第六話「予言」

 悲鳴が聞こえる。赤い海の中で悲鳴だけが延々と響き続ける。
 ここはどこ? 僕は何をしているの? 誰か助けて。
 必死に声を張り上げているのに、声はまるで赤い海に呑み込まれるように消えていく。逃げようとすると、僕はいつの間にか奇妙な物を持っていた。どうして、こんな物を持ってるんだろう?
 真っ赤に汚れたソレを僕は怖くなって投げ捨てる。怖い。
 ママ、パパ、助けて。必死に走る。走って、走って、走り続ける。
 家が見えた。赤い屋根の小さな家。僕が生まれ育った家だ。もう安心。怖い事はもうお仕舞い。
 家に飛び込む。ママはキッチンに居た。僕が返って来た事に気付いたみたい。ママの声が聞きたい。ママの顔が見たい。ママに優しくしてもらいたい。

『ママ……!』

 酷い耳鳴りがする。
 突然、目の前が真っ赤に染まった。何も見えない。怖い。助けて。誰か助けて。
 どうして、誰も助けてくれないの。いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも……。
 手に持っているこれは何? わからない。知らない。こんなの知らない。僕はソレを捨てて走った。
 パパが居た。ルリが居た。また、耳鳴りがした。真っ赤になった。
 赤い海が迫ってくる。逃げても逃げてもどこまでも迫って来る。逃げて、逃げて、逃げ続けて、僕は学校に来た。学校の中で僕は教室に隠れた。大嫌いな教室。僕の席なんて無いのに、今の僕にはここ以外の居場所が無い。今日も閉じ込められた掃除用具入れの中に逃げ込んだ。
 頭がガンガンする。
 止めて。壁を叩かないで。僕、雑巾なんて食べられない。嫌だ。雑巾で拭った牛乳なんて飲めない。
 助けて、先生。どうして、顔を逸らすの? 助けて。怖い。トイレなんて行きたくない。おしっこなんて飲みたくない。どうして、助けてくれないの? 痛いのは嫌だ。蹴らないで。熱い。タバコの火は嫌だ。助けて。
 嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。
 仕方ないじゃない。僕は悪くない。悪いのはアイツらだ。
 先生なんて嫌い。ママなんて嫌い。パパなんて嫌い。ルリなんて嫌い。タクヤなんて嫌い。ショウヘイなんて嫌い。タカシなんて嫌い。ユウヘイなんて嫌い。みんな嫌い。

『――――してだよ!?』

 耳鳴りがする。赤い海から怪物が現れた。凄く怖い怪物。逃げなくちゃ。どこか遠くへ逃げなくちゃ。
 痛い。止めて。僕のせいじゃない。お前らが悪いんだ。僕は悪くない。
 逃げられない。もう、戦うしかない。怪物を退治しなきゃ。今度こそ、怪物の尾の先まで全部殺さなきゃ。殺さなきゃ。殺さなきゃ。
 僕ならやれる。僕ならやれる。僕は……僕は……、お、俺はやるんだ。
 耳鳴りがする。酷く窮屈。絞め殺す気だ。そうに違いないんだ。奴に俺を殺す以外の考えなんてない。逃げなくちゃ。戦えない。どうしても戦えない。牙も爪も折られた。酷い。
 涙が零れ落ちる。早く、逃げなくちゃ。どこか遠くへ逃げなくちゃ。
 アハ、そうだ。ここからなら、逃げられる。
 眩暈がする。鎖で縛られている。抜け出せない。逃げ出せない。最期なのに。これが最期なのに。
 不意に鎖が外れた。ああ、これで逃げられる。もう、二度と戻る事は無い。

『待て!! 待ちやがれ!!    !!」

 怪物は俺に手を伸ばす。でも、もう捕まらない。俺は逃げ切った。
 そして、俺は目を覚ました。

第六話「予言」

 私は同僚の死体を前に動揺していた。
 死など見慣れたもの。何十、何百と目にして来た。なのに、私は動揺している。どうやら、私も歳を取ったらしい。
 キングズリーの死体はウェールズの山奥で発見され、上空には闇の印が浮かんでいた。彼に何が起きたのかは調査中だが、結果が出るのはかなり先の話になるだろう。
 今分かっている事はキングズリーが殺される直前、ホグワーツ特急に乗っていた事。そして、そこでユーリィとハリー・ポッターを狙ったという事。更に、そこで屋敷しもべ妖精と思われる存在に殺害されたこと。

