第十話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した事で動き出した人の話

 ライダーのサーヴァント、イスカンダルは拠点である深山町中越二丁目にあるマッケンジー宅に帰り着いてから一言も言葉を発さぬマスターに参っていた。
 如何に嘗ての師と対峙したからといって、こうまで心を乱すとは、どうにも肝っ玉が小さい。

「いい加減、こっちを向かぬか、坊主」

 声を掛けるが反応は無い。
 仕方なく、イスカンダルは主たるウェイバーから視線を逸らし、テレビの電源を入れた。現代の科学技術という名の神秘を興味深げに眺め始めた。そんなイスカンダルの行動はウェイバーの神経を逆撫でした。

――――数刻前の事。

 ウェイバーは師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトから盗み出した所有物を寄り代にサーヴァントを召喚した。深夜の森は獣共の狂騒によりざわめいた。征服王・イスカンダル。彼の圧倒的なまでの存在感にウェイバーは呑まれた。その時の高揚感たるや、危うく絶頂に至り、射精してしまいそうになったほどだ。
 ウェイバーはサーヴァントという存在を誤認していた。使い魔というのは、あくまでも召喚者たるマスターの傀儡であり、魔術師から供給される魔力が無ければ、その身を維持する事も出来ない木偶人形であると考えていた。大地の底より轟くが如き声。鋭敏に輝く眼光。隆々たる筋肉の鎧。それら全てがウェイバーの持つ使い魔という常識を覆した。

「さあ、書庫に案内せよ!! 戦の準備である!!」

 獣の咆哮の如き声にウェイバーはただ首を縦に振る事しか出来なかった。
 マッケンジー邸はウェイバーが適当に見つけて潜り込んだ――外人が居ても不自然ではない――極めて普通の民家だ。
 当然、書庫などといえるものは無く、已む無くウェイバーはイスカンダルを近場にある図書館へと連れて行く事にした。中央図書館は新都の市民公園内にあり、道中、ウェイバーは気が気ではなかった。
 イスカンダルは森を抜けた時から自らの身を霊体と化し、ウェイバーの背に続いた。鎧を着込んだ大男と歩いて不審に思われるのを防げた点では大いに助かったが、彼の存在が発する威圧感は絶えずウェイバーの背中に圧力を掛け続けた。図書館に向かう道すがら、運良く誰にも出くわす事無く、冬木大橋を渡り新都に入る事が出来た。
 ところが、目指す市民公園に近づくと、突然イスカンダルは実体化した。

「こ、こんな目立つ場所で何を!?」

 ウェイバーは慌てて声を張り上げるが、イスカンダルは無言のままにウェイバーに背を向け、彼方を見つめた。
 その背に戦々恐々としながらウェイバーはゴクリと唾を飲み込んだ。

――――怖い。

 ウェイバーは自身すらも気付かぬ心の奥底でそう思った。非常警戒態勢を取る警察の職務質問を怖れたわけではない。目の前の巨躯の男が何をするつもりなのか判らない、それがとても怖いのだ。
 無論、そうそう謀反など企む筈が無いと判ってはいる。イスカンダルはウェイバーを寄り代として、ウェイバーの魔力供給によって現代の世界に繋ぎ止められているのであり、ウェイバーに万一の事があれば、消え去る他無いのだから。それに、全てのサーヴァントにはマスターの召喚に応えるだけの理由が存在する。それが、この聖杯戦争においては優勝者に与えられる聖杯。
 願望機たる聖杯が受け入れる願いは、最後に残ったマスターとマスターに付き従うサーヴァントによるものだ。願望機の恩恵を得る権限。これこそがマスターとサーヴァントの利害を一致させる。
 万一の場合においても、マスターには最終手段が残されている。それが身に宿りし三つの令呪だ。これがある限り、イスカンダルはウェイバーを裏切る事は出来ない。

