第十三話「ボク」

第十三話「ボク」

 監禁。言葉自体は知ってる。漫画やゲームでもよくある設定だ。確実に言える事は一つ。牢獄に収監された人間を待ち受けるのは【苦痛】である事。一番最初に浮かんだのは生前に良く遊んだゲーム。学生同士が閉ざされた空間の中で殺し合いを強制されるという内容。次に浮かんだのは苛めっ子に買いに行かされたエッチな本。女性が性的な調教を受ける過激なジャンル。そして、最後に浮かんだのは戦争を題材にした漫画。敵国の人間に監禁され、情報のために拷問と尋問を繰り返される恐ろしいストーリー。
 俺を待ち受けているのはきっと拷問と尋問だ。とても怖い。この殺風景な牢獄に連れて来られてからどのくらいの時間が経ったのだろう。拘束を受けているわけじゃないから、動き回る事は出来るけど、動き回った成果は芳しくなかった。コンクリートで四方を閉ざされ、窓一つ無い。唯一の出入り口は厚く頑丈な鉄製の扉。素手で突破するのは不可能だ。電灯も無いから一寸先も見えない。音だけが自分の存在を証明してくれる。
 最初は涙が枯れるまで泣き叫んだ。助けを求めて声を張り上げた。今はもう、そんな気力すらも残っていない。頭がぼんやりとしている。何も見えないストレスで時折気が狂いそうになるけれど、眠るのは怖い。それにここは黴臭くて凄く不潔だ。布団も無い。

「お風呂に入りたいな……」

 こんな状況で何を言ってるんだって、自分でも思う。でも、汗を掻いて凄く気持ち悪い。
 温かいお風呂に入って、柔らかい羽毛の布団に包まれて眠りたい。

「随分と余裕があるものだな」

 くぐもった男の声。恐怖のあまり尻餅をついて悲鳴を上げた。あの重厚な扉の向こうに誰かが居る。まず間違いなく、俺を誘拐した犯人。
 何をされるのか分からない。痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。きっと、俺の嫌だと思うことをされる。

「そうキャンキャン喚くな。男の子だろう?」

 扉が開いた。重い金属音が響き、暗闇に光が溢れた。目が眩み、思わず顔を手で塞ぐと、その手を掴まれた。
 目を開けていられない。振り解こうと我武者羅に腕を振り回すと、男は愉しそうに笑った。

「抵抗していいぞ。無駄だからな」

 人の事を監禁しておきながら、回復した視界に映った男は実に爽やかな笑顔を浮かべていた。驚くほどハンサムな男。掠れた低い声はまるで映画俳優のよう。
 あまりにもこの状況に似合わない。話し方も陽気で汚らわしい犯罪者という名詞にそぐわない。
 だから、余計に恐ろしかった。初めて【IT】を見た時の事を思い出した。陽気で楽しいアイドル的な存在のピエロが剽軽な顔と態度をそのままに人を惨殺していく。
 目の前の男がペニーワイズのように恐ろしい。

「怯えているな。まあ、無理も無いか。安心しな。聞きたい事が聞けたら、直ぐに恐怖や苦痛から解放してやるからさ」

 乙女を惑わす微笑み。その口から飛び出す言霊は悪魔の囁き。
 
「そうだな。拷問ばっかりじゃ、人生の最後を飾るにはあまりにも寂しいか……。つっても、まだ精通もまだだよな? どうだ?」

 あまりにも遠慮の無い物言いに不快感が募る。だけど、直ぐにその不快感もそれを上回る恐怖という感情に呑まれてしまう。
 俺は殺される。
 男の聞きたい事を吐いた瞬間、俺の命の価値は無になる。待つのは死だ。
 少し前は今直ぐ死んでしまいたいとさえ思っていた癖に、今は醜く生にしがみ付こうとしている。ソーニャに会いたい。ジェイクに会いたい。アルに会いたい。

「何だ、意味は知ってるのか」

 男はからかうように言う。

「なら、女を抱かせてやろうか? マグルで良けりゃ、それなりに上物を用意してやるぜ。何でもやりたい放題だ。同い年くらいのがいいか?」

 恐ろしい事をまるで世間話をするかのように語る男に恐怖が募る。女は性欲処理の道具。そう割り切っているようにさえ感じる。実際、そうなのかもしれない。
 
「それとも男がいいか? そう言えば、必死に追い掛けて来るガキが居たな。全身丸焦げにしてやったけど、もしかして彼氏か?」

 心臓が大きく鼓動した。
 今、この男は何て言ったの?
 必死に追い掛けて来るガキって誰の事?
 全身丸焦げにしたって、どういう事?
 俺の驚愕の表情に気を良くしたのか、男は饒舌に語り始めた。俺が意識を奪われた後のアルと死喰い人の戦いのあらましを……。