「何故、死喰い人などに寝返ったんだ……」

 キングズリーの死体を前に私はただ悼む事さえ出来ない。真実を知らねばならない。
 
「頼むぞ、局長」

 今、私達は瀬戸際に立たされている。クラウチ邸に上がった闇の印とクラウチ氏の失踪。その二つの事件について魔法省大臣のファッジは実に臆病になっている。
 市中では闇の帝王が甦ったのではないか、という噂が流れている。その噂を事実と認める事に恐怖している。必死に否定しようとするあまり、闇の帝王に関する案件に必要以上に慎重になり過ぎてしまっている。我々が昨今行っている闇の魔法使いに対する強硬な捜査にもついにメスが入り、今、局長が呼び出されている。 
 戻って来たのは半日後の事だった。キングズリーの死体の調査はあらかた終了し、大まかにだが彼の行動の経緯が見えて来た所だった。

「調査の結果を聞こうか、エドワード」

 私は資料を取り出し、調査で判明した事実を読み上げた。

「キングズリーの死体なのですが、かなりの衰弱状態にある事が判明しました」
「衰弱状態だと?」

 部下の報告書を取り出し、局長に見せる。闇祓い局の専門医の調査は完璧だ。キングズリーの死亡当時の状態が事細やかに記されている。
 それによると、キングズリーの衰弱は毒物によるものらしい。それも極めて強力かつ凶悪な魔法薬によるもの。飲んだ者にその者が最も恐怖する幻覚を見せ、心身ともに衰弱させる凶悪な薬。
 市販など当然されていない種類の物で、今の所、特定には至っていない。
 ただ、毒物をいつ、どうやって接取してしまったのかは判明している。驚いた事にそれは一週間も前の事だった。それも口から服毒したらしい。

「一週間前のキングズリーの行動は?」
「例の分霊箱の調査の一環で、彼はヴォルデモートが幼少期に暮らした孤児院を調べていた筈です」
「まさか……」

 恐らく、スクリムジョールは私と同じ事を考えている筈だ。キングズリーはそこでヴォルデモートに出会っている。そこで毒を盛られたに違いない。

「衰弱状態ではさしもの彼も服従の呪文に抗えなかったのでしょうな」

 俺の言葉にスクリムジョールは重い沈黙を返した。

「エドワード」

 かなり時間が経ち、唐突にスクリムジョールは口を開いた。

「なんでしょう?」
「例の予言についてだ……」

 鼓動が早まる。スクリムジョールの考えている事は彼のその一言ですぐに分かってしまった。

「ユーリィは違います」
「しかし……、彼の言葉が発端となり、今の事態に発展している。それは間違い無い」

 スクリムジョールの言葉は正しい。その事は部下や同僚の調査結果を見れば明白だ。
 ユーリィが分霊箱の話を持ち掛けた事で我々は動き出し、結果として闇の勢力の動きが活発化し、キングズリーは死んだ。

「ですが、発端となっただけです。それ以降の事はあの子に関係ありません」
「関係ないからこそ恐ろしいのだ」

 スクリムジョールは深い溜息を吐いた。

「予言の内容を忘れたか? あの予言が真実ならば、むしろ……」
「違います」

 そんな筈が無い。私は自分に言いきかせるように言った。

「あの子は確かに予言の内容に一致する面があります。ですが、私は確信を持っています。違う、と」
「言い切れるのか?」
「あの子の傍に居ました。あの子の両親の事もあの子自身の事もよく知っています」

