引き連れてきた若造共は誰も彼もが堅物ばかりでな。エドワードも含めてだが……。お前達が真実に近づこうとするならばワシはお前達の助けとなろう。この老いぼれの知識をくれてやる。力が欲しいならば授けてやろうではないか。闇に魅入られた愚か者共を捻じ伏せる力をな」
「危険だから止めろ……、とは言わないんですか?」

 ハーマイオニーの疑問にマッドアイはカラカラと笑った。

「止めて止まる様な奴にはこういう提案はせんだろうな。だが、お前達が違うだろう? ワシはこれまで多くの人間を見て来た。故に分かるのだ。お前達は何があろうと止まらない。邪魔をする者を跳ね除けてでも真実に至ろうとする貪欲さがある。きっと、仮にここでお前達を拘束したところで、いつかは自らの手で鎖を引き千切り、真相へ至ろうとするだろう。ならば、むしろお前達の背を押し、お前達を鍛える事がお前達を守る事となろう。無論、バジリスクや継承者との戦いの時が来たならば、その限りでは無いがな。自らの手で戦うと言うならば、その時はワシは全力を持って貴様らを止める。そのつもりでおれ」
「俺は絶対に立ち止まらない。何があってもだ!!」

 アルは決意の篭った声で言った。きっと、その言葉に偽りはないのだろう。例え、その時が来て、マッドアイが立ち塞がっても死に物狂いで乗り越えて行こうとする。そう思わせる程、アルの瞳には強い意思が篭められている。
 僕は一歩前に出てマッドアイに頭を向けた。

「僕も止まったりしない。僕は戦う!!」
「……本当はその時が来たら止めなきゃいけないんだと思うけど」

 ハーマイオニーははぁと溜息を吐き、ニッコリと微笑んだ。

「私も二人の後押しをして、一緒に突き進んじゃう気がします」
 
 茶目っ気たっぷりに言うハーマイオニーにマッドアイは義眼をクルクル回転させ肩を竦めた。

「舐めるでないぞ。お主等如き若造に止められるものか。だが、その意気や良し!! 今後はワシがミッチリと訓練をつけてやる。覚悟せい!!」
「……はい!!」

 それから僕らの日常は少し変化した。被害者が四人に増えて以降、教室の移動の際は闇祓いや教員が引率する事になり、昼間は普段通りに授業に出て、闇祓いの引率で教室を移動する。アルはユーリィが目覚めた時に教えて上げる為にとユーリィの分まで板書をしたり頑張っている。ハーマイオニーも授業が終わると休み時間の間、アルに授業について色々と教えてあげている。
 僕も出来る事をしようと思ったけど、自分の勉強や宿題だけで手一杯だった。
 夕方になると、寮に戻り点呼を取られる。それが終わるといそいそと透明マントで必要の部屋に向かう。部屋の前ではマッドアイが待っていて、必要の部屋を作ってくれる。それから三人で中に入って訓練開始だ。ハーマイオニーは僕らがマッドアイと訓練をしている間にポリジュース薬の調合をしてくれている。
 二人より楽をしてしまっている分、僕はこの訓練で取り戻すつもりで励んでいる。マッドアイはとにかく実践を想定した呪文を教えてくれた。武装解除、盾の呪文、目晦ましの呪文、石化の呪文、麻痺の呪文などなど。
 瞬く間に過ぎて行く時間の中、僕らは確実に力を得ていた。
 真相に至る為の力を――――。

 だが、事件は僕らが手を拱いている間も動き続けている。
 第五の被害者が出たのはそんな時だった。
 

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