「……嘘だ」
「嘘なんかつくもんか。悪霊の火に飲みこまれたんだぞ? 全身丸焦げで即死さ」

 大袈裟に肩を竦めて見せる男に無意識の内に飛び掛った。何か考えがあったわけじゃない。ただ、目の前の男が許せなかった。
 男は腹立たしい程簡単に俺の体を捻じ伏せた。

「なんだ。やっぱり、男が良いのか? なら、適当に見繕ってやるよ。安心しなって、俺は同性愛者に偏見なんか持たないぞ? 重要なのは血統だからさ」

 悔しさで涙が滲む。アルを殺したなんて嘘に決まってる。決まっているのに嫌な光景が脳裏にチラつく。アルが湖に沈んでいく光景が頭に焼きついて離れない。
 最後に見たアルの顔を思い出す。あれが彼との別れなんて嫌だ。死にたいという衝動が過ぎ去った今、どんな事をしてでも許しを請いたい。また、笑顔を向けて欲しい。

「まあ、それも君が良い子にしてくれたらだけどな。じゃあ、ちょっくら始めようか。クルーシオ」

 囁くような声と共に【苦痛】は唐突に始まった。
 牢獄の中がまるで大型の冷凍庫になってしまったかのように寒くなった。全身が凍り付いたように冷たい。次の瞬間、部屋全体が燃え始めた。かと思えば、部屋から水分が消え去り、まるで砂漠のようにカラカラに乾いた。途端、ジメジメとした湿気に襲われた。天と地が逆転し、一瞬の間に起こる部屋の変化に頭がおかしくなりそう。
 いつの間にか閉じていたらしい瞼が開くと、俺は知らない場所に立っていた。燃え盛る炎が家々を燃やし、炎に焼かれた人がのたうち回る。助けを求める声が響き、目の前には必死に手を伸ばすあどけない容姿の幼子の姿。手を掴もうとした瞬間、目の前で幼子は焼け死んだ。
 包丁で刺された。誰が刺したのかを確認しようと振り返ると、両手両足に杭を打ち込まれた。痛みに絶叫すると、俺はベッドに括り付けられていた。誰かが俺の眼球に手を伸ばす。躊躇いも無く、その何者かは俺の眼球を抉り出した。生々しい感触に声が枯れる程叫び、舌を引き抜かれた。
 神経が体から飛び出し、ヤスリに掛けられる。想像を絶する痛み。磔にされた状態で内臓を抉り出される。腸や心臓や肺が飛び出し、糞便の詰まった腸を口に捻じ込まれる。
 耳を細い針で貫かれ、燃やされ、溺れさせられ、電気を流され続ける。
 数時間とも数日とも感じる拷問が終わりを告げ、元の牢獄に戻ると、誰かが悲鳴を上げていた。

「怖い怖い怖い怖い!! 助けて!! 殺さないで、殺さないで、お願いだから助けて!! 焼き殺される、串刺しにされる、切られる、溶かされる、蝕まれる。やめてやめてやめてやめて殺さないで助けてお願いしますお願いします殺さないで下さい。何でもしますから殺さないで下さい。全てを捧げますから!! 命を捧げますから殺さないで下さい。助けて下さい。命だけは助けて助けて助けて殺さないで怖い怖い怖い怖い怖い殺される犯される内蔵を摘出される骨を砕かれる背骨を抜かれる生きたまま埋められる!! やだやだやだやだ何でも差し上げますからもう止めて下さい。殺さないで殺して早く殺してこんなの嫌だこんなの間違ってる嫌いやイヤ助けて下さい俺を殺さないで殺さないで怖い怖い殺さないで声が怖い聞こえない何も無い助けて俺を助けて怖い怖い怖い怖いィィィィィィィィ!!」

 殴られた。さっきまでの拷問とは比べ物にならない痛み。だけど、その痛みが俺を正気に戻した。
 叫んでいたのは俺だ。無様に命乞いをし、殺して欲しいと懇願したのは俺だ。憎むべき敵に尻尾を振ったのは俺だ。

「どうだい? 磔の呪文、なんて言われてるがね。加減が難しいんだ。情報を聞き出す前に廃人になられたら一大事だからさ。衝撃的な初体験だったろう? でも、初めてで壊れる奴は意外と少ないんだ。どうしてか分かるか?」

 そんなの分かる筈が無い。考える余裕すらない。ただ、体を震わせて現実から逃避しようともがくだけ。

「簡単さ。これはまだ序の口なんだ。どんな悲劇も……一過性じゃ、絶望には届かない。まあ、恐怖は植えつけられるだろうが、それだけさ。絶望させるには、どうすればいいと思う?」