 そもそも、私が家をクリアウォーター邸の隣に建てたのはその事を確かめる為だ。たまたま条件が一致してしまった子を宿したソーニャを守る為にマチルダに頼まれ、あの家を建てた。
 それから十三年。ずっと見守り続けた。あの一家の事をずっと。
 あの一家はただの一度も不幸に見舞われなかった。あの子は予言の子ならば今頃ソーニャもジェイクも私自身も生きてはいまい。

「そもそもだが……」

 スクリムジョールは言った。

「あの予言の内容にはまだ不明な部分が残されている」

 もう、十年以上前になる。その予言がもたらされたのは。
 私が予言を知ったのは当時、闇祓いを引退し、ホグワーツで闇の魔術に対する防衛術の授業で教鞭を取っていたマチルダのおかげだった。
 ホグワーツには闇の魔術に対する防衛術の教師は一年ごとに必ず何らかの理由で入れ替わるというジンクスがある。その年もご多分に漏れず闇の魔術に対する防衛術の教師の席が空いていた。まだ、闇の帝王の脅威に人々が怯えていた時代、闇の帝王の勢力に対抗する術を教える授業で教鞭を取る勇気ある魔法使いは殆ど居なかった。
 だが、マチルダは違った。勇気があり、聡明な彼女は闇祓いの仕事を引退して尚、次代を生きる子供達を守る為に教師となった。
 そして、偶然か、はたまた運命か、その予言を耳にした。同僚の占い学の教師が口にしたという恐ろしい予言。
 無論、直ぐに信じたわけではなかった。だが、信じざる得ない事態が起きた。かの占い学の教諭はもう一つの予言を残していた。そして、その予言は的中し、闇の帝王は敗れた。そして、希望の予言の子が生まれた後、魔を置かずに絶望の予言の子の条件と一致する子供が生まれた。それもマチルダにとって最悪な場所に。
 幼馴染のジェイクと親友のソーニャの間の子供が予言の条件と一致してしまった。希望の予言が的中した事により、恐怖を抱いたマチルダは私やスクリムジョールに相談を持ち掛け、私はソーニャとジェイクと出会い、彼らを見守る事となった。マチルダも教師の職を辞し、常に傍に在り続ける決意を固めた。無論、彼らには悟られぬように心掛けて。

「あの予言が真実とも限りません。ハリー・ポッターの予言はたまたま的中しましたが、件の教授は普段、生徒に適当な占いばかり聞かせていると言いますし……」
「だが、真実であったなら、あの子は幽閉せねばならん。さもなくば……」

 譲らぬスクリムジョールに私は雲泥たる思いを抱いた。
 彼の気持ちはよく分かる。恐らく、正しいのは彼なのだと分かる。それでも、易々と認めるわけにはいかない。
 あの子は私の親友の子なのだ。家族も同然の愛すべき子なのだ。その子を死ぬまで幽閉するなど出来る筈がない。
 己が情に振り回されているのは理解している。だが、希望がある限り、諦めるわけにはいかない。
 
「さっきも言ったでしょう。あの子が予言の子ならば、既に私はこの世に居ない筈……」
「あの予言には学生という言葉がある。学生となる事で予言が現実となり始めるのだとすれば……」

 スクリムジョールの言葉に私はマチルダから聞いた予言の前文を思い出した。

『Footsteps of despair of ultra-high school class to conceal the hope sound.When the month of eight eyes born, soul unclean would be born under the purebred resisting emperor.He will change despair to hope.There is no future if the person there.If you do not seal him, death will cover the world.However, the death of He will be the priming of a New despair』

 予言の言葉を私は現在の所、【希望を覆い尽くす絶望の足音が聞こえる。穢れた魂は八つ目の月が生まれる時、帝王に抗う純血の下に生まれるであろう。その者は希望を絶望へ変えるであろう。その者が在る限り未来は無い。その者を封じなければ、死が世界を覆うだろう。しかし、その者の死は新たなる絶望の呼び水となるであろう】という内容で理解している。
 この内容を一つ一つ吟味する内にマチルダはソーニャとジェイクの子供へ辿り着いた。その年に生まれたヴォルデモートに抗っている純血の夫婦の間に生まれる八月初め生まれの赤ん坊。それはたった一人しか該当しなかった。
 マグルにも目を向ければそれなりの数が居るのだろう。純血でなければ、ヴォルデモートに対抗していなければ、更にその数は多かった事だろう。だが、実際には一人だけ。
 だが、予言が真実であるという確証など無い。それに、予言には分からない部分もある。希望というのもあやふやであり、何を指すのかも分からない。
 なにより、【despair of ultra-high school class】という単語の意味が不明なままだ。究極の学級の絶望などという意味の分からない言葉。こんなものを鵜呑みにして、あの子の未来を閉ざすわけにはいかない。

