第九話「ドラコ・マルフォイの悩み」

第九話「ドラコ・マルフォイの悩み」

 僕は何をしてるんだろう。

「でね、カルパッチョのソースを自分なりに工夫出来ないかなって」
「別にソースなんて拘らなくてもいいなじゃないか?」
「そんな事ないよ!」

 僕は図書館に古代ルーン文字学の宿題をしに来た筈なんだ。なのに、どうして料理に関する論争に巻き込まれているんだ。

「まさか、貴方までパスタには塩だけで十分! なんて言うつもり?」

 心底失望した様子で僕を見るグレンジャーをぶん殴りたくて仕方無い。
 我慢だ。我慢するんだ。これは任務なんだ。両親の命が懸かっているんだ。
 必死に自分を抑えながら憂鬱さをアピールするために額に手を当てる。

「そんな訳無いだろう。味覚を鍛える為に僕は世界中の美食で味覚を鍛えているんだ。下々の味覚音痴共と一緒にするな」
「なら、ソースの重要性は分かる筈だわ」
「ソースなんて唯のアクセントだと言ってるんだ。重要なのは素材をどう活かすかだ。そんな事も分からないとは……」

 呆れて言葉も出ないよ。

「わざとらしく溜息吐いて、もう!」

 何の事を言ってるのかわからないけど、グレンジャーはどうにもご機嫌斜めのようだ。まったく、直ぐに癇癪を起こすのは殆どの女に共通する欠点だ。
 しかし、関係を良好にし、奴から秘密を話させるにはこうした下らない会話も必要だ。

「クリアウォーター」
「は、はい」

 僕が呼び掛けると、大袈裟な反応を返す。まだ警戒心を解くには至っていないらしい。
 奴の性格はある程度掴めている。恐ろしく面倒だが、此方から踏み込まねば一向に関係は深まらないだろう。

「そもそも、何故魚料理にカルパッチョソースなんだ?」

 カルパッチョと言えば肉料理だろう。しかも、魚を生のまま使うと言い出した。正気か、こいつ。

「えっとね……。日本だとカルパッチョと言えば魚料理なんだ」

 日本。あの他国の真似ばかりする下品な国の事か。
 日本人を何人か見た事があるが、どいつもこいつも人の顔色を伺うばかりで主体性が無い。僕が最も軽蔑する人種だ。
 クリアウォーターも奴等に似た空気がある。なるほど、だから日本贔屓という訳だ。まったく、こんなのと仲良くならねばならないとは苦痛を通り越して絶望的だな。

「日本だと刺身っていう、魚を生のまま食べる文化があるの。その時に醤油っていうソースを掛けるのが普通なんだけど、カルパッチョソースを掛けても凄く美味しいの」

 生魚を食うなんて、日本って国はとんでもなく野蛮な文化を持っているらしい。火を入れずにそのまま食べるなんて、獣と同じじゃないか。

「魚を生で食うとは理解し難いね」
「あら、生魚のカルパッチョは日本のオリジナルじゃないわよ? カルパッチョがお肉だけだなんて、随分と世間知らずなのね」

 人をこ馬鹿にしたような口調でグレンジャーが言った。穢れた血風情がなんて無礼な態度だ。

「ハ、ハーマイオニー」

 一々、僕をチラ見しながらグレンジャーを抑えるクリアウォーターに余計に苛立ちが募る。
 こういう態度の人間が僕は一番嫌いだ。これならポッターの方がまだマシだ。
 確固たる意思がこいつにはあるように見えない。

「ふん……。そろそろ、僕は宿題に戻らせて貰うよ。まったく、くだらない」

 ここまでが限界だ。これ以上、こいつらに付き合っていたら苛立ちが爆発してしまう。
 まったく、このドラコ・マルフォイともあろう者がこんな愚鈍な奴らを相手に……。

「あ、あの……ドラコ君」

 人が必死に怒りを抑えてやってるというのに、クリアウォーターはあろう事か宿題に取りかかり始めた僕に声を掛けて来た。
 良好な関係を作る上では良い兆候なのだろうが、それでも尚忌々しい。