 黙って欲しい。一人にして欲しい。

「ヒントをやろう。君は一体、どのくらい磔の呪文を受けていたと思う?」

 まるで、恋人同士がキスをするような距離で男は問い掛けてきた。
 後退ると、男は俺を壁際まで追い詰めた。

「……三日間?」

 俺が答えると、男は何がそんなにおかしいのかと不思議に思うほど大袈裟に笑った。腹を抱えて爆笑する男に俺は困惑した。

「……一日?」

 俺が言い直すと、男は首を横に振る。

「五分だよ」

 俺は言葉を失った。そんな筈無い。だって、どんなに少なく見積もっても数時間は経過している筈。

「ちなみに、これは君が悲鳴を上げて我を失っている時間も計算に入れている。実際には三分くらいかな? もう少し長く呪文を掛け続ける事も出来るんだけど、適度にインターバルを挟まないとね。じゃあ、そろそろ続きと行こうか。クルーシオ」

 また、【苦痛】が始まった。何を聞きたくて拷問するのかも説明が無いまま。
 死を経験した。巨大な岩に押し潰された。首を巨大な鎌で切り落とされた。皮膚を少しずつヤスリで削られた。頭を鋸で切られ、脳味噌を切除された。
 繰り返される死はどれも幻覚とは思えない痛みと恐怖を伴った。
 現実の世界に戻って来た後も生々しい感触が甦り、泣き叫んだ。

「もう嫌だ。止めて!! お願いだから止めて!!」
「駄目だよ。駄目駄目。もう少し頑張ろう。大丈夫だからさ。だって、まだまだ始めてから十分しか経ってないぞ? さあ、クルーシオ」

 死は慣れるものでは無い。あらゆる方法で死は俺の体と心をいたぶり続ける。
 死だけが苦しみでは無い。汚物に全身を穢され、口や鼻にまで気が狂いそうな臭気を放つ汚物が流れ込んで来る。
 音も無い暗闇の中で延々と彷徨い続ける事が苦痛となる事も学んだ。
 
「もう止めて!! お願いします!! 何でもしますから、もう止めて下さい!!」

 現実に戻ったと理解した瞬間、俺は男の足下に平伏した。聞きたい事があるなら何でも聞いて欲しい。して欲しい事があるなら何でもする。だから、もう解放して欲しい。その先に死が待っていようと構わない。死ですら俺には甘美な御褒美に思える。
 殺してもらえるなら、何でもする。そう心の底から思う程、俺の心は磔の呪いを拒んだ。
 だけど、そんな慈悲の心を期待するなど愚かな事だ。彼の微笑みと共に零れた言葉が俺にそう自覚させる。

「クルーシオ」

 人の口に自分の肉が運ばれる。ナイフで俺の指を切り、ソースで味付けをして口に運ぶのは俺の知っている人だった。ソーニャは美味しそうに俺の指を食べている。ジェイクは俺の眼球に串を刺して涎を垂らしている。アルは俺の頬にかぶりついて歯を立てる。
 家畜の用に首に縄を付けられた。裸のままホグワーツの城を四つん這いになって歩かされる。知っている顔も知らない顔も皆一様に汚らわしいものを見る目を向けてくる。

「ああ、良い感じだ」

 現実に戻って来たのかどうかさえ、もう分からなかった。
 ただ、死にたかった。でも、声を上げる事すら出来なかった。指一本動かなかった。男が満足そう微笑むのをただ呆けた表情で見つめるだけ。

「壊れる寸前まで追い込むのが肝なんだよ。今日はここまでだね。じゃあ、また明日ね」

 そう言って、男は牢獄から去って行った。拷問の目的も言わずに糞尿を垂れ流し、涙を流し続ける俺を放置したまま。異臭も不快感もどうでもいい。ただ、死にたい。
 何時間も俺はただ同じ事を考え続けた。ただ、死にたい。
 舌を噛み切るにも体は言う事を聞かず、暗闇の中で死を望みながら俺はいつしか意識を失った。そして、目が覚めるとあの男が居た。
 不思議なもので、一度寝ると僅かに理性が戻って来た。戻って来てしまった。

「良いぞ。実に良い感じだ。昨日の体験は脳裏に焼きついているよな? さあ、勉強で大切な事は授業で覚えた事を直ぐに復習する事だ。クルーシオ」

 止める暇も無かった。また、何の説明も無く俺は死を彷徨った。
 たった一回。時間にしてたった五分。それだけで俺は一晩で取り戻した理性を失った。死を望むだけの人形。
 男は精魂篭めて作り上げた自慢の作品を見つめるかのように俺の体を眺めている。