「キングズリーが死んだのはヴォルデモートの手によるもの。断じて、あの子のせいではありません」
 
 絶望など無い。私はただ戦うのみ。戦う相手は絶望などというあやふやなものではない。私の敵はヴォルデモート。そして、闇の勢力なのだ。

……Interlude

  ホグワーツに戻ってきてから一週間が経った。俺の周りでは色々な変化が起きている。一番大きな変化はハリーとの関係。ハリーは俺を避けている。ううん、そうじゃない。彼は俺を嫌っている。理由は俺がバジリスクを救う事に協力的じゃないからだ。
 新学期が始まってから、ハリーはハーマイオニー、ロン、ネビル、アルと一緒に図書館に入り浸っている。理由は明確。バジリスクが万が一処分されるような事態を回避する為だ。バジリスクが安全であると弁護するための情報を集めている。それが無駄骨である事をハリー以外は重々承知の上で皆、ハリーに付き合っている。ロンはその事でよく愚痴を零す。むしろ、魔法省が処分してくれるなら大歓迎らしい。彼にとって、バジリスクの存在は忌まわしい負の記憶を甦らせる悪しきものらしい。ロンは俺を拷問した時の事を覚えているみたい。時々、俺を見て顔を青くする。バジリスクの件に触れた後は特にそれが顕著になる。
 ネビルも積極的にバジリスクを救いたいとは思ってないのが明らか。バジリスクを見る度に恐怖に慄いているもの。アルも本気で取り組んでいるとは思えない。いつも一人で行動していて、気が向いた時に手伝っている感じ。普段何をしているのかは俺にも内緒。俺には秘密を持つなっていう癖にフェアじゃない。それを言うと、お前が全部秘密を打ち明けたら話してやる、ときたものだ。素直だったアルはどこに行ってしまったのだろう。
 唯一、本気でハリーに味方しているのはハーマイオニーだけ。でも、それはハリーに悔いを残させないためという面が強い気がする。もし、バジリスクの処分が決定されても、【僕は全力を尽くした。だから、これはどうしょうもない事だったんだ。僕は悪くない】と言い訳が出来るように。それがハーマイオニーの優しさであり、彼女の下した冷徹な判断だった。バジリスクは助からない。最善の結末が無いからこそ、次善の結末を用意している。きっと、誰よりもハリーを想い、誰よりもハリーの想いを蔑ろにしている。それが優しさなのか、強さなのか、冷たさなのか、俺には分からない。
 ヴォルデモートが動き出したというニュースは耳に入って来ない。闇の印やホグワーツ特急襲撃以降、闇の勢力は不気味な静けさを保っている。

 事態が急変したのはそれから更に一ヶ月が経ってからの事だった。切欠は魔法省から届いた一通のフクロウ便。そこに記されていたのは予想通りの内容だった。
 バジリスクとハリーに対する出頭命令が下された。この段階では魔法省がハリーを目の敵にする理由は無い。ファッジは全面的にハリーの味方の筈。それにも関わらず、ハリーを出頭させるのはそれだけバジリスクの存在を危険視しているからだろう。
 バジリスクの事は怖い。だけど、このままだとハリーとは永遠に仲直り出来なくなりそうな気がする。俺はどうすればいいんだろう。助ける為に力を貸すべきか、否か。助けるにしても俺に出来る事なんてあるんだろうか。
 でも、どれだけ考えてもわからない。バジリスクを助ける方法なんて、俺には分からない。
 そして、時間だけがどんどん過ぎて行き、俺は何も出来ないままその日を迎えた。

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