「坊主よ、気付かなんだか?」
「あ、え、えっと、何が?」

 イスカンダルの言葉にウェイバーは震える声で曖昧に答えた。

「何かが駆け抜けおった。あれは――――、サーヴァントか」

 イスカンダルは高らかに笑った。

「ああも堂々と姿を晒すとは、愚か者か、はたまた勇猛か、どちらにせよ、戦端が開かれるは必至か」

 戸惑うウェイバーを余所に、イスカンダルは腰の剣を鞘から抜き放った。
 何事かと戦慄するウェイバーにイスカンダルは獰猛な笑みを見せた。

「向かう先を変更するぞ、坊主」

 ウェイバーが問いを投げ掛けようとした瞬間、落雷の如き轟音と振動が夜道を盛大に揺るがした。
 ウェイバーは腰を抜かし、そして――――、視た。

「空間を――――切り裂いた!?」

 イスカンダルの剣が空間を切り裂いた。虚空にぱっくりと空いた穴の先から何かが現れようとしている。脳裏に警戒音が鳴り響き、逃げろ、逃げろ、と理性が叫ぶ。
 のっそりとした動作で現れたのは牛だった。漆黒の肌の牛。ただの肉牛と変わらない筈なのにその姿にウェイバーは呼吸が停止した。
 ウェイバーはその存在に魅せられた。

「嘗て、ゴルディアス王がゼウス神に捧げた供物を轅の綱を切り落とし手に入れた。これぞ、我が宝具『神威の車輪――――ゴルディアス・ホイール』よ。さあ、乗るが良い。坊主」

 ウェイバーは首根っこを掴まれ、気付いた時にはイスカンダルの宝具の御者台に乗せられていた。イスカンダルの号令と共に神牛は大地を蹴り、虚空を蹴り、天空を疾走した。
 放出する強大な魔力とあまりにも常軌を逸した速度で道無き道を翔け回る自らが腰を降ろす牛車にウェイバーはサーヴァントがいかなる存在かを今一度改めて思い知らされた。
 英雄を英雄たらしめるものは、その英雄の人格だけに在らず。英雄を巡る逸話。英雄に縁を持つ武具や機器。そういった、象徴の存在。

――――宝具。

 サーヴァントが持つ最後の切り札にして究極の秘奥。この牛車は紛れも無く征服王・イスカンダルの持つ宝具。
 その圧倒的なまでの存在感にウェイバーはどこか現実感んを失っていた。

「さて、戦場へ赴くとするか、坊主」
「……ああ」

 呆然と呟くウェイバーに満足気に頷き返すと、イスカンダルは遠く彼方に視たサーヴァントの向かった方角へとゴルディアス・ホイールを走らせた。

「おうおう、観て見よ! 既に戦が始まっておるようだ」

 イスカンダルの言葉にウェイバーは恐る恐る御者台の外側に身を乗り出した。
 悲鳴を上げそうになった。自分はどこに居るのかと思えば、地上の建造物がミニチュアにしか見えない。遠くを見ると、同じ高さを飛行機が飛んでいる。

「さすがに、ここからではよく見えぬな。坊主、遠見の魔術は仕えぬのか?」

 ウェイバーは首を横に振りながら御者台の中で小さくなった。
 結界が張られているのか、この高度であっても寒さを感じないが、恐怖による震えが止まらない。

「仕方あるまい。見える位置まで降りるか」

 そう言うと、イスカンダルは神牛の手綱を握った。
 先程までの暴力的な速度ではなく、ゆっくりとした動きでゴルディアス・ホイールは降下を開始した。

「ほほう、中々の動きよな。あれは、ランサーとセイバーか」

 虚空に停止したゴルディアス・ホイールからイスカンダルはランサーとセイバーの剣戟を眺めた。
 ウェイバーには未だ微かに人影が動いている程度にしか見えない。

「むぅ、いかんな。これは、いかんぞ」
「……どう、したんだ?」
「互いに雌雄を決しようとしておる。このままでは、どちらか一方が脱落しようぞ」
「えっと、それって……、好都合なんじゃ」
「馬鹿者」

 ウェイバーは額に鋭い痛みを感じた。
 イスカンダルにデコピンされたのだ。
 堪えきれずよろめき、危うく落ちそうになり、慌てて御者台の手摺りに縋るように取り付き、イスカンダルを恨みがましい眼差しで睨んだ。

「折角の機会なのだ。異なる時代の英雄豪傑が同じ時代に現れ、矛を交える。この奇跡の如き一時を手にしながら、みすみすその機会を失うなど愚の骨頂であろう」

 見よ、そう言って、イスカンダルはセイバーとランサーの戦場を指差した。
 ウェイバーが釣られて視線を向けると、言った。

「あの場所で戦っておるセイバーとランサー。あの二人からして、共に胸を熱くする益荒男共よ。気に入った。ただ死なせるにはあまりにも惜しい」
「でも、聖杯戦争は殺し合いなんだぞ」

 屋根も壁も満足な柵も無い高度千メートルの場所で恐ろしい威圧感を発する己よりも数段大きい存在と二人っきりという状況に身を震わせながら、ウェイバーは言った。
 イスカンダルはそんなウェイバーの言葉を鼻を鳴らし切って捨てた。