「なんだ?」

 つい、反応も刺々しいものになってしまうが、このくらいは我慢してもらおうじゃないか。
 
「えっと、今度……、その……」
「ハッキリと言え! 僕はハッキリしない人間が大嫌いだ!」

 あまりにもグズグズと言葉を濁すものだからついに我慢し切れなくなった。
 僕の言葉にクリアウォーターは明らかに動揺している。
 こうして、図書館で偶然会い、話が出来るようになるまでにかなりの時間を要した。
 初めて、古代ルーン文字学の授業を受けたあの日からもう二週間だ。期限まで、もう二ヶ月ちょっとしかない。
 積み上げてきたものを一瞬で台無しにしてしまった絶望感に頭を抱えそうになる。

「もう! そんな言い方って――――」
「待って、ハーマイオニー」

 案の定憤るグレンジャーをクリアウォーターは宥めながら俺を見た。

「ごめんね」
「謝られても困る」
「……うん。ねえ、今度一緒にご飯を食べない?」

 無理な事を言う。

「僕は……スリザリン生だ」

 確かに、距離を縮めるなら良い案と言える。だけど、僕はスリザリン生だ。グリフィンドールの生徒と堂々と食事を取るなど不可能だ。
 そんな真似をすれば僕のスリザリンでの地位は地に堕ちる事になる。
 そうなれば、もうクラッブもゴイルもパンジーすらも僕から離れて行くだろう。

「そっか……。ごめんね。考えなしだった」
「……別に、謝る必要は無い」

 どうにか、皮一枚で首が繋がったらしい。
 
「僕のレポートは仕上がった。読んで見てくれるか?」
「あ、じゃあ俺のも!」
「……私のも読んで見てくれるかしら」

 僕らは交互に互いの宿題レポートを読み比べる事にした。
 三人三色。それぞれの個性が現れている。
 今回の課題は古代ルーン文字の成り立ちについての考察。クリアウォーターは一つ一つの文字に含まれた意図を重要視している。グレンジャーの場合は理路整然と成り立ちの歴史を綴っている。
 僕は二人とは違い、文字を作るに至った製作者の意図を読み取ろうと画策した。
 僕は文字の作成に至るまでの過程を考察し、グレンジャーは文字の作成段階の過程を考察し、クリアウォーターは完成した文字を考察している。
 
「面白いな……」

 素直な感想が口を吐いた。
 魔法薬学にも言える事だが、魔法使いというのは大抵論理的思考に向いていない者が多い。
 変身術や呪文学、占い学などの感性こそを重要視する学問とは正反対の方向性にある魔法薬学や古代ルーン文字学、数占い学が多くの生徒に拒まれる理由はそこにある。
 こうして、同じ知能指数の人間と語る機会は無いわけではない。大人の中にはスネイプを含め、論理的な思考を尊ぶ者も居る。だけど、同世代でこれほど論理的思考が出来る人間はそうは居ない。

「そう言えば……、魔法薬学でもレポートが出ていたな。完成したら見せ合わないか?」

 気付けばそんな提案をしていた。任務の事も忘れ、純粋に思った。
 この二人ともう少し学問について語ってみたい、と。
 
「いいわね。じゃあ、明日の午後にまたここに集合しましょう」
「ああ、それで構わない」
「じゃあ、俺達は寮に戻るね。ドラコ君はどうするの?」
「もう少し、ここに居る。お前達のレポートを読んで、少し弄りたくなった」

 俺の言葉に何か感じるものがあったのか、グレンジャーとクリアウォーターは再び席に戻った。

「私もちょっと手直しするわ」
「俺も……」

 負けず嫌いなのかどうか知らないが、何とも張り合いがあるな。
 料理の話ではあまり盛り上がれなかったが、こうした学問の話題なら案外良好に話せるんじゃないか? そう考えながら、僕は自分のレポートの手直しに取りかかった。
 その日以来、僕は度々二人と宿題を共にこなす日々を送るようになった。

「それで、ハリーもロンも私達の宿題を写す事ばっかり」
「クラッブとゴイルも同じ感じだな。自分でする気がまったく無い。少しでも知性を身に着けて欲しいと思ってるんだが、本人にその気が無ければな……」