「良い子だ。実に良い子だ。さあ、ついて来なさい。一度、体を洗おう。今の君は不潔極まりない」

 もう、何も考えられない。されるがまま、俺は男に連れられて自分の汚物で汚れきった服を脱がされて湯船に沈められた。まるで泥がついた玩具を洗うみたいに乱暴に魔法で湯船の中で体を洗われた。
 息が出来ず、ただでさえ麻痺していた思考回路が完全に停止する。
 いつ、湯船から上がったのか。いつ、服を着せられたのか分からない。俺はいつの間にかふかふかのソファーに座っていて、明るくオシャレな部屋に居た。

「さあ、質問を始めようか。素直に答えたら御褒美を上げよう。そうだな。好きな食べ物はあるかい? それに、好きな動物や好きな乗り物。何でも言ってくれて構わないよ。君の為に何でも用意してあげよう。それに、死に方も決めさせてあげるよ。お勧めは死の呪いだ。あれは苦しみが最も少ない。禁断の呪文だなんて言われているが、あれほど慈悲に溢れた魔法は無いと思うよ。人が最も恐れる、逃れえぬ死という終焉を最も心地良く迎えさせてくれるのだからね。まあ、俺は経験した事が無いからただの想像だけどさ」

 まるで小粋なジョークで場を和ませようとしているかのように明るい口調。ああ、何て恐ろしい人だろう。俺の心にこの人に抗うという選択肢は存在しなかった。

「さあ、教えてくれたまえ。我が主の望みを叶える君の異界の知識とやらを」

 ああ、何でも話します。貴方が望むならどんな秘密を打ち明けます。そう思って、口を開こうとした瞬間、驚く程鮮明な記憶が甦った。
 俺の秘密を打ち明けた時のアルの顔。
 彼が死んだと言ったのは誰だった? 
 彼を殺したと言ったのは誰だった?
 目の前の男はアルに何をした?
 それは些細な切欠だった。秘密を打ち明けるという行為。それは一生の想いだと信じたアルとの絆を思い出させた。

「死ね」

 俺の口から飛び出たのはその言葉だった。

「何?」

 男はハンサムな笑顔を歪め、俺を凝視した。

「死ね」

 恐怖も痛みも何もかも薙ぎ払い、抱いた願望も押し退けて、その感情は俺を支配した。
 憎悪だった。

「死ね」

 生前も生後も抱いた事の無かった感情。誰かを明確に憎んだのは初めてだった。虐めを受けた時もこんな感情は抱かなかった。ただ、逃げるばかり、泣くばかりだった。

「……君は悪い子だな。どうやら、教育は上手くいかなかったらしい。やり直しだな。クルーシオ」

 躊躇いも無く、俺を地獄へ送り出した。
 繰り返される死はけれど心に灯った初めての感情を掻き消す事を出来なかった。
 むしろ、その感情をただいたずらに煽るだけだった。
 憎悪は怒りを呼び、苛立ちを呼び、嗜虐の心を呼んだ。

「……やり方を変えるべきか」

 現実に戻った俺を見た男の表情は苛立ちを隠せていなかった。

「クルーシオ」

 これまでで一番長い地獄だった。そうして、俺の監禁生活の二日目は終了した。
 そして、三日目。彼は五人の小さな子供を連れて来た。

「君みたいに正義感溢れる少年にはこういう方向で責めるのもアリかと思ってね」

 俺を椅子に縛りつけ、目を閉じられないように呪いを掛け、男は一人目の子供を拷問した。
 磔の呪いとは違う。爪を一枚一枚剥がし、髪を少しずつ引き千切り、死なないように治癒の魔法を掛けながらじっくりじっくり甚振った。
 他の四人の子供は恐怖に泣き叫び、男は穏やかな笑顔を浮かべ、少年の首を切り取った。

「さあ、話してくれるかな?」

 ああ、何て酷い光景なんだろう。ああ、何て猟奇的なんだろう。ああ、何て惨い。

「アハッ……」

 笑い声が聞こえる。誰が笑っているのか何て、見るまでも無い。何て酷い男だろう。あんな幼い子供を甚振って、殺して、その挙句に笑うだなんて……。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 ソレにシてモ、本トウにタノシソうナワライ声ダ。
 ワライゴエハトマラナイ。アレ? ドウシテ、カレハオドロイタカオヲシテイルノダロウ?
 カレハワラッテイルハズナノニ。
 
「壊れてしまったのか……。いや、まだ……。仕方ない。少し休ませるか。少し焦り過ぎたな。いかんいかん……」

 ソコデオレノキオクハトギレタ。

 そして、僕は暗闇で目を覚ました。男が入って来ると僕は悲鳴を上げて泣き叫んだ。男は実に嬉しそうな顔で近づいて来る。
 僕はそんな彼の顔を遠ざけるように手を伸ばした。
 そして、僕は彼の目玉を抉り出した。パパとママを殺した日のように彼のまん丸な眼球に映る僕は幸せいっぱいの笑顔だった。

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