「勝利して尚滅ぼさぬ。制覇して尚辱めぬ。それこそが我が真の征服なのだ。さて、見物もここまでにして、我等も戦場に参るぞ、坊主」
「え、ちょっと待って!」
「行かぬと申すならほっぽり出すが?」
「そ、そんな!?」

 あまりにも無茶苦茶なイスカンダルの言い草に絶句し、ウェイバーは渋々頷いた。

「……いき、ます」
「うむ! それでこそ、余のマスターである」

 言うと同時にイスカンダルは手綱を握り、神牛を走らせた。

「アアアアララララライッ!!」

 イスカンダルとウェイバーは戦場へと降り立った。
 よりにもよって、ランサーとセイバーの戦場の真っ只中へと降り立った。

「双方、武器を収めよ! 王の御前である」

 せめて、もう少し戦場から離れた場所に降り立っても良かったんじゃないか、そう思いながら、呆然と、ウェイバーは己を斬り裂かんと迫る死神を見つめた。

 ウェイバーはテレビを観ながら後ろ髪を掻くイスカンダルを見ながら思った。
 この男に気を許してはいけない、と。

――――翌日。

「じゃあ、また明日ね」

 深夜0時過ぎ、女性は同僚と別れ、わずかに酒気を帯びながら家路に着いた。周囲に人影は無く、同僚の乗ったタクシー以外にロータリーには車一つ残っていない。
 人の気配が完全に消え、女性は薄ら寒さを感じながら駅前パークを横切った。マンションは直ぐ近くだ。二駅離れた場所に家のある同僚に別れを告げ、一人寂しく歩いて帰るのはいつもの事。
 そう、いつもの事である筈だった――――。
 無人の街並みを歩いていると、不意に光の届かぬ路地裏から寒気を感じた。

「えっと、誰か居るのかな?」

 無論、返答など無い。馬鹿馬鹿しいと、カタチの無い恐怖に怯える己を叱咤しながら女性は歩を進めた。
 早く、家に帰ろう。歩く度、何かが後ろから迫ってくるような錯覚を受ける。女性は至って普通の善良な一般市民だ。誰かが後をつけている、そんな事に気が付けるテレビや小説の主人公とは違う。霊感があるわけでもない。だというのに、体の震えが止まらない。
 イヤな気配だけが徐々に濃くなっていく。気付けば歩みは早くなり、小走りでいつもとは違う道を行く。どうして、いつもの道を行かないのか、そんな考えは浮かばない。ただ、こっちの道は安全だ。そんな直感だけを信じ、気付けば息を切らしながら全力疾走している。
 何を怖がっているのか分からない。何故、この道を安全だと思うのか分からない。ただ、犬のように走り続ける。喉はカラカラに渇き、眩暈がする。なのに、不思議と汗が出ない。
 女性の脳裏には朝のニュース番組でキャスターの女が語るここ最近の冬木における事件が思い出されていた。
 連続猟奇殺人。奇妙な儀式めいた事件現場。その犯行の手口は恨みや憎しみによる犯行というよりも、むしろ、通り魔的な、愉快犯的な手口だと、キャスターは語った。
 今夜に限って、周囲に人影は無く、まるで、作り物の世界に迷い込んだかのような錯覚を受け、やがて、女性は終着駅へと到達した。

「あれ……?」

 そこは今度ビルの建つ予定の空き地だった。

「どうして、私、こんなところ……」

 何故か、喉から乾いた笑い声が響いた。
 どうして、こんな場所に自分から来てしまったのだろう。安全だと思う道を選んでひた走っていたというのに――――。

――――ああ、そうか。

 女性は漸く理解した。
 最初から逃げ道など無かった事に気が付いた。

「アハ」

 頭上から落ちて来るモノ。
 足元の地面から湧き出てくるモノ。
 悲鳴すら出せず、女性は背中から地面に倒れた。
 足元には無数の蟲が這い回っている。いや、今では背中や後頭部の周りにも蟲が這い回っている。
 冗談みたいな痛みを感じた。足が、腕が、まるでバッサリと切り落とされたみたいな酷い痛み。
 そんな筈は無いと思いながら指を動かそうとするけれど、そもそも感覚そのものが無い。
 視界は血に塗れ、ギリギリ生きている目で腕の先を見た。
 それが何なのかなど、女性には分からない。それが何をしているのか、女性には分からない。