 最近ではこうして愚痴を零しあうまでの仲になった。
 知性を尊ぶ者同士、悩む事も同じというわけだ。
 知性の無い輩に知性を分け与えたいと悩んでいる。
 
「それにしても、私達って先生に向いてると思わない?」
「先生?」

 思わず聞き返すとグレンジャーは満面の笑顔で頷いた。

「最近、どうやってハリー達やクラッブ達に勉強をさせるかって議論をしてるじゃない。そう言うのが結構楽しかったりするの、私」
「教師か……」

 考えた事も無かった選択肢だ。マルフォイ家の長男として、父の後継者となり、魔法省の幹部となるのが僕の未来だと固く信じていた。
 だけど、グレンジャーの言う通り、人に教えを施すというのは存外に面白い。
 こうして、その為の議論を交す行為にも僕は一定の面白さを感じている。

「いいね、先生かぁ」

 クリアウォーターも満更では無さそうだ。
 何だか妙な気分だ。
 グリフィンドールの生徒とこうして夢を語り合うなど、少し前なら考えられなかった。
 それも、相手の一人はマグルとの混血だ。軽蔑すべき相手だというのに、僕は一定の敬意を払うようになってしまっている。
 あくまでも、彼女の知性に対する敬意だが……。
 存外に楽しい時間だった。この二ヶ月間は……。

 そう、僕はこの関係を築くまでに二ヶ月も掛けてしまった。
 校内では来月に控えるクィディッチ・ワールドカップの話題でいっぱいだ。
 もう、時間が残されていない。だけど、互いの秘め事を明かしあう程の関係には至っていない。
 そもそも、無理がある。たった、三ヶ月でスリザリン生である僕がどうやってグリフィンドールの生徒と友人になれるというんだ。
 ここまでの関係に至れただけでも十分過ぎる結果だ。
 だけど、足りない。
 このままでは、母上が拷問されてしまう。最悪、殺されてしまうかもしれない。

「……コ」

 誰かが僕の肩を揺すった。

「大丈夫? ドラコ」

 パンジーだった。僕はいつの間にか談話室で転寝してしまっていたらしい。

「ああ、問題無いよ」

 僕が応えると、パンジーは「そう、良かった」と微笑んだ。

「それにしても――――」

 パンジーは僅かに表情を曇らせて言った。

「ドラコ。こんな噂があるんだけど――――」

 噂? 何の話だ?

「貴方、図書館でグリフィンドールの女の子達と密会してるって……」

 どうやら、俺達の秘密の勉強会はバレていたらしい。
 今はまだ噂の段階だが、いずれ皆が知るところになるだろう。

「……さあ」
「何か変よ、ドラコ。どうしたって言うの? 最近、貴方は私達を避けてるみたいに見える」
「そんな事は無い」
「でも、クラッブやゴイルも言ってる事よ? 最近の貴方は変だって!」

 変……か。そうだろうな。グリフィンドール生とつるんでいるからなのか、帝王の配下となり、密偵をしている事への恐怖のせいなのか分からないけど、僕は時々自分が分からなくなる。
 
「心配は要らない。僕は大丈夫だ」
「もう! 私は心配してるのよ!」
「……その気持ちはありがたく受け取っておくよ。それより、今度のクィディッチ・ワールドカップなんだけど――――」

 時間が無い。どうにかして、更なる一歩を踏み出さなければいけない。
 僕は……、どうすればいいんだろう。
 僕は失いたくない。父を、母を、クラッブやゴイル達を……。
 だけど、選択しなければいけないのかもしれない。
 何かを捨てなければ、全てを失う事になる。
 僕は……。

「おい、ドラコ。お前、あの穢れた血のグレンジャーやオカマ野郎のクリアウォーターと図書館で楽しく勉強会をしてるらしいな!」

 ブレーズ・ザビニがそう言ったのはあれから二週間後の事だった。
 クリスマスまで、後一週間。僕は未だに選択出来ずに居て、大事な物を失った。
 ザビニの隣で僕に軽蔑の眼差しを投げかけるパンジーを見て、そう理解した。
 ああ、僕は何をしてるんだろう。帝王の駒としてアクセク働く奴隷となって……、友を失い、不倶戴天の敵であるグリフィンドール生に尻尾を振って。
 
「ドラコ先輩?」

 そんな時だった。彼女が話し掛けて来たのは。
 一度だけ、会った事があった。ダフネの後ろに隠れるように僕の前に来て名乗った彼女の名前は――――。

「君はダフネの妹の……」
「アステリア・グリーングラスです」

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