「――――アハ」

 見た目は男性の性器に似ている気がする。
 本物を目にしたのは高校生の時に数度程度だから自信は無いけれど、芋虫のように男性器が自分の体を這いずり回る様はあまりにも現実味が無い。

「アハ……ヒャハ、わたシ、食ベラれてル?」

 まるで、むしくいだらけのリンゴのような自分の腕を見て、女性は狂ったように嗤った。
 こんな事、ありえない。

 きっと、今頃自分は――イタイ――部屋に戻り、お風呂で――イタイ――一日の疲れを――タスケテ――癒して、髪の毛を乾かして――イタイ――布団の中に潜って――ヒギ――目覚ましが鳴って――カエリタイ――起こされて――ヤメテ――会社に――タベナイデ――会社に――カイシャニ――会社に――イカナキャ――会社に――――イカナキャ。

――――凄惨な光景は五分とかからず終わりを告げた。

 そこに女性が居た痕跡は無く、代わりに一人の老人が横たわっている。
 老人はゆっくりと起き上がった。食事を終えた蟲共の姿は無い。自らの巣に既に帰ったのだ。老人の体の中に帰ったのだ。

「う、む――――、この首の挿げ替えだけは、いつになっても……慣れるものではないな」

 しわがれた声が老人の喉から響く。老人の肉体はとうの昔に滅びていた。今、こうして立っていられるのは、ひとえに間桐……否、マキリの魔術のおかげであった。
 既に出来上がっている体に寄生し、今日においても生き続ける妖怪、それが間桐臓硯――――マキリ・ゾォルケンの正体であった。
 元の体などどうでも良い。一人分の肉を蟲に喰わせ、臓硯という老人の姿を象らせる。どのみち、中身は蟲であり、人間としての機能は蟲共が果たす。その様は正しく擬態であった。

「セイバーの能力は予想を上回る。使いようによっては、此度の聖杯に手が届くやも知れぬ。さすれば、この苦しみから逃れる事が出来る……」

 間桐臓硯は新たな肉体を造る材料さえあれば、不死身の存在だ。だが、それは死徒と呼ぶにはあまりにもお粗末な在り方だ。不滅を維持する為に血だけでは足りず、肉体そのモノを喰らい、その度に苦痛に苛まされる。肉体は常に腐り続ける。
 今、作り上げたばかりの肉体も既に腐敗を初め、生きたまま肉体が腐り落ちる不快感と屈辱感、そして、自身が所詮、蟲なのだと受け入れざる得ない絶望感を抱き続けなければならない。
 自らをヒトでないモノに変貌させ、ヒトに擬態する。ゾォルケンの魔術には限界があった。活きの良い蟲共の作り上げる肉体には何も問題は無いが、肉体を作り上げる際に必要となる設計図たる遺伝子を失った臓硯は己の魂を設計図として蟲共に肉体を復元させている。肉体が所属する物質界の法則ではなく、その上にある星幽界という概念に所属する『記憶』。

――――それが、魂。

 魂が健在ならば、例え、肉体や遺伝子、細胞が滅びたとしても、己の肉体を復元出来る筈だと臓硯は考えていた。自身の魂のみを生かし、肉体を捨て去り、生きているヒトの肉を貪り、器を作り上げる。
 故に臓硯は老人――――マキリ・ゾォルケンの姿にしかなれない。
 臓硯とて、好き好み老人の姿を得ているわけではない。老人の姿にしかなれないのだ。そして、その肉体も定期的に挿げ替えなければ腐り落ちる不出来なモノであり、嘗ては一度の取替えで五十年以上を生きたものだが、今では数ヶ月に一度取り替えなければ存命出来ない矮小なる存在に成り果てた。
 その理由は設計図である魂の腐敗。時間の蓄積により、幽体が影響を受け、腐った構成図によって復元される肉体もまた、腐り落ちるのは当然の事であった。

「この、苦しみから解放されねばならん。骨の髄をも侵す時間という名の毒より解放されねばならぬ。届く可能性があるならば、分かるな?」

 惨劇と老人の独白を少女は終始その目に焼き付けていた。
 言うとおりにしなければ、こうなるのはお前だ。そう、老人は暗に告げるが如く、少女をこの場所に引き連れた。

「はい、お爺様」

 その瞳には希望の色は無く、あるのは諦観と絶望の暗闇のみ。
 胸に去来するのは、目の前で喰われた女のような末路は嫌だな、という思いだけだった。

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